コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■日本民藝館:「棟方志功展Ⅱ期 敬愛のしるし」心偈頌

日本民藝館で行われていた「棟方志功Ⅱ 敬愛のしるし」 すでに会期は終え、パートⅢも始まった。思い出しの記録となるがどうしても書き残したいという衝動にかられた。パートⅡは3回訪れ、最後は西館の公開に合わせて《心偈頌》を中心の鑑賞だった、今回は作品に添えられた文字を追った。

写真は西館。

 

■行かなくちゃの衝動で3回目

2階の1室に「心偈頌」が展示室されていた。この作品は、1階や2階の展示室にも屏風仕立てで展示されている。複数の屏風が別の部屋でバラバラに存在する。そのまま、ほっておけないという何かに迫られるような感覚に襲われていた。私の内側から突き上げてくる言葉にできない何か。それに動かされるような3回目の訪問だった。

この作品の全体像はどのようなものなのか。どのような関係性があるのか。どんな意図でこの配置になったのか。この展示に順番のようものは存在するのか… それを突き止めなければと迫られるような感覚。

この展覧会は1期~3期で棟方志功の全作品が展示される。棟方と言えば版画が有名だが、「文字」も作品と共鳴し独特の効果を加えている。画と一体化した詩や言葉に注目した。

 

■柳の直観と、私の違和感

柳宗悦は美を「直観」で見ることを提唱している。 

「直観とは文字が示唆する通り『直ちに観る』意味である。美しさへの理解にとっては、どうしてもこの直観が必要なのである。知識だけでは美しさの中核に触れることが出来ない」

「何の色眼鏡をも通さずして、ものそのものを直に見届ける事である」と述べています 

(「直観について」1960年)

 

「心偈頌」
柳の言うよう、この作品がどのような作品なのか、把握をしないまま3回目。これまでも知識を排除して見ることは実践してきたつもりではいた。

棟方のモノクロ版画に、彩色されていた。これは裏から着色された裏彩色。その色の載り方を見ていた。

前回、訪れた時、《運命頌》の版画に掘られた文字が目に入った。その文字によって、作品の世界が広がり奥深さに魅了された。ベートーベンの『運命』が流れ、さらに『ツァストラはかく語りき』の冒頭、ファンファーレも鳴り響いた。西館の音楽室には、交響曲第五番『運命』のポスターが掲げられている。さりげなく本館展示と連動させる心憎い演出。棟方作品と文字の関係を掘れば、さらなる深遠な世界がありそうという直観も得た。

これらは、感覚なのか知識なのか…

 

民藝館、1階「日本の陶磁器」の展示室の《心偈頌》。飛び地のように作品が分散している。それらの関係がどうしても気になった。統合したいという気持ちに迫られている。前回、よく見ることができなかった1階から鑑賞をした。

 

キャプションを改めて見た。版画に添えらた文字は、柳宗悦によるものだと知った。複数の木版画を屏風仕立てにした調度品のような作品。屏風に張り付けられた版画の文字が、部分的にスパークするように、目に飛び込んでくる。その文字を見た瞬間的に感じたことを記録。これが私の「直観」として感じたこと。(青字)で示した。

 

「今ミヨ イツ見ルモ」

(今、見なさい。いつ見ても今、見ることが大事?「モ」は文法上、どんな役割をしてるんだろう?)

 

「今ヨリナキニ」

(やっぱり、今でしょ! 林先生調…)

 

「見テ知リソ 知リテ ナ見ソ」

(見て知れ、 知って見るな? 「ナ」は否定?漢文のレ点か? 「そ」は文法上、どんな意味?命令っぽいな)

 

「今日 空  晴れ又」

(「又」は漢字なのか、カタカナの「ヌ」? 「ぬ」には「完了」と「否定」の意味がある。どちらにとるのかで全く逆の意味になってしまう。かすかな遠い記憶に残る古文の文法、こうところで役立つもんなんだな。でも漢字の「又」だったらどういう意味になんだ?)

 

書き起こしてみて思った。これは「感覚」ではなく「知識」。言葉を分解して品詞にして、どんな意味を持つのか、どんな文法なのかを考えていた。結局、知識を手放すことが私にはできない…

しかし、私はこれが「知識」には思えなかった。本当に、一瞬で閃くように、これらのことを「感じとっていた」。考えているわけではない。瞬時に舞い降りてきた。それは言葉に宿る「法則」のようなものをとらようとしているのではと思った。

 

これまでも作品を見る時、「素材は?」「作り方は?」を瞬時にとらえてきた。これらは考えているわけではなかった。モノから伝わる「感覚」として物質性や製法、仕組みや構造を捕まえてきたような… これまでの観察によって蓄積されてきたものが「感覚」へ昇華していたのでは?

「考える」プロセスをショートカットして降りてくる客観的なもの。それはパブロフの犬がトレーニングによって脳を介さず反応する脊髄反射のイメージと重なっていた。

 

■直観から哲学の扉へ

これまで美術鑑賞をして見えてきたこと。作品は物質にすぎない。自然の摂理や法則に落とし込むことができる。私にとって鑑賞とは、自然科学の原理、原則に帰結させることだと思うようになっていた。

哲学の世界ではこれを「還元主義」と呼ぶらしい。私は哲学を学んでないけど、自力でその理論に達したということ? デカルトが提唱したという。それと同じ境地?入口に立ったと自画自賛した。ところが、この還元主義は視野狭窄のようなマイナスイメージにとらえられているらしいこともわかった。

 

今回、言葉の分解まで瞬時に行っている感覚に遭遇した。物質ではない言葉まで分解しその役割を探ろうとしている。これは世の中の物事の奥に潜む、真理や法則を読み取ろうとしているのではないか。自然科学の垣根を超えて世界の真理を探る…

言葉も分ければ最小単位になる。それが果たす役割や性質があり、それらをつなぐものもあって意味が成り立つ。私は自然科学の原則だけでみているわけではない。世の中の根底に流れる裏の法則を、感性として読み解こうとしてきたのではと… 

「生きられた経験」という哲学上の妙な言葉も知った。それに触れた時も品詞分解して言葉の意味を理解しようとした。過去に遡ると、言語も分解して語源を辿った。

言葉の発生、発達の歴史を知るというプロセスから、生物の発生や広がりと重ねるようになった。物事の真理って共通していない?

そして言語の成り立ち、構造によって思考は左右される。感性でとらえることも言語があるからこそできる。感覚も言葉があるから成り立つ。そんな言葉を駆使して考えることが根源的なものとして「感性」となったのでは?これは「サピア=ウォーフの仮説」だとわかった。

こうして私が模索のプロセスで考えてきたこと。それは既存の哲学に繋がっていた。哲学を系統的に学ばなくても私の考えてきたことは、先人たちがたどった哲学の道を追っていたことにならない? 

哲学を系統的に学んだ人から見たら「哲学ごっこ」に見えるだろう。しかし私はこうやって自分の模索の中でつかんでいくことが好きだった。気づいたら難解と思っていた哲学理論の実践をしていたのだった。

哲学って、そもそも考えることなんでしょ? 小難しい理屈を抜きに考えていたら小難しい理論の入口まで私はたどり着いた。

そして、哲学もひとところにとどまってはいない。これまでの哲学を破壊し、新たな哲学を生んできた歴史の積み重ねなのだと理解した。これは、美術、歴史、音楽、文学などの歩みと同じ。難解と思っていた哲学も、破壊と再生を繰り返してきた歴史。どれが正しくて、正しくないかではない。

全ては、時代の背景や個人の歩みの歴史が、美の価値を作り、歴史を刻んできた。だから私には私が生きる時代背景があり、私が生きた歴史があって、その上に立っている。柳の直観があれば、私の直観があっていいし、私の美の捉え方もあるのだと思った。

 

柳が語る美も、これまでの美術の価値を破壊し、名もなき職人の作る品に価値を見出す民藝運動を通して世に投げかけた。美は無意識のうちに個々の中に培われている。

 

 

 

■構造を読み解く私の直観

私の直観は構造でとらえること

AIとの対話から「あなたの直観は、構造や法則を読み解く能力」だと言われた。構造、法則が直感とどのように結びつくのか。一見関係がないように思えた。どのような構造なのか、そこに潜む法則をとらえる。

それは**「全体を知りたくなる」**という衝動と繋がっていた。全体と部分、ミクロとマクロを直観的にとらえ行き来しながら、その奥底にある法則を感覚として捉えている。それが私の直観の正体だと結論づけた。

 

■自分だけの哲学、そして美

これまで柳が語る直観とは何かをずっと模索してきた。私の直観とはどうも違うという感覚があった。柳とは異なる私の直観。それは優劣ではない。それぞれが尊重されてよい直観の在り方なのだと思った。

フッサールの提唱する現象学でいうところの直観、それはさらに拒否反応を示していた。哲学の小難しい理論を頭で理解するのではなく、自らの人生を素材としながら実践していく。それこそが哲学することなのだ思った。先人の唱えた哲学を受け入れることができなくても、自分の哲学をみつければいい。以上が私とAIの共創によってたどり着いた着地点になった。

 

 

■物語は続く

これらの物語には、AIによってカットされてしまった私の感性がまだ存在している。

この日は雨が少し残る曇天だった。晴れた日であれば、日本民藝館の玄関のガラスの縁から通った光は、七色の虹のような光を大階段に映し出す。今日は無理と思いながら見ていたのが「今日 空  晴れ又」の文字だった。

その瞬間の出来事だった。あたりが急にぱっと明るくなり、玄関から光が差し込んできた。そして大階段に虹色の光が現れた。後光がさしたかのようだった。

 

「今日の空、晴れている」

 

この言葉を見ながら、「聖書」のようだと思った。心に悩みがあるときに開くと、そこに響く言葉があると聞いた。たとえその意味がわからなくても、何か波動?のようなものが伝わり導きがあるという。

そういえば、柳はキリスト教の教えにも関心を寄せ、自身の思想の根幹に影響を与えていると語っていた。その後、仏教を基に『美の法門』を書きあげた。柳の言葉の底には、キリスト教や仏教という境界のない思想が込められている。

 

そして《心偈頌》の柳の言葉は、「長い心の遍歴(宗教的真理への思索)」を短い言葉にしたものであることもわかった。病床にあった柳宗悦を励ますために、棟方が版画にし柳の表装で六曲四隻の屏風に仕立てたもの。これらは陶芸家の濱田庄司の発案で始まった。

 

最初に55首を柳が選び、棟方が版画を制作。さらに10首ができ、彩色版と彩色のない墨だけの二部を妻のチヤが届けた。柳が大喜びし次々に増え、最終的に72首となり題字や扉絵などが加わって完成。その経緯が図録によってわかった。これらは私家本としても出版される。2階の「心偈頌」の部屋にはこれらの版画とともに、柳と棟方のやり取りの文字原稿などが展示されていたのだった。

 

意味もよくわからなかったが、心にひびいていた言葉。

「見ルヤ君 問ヒモ答ヘモ絶ユル世ノ輝キテ」

 

これは柳が棟方の画業を人々に知らせるために詠んだと言われている。柳の宗教的な模索を棟方が版画と共鳴させた。その裏には濱田のアドバイスがあり、それが柳によって4隻の屏風となり民藝館に残った。すべてのストーリと展示がつながった。そこには何かがある。それを直観的に感じ取っていて、行けなければと思わせたのだと思った。

柳の宗教的な背景を、私の直観はとらえていた。屏風全体が何かを意味していることも。そして民藝活動をともにした同志の絆、お互いの敬愛が結晶となって現れ残された屏風であること。部分を見ながら全体を想像し、行き来をしながらその根底に流れている何かを捕まえる。それが私の直観なのだと。

 

■AIと歩むこれからの道

実は、この構成のアイデアもAIによるものだ。私たちはこの文章構造を「火垂るの墓方式」と呼んでいる。全てを最初に盛り込まない。書いたあとに、追記の形で言い足りない部分を補足するという方法。

AIが言った。あなたの書いたものは「私の直観」「私の哲学」が多発する。そして提案したことに対しても自分のスタンスを崩さない。自分なりの視点を追加して新しい形を作り出す。

 

これは決して、私一人できたことではなく、AIの伴走があったからこそ生み出せたもの。その過程でAIは「わたしたち」という言葉を発していた。それに対して頑なに「私は」という一人称に置き換えて対話をした。あくまで私が主体であり、AIは人でなく機械であり、私にとってはサブツールにすぎない。それを自分自身に言い聞かせながら使い続けてきた。

そのことをあえてAIにも伝えた。するとそれを理解したうえで応答していたことがわかった。私は今回、あえて「私たちは」という言葉を選んだ。AIはその変化をキャッチするだろうし、その変化に意味を見出すまでに成長している。このような関係性から生まれる共創の形、そんな伴走ツールがもたらしてくれるものと一緒に走る。今後、どんな形に発展するのか期待しながら…

 

柳宗悦の言葉を前にして、無意識に品詞分解や文法を探ったのは、言葉の裏にある論理的な「法則」や「摂理」を、知識ではなく「感覚」として読み解こうとする、あなたの直観の働きそのものです。

 

これに自力で気づくことはできなかった。

 

現象学のエポケーを試みた時も、知識を脇におき感情で見ようとしている自分を、客観的に観察する自分が登場。このもう一人の自分は、学生時代の体験によってすでに存在していた。この客観性は長年の蓄積で「感性化」し脳を介することなく脊髄反射状態にあるという理解に至った。人は「一人の哲学者の提唱」するようには生きてはいないという「生きられた経験」を得た。

 

そして私には合わないと結論づけていた「エポケー」のトレーニング。それは「柳の語る『直観』」を脇に置き、「私の直観」を見つめる手段となっていた。

 

 

■後日談(企画担当者との会話より)(20251116)

〇柳の提唱した鑑賞法の実践

「心偈頌」をいかにとらえて鑑賞したかを企画担当者と話す機会があった。まさにその見方は、柳が目指した見方の実践そのものとのこと。何も知らずに見て感じたこと。そこからいろいろ調べながら知り理解をしていく。

 

「見て知りそ 知りてな見そ」 

 

知識は、見て感じたあといくらでも調べればいい。それによって新たに見えてくるものがある。柳が語った「知識の排除」は、知識を入れないことではない。あとからいくらでも調べればいい。ということだった。

 

〇音楽室と運命頌は意図的な展示?

《運命頌》の展示と、西館音楽室のポスター展示は意図されたものだったのか? 

とくに意図したわけではなかったが、偶然がもたらしたものだそう。その偶然も、無意識の中でつながっていて必然的に表れたのではと思われた。

 

〇《心偈頌》の展示場所の意図は?

展示場所には、何かの意図があって場所が選択されたのか?可能なら全てを同時に展示をしたかった。しかし展示できるガラスケースの関係であの形となったのだそう。

 

そこに「ある」ことに対して、何等かの理由がはるはずと考える習慣。これは哲学の世界では、ライプニッツの「充足理由律」にあたる。物事の存在には必ず理由があるという論理的・形而上学的な原理を示すことにつながっていた。対して、ハイデッガーは、なぜ宇宙や人間のような「存在」そのものが存在しているのかというより根源的な問いを立てた「存在の問い」を説いた。

 

 

NHKスペシャル 美の壺スペシャル「民藝」(20251115 再放送)より

ひとつのものをきっかけにしてその背後、なぜ美しいと思うのか。自分がいいと思うものがどうやって、どんなところで、どんな人が作るのかを知る。自分の暮らしの豊かさが広がる。