コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■告知:第11回「 shiseido art egg」対話型審査会に参加して

 第11回shiseido art egg賞 対話型審査会が、下記のとおり行われました。11回を向かえて初めての試み、審査員と作家の対話型審査を、一般聴講者にも公開するという新しいスタイルの審査会となりました。そのレポートです。

 

 

■イベントについて

〇イベント名:第11回shiseido art egg賞 対話型審査
〇開催日時:2017年8月25日(金)18:15~21:30(受付 17:45~)
〇会場名:ワード資生堂ホール 東京銀座資生堂ビル9階(東京都中央区銀座8-8-3)
〇出席者:審査員:岩渕貞哉、宮永愛子、中村竜治
     入選作家:吉田志穂、沖潤子、菅亮平

 

 

■進行

〇主催者挨拶 

〇siseido art egg 対話型審査について

〇作家・審査員紹介

〇事前質問の紹介

〇作家プレゼン

〇審査員 作家質疑応答

〇審査議論

〇まとめ・所感

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対話型審査や、「siseido art egg」については、こちらを参考

 ⇒■告知:第11回 shiseido art egg」によせて(資生堂ギャラリー)

 

 

■事前質問の紹介 

 開催前に作家や審査員への質問を受け付けていました。

それらの紹介が次のようなパネルで紹介されました。

 

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この審査への興味の高さ。事前の質問事項を網羅的にまとめられたというのは、これまでにないスタイルだったと思います。

 

 

 

■審査員から作家への質問  審査では何を見ているか

【1】審査員から作家への質問
【2】審査では何を見ているか

 

[審査員]

・岩渕貞哉氏:『美術手帖』編集長
宮永愛子氏:美術家
・中村竜治氏:建築家

 

岩淵氏:【1】資生堂の特殊な空間をどのように考えてどう使ったか
    【2】展示をみてプランの実現性

 

宮永氏:【1】応募の時と作品の変化
    【2】資生堂という場所でできること

 

中村氏:【1】建築という視点から作品のサイズ感について
    【2】枠組みに対しての問いかけ  批評性
       展示の伝え方

 

 

■それぞれの作者への総評と全体の感想

 

そのあと休憩となりましたが、休憩中にも審査員の方々の話し合いは続けられいろいろ激論(?)があったようです。休憩が明けて・・・

 

 

■審査員の一押し作品  審査に参加しての感想

 

 

ということでしめくくられました。

 

 

 

■感想

〇事前に質問の収集について

事前に質問があればということでメールで収集が行われました。このような場合、たいていは、その中からいくつかをひろって当日、答えるというスタイルがとられます。今回は、それらをまとめて網羅的に提示されており、参加者が何を思いながらこの場に足を運んだかを伺い知ることができました。一般聴講者参加型の新しい試みをより生かせていたように思います。

 

初めての試みとなった対話型審査会に興味を持った方が、何に興味を持ち注目しているのか。どのような疑問を持っているのか。いつもなら埋もれていたはずの声が引き上げられていました。そしてその質問からどのような立場の方々が参加されていたのかという横顔も伺い知ることができました。審査する側の立場にいる方、あるいは、コンテストに参加した方などもいらしたようで、進行もそれらの質問を取り込みながら進められていました。

 

私自身も、審査員の専攻はどのように行ったのかを示して欲しい。透明性を提示する上でも非常に重要ではないか、また資生堂という企業が発する「美」と、審査員のとらえる「美」は一致しているのかなどの質問を送らせていただいておりました。それらは、「siseido art egg 対話型審査について」の中に盛り込む形で、質問に対する答えが示されました。

 

 

〇対話型について

実際に作品を見ることなく、審査会に参加するという形になってしまったのですが、言葉の持つ意味ということについて考えさせられました。

 

審査員からもご指摘がありましたが、エントリーシートで見たあと、実際の作品を見ると全く違う。そして作家の言葉として聴くと、同じ言葉をエントリーシートで見ているのだけども、本人の言葉を聞くと、より一層よく見えたということが語られていました。

 

美術作品も、実際に足を運ぶことによって、写真で見ていたものと違うということは、日常的に体験することです。そこに、作家本人の言葉が加わるという機会はなかなかなく、自分の見えていなかったこと、作者の模索熱い思い伝えきれないバックグランドなどが相まって、作品の見方が全く変わってしまうということが、それぞれの作品でおきていました。

 

この場合、「言葉」というものを「作品」を見る時に、どう位置づけたらいいのかという問題に突き当たりました。「対話型審査会」という新しい試み。それによって得られた新たな作品の側面。では、その文字ではない「言葉の対話」からえられた情報は、作品の評価をする上で、どのようなウェイトととして扱うのか? ということでした。

 

最後の審査ポイントの確認で、「今回の展示では・・・ 資生堂というギャラリーで展示すること、ここでなければならないものが表現されているか?」 しかしそれだけでいいのか? 新しいアイデアや、社会批判性など、どんなメッセージが加えられているか。そんな確認が行われました。

 

第11回の新しい試み「審査員と作家が対話する」という部分については、どう扱うのかな? ということが気になったことでした。

 

 

〇透明性について

進行において、司会の方が、審査員の方に一押し作品を公表して欲しいということを何度となく求められていました。が、審査の方はそれに躊躇されているご様子。綱引き状態で、結局、審査員に押し切られてしまうのだろうと思っていました。

ここで、主催側が、審査員のお考えを求めているのに表明されないのは、ずるいなぁ(笑)と思っていました。せっかく透明性を保とうとして試みたこのスタイルが、損なわれてしまうと感じられました。

 

「それはいいでしょう…」と押し切られそうになりながらも、最後しっかりと、審査員から引き出した進行の手腕に拍手を送りたいと思います。それぞれの審査員の方の一押しが理由とともに示されました。結果、それぞれに違ったという、予定調和ではない調和(笑)となったのは、面白かったと思います。結局は見る側のそれぞれの見方によるということが見えた気がしました。

 

その上で、今後、どのような話し合いがもたれ、最終結果がどなたに決まるのかという、楽しみになりました。 

 

ちなみに参考として、会場からも、一押しを挙手で募ってみてもよかったのでは? と思いました。ここに集まられた方たちは、どの作品に心惹かれたのかも興味があります。審査側と見る側のギャップ、違いなども知りたいと思いました。

 

 

■個人的な感想

〇私の一押しは

ちなみに私は、吉田志穂さんの作品でした

〇写真で写真を超える。「第11回shiseido art egg」吉田志穂インタビュー

 

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最初にインターネット上で見た時に、私はこの方かな? と感じさせられていました。プレゼンを聞いたことで、やはり吉田さんだ・・・・と思いました。審査員の方もおっしゃっていましたが、話を聞いたことで作品がより魅力的に感じられました。

 

まず最初に驚かされたのが、ネットにある人の写真を持ってきて、それを自分の作品にしちゃうわけ? っていうことでした(笑) 信じられない! そんなのあり? という、既成概念を破られちゃった。さすが現代っ子の若手ならではの発想力。

 

しかも、ただ持ってきて、加工しているわけではなくて、それに対していろいろ考えていて、作品として成り立たせていること。現代のインスタに象徴されるように、なんでも撮影してアップされる日常。撮影が日常化し、その写真が、とめどなくネットにアップされていく。そんな中、もしかしら、アーティストの目に止まって、自分もアートに参加できるかも・・・ そんなわずかな可能性かもしれなませんが、楽しみを与えてくれると思いました。

 

彼女の言葉に、「もう撮影する場所はない」「すべては撮影しつくされている」といったような言葉があったように思います。しかし、それらを使って加工すれば、新しい世界が生まれる。

 

同じようなことを感じていました。最近の美術展は撮影OKが増えました。たくさんの人が撮影をします。せっかくなら人とは違うアングルや構図で撮影しようと試みます。しかし、自分が考えたことなんて誰もが考えていて、オリジナルなんてないのです。それでも…と思いながら、あれこれ考えて撮影していたのがつい最近のことでした。(⇒■ジャコメッティ展:見えるまま感じるままに見た写真館))

 

吉田さんが、自分の展示をいろんな人が撮影をしているのを見ていて、いろんなとらえ方をしていて、アップされている。それらの写真をもとに、作品にしてみてもいいかと思っている・・・・って言われた時に、これからの美術を楽しむ一つのスタイルになりうるのではないかと思ったのです。自分が撮影したものが、作品につかわれるかも…

 

自分ではアート作品を作ることはできません。でももしかしたら、その素材として参加できるかもしれない。だれでもアーティストのかけらになりうる。そんな期待も抱かせてもらえる。というのが、一般鑑賞者からの視点でした。

 

アートの未来・・・・ と言った時に、インタラクティブというのは、一つの方向に思えます。誰もが簡単に手にできる写真。その可能性のひろがりを持った作品ではないかと思いました。

 

現段階で、撮影場所は、googleマップをさぐりながら決定しているということだったので、その場所の選定の意味が弱いという指摘や、これまでにないアイデア、体験といえるか・・・加工が加わりすぎという指定もありました。あるいは、今回の資生堂ギャラリーとの関連性が感じられない。そこで、資生堂アートギャラリーを観測点にしてみたらよかったのでは? というように、今後、場所選定の意味付けについては、経験やキャリアで、必然的に生まれてくると思われます。どういう選定をしていくのかという今後の進展に興味を抱かされます。またワークショップ形式で、現場にリサーチをしに行き、実際の現場に訪れたギャップの体験を作品にするというのもおもしろそうという提案もありました。発展性が期待され、「shiseido art egg」という若手作家の発掘にふさわしい作品ではないかと思いました。

 

 

〇審査員の言葉から

審査員の言葉で印象に残ったのは、それぞれの立場からの見方があるということでした。

宮永氏は、同じこのコンテストに応募し、落選もし、当選もしているという立場から、応募するということについての共有感をもたれていて、同じ目線であると同時に、厳しい目線も送られていると感じました。もっともっと考えようよ。できることはまだまだあるよ。という先輩としての頼もしさを感じました。そして言葉の力を審査の場面でも感じさせられました。なるほど・・・と納得させられる審査の場における「言葉の力」

 

岩淵氏は、美術手帳の編集長というお立場で、より多くの作品に触れる機会がおありということから、これまでにないアイデアや体験ということをとても重視されていらっしゃると思いました。私たちが新しいと思っても、多くのものを御覧になられていらっしゃるので、小手先のテクニックでは納得されない。また、資生堂という空間だからこそできる。この特殊な空間をどうとらえて使いこなしたかということについて、細かく聞かれていました。普遍性の一方で、そこだけに存在しうるものという視点を強く感じました。

 

中村氏は、建築家という立場からのアートの見方をいうものを感じました。建築の世界では、予想してからそれに向かって進み、問題があれば修正をする。作品作りの中で、その予想の部分を想定せず、やってみて修正する制作方法を場当たり的と感じられていらっしゃるようでした。そして、問題がおきた時に、それを全く違う方向に転換してしまうのではなく、それを乗り越えて作品に取り込むことがあってもいいのでは?と。そして一番、批評にさらされているのは、我々審査員。緊張感があり思考が知られ渡ってしまう… と最後に〆められたことが印象的でした。

 

審査員の方たちが、思っていたほど饒舌ではないと感じていたのですが(笑) きっと、言葉を選んでいろいろ考えながら語られていたのかもしれない・・・と思いました。

 

 

〇作家さんの作品 

吉田志穂さんは、一押しで紹介したので、そちらで・・・・

 

沖潤子さん

〇時を超えて混ざり合う布と糸。「第11回shiseido art egg」沖潤子インタビュー

 

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最初に見た時に、以前、テレビのニュース番組で紹介されていた刺繍の方かしら? と思いました。ということは、作品に既視感があるということで、私にとっては、これまでにないアイデア、体験ではなかったという点で、サプライズに欠けたというのが第一印象でした。布に刺繍を施すこすことによって、従来のものとは全く変わった形、構造となるその斬新さを、他で体験してしまっていました。もし、こちらを初めて見たとしたら、かなりインパクトを受けていたと思います。見る側が似たような作品に出合っているか、いないかというのは、受ける印象を大きく左右するものだと思いました。

 

ところが、この作品の布選び、自分と母親との関係、この作品ができるまでの紆余曲折。触れる作品にしたかった! 来た人にひと針、ひと針縫ってもらってそこに出来上がる造形。そんなことを考えていたことを伺い、それそれ! って思いました。

 

美術展に行って、写真撮影はできるようになりました。しかし、さわることは、まだまだゆるされません。ぜひ、それやってほし~い!!!  そして草間彌生展で、会場でシールを張るインタレーションを体験しました。そういうことに冷めがちなのですが、そんな私でも楽しめた体験でした(⇒■オブリタレーション)

 

そして、エントリーシートに書かれたことを読み上げられました。それを知るとまた、作品の見方が変わります。言葉、声の力、語ることの力を感じさせられたのです。下記に書かれている「会場で配られたパンフ」が、それかと思われます。

 

〇なぜか泣けてしまったー沖潤子展「月と蛹(さなぎ)」を観て

    | 光野桃「美の眼、日々の眼」 | mi-mollet(ミモレ) | 講談社

 

自然現象を作品に投影したものに弱いです。そういう言葉に対しても・・・・ 作品を見てそれが読み取れず、でも言葉によってそれを知り共感した場合、その作品をどう理解すればいいのか。作品に言葉なしで伝える力が弱いのか、自分の読み取りが未熟なのか・・・ 作品は言葉なくしていかに伝えるべきなものなのか。誰もが苦労話を聞いたら心は動かされてしまうのではないか。そんなことが、これから作品を見ていく上で自分自身の課題のように感じていました。

 

また、最初から計画的でなくても、行き当たりばったりから生まれる何かがあってもいいんじゃないかと私は思いました。

 

 

管亮平さん 

〇ホワイトキューブは問いかける。 「第11回shiseido art egg」 菅亮平インタビュー

 

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正直な感想はというと「わからない」でした。実際の展示を見ていないから余計に。上記のインタビューを読んでも理解ができませんでした。会場での解説もわかりませんでした。帰って動画をみつけてやっと、なんとなくこういうものだったのかを理解した状態。

www.pictaram.org

 

 

 

 

一番、パッションを感じられたという審査員の方たちの評。確かに感じられたけども、その語る言葉がわからない者には、十分に伝わってこないというジレンマ。

ホワイトキューブ という言葉には、意味があり、そこには批判もあるらしいことを審査員の会話から読み取れました。⇒ホワイト・キューブ | 現代美術用語辞典ver.2.0

そうした、基本的なことを理解していないと、どう受け止めてよいかわからないというのが率直な感想でした。

審査員からは、好評価が得られていて、新人らしからぬ完成度といった声も。その一方で、おいてけぼりにされている感を抱く一般参加者(笑) それは私だけなのか・・・

 

 

■まとめ

美術展に必要なこと。「みんなの共感」ということが語られていました。それあるある。わかる… アートはどこに向けて発しているのか。審査は見る人のどこのあたりの人たちに向けているのか。

 

自分自身がこれまで美術展を見てきたキャパシティーの変化を振り返りながら、アートってわからないのよね。と思いながらも歩いてきたこれまでの時間。そのどの段階に向けて審査作品は投げ込まれるのか。まだまだ審査作品を理解するには、時間を要するのか・・・なんてことを思いながら。

 

審査員、お一人、お一人が違う方を押された中で、いかに受賞者が決まるのか。それが結果としてどう集約されていくのかを想像する楽しみをいただきました。今後どんな結果なるのかを想像しながら発表を待っております。

 

審査員の方々の何を見ているかというお話から、自分が何を見てきたのか、作品をどういうとらえ方をしているのか。自身のとらえ方を客観的に見たらどう見えているのか・・・そんなことにも気づかせていただける機会にもなりました。ありがとうございました。