なんとなく気になっていた版画家。川瀬巴水と似てる気がする。両者は同じ版画でも浮世絵とテイストが違います。この違いってどこからくるんだろう‥‥ そんな興味がありました。
- ■混雑状況
- ■1階で上映されているビデオがおすすめ
- ■版画はどうやって作成されるの?
- ■版画の工程がわかった
- ■動画を見てから鑑賞? 鑑賞してから見る?
- ■版画鑑賞の変遷
- ■東博の常設展 浮世絵展示でその違いを見比べる
- ■吉田博のバトル
- ■まとめ・感想
- (2020.05.25)『水運史から世界の水へ』(NHK出版)の表紙に
- ■関連
- ■補足
■混雑状況
招待券をいただき、行ってきました。損保ジャパン日本興亜美術館は初めてで、高層ビルの42階にある美術館というのも初体験ではないでしょうか? (あっ、森ビルがあった・・・) エレベーターの前には行列が… 吉田博ってそんなに知名度、高かったの? 会期も8月27日と間近にせまった土曜日。招待券をもらった人たちの滑り込み鑑賞のようにも見えました。
また、京都博物館もそうでしたが、巡回路が、エレベータで最初に上に上がる場合は、エレベータに乗れる人が限られるため乗り口に列ができやすくなってしまいます。それかな? と思っていたのですが、会場が混雑しておりますので、人数制限しておりますという案内もあり、かなりの人気状態のようです。
ほどなくして上に上がることができ、会場内は思ったほどの混雑状態ではありませんでしたが、自然発生的にできる鑑賞のための列ができていました。
■1階で上映されているビデオがおすすめ
エレベーターの待ち時間、1階のエントランスでは、ビデオが流れていました。このビデオは私にとってはツボで、今回訪れた目的のすべてが網羅されていて、これだけで充分、満足できてしまえるものでした。
■版画はどうやって作成されるの?
以下は、吉田博からちょっと脱線します。これまで版画作品というものをどのように見てきたかという自分の記録のまとめです。版画がどうやって作られているのか。浮世絵などの版画が、どうやって刷られているのか、あるいは、吉田博のあの微妙な風合いをどうしたら版画で出せるのかという疑問について、これまで調べたことが断片的に散在していたので、ここに集めました。興味がありましたらお付き合いください。飛ばす時は、こちら⇒(■動画を見てから鑑賞? 鑑賞してから見る?)
↓ 下記のような内容です。
〇下絵を版木へ写し取る方法
〇同じ下絵を何枚も彫ることができるのは
〇逆文字はどうやって書くのか?
〇微妙なグラデーションはどうやって摺っているのか
〇版木の溝に絵具が入らない量に調整
〇摺りあがったものをすぐに重ねるために
〇多色刷りの位置合わせは?
〇分業による制作過程
これまで浮世絵や、川瀬巴水など版画の鑑賞をしてきましたが、そこで疑問に感じていたことは、何枚も重ねて摺るのに、どうやって位置合わせてをしているのかということでした。また何枚か彫る版木も、同じ位置になるよう彫らなくてはずれてしまいます。どうやってぴったり位置を合わせているのか… ということが、長年の疑問でした。
それぞれの版画展の会場では、その工程を紹介するビデオが上映されています。しかし何回見てもその部分が省略されていてわかりません。ネットで調べてみても、そのあたりが、どうしてもわからなかったのです。
どうして色がずれがないのかと思っていたのですが、よ~く見ると中にはずれているものがあったり・・・この部分が理解できないと、どうしてこういう版画ができるのかということばかりが気になってしまって、版画の鑑賞モードにならないのです。版画を見ていても、長年この状態が続き、どうも消化不良状態でした。
それが、少しずつですが、作成方法がわかってきました。
■版画の工程がわかった
詳細はこちらに(⇒浮世絵 六大絵師の競演:①ブロガー内覧会 プロローグ 藤澤紫先生 登場!)書いてありますが、國學院大學でおこなわれた 「体感!浮世絵摺り実演・体験会」という講座の中で、版画のデモンストレーションが行われました。実演を見たことで、これまでの疑問がやっと解決しました。また細い逆さ文字の書き方についてはこの講座で理解しました。(⇒江戸文学の世界 ―江戸戯作と庶民文化―國學院大學学びへの誘い)
〇下絵を版木へ写し取る方法
「草稿」といわれる、ラフに書かれた下書きのようなものがあり、それをもとにして、印刷のための絵は絵師が、文字は清書する人(筆耕)がいて、清書(浄書)したものが「版下絵」となります。この「版下絵」を裏にして「版木」にのりで直接張り付けて彫ります。(版下絵は、版木に糊付けされて、一緒に彫られてしまうため残りません。版木に貼られて彫られずに残った和紙も、あとで取り除かれてしまいます。)
分業ということを当初知らなかったので、彫り師が、下絵を見ながら版木に下絵を描き、それを彫っているのかと思っていました。それを版数分、彫っていると思っていたので、どうやって同じものを何枚も彫るのかが謎でした。
参考: 浮世絵ができるまで(4) - 版下絵 - 浮世絵ぎゃらりぃ
〇同じ下絵を何枚も彫ることができるのは
多色刷りの版木を、色の数の枚数、寸分の狂いもなく彫らないと、重ねた時にずれてしまいます。その狂いない彫りは、どんなテクニックを駆使したら、そんな芸当ができるのでしょう? それが長年のなぞで、いくら想像してもできませんでした。
それは、下絵を版木に貼り付けて彫った原版から、必要な枚数の、原画を摺ります。墨で描かれた下絵の黒い部分だけを残して彫って、摺ったものが原画となります。版数分の版木に下絵の原画を貼り付けてから彫っていたので、何版重ねてもずれることはなかったのでした。
参考:浮世絵ができるまで(6) - 墨版 - 浮世絵ぎゃらりぃ
浮世絵は現在のタブロイド紙のようなものなので、コストを下げるために色の版数をおさえつつ、複雑な絵に仕上げるのが腕の見せ所。どこをどのように彫って、何色で摺るかは版元が(絵師と相談しながら)決めます。今の出版と同じでどれくらい売れそうかなど考慮しながら、コスト計算して版数を決めていました。
絵を見ながら、それと同じものを何枚も彫るのかと思っていたのですが、原画をコピーしてそれを版木に逆さにして張ってトレースしていたのでした。
北斎は自分でも版木を彫ることができたので、いかに少ない版数で複雑な絵を作成することにも長けていたそう。その指示はとても厳しかったと言います。
参考:浮世絵ができるまで(7) - 校合摺り - 浮世絵ぎゃらりぃ
浮世絵ができるまで(8) - 色版 - 浮世絵ぎゃらりぃ
〇逆文字はどうやって書くのか?
浮世絵などに書かれた文字は、とても細く繊細です。その元の下絵は、逆文字です。しかもきれいな仮名や漢字で書かれています。逆文字はどうやって書いていたのでしょう? レオナルドも鏡文字で書いていました。逆文字を書くのを得意とする人が、古今東西、存在していたのでしょうか・・・・そういう能力のある人が分業の一躍を担っていたのか… またあの細い文字はどうやって彫っているのでしょうか。
逆文字も、コピーした原画を裏返せば簡単に転写できるのでした。そのためあんなに美しい文字となったのでした。細い文字は、転写されたもを忠実に彫る彫り師の技術によるものです。
〇微妙なグラデーションはどうやって摺っているのか
◎色を乗せる
空や海などは、色のグラデーションで表現されます。これは、版を重ねて表現しているわけではなく、一枚の版木に絵具の乗せ方と広げ方で、微調整がされています。ここが摺師の腕のみせどころ。どれくらいの絵具をたらすかも重要です。
↓ 微調整しながら絵具をたします
伸ばしたあとさらに絵具をたします ↑
◎ブラシで伸ばす
ブラシを使って伸ばします。この伸ばし方にも技が…
ブラシには何種類もあり、その硬さによって広がり方が変化
↓こんな道具を使ったり ↓ 別の版のブラシ使い…
〇版木の溝に絵具が入らない量に調整
版木の溝に絵具が入ってしまうと、摺った時に和紙はそれを吸い込んでしまいます。溝に入り込まないその絶妙な量を加減して、グラデーションを作っています。そこでブラシは、広げるだけでなく、溝に入り込んだ絵具を吸い上げるという機能もあるのだと理解していました。ところが、もともと、溝に絵具が入り込まない量に、絵具のたらし方で調整するという高度な技術があることがわかりました。
〇摺りあがったものをすぐに重ねるために
紙に絵具がしみ込んだら、すぐに乾く量に調整されています。直後に触っても絵具は手ににつきません。
いわば、版画は現代の印刷機のようなものです。版画家がじっくり自分の作品を制作するのとは違って、ある程度の枚数を一気に決められた期間にすりあげないといけないというノルマのような中で摺られていました。次々に刷られたものを、乾かす場所も限りがあります。そのため、摺ったものは、次々に重ねられていき、色移りのしない適切な量というものを摺師は要求されていたのでした。
↑
摺りあがったものが重ねられています。
◎バレンのこすり方
グラデーションは、バレンの使い方で、いかようにも広げる技術を摺師は持っていていました。
↑ バレンによる細部の表現
また硬さの違うブラシを駆使して、絵具の微妙な広がりの調整をし、さらに紙に移すためのバレン使いの技、こうした摺師の技術によって版画は成り立っていたのです。
〇コラム 週刊YOSHIDA 上田市立美術館 吉田博展 | サントミューゼ より
↑ 上記の6話に、バレンの使い方、その音、剥がし方、摺枚数によって紙をはがさなくてもどのような仕上がりになるかわかると。摺師は機械と同じ。どのように摺るかを指示して機会がするのだから自分で摺っているのと同じ。ということで満足できたものに「自摺」の文字が入れられていました。
◎吉田博作品にみえるバレンの技術とニュアンス
4-4 《帆船》朝日 渡邉版 1921 大正10年(45)
↓ バレンの軌跡をあえて見せている
↑ ↓ それぞれの紙質の違いもバレンの技術で表現。
4-5《帆船》日中 4-6《帆船》夕日
1921 大正10年(45) 1921 大正10年(45)
出典:『生誕140年 吉田博展 山と水の風景@東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館』なのだ - どるち & えこう の 『美術館・博物館めぐり』 & 『美味しいもの』日記なのだ
《帆船》の三連作の一つの水の表現のうちの「夕日」の水に移った帆船の輪郭が浮いていて立体的に見えました。日本画が胡粉で盛り上げてふくらみをもたせているような感じなのです。実際に立体になっているのかどうか・・・近づいたり双眼鏡で見たりいsて確認しようとしたのですが、多分版画で表現しているようでした。影をうまく利用して立体感を出していました。
〇多色刷りの位置合わせは?
版木には「見当」と言われる直角のガイドがあります。それに合わせて摺ることでずれをなくているということは、ネットで調べるとすぐにわかります。しかしあんな程度のガイドで、ずれることなくすることができるものなのか不思議でした。
参考:浮世絵ができるまで(9) - 完成 - 浮世絵ぎゃらりぃ
実演を見ていてわかったのは、さりげなく見える作業でしたが、和紙のもち方、おろし方に始まり、その日の天候湿度によって、紙や版木の収縮なども考慮しながら、刷っていくという熟練の技術がここに集結していたのでした。
↓ このコーナーにあるL字型が見当
直角のガイドだけなく、水平を決めるガイド線もあります。
持ち方、紙のひっぱり具合、下し方は職人技
これらは天候によっても変化する紙や木版の状態も考慮
これからバレンでこすります
今は、空調が効いた部屋で行うため、昔ほど湿度などに左右されなくなっているそうですが、出張デモンストレーションの時などは、経験と勘が必要とのこと。
*上記の写真の掲載については、山種美術館の内覧会にて講師を勤められた、藤澤紫先生に了解を得ております。
〇分業による制作過程
それ以前の知識では、分業ということも、トレースしていることも知らなかったので、彫り師がすべてを担い、下絵を見ながら、版木に下書きをして、絵や文字を彫っているのだと思っていました。逆文字は自分のイメージの中で彫っているのだと・・・ すべては一枚の下絵をもとに、彫り師が何枚もの版木を、全くずれのない状態に彫りあげていると思っていたので、その技術は、人間技とは思えず、神がかり的な印象を持っていました。そんなものを作れるはずがない。なんでそんな芸当ができてしまうのか。何でそれを成し得るのか、自分の頭で理解できるまでは、鑑賞の土俵に版画が上がってこないのです。しかも、当時はタブロイド紙的な扱いの中の技術であるということも腑に落ちないのです。それらの整合性が自分の中でとれず、なかなか、浮世絵を見るという鑑賞モードのスイッチが入らない状態が続いていたのでした。
■動画を見てから鑑賞? 鑑賞してから見る?
〇生誕140年 吉田博展 吉田博の木版画 (動画)より
上記の動画を見ると、次のことが理解できます。
〇吉田博は、版下絵を描くだけでなく、摺り、彫りも妥協をゆるさずそばにいた。
〇版画を絵としてとらえていたので表情を出すことを要求された
〇他にも、材質感、趣、遠近感、透明感、あらゆる表情を出すための要素が版画の彫り摺に含められていて技術として求められている。
〇他の版画家と違い、単純な部分が少ない。
〇通常10色
吉田は平均 30ほど。40~50 99という作品も
浮世絵 平均10数度
〇空気、大気、空間を木版画で表現。湿った空気、乾いた空気、
版画では難しい、だれもやっていない空気の表現をした。
これらの解説と、これまでの浮世絵の作成について断片的に調べたり、講座で聞いたりしたことを総合すると、吉田博の摺り師、彫り師に求めるものが、いかに高度なものであったかが想像されます。絵のような版画。なぜ、あのような版画ができるのか。できるわけがない。と思ってしまったことで、これまで吉田博の作品に入り込めなかったのですが、やっと実現できるんだということが自分の中で消化でき、作品と向き合えると思いました。
ちなみに今回のメイン作品と思われる6枚の《瀬戸内海集 帆船》シリーズ(大正15年)
出典:ダイアナ妃も魅了した「絵の鬼」に迫る 『生誕140年 吉田博展』をレポート | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス
《帆船 午前 》《帆船 霧》
《帆船 朝》 《帆船 夜》
《帆船 午後 》《帆船 夕》
これは一枚の版木を、色を変えて摺ったものです。
これまでの私が見たとしたらこれを見た瞬間、同じ版木でどうやって6種類も摺り分けることが可能なのか疑問に思うはず。木に絵具がしみ込んでしまいます。次の版画を摺る時には、その絵具の色が影響していまいそうです。いちいち版木を洗って乾かしていたのか・・・・ でもそんなことしたら、木が収縮、乾燥を繰り返してしまって位置合わせなど変化しないのか。いくら洗ってもしみ込んだものはにじみ出てきてしまうのではないか・・・・ ということの方が気になり、この作品を鑑賞するということに至らなかっただろうと思うのです。
しかし、摺師には、溝に絵具が入らず、摺ったあと絵具が残らないちょうどよい絵具の量を調節する技術があることを知っていたので、木にしみ込まない量を調整することは、可能だと想像できます。それなら、1枚の版木でもこのような摺り上げが可能だと想像ができたので、この作品を受け入れることができたのでした。
また、この摺り分けは、吉田博の監督のもと、高い技術を持った摺師であれば、可能なのだとも思いました。レントゲンの読影の高い技術を持った医師の元で働くレントゲン技師は撮影技術がうまくなると言います。要求の厳しい吉田博の元で、摺っていた摺師なら可能だと思えるのでした。
〇「痛快 吉田博伝」
42階の入り口を入ったすぐのロビーで上映されているビデオ。なにやら受賞作と書かれていました。これもまた鑑賞の手助けになりました。いつもなら、一通り見てから、映像を鑑賞するのですが、1階のエントランスのビデオを見たことが、とっても役に立ったのでここも、最初に見ることにしました。そういえば、ネットでも、これはなかなかよいと書かれていたことを思いだしていました。
講談師による語りで、吉田博の人物像が伝わってきます。黒田清輝に対するライバル心。そして江戸後期の浮世絵に対してもなぜあれが海外に受けるのかといぶしがっていいました。これまでのいろいろな知識が、このビデオでつながっていきます。相当な負けん気の強そうな人・・・
■版画鑑賞の変遷
〇川瀬巴水と吉田博の違いは?
美術展で最初に見た版画は、川瀬巴水でした。記録を見ると、浮世絵の前に川瀬巴水を見ていました。⇒【*1】
その後、浮世絵を何度か見て、同じ版画でも川瀬巴水と浮世絵のテイストが随分違うことを感じていました。それは、川瀬巴水の版画は多色刷りでそれゆえに微妙なニュアンスが醸しだされていると言われています。しかしながら、多色刷りをしただけで、あれだけの微妙なニュアンスが出せるものなのか・・・・というまたまた疑問が出てきていました。
摺師の絵具のたらし方や、広げ方、それだけではなしえない表現があるように感じました。それをどうやって実現しているのか。と思っていたところに、またまた同じテイストの吉田博という版画家を目にしたのです。似ているようで違う・・・ それはどうしてそのように見えるのか。また浮世絵の技術との違いはなんなのか・・・という新たな疑問が沸いてきました。一度は、版画の制作工程がわかって、版画というものがわかった気になったのですが、またまたわからなくなってしまったのでした。
以上のような疑問が、ロビーで上映されていた映像で、すべて解決し、長年に渡って版画ってよくわからないと思っていた、ひっかかりが、やっと取り除かれたのでした。
〇絵を超えた版画
版画なのに版画にはみえない。まるで描いたかのよう。そんなことが版画でできるのか。それが想像の範囲を超えてしまうと、作品の受け入れができないのです。まさに吉田博がチャレンジしようとした空気の表現からそれを感じてはいたのですが、それが版画で実現できることが、信じられませんでした。
多色刷りによって、ニュアンスの表現ができるということは、川瀬巴水の展示から理解していたのですが、その時は、多色になればなるほど、ずれる確率は大きくなっていくのにと思っていました。それをどうやってコントロールしているのかがわからないため、この画風を鑑賞するというスタートラインに立てなかったのです。
やっと見当というものがあって、それによって何枚重ねてもずれない技術が日本の版画にはあることを理解しました。それでも、あの空気のニュアンスは、多色刷りだけではできないはず。と納得ができませんでした。
今回、吉田博の摺りを担当した方の言葉をビデオで見て、吉田博の高度な技術の要求に摺師は答えていた。そんな職人気質の支えがあったからこそ、あの版画が成立したということを理解しました。
しかしながら、吉田博の空気感は、多色刷りや、摺師の技術をも超えているように感じていました。空、大気、水のさらなる微妙な表現。それはさらにどのような技術によるものなのか。上記のビデオからわかるように、吉田自身が、その場に一緒にいて、逐一、指示していたこと。さらには、会場の解説で、紙質までも浮かびあがらせ、バレンの質感までも転写するような摺まで求められていて、そうした表現の相乗効果であの画風に至ったことがやっとわかりました。
そして川瀬巴水と吉田博が似ていると感じていたのは、新版画(明治30年前後から昭和時代に描かれた木版画のこと。版元を中心として、従来の浮世絵版画と同様に、絵師、彫師、摺師による分業により制作。浮世絵の近代化、復興を目指して、高度な彫り・摺りの技術を用いた)と言われるジャンルで、版元である渡辺庄宗三郎の元で一緒に組んで制作をしていたことがわかり納得しました。
〇技術を理解して初めて鑑賞のスタートに
これまでいくつかの浮世絵展、版画展を見てはいるのですが、どこか腑に落ちない部分があって、どうして、こうした作品が成立するのかということが、自分なりに理解ができないと、鑑賞のスイッチがはいらないのだということがわかりました。
同時に訪れたジャコメッティ展で、「本質」とは何か…ということをずっと考えていたのですが、自分の場合の本質のとらえ方は、科学の視点でとらえているということが見えてきました。それはモノの性質だったり、成り立ちだったり、工程だったり・・・
それを理解できないと鑑賞が始まらない。版画がどうもわからなかったのは、長年、浮世絵はどうしてずれずに印刷できるのか・・・そこがひっかり、やっと解けたのですが、次は川瀬巴水、吉田博といった、近代の版画家は、浮世絵とは別の手法を使って、高度な表現をしている気がする・・・ でもその方法がわからないというジレンマのようなものだったのでした。
版画を見る時は、その製法。どうやってこの状態を作り上げることができるのか。それがわからないとその先に進めなかったのは、ジャコメッティがなぜ、対象物があんな形に見えたのかという疑問と、通じているのだと思いました。
作品を見るときにその作品の成り立ち。それを理解してからなでないと鑑賞が始まらない。そんな自分の鑑賞のスタイルを、別の展示を通して理解することになりました。
今回のエントランスのビデオによって、解決することができたわけですが、もしあれがなかったら、また、何でこんな画風が成立するのか・・・・結局わからなかったと、消化不良状態になって、放浪していたのかもしれません。
■東博の常設展 浮世絵展示でその違いを見比べる
吉田博展を見た翌日は、東博でボランティアによる浮世絵ガイドがちょうど開催されることになっていました。これも何かの縁。吉田博のライバル心むき出しにしていた浮世絵との比較にもってこいです。
浮世絵の空気表現だって、結構、繊細だと思っていました。が、吉田博は、幕末の浮世絵を低俗と語りました。吉田博展を見た直後なら、その意味もわかるかも・・・・ ちなみに以前、横浜美術館で撮影した吉田博の《亀戸》です。
東博の浮世絵の中に同じような橋の景色がありました。
上記でも水のグラデーションの表現は美しいですが、吉田博のニュアンスには及びません。
その他、水の表現のある浮世絵を並べてみます。
改めて吉田博 《瀬戸内海集 帆船 朝》
吉田博展が新宿で開催 - 世界を渡り歩いた「絵の鬼」の風光明媚な風景画、ダイアナ妃の肖像も | ファッションプレス
いかに緻密で繊細であるかがわかります。かすれなどは、紙質などをいかし、バレンのあとをあえて見せるなどして表情を加えていることがわかります。幕末の浮世絵を低俗・・・と言いたい気持ちがわからないではありません(笑)
〇微妙な色のグラデーションの秘密
浮世絵では一色のグラデーションで表現。
吉田博は、そのグラデーションを重ね合わせ、さらに紙質、バレンの軌跡も利用。
さらには、ねずみ版と言われるグレーの影や陰影をつけるための版が用意されていて、遠近感や立体感を作っていたそう。
参考:日曜美術館 木版画 未踏の頂へ~吉田博の挑戦~ ② - うさかめ美術部ときどき映画部
《渓流》ではねずみ版が30版だそう
[フリー絵画素材] 吉田博 – 渓流 (1928) ID:201403110600 - GATAG|フリー絵画・版画素材集
■吉田博のバトル
〇モネとの関係
ところで、私が気になったのは、上記の帆船の絵が、朝・午前・午後・霧・夕方・夜 というように時間帯を6パターンに分けて描いています。
出典:吉田博の水彩画と木版画 : Art & Bell by Tora
これって、デジャブ感(笑) そうです。モネの同じモチーフを時間帯を分けて描くのと同じでは? と・・・・ルーアン大聖堂を思い浮かべました。モネとの関係は下記のとおりです。
モネ: 1840~ 1926年
吉田博:1876~1950年
帆船 (1926年)大正15年
ルーアン大聖堂 (1892~1894年)
連作開始 積みわら(1890年代~)
吉田博は、モネを見ていたのでしょうか? それがヒントになってこの連作をインスピレーションしたのでしょうか? しかし、最初のビデオで見る限り、負けん気が強く、黒田清輝を殴ったとのうわさもあるくらいです。
低俗な幕末の浮世絵が海外でもてはやされることに業を煮やし、深水や巴水の渡辺版ではあきたらなくなり49歳の時に私家版を出します。洋画のタッチを基調に情緒より光の輝きややわらかなグラデ―ションを模索しました。
作品も、版画が主かと思っていたら、水彩、油絵なんでもこなす人物。モネを参考にしたなど、口が裂けても言わなさそう。
本当のところはどうだったんだろうな・・・と気にかかっていました。
これだけなく、2-41《ヴェニスの運河》(1909年)33歳
日記・コラム・つぶやき: 愉しむまあじいのブログ
クロード・モネ〈ルーアン大聖堂〉
これを見た瞬間、水の表現が印象派! って思いました。印象派そのものです。そして、建物への光のあたり方。その色あいが、ルーアン大聖堂と同じだと思ったのでした。
吉田博はモネを絶対、見てる! そしてきっと、口にはしていないと思うけど、モネのエッセンス参考にしていると思ったのでした。
休憩しつつ、図録 「吉田博の水彩画にみる芸術館」(p249)を見ていたらこんなことが書かれていました。
モネの絵に対して・・・(やはり見てたんだ・・・)
甘い・・・ 湖辺、築山、田舎、川辺など。
吉田博が具体的にこのように指摘するということは、絵にひきつけられていることを表し、見て楽しんでいると考察されていました。さらにこんなことも・・・
目立つのはモネ。ずるいと・・・
霧・雨・比木 皆ずるい・・・
なんだかかわいいというか、こういう手があったのか・・・と地団太を踏んでいるのか、あるいは、自分もこれからこれをしたかったのに先を越されてしまった・・・という悔しさなのか。その言葉が「ずるい」
〇大観に対しては?
吉田博は現場主義。山は実際に登って描く。富士山も実際に登って描いています。
一方、当時の画壇のトップに君臨している横山大観。実際に登ることもなく、サササと大量に富士山の絵を量産していました。そんな大観に対してどう思っていたのかなぁ・・・と。黒田清輝にくってかかっていった逸話の持ち主。大観にも・・・と思ったのですが、そういう話はここでは耳にしませんでした。ジャンルが違うからでしょうか?
〇戦争画を描くことについて
吉田博が戦争画も描いていたというのは知りませんでした。戦争画というのは時代によるやむにやまれぬ事情から、描かざるえない状況に陥り、画家も苦悩しながら描かされていたのだと思っていました。
ところが、この絵を見ると、楽しんでいると言っては非常に語弊があるのですが、このような特異な状況下に置かれても、真実を描く、見たものを描く、そして山の絵がそうだったように、人が見ることができない景色を伝えるという使命感と同じような信念が貫かれているように感じられました。
それを突き動かしているのは、吉田博のあくなき好奇心と貪欲さ、それによって、悲惨な状況であることを忘れさせて、対象に挑んでいたという、プラスの意識が感じられたのでした。
悲惨な状況を描かねばならないというマイナスな思考でとらえるのでなく、こういう時だからこそ描ける構図や視点。実際に飛行機の乗っていたと言います。そのかけがえのないチャンスを、生かした結果に見えました。
確かにこのアングルは、それを体験していないと想像することができない構図なのではないかと思いました。苦しさを感じる前に、置かれた状況から何かを生み出すことに没頭していた人だったのではないかと。
川端龍子の戦争画をテレビで見た時も似たようなことを感じさせられました。絵描きは、どこまでいっても絵描き。置かれた状況の中でテーマを見つけ、描くということに没頭することで、我を忘れているのかもしれないと思いました。
生誕140年 吉田博展 | 展覧会 | 久留米市美術館 | 石橋文化センター
出典:猫の後ろ姿 1005 「戦時下に描かれた絵画」展 丸木美術館|「猫の後ろ姿」
この構図は、想像では描けないはず。実際に飛行機に乗っていたからこそ。しかしこのシーンは一瞬のできごと。しかもスクランブルなど慣れてはいないであろう空中での出来事を捉え描写し表現して作品にしてしまった。特殊な環境の中で初めてみる一瞬の光景を形にしてしいまう力。このような体験を通して、そこでしか得られないことを吸収し、反映させることで、自我を保っていたのかなぁ・・・と。
■まとめ・感想
こちらの展示は、章ごとに通し番号が降られているので、全体の構成の中の作品の位置づけが把握しやすいと思いました。また、西暦と和暦が併記されているのも、時代間隔をつかみやすかったです。また額装もガラスが入っていない作品が多いので、生の状態で見ることができます。光に対する反射。最近のガラスが非常に高度なアクリルガラスになっていて、リアルに見えるようになってきていますが、やはり生の新鮮さのようなものを感じました。
時代によって作風が全く変わるという画家は多いですが、吉田博は、同じ年に描いたものなのに、全く違う筆致のものがいくつもあり、どこまで幅を持った人なのかと驚きました。
こうした才能が、私も含めて今まで、日本でよく知らなかったというのは、情けなさを感じます。しかも、海外の人たちが評価しているという・・・(主流からはずれたことが原因?)
有名、無名での評価でない目。そしてずっと、腑に落ちなかった版画というものが自分なりに理解できた気がして、やっとこれから版画を心から楽しめるようになった気になれた展示でした。
また、外国人には受けるのに日本人には受けないという、日本の感性についても、いろいろ思うところがあります。当初、横山大観らも日本では受けなかったけど、外遊すると受けました。吉田博も同様です。そうそうたる顔ぶれの人たちが所有しています。絵画の評価とはいったい何なのか・・・・
そして、前日、見ていた
ジャコメッティの言葉「見たものを見たままに描く」
吉田博の言葉「描きたい対象に忠実に」
言葉上の意味は同じだと思うのですが、表現されたものは全く違っていて、そういうところも作品は違いますが、面白いと思いました。
一方で、建物の縦線がなんだか不安に感じられることもあった(遠近感を考えても平行になってない気がするだとか)ように思う。そのことでむしろ僕の心には彼の絵への信頼が生まれた。そういう論理的正しさにこだわるのではなく、心から出てきた絵を、情緒を描いてるな、と思った。
ジャコメッティは理屈で見てしまいました。それがずっと違和感として付きまとっていましたが、次第にほどけていきました。自分の中に持っている論理に適合(?)しているかどうか。その論理のとらえ方が、その人、その人の生きてきた環境によって違うということを感じていました。吉田博を見た時に感じた私の論理の違和感は、こんな絵を版画で表現できるわけない! でした。
会場のどこかにあった言葉
「自然を崇拝する側に立ちたい」
この言葉によって、すべてのことを受け入れられるのも私の中の論理?
(2020.05.25)『水運史から世界の水へ』(NHK出版)の表紙に
■関連
〇#吉田博展 hashtag on Twitter
〇吉田博展(損保ジャパン日本興亜): 春波浪雑記
〇生誕140年 吉田博展に一言す: 琴月と冷光の時代
↑ この掘り下げ方がすごい
〇日曜美術館 木版画 未踏の頂へ~吉田博の挑戦~ - うさかめ美術部ときどき映画部
〇日曜美術館 木版画 未踏の頂へ~吉田博の挑戦~ ② - うさかめ美術部ときどき映画部
↑ グラデーションの秘密 ねずみ版 30回 納得の技!
〇吉田博展 グッズについて - うさかめ美術部ときどき映画部
↑ 亀井戸は前期展示だったのか…
川瀬巴水も同じようなテーマを描いていた
でも確かに違う・・・・
〇吉田博展 グッズについて② - うさかめ美術部ときどき映画部
〇吉田博展 - yolajojo’s blog
〇一年越しで「吉田博展」をみる - takebowの侏儒の言葉
・戦争画について
〇圧倒する量「吉田博展」成功した画家の一生 - 中央線沿いで暮らす。
〇一年越しで「吉田博展」をみる - takebowの侏儒の言葉
〇吉田博展(損保ジャパン日本興亜): 春波浪雑記
■補足
〇2014年:横浜高島屋:生誕130年 川瀬巴水展-郷愁の日本風景
(2014.03.19~3.31)
〇2014年:MOA美術館:北斎富嶽三十六景(2014.09.06~-09.24)
〇2015年:上野の森美術館:ボストン美術館浮世絵名品展 北斎 (2015/01/04)
〇2015年:そごう美術館:浮世絵師 歌川国芳展 (2015/08/21)
〇2016年:國學院大學:「体感!浮世絵摺り実演・体験会」(2016.08.03)
〇2016年:国学院大學:江戸文学の世界 ―江戸戯作と庶民文化―
國學院大學学びへの誘い(2016.08.03)
〇2016年:山種美術館:浮世絵 六大絵師の競演(2016/08/31)
〇2017年:損保ジャパン:吉田博展
浮世絵を先に見ていたと思っていたのですが、川瀬巴水の新版画が先でした。
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