カンディンスキーとルオーの時代、美術の世界は玉石混合の過渡期でした。この時代の美術シーンと、今回の展示の主役「カンディンスキー」と「ルオー」の接点を、展示の解説やプレスリリースから自分の覚書用にまとめました。
■「カンディンスキー」「ルオー」「グレー」の年譜と派の変化
■印象派からの絵画の動きと画家
新たな潮流は、それほど長くは続いていませんが、その後に大きな影響を残しました。
〇サロンドートンヌ(1903-)
サマリテーヌ百貨店をパトロンとし、1903年、マティス、ルオーらの参加によって産声を上げたフランスの美術展覧会。
サロン・ドートンヌ展(日本語で“秋の展覧会”の意味)設立の裏には、当時大変に保守的だと考えられていたフランスのサロン(フランス芸術家協会のサロン展及び国民美術協会サロン展など)への反抗があったと言われている。
〇「ブリュッケ」(1905-1913)
アフリカなど非西欧美術との出会いにより自然への回帰を志向し、プリミディブ(原始的)なものや、失われた古き良き時代へあこがれを強くする。風景やヌードなどをモチーフにした。
ドイツ表現主義に属するグループ。5年に1905年結成、1913年解散。
〇ドイツ表現主義(-1914)
不安や焦りなど個人の精神のありようを色彩や形態に置き換えて表現しようとしたドイツ表現主義の運動。「ブリュッケ」を端緒とし、「青騎士」の活動へと緩やかにまとまりながら展開。
自然回帰的でプリミティブ(原始文明)な表現、中世や古代を理想化された光景を表現に取り入れる。
〇青騎士(1911-1914)
ミューヘンのカンディンスキーが新しく始めたドイツ表現主義を代表する存在のグループ。作家の内面に重きを置く。「ブリュック」と並び称されるドイツ表現主義
〇新芸術家協会(1909-1920)
1909年に設立された、ミュンヘンを本拠地とする表現主義の芸術家グループ。抽象絵画を生んだヴァシリー・カンディンスキーが初代理事を務め、南ドイツの表現主義芸術運動のひとつである青騎士の母体となった。
〇ロシア構成主義(1914-1920)
キュビスムやシュプレマティスムの影響を受け、1910年代半ばにはじまった、ソ連における芸術運動。絵画、彫刻、建築、写真等、多岐にわたる。1920年に廃れるが、1930年代の抽象画に影響を与える
〇バウハウス(1921-1933)
1919年、ドイツ・ヴァイマルに設立された、工芸・写真・デザインなどを含む美術と建築に関する総合的な教育を行った学校。また、その流れを汲む合理主義的・機能主義的な芸術を指すこともある。
ドイツナチスにより閉校。14年の活動。短いが現代美術への影響大
《秋の夜景》ルオー
ルオーは晩年、聖書に登場する場面では風景にもキリストを導入し「聖書風景」と題して発表。赤い屋根、橙色を基調に緑や青、黄色が塗り兼ねられては削られ、晩秋の空気と海、大地と建物が輝しょうな色彩によって描かれている。ルオーの画用の集大成ともいえる風景画の名品。
オレンジ色とは区別、感情的な色。楽しい。喜びと同時に不安や恐れの意味。鮮やかな黄赤、橙色