東武百貨店池袋本店にて「有田の魅力展2018」が開催されています。今年は明治維新150年。明治時代の産業を担っていた有田の今、そして名匠の作品が展示販売されています。見て、食べる。イートインコーナーでは、有田焼のカップや器でカフェやカレーなども食べることができます。
*写真の撮影は、主催者の許可を得て掲載しております。
■有田400年から2年・・・・
東武百貨店池袋本店にて「有田の魅力展2018」が開催されています。2016年に400年を迎えた有田焼。2016年には、各地で美術展や催事が開催されていました。東武百貨店でも「400年 有田の魅力展」が開催され好評を博したようです。
東京・池袋にて「400年 有田の魅力展」開催!|有田観光協会 ありたさんぽ
2年ぶりの開催で、今年は明治維新150年。人間国宝をはじめとする27名の名匠作品や、有田焼名窯の作品を展示。一方、有田焼を日常的に楽しめるように、フードスタイリストによるテーブルコーディネイト提案、異色なところでは、有田焼の器を使ったカレーの販売なども行われています。
開催は2018年6月21日(木)から26日(火)まで。
初日にブロガーイベントが行われました。その中ので行われた2コマの特別セミナーが開催されました。
〇「有田焼の魅力」トークショー
出演:香蘭社社長/深川祐次
〇有田の器で楽しむ食卓~「有田焼コーディネイト」
講師:フードスタイリスト/遠藤文香
個人的に興味を持ったのは、香蘭社社長のお話。そして通常お目にかかることのない明治期にデザインされた作品の特別展示を目的に参加しました。有田焼の魅力や歴史を、香蘭社の深川社長、直々に案内いただけるというのは、またとない機会です。
■有田400年のイベント
2年前の400年イベントに先がけて、2015年に「明治有田 超絶の美 万国博覧会の時代」という展覧会が行われ、その中で、香蘭社という会社の認識を新たにしていました。この展示をきっかけに明治の殖産興行政策に伴う陶磁器の技術水準の高さに驚くばかり。切磋琢磨しながらも、技術の高さが逆にネックとなったり、先進性ゆえに撤退する会社もあり、悲喜こもごもの歴史を経て、生き残り今に至っていること。
「香蘭社」「精磁会社」「深川製磁」の歴史、紆余曲折など、興味を持っていました。そして最近になって、工芸品の展覧会を見ていると、明治期の職人の技術の高さに加え、心意気のようなものが、作品のジャンルを問わず共通していたことが見えてきます。この時代の作品から、明治期という時代が持っている異様ともいえるエネルギーが伝わってきます。
その熱い空気の背後にあった万国博覧会や内国勧業博覧会のイベント。互いに切磋琢磨し、絡み合いながら新たなものを生み出していた時代。そうした時代を生々しく体験してきた直系の方のお話を、文字でなく言葉、声として伺えるというのは、とても貴重なことだと思いました。
今回の展示は、どちらかというと日常の有田。ということが前面に押し出されているようですが、以下は、個人的な興味のあった部分を、メモ、資料として残しておきたいと思います。
■有田400年とは?
有田400年とは、何から400年なのでしょうか…との問いからお話が始まりました。
秀吉の朝鮮出兵があって、その時に、朝鮮からやってきた朝鮮人陶工・李参平。よい石がないかと探し歩き、やっと有田の泉山に原料の石を発見したことが400年の始まり。1616年のことです。
泉山のパネルがパノラマ写真で展示されています。
この景観、李参平の故郷ととても良く似ていて、原料となる陶石がきっと発見できると確信したというような話を聞いた記憶があります。泉山の部分の写真は見ていたのですが、このパネルからその全体の様子が伝わってきました。李参平はこんなところから日本にやってきたのかぁ・・・・
ところで、日本にやってきたという朝鮮人陶工・李参平。故郷と同じ景観に触れ、同じような石をみつけ、何を思っていたのでしょうか? 日本のこの地に来た経緯は、どのようないきさつだったのでしょう? 望んできたのか、いわゆる、無理やり連れてこられてしまったのか・・・・
2年前の展示では、その表現に含みを感じていました。連れてきたとは言ってませんが、それを感じさせる雰囲気が・・・・(笑) そんなことを感じていたことを思い出していたら、深川社長からは、「いずれの経緯も考えられるけども、わかっていません・・・・」 というお話でした。
■有田の紆余曲折と香蘭社
有田の磁器の晴れの時代。万博での金賞、ヨーロッパでの評価。しかし、方針の違いによる分裂。解散など、そのあたりのお話を、直系の方はいかに語られるのかというのも、興味深いところでした。
〇直系の方が語る歴史
「香蘭社」としての立場というものもあるのではないか。中の人から見た歴史… 当事者から見たとらえ方というのもあるのかもしれないと思っていました。あるいは、全く触れずに自社のお話に限ってしまうのかもとか・・・・
歴史に基づいた客観的なお話でした。ライバルともいえる独立された深川製磁のお話もあり、今回、深川製磁から出品された展示の目玉でもあるコラボ作品のご紹介もされていらっしゃいました。
〇日本初の碍子
香蘭社ならではのものとして、碍子のお話がありました。そうそう、そうだった・・・・と、思いだしながら、電線の絶縁や支持に使われる磁器の碍子を日本で初めて作った会社だったのです。当初は、大量生産される工業製品を作るのかという非難もあったそうです。しかし国内で白羽の矢が立つということは、その技術力の高さゆえのこと。
〇歴史の中の制作
その他にも郵便ポスト、戦時中は手りゅう弾を磁器で作ったこともあったそう。手りゅう弾の殺傷能力は低かったそうです。明治維新の富国強兵、殖産興業、そして戦時中は優れた技術を提供したりと、時代の荒波に揉まれながら乗り越え、今につなげてきた歴史。
〇現代の香蘭社
そしてこれから次世代に向けても革新的なものを作り出していく。歴史のつながりの一旦に、生で触れることができたように感じられました。
▲ 「香蘭社調」は光琳の鶴をデザインに取り入れ現代につながっています。
▲これらの絵付け。転写で行われていると聞いた時にはびっくり! 世界最高の水準だといいます。色別に何回か重ねるのは、浮世絵の版画を思わせます。こちらは平面ですが、花瓶のような局面にも転写することが可能。
世界的に見ても、ヨーロッパの磁器が生産拠点を海外へ移動し、ペイントもプリントという時流に。どこか均一化されて味気なくなってしまった…と感じていたのですが。まさか香蘭社のこれらの磁器が転写だったとは思う余地もないほどの技術に驚かされます。(ベースラインをプリント、色付けをハンドで、どう見ても手書きの安価な食器を作ってしまう日本という国の技術もすごいと思いましたが・・・・)
▼万華鏡
正直なことを言うと、需要はいかばかりなんだろう・・・・ マニアックな世界のアイテムに思えました。なぜ万華鏡なのか? と思っていたら、万華鏡が考案された3年後には日本にも渡来しており、180年を経て、焼き物で万華鏡を作ることにチャレンジしたようです。
万華鏡は手元で楽しむ愛玩物。日本の根付や、西洋の鼻煙壺などのように、工芸品の美しさ、その技術を手元において楽しむという習慣と同じ流れなのかもしれません。また愛知万博の時も、巨大な万華鏡がパビリオンになっていました。万華鏡という技術が、技術革新を象徴するような意味もあるのでしょうか?
参考:名古屋市パビリオン「大地の塔」 | EXPO 2005 AICHI,JAPAN
展示場にいらした香蘭社の方からいろいろなお話を伺いました。薩摩切子の歴史なども含めた有田の歴史、そして、明治の創業の気質のようなものが今尚、続いているのを、お話の端々で感じさせられました。
以下、写真資料としてストック
■関連資料
〇あいさつパネル
〇万博と技術革新
〇1873年 ウィーン万博日本参加団
〇幕末・明治期に活躍した有田の偉人
■ 有田の器で楽しむ食卓~「有田焼コーディネイト」
豆皿を使ったコーディネートが紹介されました。
お皿の色と食材の色の合わせ方、敷き皿の活用と、お皿の形を外して遊ぶバランス。パック総菜も、素材をばらして別の総菜の添え物に活用など参考になるお話を伺えました。すぐに取り入れられそうなヒントがいっぱい。
とりあえず、手持ちの食器でもできそうと頭の中でアレンジ。帰って早速、チャレンジしてみました。ところが、よせ集めの食器ではトータルバランスがいまいち。でも、このアレンジなら、磁器でも陶器でもガラスでも、いろんな食器に応用できそうです。
となると、ここで有田を使うことの意味って何かな?と、考えていました。(有田は磁器なので、汚れが付きにくいです。だから油ものやソース類なども直接盛り付けることができます。豆皿で洗い物が一杯になっても、土物よりは堅いから欠けもあまり気にせず、神経もそれほどつかわなくてもいい…と実用本位で考えてしまいます(笑))
400年の歴史を持つ有田はこんな特徴があって、こんな歴史を持っているから、〇〇の部分を取り入れたという部分も知りたかったです。
お漬物とごはんのコーディーネートでは、有田の初期の青い染付のお皿中心に選び、お漬物の色と合わせながら選びました・・・・という解説を、他のコーディネートでも伺いたいと思いました。
■その他
〇柿右衛門
〇今右衛門
■関連
日本が世界に向けて進出するきっかけとなった万国博覧会と、それを充実させるための国内で行われた数々の博覧会。陶磁器の世界でその存在を知りましたが、明治の産業が一致団結してこれに向かっていました。
「漆」の展示を見て、万博と内国博覧会の関係を丁度、一覧にまとめていたところだったのでタイムリーな企画でした。
大隈重信が、万博や内覧会を取り仕切っていたという話を耳にしたあとに、「香蘭社」の題字が大隈重信によるものだという会場の展示を目にしました。単にお願いして書いてもらったということでなく、世界に向けて共に戦った戦友として労いの意味もあったのだろうなと思うと、題字一つにもいろいろ意味があるのだと感じました。
〇『美術館めぐり:「鈴木其一展」「日本美術と高島屋」「驚くべき明治工藝」』より
■明治維新
そして、明治維新という夜明けを迎え、爆発してすべてを壊してしまいました。これまでの生活、価値観は、全てがひっくりかえされてしまいます。
突然の廃刀令や廃仏毀釈、士農工商の身分制度廃止によって補償されてきた身分が奪われてしまった大名や武士。それに伴って顧客を失ってしまった工芸を生業にしていた人たち。
しかし、その技術は形を変え、模索しながら新たな時代に適応しました。刀工は、包丁制作に、仏師は、鎌倉彫などの工芸品作成に、浮世絵師は写真の着色、新たな産業が生み出され、生きのびながら、さらなる発展をしていきます。戸惑いながらも、より活気づいていく日本・・・・
■国策による殖産興業
それらの産業は、大変革を求められ国を挙げての「殖産興業」「富国強兵」。「国威発揚」の名のもと世界へ進出します。そのための調査団が組まれ、欧米の好みを徹底的に調査しました。
それは万博への参加を視野に入れたもので、世界へと進出し外貨を獲得、
その道しるべとして、国策として援助、牽引。民間の技術力はそれに答え、万博では、数々の賞を受賞し、世界の中の日本の存在をアピールしました。世界的に影響を与えジャポニズムの種をまいていました。それらの技術は、さらなる超絶技巧として発展し、考えられないような技術を生みました。
そんな明治時代の工芸技術のすばらしさを知ったのが、昨年、そごう美術館で行われた「明治有田の超絶の美」でした。その技術は、今の技術力をしても、再現ができないと言われるほどのものでした。