コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■マティスとルオー展:①手紙の行間&フランスの祖国愛は共通? 

2月10日(2017)山田五郎さんのアートトークが行われました。良い機会なので参加しつつ鑑賞してきました。2人の手紙のやりとりが、今回の目玉企画です。事前に伺ったお話が鑑賞の手助けとなり、展示解説だけではわからない言外に込められていた心情にも、思いを馳せて見ることができました。トーク内容もご紹介しつつレポートしたいと思います。(こちらの記事は事前告知による ⇒こちら 招待券での鑑賞です)

 

 

■大人気 マティスとルオー

マティスルオーという画家は、ご存知でしょうか? 大変失礼ながら私は存じあげていなかったのですが、山田五郎さんのアートトークの会場はいっぱいの人。そして五郎さんによれば、日本人はルオーが好きなんだそう。日本では、出光、清春ブリジストンとルオーを所有する美術館は多い。そのベースを作ったのが、福島繁太郎。パリに滞在中、ルオーと親しくなり日本に多く持ち帰り今の日本のコレクション群ができたそうです。ところが、それ以前に、ルオーに着目し手に入れていた人物がいました。1920年、あの梅原 龍三郎がだれよりも先駆けて日本で初めてルオーを購入していたのでした。

 

以前、事前告知した記事が ⇒こちら です。

 

 

西洋美術史の中のマティスとルオーについて解説

最初に西洋美術史の概略をざっと解説されました。美術史をちゃんと勉強しないといけないと思ってはいるもののなかなかできずにいました。断片の歴史でなく「流れ」として概略をとらえていると、美術の理解も随分、変わるのだろうなとは思うのですが・・・

 

そんな状況の人にとっては、とってもありがたい美術史講座となりました。聞いたことはあるけど、よく知らない「派」の概要をつかむことができました。以前、山下裕二先生の講演でも日本美術史について、概略を伺ったことがあります。その話をお聞きしたあと、理解が随分、変化たことと、興味の広がりを実感しました。今後にいろいろな意味でプラスになってくれそうです。

 

抽象と具象についてのわかりやすい解説があって、その中でのマティスとルオーの位置づけが説明されました。二人の師であったモローは、知名度が弟子よりも低いです。それは、なかなか絵を売らなかったからだそうです。そのため人の目に触れる機会がなく、知る人がいなかったと。弟子の2人と一緒に個展を開くときも、弟子の方が有名な状態・・・・ 芸術家の認知度って、一因には自分の勉強不足もありますが、こういう背景もあるのだなと思いました。

 

そんな我が道をゆくモローの指導は、自由で長所を伸ばしていく主義私は橋である。その橋を渡って君たちは次の時代に渡ってゆけと・・・(←かっこいい!)2人の持っている才能を見抜き気づかせ、今後、何を目指したら良いか早い段階で方向性を示していました。それは見事的中。迷いがあればこの助言に立ち返り、2人は花開いたのでした。

 

マティスには「絵画を純化」することを伝え

ルオーには 「簡素さと重層化 本質は宗教 一生つきまとうだろう」

 

 

マティスとルオー比較

マティスとルソーの手紙。文字や書き方から2人の気質や性格が伺えます。

 

マティス               ▼ルオー

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↑ バランスよい            ↑ びっちり 下になると詰まってる
                     余白に縦書き  文章の上にまで

 

出典:友情からたどるふたつの個性。「マティスとルオー」展で見えてくる相違点と共通点とは? | News&Topics | Pen Online

 

②ルオー:いつも情熱的でテンションが高く、思いのたけを、びっちりと便箋にしたためます。モロー先生との思い出を語り始めたらスイッチが入ったようにとまりません。文中に書き足したり、アンダーラインを引いたり。途中からポエムが始まってしまったり・・・さらに両サイドの空白部分にまで書き足しをして、縦書きの文字で埋められています。思いつくままにどんどん書き足していて、あふれる思いが便箋を埋め尽くしています。話題はどんどん変わり、最終的には当初の本題からずれてしまい、結局何の話だったのかわからなくなって、また次の手紙に持ち越しということも・・・

 

マティス:ルオーに対して冷静沈着。整然とした宛名や日付など、文面、書式にのっとった手紙は、性格が伺えます。熱いルオーに熱くは答えてしまうと、より火に油を注ぐことになることをよく知っていたのでしょう。

 

晩年は、お互い寄る年波には勝てません。それぞれの体調をくずします。30代では腰がいたい、50代になるとお互いの病気自慢が始まります。マティスが盲腸で入院すれば、ルオーは俺も鼻水が止まらないんだと対抗します(笑) 

 

そんな一見、相反するような部分も見受ける2人ですが、お互い業界の悪口で盛り上がっていたそうです。2人の関係が長く続いたのは、このあたりの共通の話題にあったのではと五郎さんらしいノリのトークで解説。展示の解説だけでは読み取れない2人の関係を面白可笑しく補足されました。

 

晩年は、マティスが伏せるとルオーは、見舞いに行きます。マティスからルオーもちゃんと寝るようにと言われると、俺はちゃんと寝ていると反発していたみたいです。

 

そんな話を聞きながら、会場の展示を見にいくと・・・

最後にルオーと面会したマティスの言葉がこちら・・・「君の訪問が僕にとってどれほどありがたかったか・・・・・若かりし頃の様々な瞬間に舞い戻った心地だった。おそらく、もうこのように思い出が蘇る機会は二度とやってこないだろう」

 

最後に良き時を良き友、よきライバルと過ごし、2人が同じ時代にこうして巡り合えた出会い。その絆を一緒に共有しながら、一連の作品を走馬灯のように思い返していました。

 

 

■画家同志の友情は成り立つのか?

友情あふれる心温まる書簡・・・という触れ込みの企画です。しかし、同期同じ師のモローに学んだ、タイプが違う画家です。育った環境学校内のポジションも違います。お互い奥底では意識しあって、ライバル視して秘めた火花を散らしていたのでは? それを押し込めている部分が、どこかにあるのではないかと思っていました。

実際に「ああいえばこういう状態」も随所に見られます。しかし、どこかほほえましさが感じられ、仲がいいから喧嘩をする兄弟のようにも見えます。

 

戦争中、お互いの家族が捕虜にとられるという状況でした。精神的にも物流的にも手紙のやりとりは困難だったと思われます。しかし絵具(油?)がないというルオーの状況を聞きつけたマティスは、ルオーに送っているのです。物資が不足していた時代。マティスだって大変だったろうと思います。そして明日は我が身かもしれないのにです。

 

しかも、この時、マティスも病気がちだったと言います。離れていても、本当に困っているときには手を差し延べる。生涯、良好な関係が続いたことが伺えました。お互いがお互い、思いあっていたことが、ジンジン伝わってきます。

それは、きっと近づきすぎていない距離感もよかったのではないかと思われます。途中、行き来が少なくなったこともあったようですが、その流れに任せていたようです。

 

 

■2人の祖国への愛 そしてフランス人全体の愛国心

 2人は2度の大きな戦争を体験しています。その戦争がしばらく二人の間を離れさせていたようです。しかし、逆にそれが戦後の2人の結びつきをより一層、強くしたのではないかと思われます。離れていても、絵具がないと聞けば、融通して手を差し延べる。そんな苦しい時代を共に経たからこそ、戦後、2人の絆はより一層深まり祖国フランスへの愛も、高まったのではないかと思われます。

 

フランスという国は、祖国愛が強い。それは他のアーティストからも感じさせられることでした。⇒【*1】 そういえば、フランス人はプライドが高く、自国語しか話さないと言われます。

今、サントリー美術館で展示されているロレーヌ十字があしらわれたガレの作品。この作品も、フランスのロレーヌ地方の故郷への愛が込められたものです。ロレーヌ十字はジャンヌダルクの象徴でもあったようです。

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こうしたフランスの芸術家の根底に、フランスの歴史によって培われたのが流れているからではないかと思い、調べてみました。 

 

■フランスの歴史

フランス人の愛国心の源流は、ルオーが描いたジャンヌダルクにあるのでは? と思いジャンヌダルクについて調べてみました。1429年イギリスとの100年戦争の終盤に現れフランス軍の救世主となりました。のちに、フランスの国民統合の象徴となり、愛国心を表すアイコンになっていったようです。

また、1789年フランス革命によって自ら自由を勝ち取ったという自負も、愛国心を強くしている源流と考えられます。

さらに、ルオーとマティスが生きた時代に勃発した第二次世界大戦は、フランスとドイツの戦いです。フランスの降伏によって、1940年~1944年まで、ナチスに侵攻されていました。 

ナチスからの解放によって、自由のフランス。フランス人としてのプライド、誇りを取り戻すために、芸術の力を注ぎ込んだのだと考えられます。

 

ちなみに、フランスの国家ラ・マルセイエーズです。

www.youtube.com

フランス革命のときの革命歌で、マルセイユ連盟兵(義勇兵)が歌って広めました。

これまで、フランスの画家が、総じて愛国心を持ち、作品でそれを表現していると感じていましたが、その理由が分かった気がします。

 

 

■戦時中の制作活動

戦時中は、画家も描くことがままならない状態でした。それを出版という形で後押しをした気骨ある出版人がいました。画家としてのプライドをもちつづけさせるため、芸術の芽を途絶えさせないための発表の場ヴェルヴ」を出版したのが、ギリシャ生まれのテリアードです。まさにテリアードはジャンヌダルクのような存在で、旗振りをして、画家たちを鼓舞させて、描くモチベーションを与え、その環境を勝ち取らせようとしているようです。

 

本になったものが展示されています。それを見たら、テリアードの出版人としての意地、プライド、全精力を傾けてこの本を制作したことが伝わってきます。絵の再現性。印刷技術。今の印刷によるリ・プロジェクトなどに負けない仕上がりは必見です。

(印刷に凹凸があるように見え、どのような技術だったのかな・・・と思っていたのですが、リトグラフによる版画だったことがわかりました。それで納得・・・・)

 

その他にも、テリアードは、ルオーの詩画集《気晴らし》を手掛けていて、その原画の油彩15点すべてが展示されるのは、本邦初だそうです。ちなみに《気晴らし》は、戦時中、抑圧された画家の《気晴らし》に描いて・・・という意味があったようです。

 

 

愛国心の象徴的な作品

〇ルオー《聖ジャンヌ・ダルク》(1951年)

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出典:マティスとルオー展 ―手紙が明かす二人の秘密― |

     汐留ミュージアム | Panasonic

 

◎[予備知識なしの感想] 

解説を見る前に、これは一体、何を表しているのだろう・・・と考えてみましたが全くわかりませんでした。馬に人がのってる。なんだか棒立ち状態。というか、足がだらりと下がっているけど、鐙もないのかしら? 

解説を見てジャンヌ・ダルクだと知りましたが、そんな有名人を描いたようには全く見えませんでした。フランス人なら、これを見れば、ジャンヌ・ダルクだってわかるアイコンみたいなものが隠されているのでしょうか? 

 

◎[解説を聞いたあとの感想]

ところが会場で、事前に山田五郎さんのお話を聞いて、1章を見て、2章を見たあと、第3章のこの絵の前に来たら、見るなり「あっ、ジャンヌダルクだ!」と思っているのです。私は何で、これを見て、すぐにジャンヌダルクだ・・・って思ったのか戸惑いました。

最初に見た時は、これ、どう見てもジャンヌダルクには見えない・・・って思っていたはずなのに。今は、ジャンヌダルク以外のなにものでもなくなっているのです。疑いもなく受け入れています。知ってしまってから見るとうのは、こういうことなんです。みごとな刷り込みです(笑) (フランス人でルオーを知らない人はいないのかもしれませんが、まだ知らない子供や大人に見せたら、この描かれた人のことをどう思うのか知りたくなりました)

 

◎[情報の積み重ねによる予想]

まだ、この会場で見ている時点では「ジャンヌダルク」がどういう人か知りませんでした。しかし、彼女の功績を調べればきっと、フランス人にとって英雄的存在で、何か心のよりどころになっている存在なのだとわかります。

それは、フランス革命時代に登場した人だと思っていました。フランス人はこの革命で勝ち得たものに強いプライドを持っているとどこかで聞いたことが重なっていました。フランス人の愛国心が段々、見えてきた気がしました。誇り高き救国の少女「聖ジャンヌ・ダルク」 そこにフランス人の愛国心の原点があるようです。また、テリアードの姿も芸術を復興させる旗手として、ジャンヌダルクが重なっているのかもしれない・・・・と。

 

 

マティスラ・フランス》 (1939年)

ラ・フランスは、洋ナシではなく、これぞフランスという意味だそうです。⇒【*2これこそがフランスの美・芸術とばかりに、豊かな色彩で堂々たる女性の姿が描かれています。

 

◎[解説]

1940年、ナチスにフランスは占領され、国民はフランスの誇りを失いかけていました。それを取りもどすべく、フランス国旗と同じカラーを使った女性を描いたのでしょう。

この絵は、ナチスへの抑圧の抵抗を表明した「ウェルヴ」の8号に掲載されています。

傷ついた祖国の誇り、回復への祈りと同時に、フランス美術の伝統を担うモノとして自己の現れ 芸術家による美しくも強烈なレジスタンス(権力に対する抵抗)だと言います。

 

◎[見た感想] 

この絵を遠くから見ていた時には、椅子がよく見えませんでした。次第に近づいて見ると、椅子の存在に気づきました。実は椅子に座っていた絵であることがわかりました。

しかし・・・この女性、座ってるわけではないのでは? と思ったのです。

椅子のひじ掛けの根本が白く消されています。遠目で見ると、椅子はないものとなり、この女性は立っているように見えます。近くによっても、最初、湾曲したカーブが椅子のひじ掛けだということに気づきませんでした。

 

◎[絵の意味(私見)]

この女性は、椅子になんて座っていないで「力強く立ち上がれ!」「自分の足で立て!」というメッセージを込めていたのではないかと思いました。そのため、あとからひじ掛けの根元を消すように白を上書きしたのでは・・・ 椅子のアームと腕のラインが一体化しているように思えます。

 

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    出典:マティスとルオー展 ―手紙が明かす二人の秘密―

 

◎[色について]

そして色は、まさに、これぞフランス! を表すかのような 国旗の色です。

「青」「白」「赤」「自由・平等・友愛」を表しますがそれぞれの色には対応しているわけではないそうです。

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そして、頭の上には「緑」の飾りが・・・・
エスト中心にも「緑」・・・・
これは、フランスの自然豊かなは国土の緑を表しているのでしょうか?

「黄色」はサンサンと降り注ぐ太陽?
 「青」のスカート部分のストライプは、雲や空をイメージしているのでしょうか?

 

最初はジャンヌダルクを見た時と同様、この女性の「どこがフランスなんだろう」と思っていました。おそらく、これぞ、フランス! という感覚はフランス人でないとわからない何かが存在しているのだろうと思いました。

ところが椅子があるのに、そこには座ってはいないように見える。それは毅然と大地に立つ力強い女性を意味しているように、段々見えてきたのです。するとラ・フランスの意味も理解できてきて、フランスという国家、大地に根ざししっかりと立っている気丈な女性に見えてきました。

(ちなみに会場の外で上映されているビデオでは、この絵を「心地よい肘掛け椅子のような芸術」と解説されていました。受け取り方はいろいろ・・・ってことで(笑))

 

■関連

■【事前告知】『マティスとルオー展 ― 手紙が明かす二人の秘密 ―』

■マティスとルオー展:①手紙の行間&フランスの祖国愛は共通?  ←ここ

■マティスとルオー展:②「友情あふれる手紙」を別の角度からみる ←次

■マティスとルオー展:③《ラ・フランス》の展示の秘密を勝手に語ってみる

 

 

■ポーラ美術館:マティス・・・抽象・具象 グリッド背景に人 

■ロレーヌ十字とガレ  ・・・祖国フランス

 

 

■脚注

*1:祖国への愛
↑ ガレ・モネ・カルティエなど、祖国のために作品を制作しています
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*2:フランス語の「セ・~~」や「ラ・~~」「レ・~~」は、ど... - Yahoo!知恵袋

↑ 男性・単数名詞→Le
  女性・単数名詞→La   フランス は女性詞
  複数名詞(男女とも)→Les

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