東京国立博物館にて「顔真卿 王羲之を超えた名筆」が開催。閉幕(2/24まで)が近づくにつれ、日に日に来館者が増え、待ち時間も伸びているようです。入館待ちが60分を超え、さらに話題の作品《祭姪文稿》を見るには、130分という日があるほどの盛況ぶり。
閉幕前の週の金曜日、2月15日に訪れた時の様子を紹介しつつ、混雑回避のヒントになれば・・・・
- ■最終週 前の金曜日の状況
- ■鑑賞順序はどう見る? メリット デメリット
- ■予習をどうするか
- ■《祭姪文稿》待ち時間の過ごし方
- ■どこを見たらよいのでしょうか?
- ■オーラは感じることができるのか?
- ■本物を見ることに意味がきっとある
- ■書とのかかわり
■最終週 前の金曜日の状況
訪れたのは2月15日。閉幕週の1週間前の金曜日です。この日は、閉館時間は延長があり21時まで。到着したのは14時頃。閉館間際の空いた時を狙う予定です。
入館はすぐできましたが、《祭姪文稿》の待ち時間は90分。しかし、閉館間際になれば行列は減るはずと思っていました。しかしその前の週の金曜日。閉館30分前でも、30分待ちの表示が… おそらく、それ以下の待ち時間になることは、むずかしいだろうと思われます。
〇17時頃混雑緩和し18時に増加
途中、17時頃になると、60分待ちになりました。若干、混雑は緩和されました。この調子でいけば、30分まで短縮するかもしれません。
ところが、18時頃になると、また続々と人が押し寄せてきます。会社終わりの来館者が増え始めるようです。ところが、列は伸びていますが、待ち時間は変わりません。「60分待ち」という表示にも幅があるようです。17時頃の60分待ちは、おそらく60分はかからずに見れたのだろうと思われます。
若干、並びの列は伸びましたが、終わりごろになれば減るだろうと期待して、様子を見ながら行ったり来たりしていました。
並ぶの最終リミットは20:40です。待ち時間が60分を切らないようなら、時間ギリギリを狙って並ぼうと思っていました。ところが、第二会場の人が、どんどん増えているのです。この人たちも、みんな最終リミット狙いだとすると、大変なことになります。
19:30現在、60分待ち。並ぶのは今だ!と判断。この時間に並べば、鑑賞後の残り30分を有効に使うことができます。
〇あきらめる人も多い?
第二会場の人が、ほぼ、雪崩混むと予想していたのですが、意外にも押し寄せる様子はありませんでした。見るのを諦める人も多かったようです。
19:00頃、ロビーでお茶をしつつ、休憩をしていた時に、ご一緒になった方は、名古屋から日帰りで来られていました。それなのに、1時間も、ただ並んでいるのは、耐えられないとのことで、帰ることにした…とおっしゃっていました。
もう少し、待ち時間に何か上映をしたりして情報提供するような工夫があればいいのだけど、ただ、並んでいるのは・・・・ そんな感じで見ることを断念する方も、意外に多かったのでは?と思われました。
リミットの時間になっても、人が殺到する様子はなかったようです。
〇閉館間際の第一会場は、ほぼ貸し切り状態
閉館時間が迫ると、人の流れは、ほぼ第二会場へ向かいます。第一会場には、ほとんど人がいませんでした。《祭姪文稿》を見終わったあと、移動したら貸し切り状態です。
唯一、撮影できる《紀泰山銘》は独り占め。それを期待して、混雑中は撮影をしませんでした。閉館間際に撮影するとよいです。(会期が終わりになると状況はわかりません)そのわりに、撮影し損ねたカットがいっぱいでした。ロールの巻き状態や、紙の継ぎ接ぎの部分とか‥‥ ロールの見えている部分の文字とか。
■鑑賞順序はどう見る? メリット デメリット
入館するとまず、混んでいるのは、入口付近です。いつものことなのでそこは、飛ばして、空いているところから見ています。今回も同様です。途中、空白地帯があれば、そこに入って鑑賞します。
終了間際、貸し切り状態になったことを考えると、人込みの中を縫うように見るのは、時間のロスだったように感じてしまいます。閉館間際に、入口付近に戻れば、空いていてストレスフリーで見ることができます。
ただ、今回の展示は、勝手が違います。歴史に沿った展示なので、順番に見ていけば、とてもわかりやすいのです。ところが飛ばし飛ばしで見てしまうと、全くつながりません。基礎知識がないジャンルの展覧会を、飛び飛びで見るのは、理解を妨げてしまうのです。前半を飛ばしてしまうと、全くわからなくなってしまうはず。
あとでゆっくり見ることができたとしても、やはり、順を追って把握しておくことは大事。解説を見ていても、前出の人物との関係で書かれています。その人物を飛ばしているため、つながりません。また、人名も読めません。中国の人物は、漢字の読み方からわからないため、それぞれの名前と人を一致させるまでに時間がかかってしまいます。
〇通して見て、構成を見て、人物の歴史を見る
金曜日は、閉館時間延長だったので、十分、余裕がありました。
まずは、企画の構成を見ずに、最初から最後まで展示室を歩いて、書のシャワーを浴びることに。わかろうが、わかるまいが、何でもいいから、最初から最後まで歩くことを目的にしました。(閉館までの時間がないと、このステップをとることができません。)
〇ざっくり見て、何がわかっていないかを理解する
この時間、意外に意味があると思っています。よく、最初に「全体を把握する」ために必要。と言われるのですが、それは二の次で、自分が何がわかっていて、何をわかっていないのかを理解するための時間ととらえています。
一口に「書がわからない」と言っても、「何がわかっていないのか」「どんな知識が足りないのか」ということを「意識的見る」最近の鑑賞は、この部分にポイントを置くようにしています。構成に従って漠然と見ているよりは、何が弱いのかわかってくれば、そこの部分を補充していけばいいわけです。
最初から章構成を見てしまうと、わかっていたような気になります。そういうことなんだと・・・・と理解できてしまいます。わからないなりに、ざっと見て、これはどういう構成で展示されているのかを想像します。そのあと、実際の構成を確認すると、自分に欠けているものが見えてきます。歴史を理解していないのか、あるいはその世界の基本事項を知らないのか・・・・ 何がわかっていないかが次第に明確になってきます。
とは言っても、結局、ほぼ全てがわかっていないことを、再確認しているだけのことが多いのですが‥‥(笑) しかし、そんな中、これは知ってた、理解できていたということもあります。
あるいは、ここが気になる…と直観的に感じていたことが、展覧会の肝の部分だったり。何を知っていたか。知らなかったか、どんなことが気になるのかが見えてきます。(⇒*1)
〇章構成を把握
ざっと、会場を流したあとに確認した章構成は・・・・
こんな構成だったのか・・・・と思いながら、今回の見どころを再度、見直しました。
すると、移動の車中で読んだよりは、格段に頭に入ってきます。
〇サイトの解説を一章ずつ分けて見ながら鑑賞
そこで、次は1章ずつ、解説を見ては、会場へを繰り返しました。章が終わると、エスカレーター付近のソファーに戻って、次の章の解説を確認します。(これによって《祭姪文稿》の並びの様子もウォッチできました。)
1章を見たあとは、2章です。
東京国立博物館 - 特別展(平成館) 特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」
章の解説とともに紹介されている画像と、作品リストの番号をチェックしておき、重点的に鑑賞します。
一気に全部の章を読んでから、回ろうとしたのですが、すべてを理解するのは無理でした。一話完結のように、1章ずつ、確認しながら見るを繰り返していくと、最初にざっと見た時に、抜け落ちていた部分が、つながって結ばれていきました。
最初に見ていてわからなかった部分は、これが原因だったんだ…と理解できてきます。
〇最後に最初から通しで
そして、最後、閉館間際、誰もいない独り占めの館内を最初から、ゆっくりじっくり見ていきます。それは、中国の書の歴史の大河を、下っているかのように感じられました。途切れることのない悠久の流れを感じながら、細切れに分断されていた部分が、きれいに繋がりました。その先のかなたにある、日本の影も感じながら・・・・・
■予習をどうするか
とりあえず、《祭姪文稿》の訳に目は通してきました。
そして、ざっと見所も、見ました。
しかし、初心者には、焼石に水です。見たところで、所詮、理解できるものではありません。まずは、会場に行って、肌で感じることが大事。
〇こんな情報も!
それにしても、なぜ、こんなに人が殺到しているのでしょうか。それは、中国の人たちが殺到しているということがきっかけになっていると思われます。こんな情報を、移動中に目にしました。
中国という国は、そこまで書に対して夢中になれるって、どういう感覚なんだろう。書に対する、中国の人たちの熱みたいなものを、感じてみたくなりました。
開催当初は、大変なことになっていたらしいです。
■《祭姪文稿》待ち時間の過ごし方
今回の目玉作品《祭姪文稿》を見るには、長い時間、列にならばなくてはいけません。30分~1時間。あるいはそれ以上の待ち時間をいかに過ごすかがポイントだと思いました。その時間をうまく利用して、鑑賞をより有意義なものにできるよう、準備をしておくことが肝要です。
〇現代語訳を眺めておく
とりあえずは、現代語訳を、時間一杯、眺め続けていようと思いました。そのために、画面の大きなタブレットを用意して、待ち時間に備えました。
会場のスタッフさんからは「写真撮影は禁止です。携帯などはしまうように」という声かけがありますが、並んでいる間に携帯やタブレットを出して覗いていても、注意はされませんでした。このあたりは、黙認されているような印象でした。
他に待ち時間対策をされている方は、図録を読んでいたり、自分で購入した書籍を見ていたり、あるいは、お勉強会のコピー資料らしきものを見ていたり。音声ガイドを聞いている方などがいらっしゃいました。
〇壁面の情報を見る
壁面にいくつかのパネル情報があります。並んでいる間に見ておけばいいのですが、そのパネルの前で、うまい具合に列が止まらないことがあります。列はまとまって一気に移動するので、いざ、読もうとすると、その場を通りすぎてしまうこともあります。
顔真卿の年譜は、止まって見ることができませんでした。事前に会場の外からも見ることができたので、眺めておいたことが功を奏しました。しかし、外から見えるのは、前半生で、後半の年表は見えませんでした。列に並んだ時に・・・と思っていたのですが、過ぎてしまいました。
作品を見終わったところ、会場の入り口あたりにも、パネルがあります。
顔真卿展の嬉しいところは、徹底して初心者に優しい展示になっていること。巨匠の主要作品にはほぼ全て解説パネル+拡大写真付きで鑑賞ポイントが示され、見どころが整理されています。音声ガイドも完備。導入部分では、漢字の始まりの歴史や書体の特徴などが展示を見ながら自然に学べるのも有難い! pic.twitter.com/RjR46zbyz7
— かるび@アート&映画 (@karub_imalive) January 15, 2019
こちらは、待ち時間が60分を切っていれば、列に並らばなくても、横から見ることができます。並びが60分以下の時間帯があったら、先に見ておくのがおすすめ。事前の予備知識となります。
このエリアからは、《祭姪文稿》の一部ですが、見ることができます。(スタッフの方によっては、このエリアに入ってはダメと言われたり、ここからのぞき込んでいると注意されることもあるようです。私の時は、パネルを見てもいいですか?と聞いたらOKでした。)
列の一番奥にもパネルがあります。このパネルは、てっきり入口付近のものと同じだと思っていました。そのため、近くに来たら、確認すればいいと思っていました。ところが、列はそこに留まることなく流れてしまいました。
現代語訳が書かれており、肝心の解説を見ることができず過ぎてしまいました。このパネルは、行列の何列か前から、遠目にでもチェックしておいた方がいいです。単眼鏡や、双眼鏡などがあるといいかもしれません。
列は蛇行しながら進みます。途中《祭姪文稿》と何度かニアミスします。その時に、単眼鏡などでチェックしたり・・・・(と言っても見える状況かわかりませんが)
待ち時間をなるべく有効に利用できるよう、準備しておくとよいです。
■どこを見たらよいのでしょうか?
ビデオの中で、筑波大学 角井博名誉教授、東京国立博物館 宮田淳学芸企画部長が語っています。
書のよさはどこにあるのか?
印刷や写真にしたときに失われてしまうもの。
写真や印刷ではわからない本物から出てくるオーラ がある。
写真や印刷で、失われてしまうものがある。ということは、写真、印刷物を、じっくり見ておくということが、失われてしまったものを発見しやすいということに気づきました。
本物を見る前に、画像など見すぎてしまうと、新鮮さがなくなってしまうと思っていました。ところが、30秒ほどの鑑賞は、そんなこともを感じる余裕もない状況です。
■オーラは感じることができるのか?
〇30秒でオーラ?
おそらくこれからは、入館するのに60分以上、 《祭姪文稿》を見るための行列も、60分以上並ぶことが想像されます。そして本物を見るのは30秒ほど。
たった30秒で、オーラを感じることはできるものなのでしょうか? 素晴らしかったという声が沢山聞こえてきます。でも、私は正直なところ、あの状況でオーラを感じるのは、無理だと思いました。
これだけ並んで苦労して見たのだから、オーラを感じさせられたと思っているような・・・・ あるいは、感じなくてはいけないと自分に言い聞かせているのではないかと。
〇入念な予習が必要
オーラを感じるにためには、予習不足を感じました。待ち時間、ずっと現代訳を見ていれば、なんとか、頭に入るだろうし、文字を見れば、何が書いてあるのか理解できるだろうと思っていました。
しかし、30秒はやはり早すぎます。訂正されたここの部分は、何を訂正したんだろう。この粗い字はどんな感情の発露なんだろうか。現代語訳を見ていただけでは照合ができません。
ちゃんと、現代語訳と文字とを、照合しておくべきでした。この文字は何を表しているか、見てすぐ理解できれば、受け止められるものは、違っただろうと思うのです。
1時間の待ち時間で、現代語訳は読めると思っていました。ところが、漢字の羅列も多く、よくわかりません。読み下しでは、まだ理解には程遠いのです。
〇歴史や背景もわからず、まっさらな状態で見たら?
この文字を、まったく何も知らずに、見せられたら・・・・ どんなふうに感じるのだろうと想像していました。何も知らなくてもオーラは感じるのでしょうか?
オーラや感動を受け止めることができるというのは、顔真卿の背景や、読みこなしがあってのことだと思うのです。
荒れた殴り書きのような文字が今に引き継がれ残されている。この状況は、そこに何かがあるからだということは、過去に見た書から想像がつきます。上手に見えることだけが「書」ではないことを知っていたので、ここには何かはわからないけど、何かがあるという想像はできたと思います。
〇ぜひ、現代語訳と文字を対応させておこう
これから行かれる方には、文字と現代文の対応をおすすめ
上記の現代語訳と、文字とを一致させることができるくらいに読みこなせるようにして、向き合うことをお勧めします。せっかく長い時間、並ぶのです。30秒はあっという間に終わります。もったいないです。
自分の反省も込めて・・・・ ぜひ、有効に生かすことを考えたいです。
現代語訳は、もっと簡単な方がわかりやすそうです。
また、こちらでは、文字と訳を対応して解説されています。
■本物を見ることに意味がきっとある
何時間もかけて並んで、たった30秒・・・・ いろいろ思うところもあります。
しかし、仮に1分、見れるようにしたら、単純に行列の待ち時間は倍の時間、並ぶことになります。3分だったら3倍・・・・
そう考えると、スタッフとバトルも起こっているようですが、「止まらないで下さい」と言い続けるオペレーションは、最善とはいわないまでも、この管理が行われているからこそ、この時間で済んでいるとも言えるわけです。
せっかく名古屋から来られて見ずに帰られた方が、せめて整理券発行するとか何等かの対策ができないものかと言われていました。
列を一列にせず、最前列は、立ち止まらずに見る その後ろはじっくり見たい人という方法もあります。しかし、みんなじっくり見たい方になってしまう可能性もあります。
思うことは、いっぱい。しかし、この貴重な機会を、自分の中で実りある時間にするために、できることや準備はしておくことが必要だったなぁ‥‥と。
たったわずかな時間、本物を見ることに意味があったのでしょうか? ふとよぎります。しかし、この先、どこかできっとこの体験は生きてくるはず。
こんなツイートをされていた方が…
こんなの意味あるのかな?と思いながら、今、あれこれ思ったこと。それがきっとこの先、何かと反応するはずと思って…
国立博物館の特別展、顔真卿
— 大西 崇史 (@takaonis) February 16, 2019
分からないなりに見て考えた時間が後々大事だった事に気づくでしょう。
原寸大かな、祭姪文稿が載る図録を手に入れられて良かった。2月15日17時38分いつもの場所で #顔真卿 #国立博物館 pic.twitter.com/KJK36fQ63T
書なんて、よくわからない。でも、今回、やっぱり見に行こう。そう思ったのは・・・・ 過去に見てきた書が、何等かの形で影響をもたらしてくれています。
■書とのかかわり
これまで書を見てもどれも同じに見えていました。ところがよく見ると、それぞれ個性豊かで特徴があり、文字の大きさ、太さ、書体、配置。あるいは、画面とのバランスなどかなり違うことがわかりました。
流れるように書かれいる文字を見ているうちに、画面との配置、バランス、間の取り方など、絵を見ているのと同じような感覚になってきました。
これらを見ても、何が書いてあるのか、さっぱりわかりません。しかし、眺めているだけでも面白いって思えるようになってきたのです。
特に本阿弥光悦の書は、思うところあって、撮影できる時には撮影して集めていました。(⇒*2)
当初「寛政の三筆」と言われても、どこが三筆なのか全くかわかりませんでした。ところが次第に、さすがだなぁ‥‥と思えるようになってきたのは不思議です。
書を見て「美しい」と感じる感覚が少しずつ芽生えるようです。
また書というのは、上手な人ばかりではないというのも面白いと思いました。絵巻物を見た時に、悪筆で有名な天皇の書体。こんな人もいるんだと思わされたり・・・・ あるいは、達筆で有名な弘法大師は、こんな字だったんだ。思っていたほど上手じゃない・・・・ 中心線、ずれてるし。(←あくまで私の感覚なので悪しからず)
書は、きれいな上手な字ばかりではない。悪筆も個性のうち。そして文字でなく、絵として捉えてみれば、内容がわからなくても楽しめると感じ初めてきたところでした。
話題の《祭姪文稿》の文字は、乱れて感情が露わになった文字らしいとのうわさ。これは、書を知るいい機会かもしれません。でかけて足を延ばせるついでがあったので、話題の「顔真卿」に行ってみることにしました。
*1:最初に気にかかったこと
書が紹介されていますが、ペタペタ、いっぱいハンコが押されてます。なんなんだ…と思いながら見ていました。どうやら押される位置は紙の継ぎ目です。文章を継ぎ足した時の割り印のようなものみたいです。
それにしても、筆跡の違う人がずいぶんといっぱいいます。共作なのでしょうか? しかし作者の名前は1人だけ。よくわかりません。書いた文章にもサインはないみたいです。ずっと気になっていました。
《祭姪文稿》の構成を見て、やっとその意味がわかりました。所有者のサインであり、コメントだったのです。最初から、そういうものだと知ってしまうと、何の疑問も持たずにそういうものだと思って見てしまいます。このような「なんか変・・・」と感じることができて、それを考える時間が大事で、次の鑑賞につながっていく面白さだと思っています。
書の頭と絵を合わせることによって生じる文字のはみだしですが…
下絵に合わせながらバランスを調整しています。
書き足し文字発見!(あえて?)