「追記」しました(2017.11.18)
パナソニック汐留ミュージアムでは、「表現への情熱 カンディンスキー、ルオーと色の冒険者たち」が10月17日より始まりました。それに先立ち、プレス内覧会が行われ参加させていただきました。見る前から気になっていたカンディンスキーの作品、会場で気になったルオーの作品、それぞれ一点を取り上げ、学芸員さんのお話しを交えて、レポートします。(2017.10.17)
*掲載した写真は、主催者の許可を得て撮影しております。
*プレス内覧会の後、何度か訪れました。その時々で、いろいろ見え方や見方が変化しました。(【追記】で示しています)
- ■カンディンスキーといえば・・・
- ■カンディンスキーとルオーについて
- ■時代背景
- ■《商人たちの到着》(カンディンスキー)[1905年]
- ■《法廷》(ルオー)[1909年]
- ■感想 まとめ
- ■関連
- ■参考
- ■ルオー関連(汐留ミュージアム)
■カンディンスキーといえば・・・
〇よくわからない抽象画
「カンディンスキ―」と聞いて思い浮かべる絵は、こんな感じの抽象画ではないでしょうか? よくわからない抽象画を描く人というイメージがあります。
〇これがカンディンスキー?
ところが、今回のフライヤーやパネルのメインビジュアル《商人たちの到着》は、似てもにつかない作風です。
こちらは、ミュージアムに行く途中の地下通路のパネルを撮影したものです。
カンディンスキーの絵には思えませんでした。中央のあたりの木々の色あいは、どことなくルオーの作品のカラー構成に似ている気がしました。ルオーの作品なのかな? と思ったくらいです。
〇点で描かれた作品
遠目で見るとたくさんの人がいて壮大なイメージですが、近寄って見るとこの絵は、点描写で描かれています。
▲地下通路のパネル拡大
カンディンスキーは、1885年。ロシアでモネの「積みわら」を見て、衝撃を受けたのだそう。形が溶けて見えない。でも色が持つ表現力に圧倒されたと言います。これでもいいんだ・・・・ 形を表さなくても、色だけ十分に表現できる! と思ったことが、それまで学んだ法律の勉強を捨て、画家への転向を決意させました。これは「熱い抽象」と言われているようです。(「冷たい抽象」はモンドリアン)(参考:続 西洋・日本美術史の基本)
▲地下通路のパネル拡大
確かに形なんて描いていません。線だけで構成されていて、その色で表現されています。右上の写真の小さな群衆は背景を黒にして、色の点を置いているだけです。それが遠くから見ると人の流れになって迫ってきます。
■カンディンスキーとルオーについて
(1866-1944)ヴァシリー・カンディンスキー・・・・・抽象絵画の創始者
(1871-1958)ジョルジュ・ルオー・・・・・20 世紀フランス最大の宗教画家
それぞれの晩年の作品を見ると、似てもにつかない画風です。かたや抽象画家、かたや宗教画家・・・ しかし「色」と「かたち」を軸に見ると、お互いが共鳴しあっている部分があるらしいのです。それを探ってみようというのが今回の展示の主旨です。
■時代背景
1800年代後半に生まれた2人は5歳違いで、カンディンスキーが上ですがほぼ同時代を生きました。19世紀~20世紀というのは、美術シーンも激動の時代。モネの「印象派」から「ポスト印象派」「新印象主義」の台頭。さらに色を解放した「表現主義」、「フォーヴィスム」「青騎士」「プリミティブ」なものなど、スタイルは多様化。さらに形を解放する「キュビズム」などに発展。新しい芸術のスタイルが短いスパンで、つぎつぎに繰り広げられる目まぐるしい時代です。画家たちは模索と切磋琢磨の中で、それぞれの主義を行ったり来たりしながらエネルギッシュに創作活動をしていました。
その頃の日本はというと、江戸から明治へと変わる激動の時代。大政奉還(1867)明治維新(1868)と時代が変わる転換期であったことなどを重ねてご覧下さいとの解説がありました。
日本でも、明治に入ると東京美術学校が開校(1887)、そののち日本美術院設立(1898)そして第1回文展(1907)があって、大正時代へ(1912)と時代の潮流は重なりあっているようです。
下記に今回、展示されている作品に関係している流れを簡略にまとめました。
■《商人たちの到着》(カンディンスキー)[1905年]
改めてロシアからパリにやってきたカンディンスキーが「サロン・ドートンヌ」に初めて出品した作品。描線と点描の配置によって「ロシア固有の音楽的な要素を表現」したと語っています。
レトロなイメージ、ロシアの古き良き時代、ロシアへの思いをキャンパスに・・・・
一筆、一筆が色彩と形を兼ね備えた粒となって、 画面に満ちています。
◆サロンドートンヌ
サロンドートンヌは、ルオーやマティスが保守的なサロン展に対抗して、1903年若手画家らと立ち上げた展覧会です。のちの「フォービスム」「キュビスム」にも影響を与えました。
日本でも同じころ、日本美術院が設立され(1898)日露戦争があり(1904 05)第1回文展(1907)が行われるなど、新たな美術が生まれています。
〇ルオーの色調と同じなのは偶然?
この絵のテイストがルオーの代表的な宗教画に使われる色合いと似ている気がします。
これは偶然なのでしょうか? あるいは、なんらかの意図的なものがあったのでしょうか? ルオーとカンディンスキー。晩年の作品は、似てもにつかないけども、何か底に流れているものが同じような気がしました。色にこだわって、その見え方を模索するという同じ方向性で極めた時、最後にたどりついた色が、同じような色になった? そんな気がしました。
始めてルオーを見た時(『マティスとルオー展 ― 手紙が明かす二人の秘密 ―』)なんだか変な絵・・・ 私、あまり好きじゃない絵だな・・・って思いました。(⇒ ■私の注目点)ところが、今回、妙に目につくのです。癖になるというのか・・・ 見ていて心地よく感じられるように変化していたのはちょっとびっくり。目が慣れたせいかと思っていたのですが、カンディンスキーも同じような色を使っていて、その部分が目に飛び込んできました。この色あいは、見ていて落ち着く色の組み合わせなのかも? と思わされました。また、祖国を思って描いたこの構図が、奥から湧き上がってくるような流れとして描かれたミュシャのこの絵を(⇒■ 6《東ローマ皇帝として戴冠するセルビア皇帝ステファン・ドゥシャン》)イメージされました。
〇学芸員さんに伺ってみると
今回の企画を担当された富安玲子学芸員に、2人が似たような色を使っていることについて伺ってみました。
やはり、それぞれが追い求めた結果、同じようなスタイルになったと考えられるとのことでした。カンディンスキーは色に感情はのせずあくまで、色の構成でそれを極めようとしました。一方、ルオーは色に感情を乗せて描きました。お互い、色に対するアプローチが違っていても、結果としてたどりついたところは同じだったというのは面白いですね。
〇運慶とミケランジェロも同じ
ちょうど、運慶展を見た直後だったのですが、運慶は金剛力士像の足を短くしました。それは近くで見た時に、バランスをよくするため。それと同じことをミケランジェロもしています。(以前開催された『マティスとルオー展 ― 手紙が明かす二人の秘密 ―』でも、マティスとルオーの初期の作品がよく似ていて、同じような印象を受けました。)結局、極めようとする人は、時代を隔てていても同じところに行きつくということでしょうか? とお聞きしたところ・・・・
「彼らは常にそればかりを追い続け、考え続けているから、到達点が同じになるのは当然なのかもしれません。きっと、これだ!っていう何かがあるのでしょう。」「だからこそ、私たちは画家が意図した色を再現するために頑張っています。天国で見ている画家に『おいおい、私が見せたい色は、そんな色じゃないぞ』と言われないように・・・」「『それそれ、よく再現してくれた・・・』と言ってもらえるようにしたい・・・・」と。
そのお話は、まるで天国にいる画家と、交信でもしているかのようで、学芸員さんを通して画家の声が聞こえた気がしました。
音楽もスコアに忠実に、作曲家が奏でたい音色を再現します。絵画も作り手が思い描いた色というものがあって、展示をする側はそれを一生懸命、読み取ろうと努力しながら、展示の工夫をされていることがわかりました。
■《法廷》(ルオー)[1909年]
〇浮き上がる赤の衣服
1章(「カンディンスキーとルオーの交差点)の《商人たちの到着》が展示されたエリアで、ひと際、目を引く作品がありました。それが、《法廷》です。妙に赤い服が目立つ人が並んでいるなぁ・・・ と感じさせられていました。この赤い服を着た人が裁判官だとはつゆ知らず・・・・ 赤い服が強く目に飛び込んでくるのでした。
赤と黒というコントラストのせいかな? そしてスポットの照明を、この赤い洋服に当てているからなんだろう・・・・と思っていました。
〇最新のライトによる効果
この絵の解説が始まると・・・・ 赤い洋服を着た裁判官の絵には、最新の照明をあてていて、赤が浮き立つような効果があるというお話でした。(それ、話を聞く前に気づいたぞ~ヽ(^o^)丿)
ところで、赤を浮き立たせて見せるってどういう仕組みなんだろう。絵の前に立って振り返って、後ろの照明を確認してみました。集光性のあるライトなのかと思っていたのですが、集中的にあてているわけではなく、強い光が全体にあたっているようでした。
どんな仕組みで赤をはっきり見せているのか、専門的なことはわからなかったのですが、LEDの照明によっていろいろな効果が得られるようになったようです。開発の方が来られてこれ、最新のものだということで設置していかれたそうです。「今日は、3人の方に、この絵の赤について言われました・・・・」とおっしゃっていました。
【追記】2017.10.19 赤がはきり見える理由
LED美術館照明で見るルオー作品の色の秘密【パナソニック 汐留ミュージアム】 | トピックス | Panasonic Newsroom Japan : パナソニック ニュースルーム ジャパン より
「人物のいる風景(1897年)」の2つの油彩作品について、作品に合わせて最適化したLED照明と一般的なLED美術館照明の違いを、スイッチを押して体験できるよう工夫しました。例えば、「ブルターニュの風景(1915年)」を低い色温度(2700K)のLED照明で鑑賞した場合、絵画は全体的に赤みを帯び、ぼんやりと見えます。一方、作品に合わせ最適化したLED照明で鑑賞した場合、全体の色彩をはっきり見ることができ、主題である海の青がより美しく際立って見えると非常に好評をいただいております。
低い色温度のLED照明で鑑賞・・・・全体的に赤味を帯びぼんやりと見える
作品に合わせて最適化したLED照明・・・・主題が引き立ち全体の色彩をはっきり見える
赤が引き立つように最適化された照明が使われているということなのか、低い色温度の照明が使われたのか・・・ いずれにしても、それぞれの作品にあった照明を、一点、一点、制作することができるということです。今後も照明の力で、新たな絵画の価値を引き出してくれるだろうという期待が増しました。
【追記】2017.10.24 赤がはきり見える原理
今回スポットライトは、
一枚、一枚の絵に対して適切なライトを作るのではなく、全体の色が見えやすいような照明が開発されていることがわかりました。今回の展示では《法廷》だけがこの照明を使っているわけではなく、すべての照明を切り替えているそうです。
file:///C:/Users/hh420/Downloads/23rdOct2017%E7%BE%8E%E5%8D%9A%E6%96%B0%E5%95%86%E5%93%81%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88%E3%80%8020170707.pdf
演色性の再現グラフを見ると赤が98となっており、従来、どれくらいだったのかが気になるところ。(⇒従来型だと20ぐらいとのこと (2017.11.18))また、青・緑の再現性が他の色と比べると低いので、今後、改善された照明が出てくるだろうと思われ注目。
Q:演色性って何?
Q:通常 赤はどれくらい?
Q:演色性の100というのはどういう状態
Q:R1 R2 って何を表してる? Rって何?
Q:RAって?
Q:赤や青が見にくいという感覚を鑑賞者は抱いているのか?
【追記】2017.10.26 他の作品の赤はどう見えるのか
《法廷》の赤が特に目に飛び込んできたのですが、すべての照明が新型になっていたことがわかりました。となると他の作品の赤は、どのように見えるのかが気になりました。特に目に飛び込んできたという印象を持たなかったので・・・・ 合同記者発表のあと確認してきました。
(実は、照明効果によるものよりも、黒と赤の配色による影響の方が大きかったのでは? と思っていたので・・・・)
実際に他の絵の赤を確認してみたとろろ、《法廷》ほど赤が浮き出て見えるようには感じませんでした。また、赤という色に注目して見ていくと、当たり前ではあるのですが、実にたくさんのバリエーションがあります。そして、絵の全体を占める赤の比率や、回りの配色の影響も大きそう・・・というのが再確認した感想でした。
8 後ろ向きの娼婦
23 郊外の農民
24 ファウスト(カンディンスキー)
36 花**の傍にいる水浴の女たち
102 キリスト ルオー
新収蔵品 エジプトの逃避
覚書 照明の指標
・色温度 単位 カンデラ
・Feu ⇒ 空間の明るさ感評価指標「Feu」とは? | Feu設計資料
・光度(光源の強さ:カンデラ)
・輝度(まぶしさ:cd/㎡(カンデラ毎平方メートル)
・照度(面の明るさ:ルクス)
【追記】2017.11.10 午前と夕方で見え方が違う
山田五郎さんの講演会があり、それに参加しつつ再訪。11:00頃に到着。《法廷》を見ると、この前見た様子とまた変化。黒い闇が浮かび上がりいろいろなものが見えてきました。黒と思っていた法廷のテーブルは、緑がかった色なのですが、それがさらに明確にわかるように見えます。描かれたものがいろいろ見えてきます。
午前中と昼、夕方で照明が違うというのは聞いていましたが、それを実際に体験できました。
【修正追記】2017.11.17 目の慣れによる見え方の違い
⇒以前、ルオールームで、午前、午後の照明を変えていたそうですが、現在は変えていないそうです。
一度、裁判官のテーブルの中央部に緑が入っているということを認識した上で見ているため、次に見た時は、最初からその色が認識されたためだったかもしれません。それがたまたま午前中に見たということと重なったため、午前の光で見ると見え方が違う‥‥と。また、明るい午前中の外の光から入ってみるのと、夕方暗くなった状態から見るのとでの違いというのもあるとのこと。関連⇒○直島:家プロジェクト「南寺」 滞在中に3回鑑賞 改め実験
今回は大学時代の友人と一緒でした。学生時代、美術展に行くような友人は周りにおらず、卒業してから初めて一緒に訪れた美術館です。
私「この絵のライト、赤がよく見えるようになってるんだよ‥‥」
友「ほんとだ。そういうこと書いておいてくれるといいのにもったいない・・・」
私「他の赤は、どう思う? 浮いてるように見える?」
友「赤もいろいろあるんじゃない?」(ファウストの絵を見て)
「この赤い人は悪魔なんだよね・・・」
私「へ~ そうなんだ・・・
私はこの赤は、裁判官の赤と違うし、赤のボリュームも違うじゃない。
あの法衣の赤が浮かび上がって見えるのは、色の対比による効果の方が
大きいいと思うんだよね」
友「そっちの方向に行くわけね」
私「私、ファウストとか知らないからさ‥‥ そういう知識があると
何が描かれてるかがわかるわけね。それにしても悪魔を赤で表現するんだ・・・」
持ってる知識によって枝分かれして、見る方向が変わるんだなと、面白かったです。
また、ルオーのキリスト像。違う宗教を信仰している人は、キリストの絵をどう受け止めるのかなって思ってました。「この絵、光を感じる。暗闇の中に差し込む光。これいいと思う‥‥」「この色がなんとも言えずいい。希望の光のような・・・・・」「芸術のよさは、宗教の違いは関係ない」
ルオーの色の重ね方。デジタル画像で拡大した画像が見えます。「この赤、色がとんでるのかなぁ・・・」「色をいくつも重ねてるから、その下の色が見えてるんだと思うよ」
なんだか見てるところが同じ。でも違う‥‥ 美術鑑賞は旅行先で美術館があれば見る程度で、積極的に美術館に行ってるわけじゃないそう。それほど絵画に興味がないくても、なんだか見るポイントが似てる。でもその先で、何に興味を持っているかで見方が変わるのは面白いと思いました。
照明によって赤が違うということに気づいたのは、新聞社の文芸部の方だったそう。
【追記】2017.11.18 「美術・博物館LED照明講座」に参加
従来型と最新型の照明で、ルノアールのポスターを比較。正直なところ、赤の見え方の違いはわかりませんでした。やっぱり、色の対比による影響が大きかったのかも…と思っていたのですが、ポスターと油絵では見え方が違うとのことで、実際の油絵で比較した方がより顕著な差が確認できただろうという指摘があったとのこと。
従来型の電球も比較的、赤の再現性がよいものなので、一般的な電球も対象として展示されているとより差が認識できたのでは? と思われました。
《法廷》と《ファウスト》(カンディンスキー) 《ファウスト》の悪魔の赤は、それほどはっきり見えているとは思わなかったのですが、1章と2章では、壁の明るさを変えてあったことがわかりました。2章は1章よりも壁の明るさを明るくし、絵にあてる照明は絞ってあったそう。そのため《ファウスト》の赤が、それほど目に飛び込んでこなかったのかな‥‥と思われました。(となると同じ1章の《後ろ向きの娼婦》の足の部分の赤は? と思ってしまうのですが、照明はトータルで考えられており、いろいろの要素によって決まっているようなのでまた、別のファクターがあるのかもしれません。)
〇暗闇も浮かび上がる
改めて絵を見ると、真っ暗に見えた部分には人がいて、うすぼんやりとした白いタイが浮かび上がります。そして左側に傍聴人でしょうか? 黒い闇だと思った部分には人が描かれていました。しかし中央になんともいえない暗闇があ㈠って、得たいの知れない権力のようなものが渦巻いているような気がしました。裁く者、裁かれる者という構図が、黒と赤という色彩で強調され、闇かに思った黒の中にも、いろいろなものが渦巻いていることがわかります。そして中央部の何かをひきこまれるような闇・・・・
そういえば、カンディンスキーは、法律を学びこれから・・・という時に、これまでのキャリアを捨て絵の世界に飛び込みました。そんな「法」への思いのようなものも込められているのかもしれません。1900年代のフランス。当時の法の裁きがどんなだったかはわかりませんが、法の元の平等ではなく、理不尽さのようなものを感じさせる「黒」と「赤」の対比でした。
■感想 まとめ
色をテーマにした「表現への情熱 カンディンスキ―、ルオーと色の冒険者たち」 特に、目をこらして見たわけではないのですが、色から受けるパッションみたいなものが放出されているようでした。多分、日によって放たれている力が違うと思われます。また、見る側の気持ちによっても、キャッチする色や、メッセージが変化しそうです。どんな色が何を語り掛けてくるでしょうか?
彼らの色を使った冒険は、美術館にも新たな冒険を促したようです。新しい照明技術で色の見え方を創造しているというのは、パナソニックという企業美術館の本領発揮ともいえます。
またカメラ撮影で自撮りができるシステムを、NTTコュニケーションズと共同で開発しカメラシェアリングサービスの体験コーナーが設置されています。撮影ポジションに立ち、会場に設置されたパソコン画面にタッチすると、背景の作品と一緒に自撮りのように撮影できるというものです。このシステムが公開されたのはこちらが初めてなのだそうです。美術館と鑑賞者、そしてSNS利用の新しい波が起きているのを感じさせられました。
人が入っていませんが、こんな背景の中で撮影ができます。あなたも商人の一人?
■関連
■参考
〇Tag : #色の冒険者たち Instagram Pictures | Instagom
〇Tag : #ジョルジュルオー Instagram Pictures | Instagom
〇ジョルジュ・ルオー と 大岡信 ~「純粋について」~ - mkbkc’s diary
〇ルオー展に行きました。宮城県美術館|白鳥碧のブログ 私のガン闘病記 28年の軌跡
《法廷》
〇猫とごはんと 『カンディンスキー、ルオーと色の冒険者たち』展@パナソニック汐留ミュージアム
■ルオー関連(汐留ミュージアム)
■【事前告知】『マティスとルオー展 ― 手紙が明かす二人の秘密 ―』
■マティスとルオー展:①手紙の行間&フランスの祖国愛は共通?
■マティスとルオー展:②「友情あふれる手紙」を別の角度からみる
■マティスとルオー展:③《ラ・フランス》の展示の秘密を勝手に語ってみる
パナソニックの光について、こんなことを書いていました