コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■サントリー美術館で見た鈴木其一《四季花鳥図屏風》

昨年(2016年)サントリー美術館で行われた『鈴木其一 江戸琳派の旗手』で最後の最後に登場した《四季花鳥図屏風》 こんな作品もあったのか! と度肝を抜かれた作品でした。その時の記録が、食べログの美術日記に記録していたので、こちらに移動させました。

 

鈴木其一 江戸琳派の旗手:《四季花鳥図屏風》私の一押し屏風 (2016/11/07) より 

「鈴木其一 江戸琳派の旗手」は5回の展示替えがありました。その最後のトリを飾ったと思った作品が《四季花鳥図屏風》10/19~10/30までの展示でした。

 

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▲《四季花鳥図屏風》図録より  

 

 

■「鈴木其一 江戸琳派の旗手」の展示でベストだと思った作品

最後の展示替えでお目見えした《四季花鳥図屏風》に息をのむほど圧倒されました。1854年。其一がコレラ亡くなったのが1858年なので、亡くなる4年前に制作された屏風です。こんな作品を描いていたとは!と驚愕しました。しかもこの作品を、これまでみたことも聞いたこともありません。これだけの作品がなぜ、話題にも上っていな-いのでしょうか・・・

 

其一の屏風といえば、朝顔図屏風》《夏秋渓流図》《風神雷神襖》が有名です。ともに素晴らしい作品ですが、それに負けず劣らずのクォリティーを持った作品だと思います。最後の隠し玉。トリとして大きなサプライズとなる目玉作品だと思うのです。なぜ、チラシやパンフレットなどに画像を掲載しないのでしょう。不思議に感じられました。 

 

 

〇情報がない!

なぜかこの作品について、調べてみても、情報がほとんどないのです。《四季花鳥図屏風》という名の絵は、他の絵師も描いていて、四季花鳥図屏風というのはいくつかあります。其一自身もこの屏風の他に、同名の作品があり山種美術館が所有していて、そちらの方が認知度は高い模様です。

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出典:次回の展覧会「【企画展】花 * Flower * 華 ―琳派から現代へ―」 - 山種美術館

 

〇語る人がいない

今回展示された《四季花鳥図屏風》に、私はとても心惹かれたのですが、其一展を見た方が、この屏風について取り上げている方をおみかけしません。自分ひとりが、いいと思っているだけなのか・・・・個人的な好みにすぎないのか。ちょっと不安になってしまいます。

 

〇見ている人の心はとらえている

この絵の前を通っていく人は、みな口をそろえて、驚きの声を上げていました。しかしこの絵をわざわざとりあげて、ブログやSNSに書き残す人がいないのかもしれませんが、確実に見る人の心をとらえていることは、会場の様子から見てとれます。見た人の人の心の中には焼き付いているはず・・・・

 

〇この作品を最後に見て其一の画業がわかる

最後の〆としてこの作品を見る。それによって、其一の画業全体が俯瞰でき完結すると思いました。多くの人が其一展を見て、中には何度も足を運んだ人もいると思うのです。でも、この作品を見ずに終わってしまう人もいたはず。これを見ないで、今回の其一の展示をおわらせては、8割程度しか、見ていないことになるように思います。この作品を見ずに、「其一を見た」とは言ってほしくない。とさえ思うくらいの作品だったと思ったのです。

それなのに、誰も話題にしない・・・・ 自分の目が違うのかなぁ・・・・ でも、自分でいいと感じたものは、人がどう思おうといいものはいい・・・・と思うことにしました。 

 

■所蔵先はどこ?

この屏風は、「東京黎明(れいめい)アートルーム」の所蔵だそうです。この美術館、初めて聞きます。こちらが ⇒「about us」こんな立派な屏風を所有している美術館なのに、その施設の名を知りません。

前身が2005年にオープンし、昨年の10月に「東京黎明アートルーム」としてオープンしたのだそう。まだ新しいため、認知度がまだ広がっていないということでしょうか? 母体など調べてみると・・・・MOA美術館創始者の志を引きついでいる美術館のようです。

 

ちなみに「黎明」の意味は、 

1 夜明け。明け方。 

2 新しい事柄が始まろうとすること。また、

 

その時。作品は、その名にふさわしい屏風だと思いました。

 

 

■新たな画風を求めて 

〇盛り上がった描写

この屏風を見た人が、口をそろえて発していた言葉。もっこりしてる・・・・・  盛り上がっているよ」これまで、其一は実にさまざまな画風を見せてくれました。それが最後の最後に、またまた、新たなテクニックを披露してきたのです。

其一の画業は、いやというほど見てきたと思っていましたが、この後に及んで、またしても、新しい画風を見せつけてくる・・・・

幕末という時代、西洋から押し寄せてくる波にアンテナを張りすかさずそれを取り入れて自分の画業にしてしまった? 亡くなる直前に、こんなものを残していたなんて・・・・

 

〇油絵の影響あり?

おそらく油絵を見ていたのではないかと思われます。それを見た驚きとともに、可能性も感じ早晩、こうした描き方が日本にも、押し寄せてくる。それを感じた其一は、いち早く、その方法や質感、描き方を、この屏風で表したのではないかと思いました。これからの絵の世界は変化することを予感したのだと思います。

 

これまでの日本画の表現とは違う技法日本画を初めて見る人にも、新鮮にうつる、これまでの技法とは違う表現がされていたのです。日本の夜明けが間近であることを本能的に感じ取り、それとともに、絵というものも、大きく転換する大波が押し寄せてくること。

それを予感した其一は、これまでの日本画が描いてきたものを総まとめをするかのように、一枚の屏風に押し込めました。さらに、これから日本画が歩く道しるべを示そうとしたのでは? そのふり絞るような情熱に充てられてしまいました。

 

〇剥離した絵具

厚塗りされた絵具は、一部が剥離しています。剥離してしまったのか・・・・・技術的に確立されていたわけではないからしかたがない・・・・と思って見ていると、その中の一部は、剥離ではなく、剥離したように描かれている部分があるように感じました。

ひょっとして、其一は、この盛り上た絵具が時間がたつと、剥離してしまうことを予測していたのではないか。と思って見ていました。

 

この絵を見たあとになって、この盛り上がりの技法は、胡粉でまず盛り上げて、着色することがわかりました。異質なものを重ねたら、それぞれのなじみは悪く、収縮率なども違うでしょうから剥離の可能性は高くなります。それを見越して、はがれたようなあとの状態も描いたのでは?わざと、落ちたように見える部分も描いておいて、剥離か、描いたのか、わからないようにした?!というのは私の推察です。

 

 

琳派の歴史と博物学

新たな画風だけでなく、ここに描かれている花は、当時としてはめずらしい新種の花が、紹介されていました。鶏頭やケマンソウなどが、この時代に存在していたのかとびっくりするようなものが描かれているのです。

 

〇【追記】2016.11.13 シーボルト展でケマンソウ発見!

国立科学博物館で行われていた企画展「日本の自然を世界に開いたシーボルト」展を見ていたら、ケマンソウが描かれ絵いるのを発見しました。ということは、日本に存在していて、それを誰かが描き、シーボルトに提出したということになります。しかしケマンソウは、日本に自生はしていなかったのです。それは鑑賞用に栽培されていたのだということが下記のパネルからわかりました。f:id:korokoroblog:20170228183637j:plain  

 

 

下記は、シ―ボルトをサポートしていた日本の絵師「川原慶賀」のサインはありませんが、その作品です。描かれた年代はわかりませんが、其一は、こうした図録を見ていたのではないかと想像されます。

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  ▼シーボルトの時代の植物学f:id:korokoroblog:20170228183718j:plainシーボルトが日本にやってきて滞在した6年間(1823年~1830年)というのは、世界の植物学が劇的に進歩した時代でした。欧米が未開地の植物の新発見を競ってブランツハンターを送り、世界最大の花、ラフレシアが発見されたのもこの時代です。また顕微鏡による分析機器の進歩により、植物の発生や内部構造などが次々に明らかになり、単に精密に描き写すだけでなく、植物学、科学の側面を合わせ持った時代です。

  参考⇒「顕微鏡」「写真」「電球」の発明と美術への影響(覚書) (2016/11/18)

 

 

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シ―ボルトの調査は出島のみに限られました。しかし優秀な標本作成を作成する協力者を日本で得ることができました。(シーボルトは、日本のその技術を絶賛していました)さらに医学を教えるという名目で、各藩から人材が招集され教育し、その医学生が地元にかえって、その地域の植物標本を作り、シーボルトに提出。その結果、北海道、東北、四国など日本全国の植物をライデンに持ち帰ることができました。

一方、シーボルトは帰国の際に、 ツェンベリー(プラントハンター)著の『フロラ・ヤポニカ』を、「伊藤圭介」(医師・本草学者)に置き土産として残しています。こうした文献が、日本の本草学をさらなる進歩をもたらし、その流れを其一はキャッチしていたのだろと思われます。

 

シーボルトに協力した絵師たち

 

 其一は、上記のようなシーボルトたちによってまとめられた先端の博物学的な情報までも得ていたことが想像され、それらが屏風に反映されているのだろうと理解できます。

 

 

〇其一とシーボルトの関係 

シーボルトと其一は、ほぼ同級生です。シーボルトが日本で、植物情報を収集している間に其一の描いている絵で年代のわかるものを対応させました。

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シーボルトが蒐集している間、植物学は劇的に進化しましたが、シーボルトは33歳で追放されてしまいます。その4年後、1829年其一は、《癸巳西遊日記》を描きつつ、西方の自然、植物にも触れながらスケッチ旅行をします。先に示したような、シーボルトの植物蒐集に協力した人たち(もしくはその書物)に触れ、交流もあったのではないでしょうか? シ―ボルトが残した研究の痕跡、残した書物や顕微鏡などによってもたらされた成果に触れ、其一のその後の画業にも大きく寄与したものではと考えました。

 

シ―ボルが全国的に集めた花は、系統分類され学術的にまとめられていた時代です。日本でもその影響を受け本草図譜』『草木錦葉集』が編纂されています。そんな時代のあとを追うように其一は、西側を旅行しました。目にした花は、その当時の流れを受け、博物学的な描写で、花の生態もリアルに表していたと思われます。また、既存の花も琳派的な表現や構図を踏襲しながらも、新たな構図の斬新さも見られます。これまでの日本画が描いてきたものを総括するような意味合いも持っていると思われました。

 

 

■其一の遊び心

〇バッタをくわえる鳥

右隻の5扇に鳥が2羽くちばしで何かをつついています。目をこらしてみるとなんとバッタなのです。しかも、右の鳥がくちばしでつまんでいるものを見ると、バッタの右の後ろ脚、一本をくわえているのです。こうした、遊び心を其一は、これまでも至るところに埋め込んできました。ここでも、しっかりそのエッセンスは忘れてはいません。しかも妙にリアルです。

 

〇バッタに気づくのは?

ここの鳥が、何かをくわえていること。みんな気づいているのかしら?しばし、後方で立って見ていました。誰一人として気づく人がいなかったのが残念です。ところが、子供がすすすとやってくるなり、「あっ、虫だ! お父さん、お母さん、虫がいるよ~」と教えていたのです。

子供の目の鋭さにびっくりさせられました。たまたま、子供の目の高さということもあったかもしれません。しかし、子供の純粋な目は、探すでもなく、鳥と虫をすぐに見つけてしまうのでした。 

 

 

■切磋琢磨 

また同時代には、名だたる絵師がひしめきあっていました。葛飾北斎をはじめ、歌川広重歌川国芳といったそうそうたる顔ぶれがお互いに切磋琢磨していたと考えられます。この時代は、さながらアイドル花の83年組状態?

 

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また、伊藤若冲も、1806年、其一が生まれた4年後になくなっています。其一と同時代を生きていませんが、抱一は若冲の影響を受けていると言われています。 何等かの影響があったと考えられます。 円山応挙とは同時代を生きていませんが、《夏秋渓流図屏風》の 水流表現は影響を受けているとされています。 

 

 

■時代背景 鎖国という政策(?)の中で

鎖国・・・・(⇒江戸幕府が「鎖国」していたという大きなウソ長きにわたる平和な時代を築いた江戸時代。国内の支配体制の安定とともに、町民文化や、芸術、工芸も発展しました。

その一方で、出島を通して、一点集中的に情報集約させつつ、海外の情報を取り入れていました。幕府は閉ざされていたわけではなく独占的に西洋の情報を入手していました。

しかし、感度の高い絵師たちは、そこに集まり、そこから漏れる情報や絵具などを拾い上げ、画業に転嫁させていきました。

 

 

■時代の変わり目のエネルギー

しかし、そんな時代も、いずれは終焉を迎えます。この絵が作成される3年前(1853年)には、ぺリーが来航していました。最後の輝きを放っていた時代から、新たな時代への転換の不安や期待そんな時代の空気を丸ごと描いた集大成ともいえる作品に思いました。

ぺーリーが来航し、諸外国からもいろいろなものが、流入し始めます。その勢いは、もう止めることはできないと其一は、感じていたのでしょう。其一が好んで描いてきたのは「水」や「流れ」です。

その「勢い」が濁流となって押し寄せてくる様を描きました。新しい時代の流れが大波となって飲み込んでいく。これからの絵が、どうなっていくのか・・・それを感じとり、後世に託したのではないか。というのが私のこの屏風の評価でした。

 

 

■過去の総括幕末という時代を生きた其一。

江戸時代の琳派という流れをすべて受け止め吸収して、血と肉にしながら、来たるべき次の時代を見据えて描いた作品。江戸300年の歴史がここに閉じ込められていて、さらに、これからどんな時代になるかを予測したかのような一枚でもあります。江戸の暮らし、文化がこの一枚から浮かびあがってくるような気がします。

 

 

明治維新の夜明け

時代の橋渡しであった其一が亡くなった10年後1868年、明治維新を迎えます。日本の近代美術史の幕が開ける幕末から明治への端境期

夜明け前の静けさの中に、秘めたエネルギーをはらんでいた時代。しらじらと明けていく中で、あたりを照らしていた鈴木其一。

異質なものがぶつかり合うことで発せられる衝突のエネルギー。夜明け前の明け方が持つ、独特の空気感。これから登る太陽から注がれる爆発的なエネルギーを受ける前に、乱れ飛ぶ力の中に生きた其一。(ここでワーグナーのタインホイザ―の曲が浮かんでいました)

そんな其一が、新たな次世代のバトンとして残した絵の数々。その集大成とも言えるのがこの《四季花鳥図屏風》ではと思えたのです。其一は、江戸と明治を、そして今をつないでいる絵師なのだと思いました。上記は下記をもとに編集しました。

 

 

速水御舟の全貌 ―日本画の破壊と創造―  其一を思い出させた御舟

美術館めぐり:「鈴木其一展」「日本美術と高島屋」「驚くべき明治工」(2016/10/24)

 

【追記】2016.11.15 ■この屏風を評価している人 発見!

山種美術館で照明について説明していただいた尾崎文雄さんが、下記のツイートをされているのを発見。有名美術ブロガーの方の評価を見ることがなかったので、やっと評価をされている方を見つけた! という感じ・・・・ ちょっとうれしい(笑)

 

尾崎 文雄 サントリー美術館「其一展」、展示室の最後の方に陳列されている《春夏秋草図屏風》は素晴らしい作品でした。→作品名称《四季花鳥図屏風》作品番号68でしたね、失礼いたしました。
東京黎明アートルーム
 
東京黎明アートルーム 注目して頂きましてありがとうございます☆
また、英文において作品名を間違えておりました、ありがとうございます、訂正させて頂きました。
お越し頂いた際にご感想などを伺うことができましたら非常に嬉しいです(^-^)/

 

ほかにも 

  

【追記】2016.11.18 ■屏風の展示 これは左から見る屏風?

《四季花鳥図屏風》は、左から見る動線になっていました。これまで見てきた屏風の鑑賞動線は、右から左へ・・・左か見る動線は、今回が初めてです。これは、会場で設置できる場所の都合上のことなのかと思ったのですが、屏風を左右から見て確認しましたが、絵の流れは左から見るように描かれていると感じました。

 

屏風の基本は右からと聞きますが、左から見るものもあるのかもしれません。 

漢字、ひらがな(縦書き)・・右から左へ
英語、数字(横書き)・・・・左から右へ

明治維新を前に、西洋の横書き(左から右)を目にし、今後の表記の流れの変化を本能的にキャッチしていたとか?あるいは、世界へ向けて発信・・・・を意識し、左から右へ視線を移動する屏風を制作したとか?(ちょっとこじつけかな 笑)

 

 

■描かれている花

    【右隻】   六    五    四    三     二   一

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【左隻】

 六    五    四    三     二   一

 

【左隻】秋~冬の植物 

・六扇:山茶花 梅 

・五扇:やぶかんぞう 

・四扇:華マン草(ケマンソウ)菊 葉鶏頭 ・三扇:葉鶏頭 イヌタデ ツワブキ 

・二扇: 

・一扇:朝顔 女郎花

 

【右隻】春~夏の植物 

・六扇: 

・五扇: 

・四扇:ケシ  

・三扇:立葵タチアオイ)燕子花(カキツバタ) 

・二扇:辛夷(コブシ)白花 スミレ 

・一扇:辛夷(コブシ)白花 蕨 蒲公英(タンポポ) 菫(スミレ)

 

 

この屏風が、現在、黎明アートルームにて展示中です。

 

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先日、黎明アートルームで見てきました。その印象がまた違って面白かったです。そのレポートがこちら・・・

 

    ⇒■其一の《四季花鳥図屏風》との再会(黎明アートルームにて)

 

■関連

■図録の活用法:後半の作品解説の番号を一発でひく方法 ←〈四季花鳥図屏風〉紹介

■其一の《四季花鳥図屏風》との再会(黎明アートルームにて)  ←続き

■サントリー美術館で見た鈴木其一《四季花鳥図屏風》 ←ここ