東博で行われた顔真卿展と同時期(2019/1/2~ 3/3)東洋館にて行われた 「王羲之書法の残影―唐時代への道程―」の個人的なアーカーブ。展示作品と制作年を対応。今後の書の理解のために・・・・
■展示概要
書を芸術に高めた王羲之を生んだ「東晋時代」と、顔真卿の「唐時代」は書法が最高潮に到達した時代。東晋時代の王羲之の存在は、南北朝へ、そして隋へと受け継がれました。隋の統一により美しい楷書が生まれます。その間の南北朝時代の書を概観し、隋までの流れを紹介。
〇【連携企画】
・台東区立書道博物館との連携企画第16弾。
・特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」
上記と連携
〇東晋時代から南北朝、隋の時代背景
◎東晋時代:王羲之活躍し書を芸術にまで高める
→南北朝から隋に受け継がれる
◎南北朝時代:南北相互に影響を与え発展
・南朝:王羲之の書を継承する流麗な書
・北朝:異民族による個性的な書
◎隋の統一:顔真卿活躍し書法が最高潮に到達 美しい楷書生まれる
〇みどころ
王羲之が活躍した東晋時代と、顔真卿が活躍した唐時代は書法が最高潮に到達。この展示では、両者の架け橋となる南北朝時代と隋時代の書に注目。
参考:
東京国立博物館 - 展示 アジアギャラリー(東洋館) 王羲之書法の残影―唐時代への道程― 作品リスト
王羲之書法の残影-唐時代への道程- その1
王羲之書法の残影-唐時代への道程- その2
中国の書跡 (⇒*1)
■南北時代の時代背景
〇南朝:東晋の後、貴族の勢力が強いく強大な王朝は出現しない。
→宋・斉・梁・陳の4王朝が数十年間で次々と交替。
→梁:全盛 48年に渡り初代皇帝・武帝が君臨
★「書」:王羲之・王献之(おうけんし)による洗練された書が脈々と継承。
王羲之が時代を先取りした前衛的な書
南北朝の書に深い影響を与える。
〇北朝:魏・東魏・西魏・北斉・北周の5王朝が興亡。
→北魏:全盛150年も存続。
→他の4王朝:いずれも短命。
★北魏の書
はじめ魏晋の古風な書に、胡人の意趣を盛り込んだもの。
洛陽(らくよう)に遷都すると、当時の南朝の書風に影響を受ける。
雄偉で構築性に富んだ書風となる。
西魏が梁の都の江陵(こうりょう)を陥落すると、南朝の書風が北朝に流入。
〇隋統一 589年
南北で育まれてきた書風はさらに融合。
唐時代の理知的で美しい書の誕生。
〇 中国・南北朝時代の書 はやわかり
展示会場にまとめられていた時代区分と、書の制作年 。
〇東洋美術年表
中国の大まかな時代の流れと日本の時代の関係
引用:続 西洋・日本美術史の基本 p120
■北魏時代の書
・493年、北魏が華北を統一し、平城(山西省)から洛陽(江南省)へ遷都
北朝で、150年続いた【北魏】時代の書。展示作品を、年表と番号で対応
①【北魏】488年 暉福寺碑
②【北魏】495年 牛橛造像記
③【北魏】498年 北海王元詳造像記
④【北魏】501年 鄭長猷造像記
⑤【北魏】502年 高樹解佰都造像記
⑥【北魏】502年 賀蘭汗造像記
⑧【北魏】502年 比丘恵感造像記
⑨【北魏】522年 張猛龍碑
〇北魏:無紀年
【北魏】5世紀 ②魏霊蔵造像記
【北魏】6世紀 ①楊大眼造像記
【北魏】6世紀 松滋公元萇温泉頌
〇北朝:東魏・北斉・北周
【東魏】540年 ①敬使君碑
拡大
【北斉】573年 臨淮王像碑
拡大
【北周】567年 ②西嶽華山神廟碑
■東晋時代:王羲之⇒王献之
【定武本】
・唐の太宗が入手した王羲之の蘭亭序を、臣下の欧陽詢が模写。
・これを太宗が石に刻した拓本の系統。
・蘭亭序の拓本の中でも最も優れたものとされる。
【呉炳本蘭亭序】
・定武本の中でもとくに著名な一本が蘭亭序。
(他に「落水本」「独孤長老本」など)
・元時代の呉炳が旧蔵したことから、呉炳本として珍重。
・巻後には,歴代の名家の跋が記されている。
・その一部は切り取られ,馮承素の臨模した八柱第三本の巻尾に移された。
【王羲之】
・代々、能書が排出する名家に生まれる。
・伝統的な書法にとらわれず、時代を先取りした表現を完成。
・後世に多大な影響。
参考:東京国立博物館 - コレクション 名品ギャラリー 館蔵品一覧 呉炳本蘭亭序(ごへいぼんらんていじょ)
【東晋】353年 王羲之筆 定武蘭亭序(呉炳本)
【東晋】4世紀 王献之筆 草書十二月帖
【王献之】
・王羲之の第七子。父ともに二王と称えられる。
・南朝~宋~斉の時代、軽妙で華やかな王献之の書が好まれる。
・(王羲之の書は、古風)
本作は『戯鴻堂帖』に刻まれた王献之の尺牘(せきとく)
一筆による華麗な文字姿は、書の特徴を表す。
■南朝:宋・斉・梁・陳の4王朝の書(東晋後)
東晋時代の王羲之、その子供王献之が書を確立したあと、時代は南北朝時代へ。南朝では、宋・斉・梁・陳の4王朝が興亡。貴族の勢力が強く強大な王朝は出現しない。南朝では政治的な混乱とは対照的に文学や仏教が隆盛をきわめ、貴族文化が栄える。王羲之などが活躍したあと、南朝で活躍した書家たち。
*表の書家の番号と下記の作品番号を対応
【梁】6世紀 武帝 (蕭衍)筆 草書数朝帖・行書衆軍帖
【梁】6世紀 簡文帝(蕭衍)筆 草書康司馬帖
【宋】5世紀 ①王曇首筆 行草書服散帖
【宋】5世紀 ②羊欣筆 行草書暮春帖
【宋】5世紀 ③蕭思話筆 草書一月帖
【斉】6世紀 ④王僧虔筆 行書謝憲帖
【梁】6世紀 ⑤沈約筆 草書今年帖
【梁】6世紀 ⑥蕭子雲筆 楷書舜問帖・国氏帖
【陳】6世紀 ⑦智永筆 草書還来帖
【智永】
・陳の永欣寺の僧。王羲之の第7代の子孫。
・孝賓(こうひん)(⇒兄の智楷の息子)と共に出家
・百歳に近い長寿を全う
・30年も寺にこもり、800本もの千宇文を書き、諸寺に納める。
・王羲之の書を広く後世に伝えたいという思いが・・・・
南北朝時代の中国地図
■感想・雑感
顔真卿を見たあとに東洋館の展示に訪れました。中国の書に、ちょっとはなじめたので、少しは理解できるようになったかな・・・・と思っていたら、それは、大間違い。壁面のガラスケースには、拓本がずらりと並んでいたのですが、それらがどういう視点で並べられているのか全く理解ができません。
解説を読んでも、漢字ばかり。いつの時代なのか、複雑な三国時代や南北朝時代の区分もわからなければ、制作年を見ても時代感覚が全くつかめません。時代の前後関係もわからず、人名も初めてみる名前ばかり。全貌を理解するのに、しばしの時間が必要でした。
そんな中で、理解を助けてくれたのが、この一覧表です。
王羲之からの時代は、三国時代、南北時代と、時代区分が複雑に入り乱れています。どのような時代であったかがわかる表・・・
と思って、パッと見た時、上の時代から、下の時代ヘとつながっている年表だと理解しました。
しばらくして、 上が北朝で、下が南朝。縦列は同じ年代。同時進行している表だったことに気づきました。そこで、縦位置で撮影をし直しました。こうして「優れもの!」と思った表なのに、どんな年表であるか意味を理解するまでに時間がかかってしまったのでした。
タブレットで縦位置の写真を撮影し直したので、大きな年表を手元に置きながら、作品の時代を追うことができるようになりました。そして、見たものには、チェックを入れていくことにしました。
なるほど・・・・ このあたりに展示してある拓本は、このあたりの時代の書だったのか…
下の表の南朝の部分。帯で表された部分が、イマイチ、何かピントきていませんでした。漠然とコロコロ変わる南朝の皇帝の名前かなと思っていました。解説の名前と同じ名前をみつけ、「書家」の生没年であることがわかりました。
展示は、「北朝」と「南朝」でまとめられて展示されいること。その中でほぼ、年代順に展示されていたということがやっとわかったのでした。年表は、南朝、北朝、同時進行で見るのではなく、上と下で分けて見てよかったこともわかりました。
こうして、参考資料の年表を理解するだけでも、試行錯誤があり、一つ一つ、確認していかないと把握ができない状態からのスタートでした。
それでもこの表があったおかげで、ただ、眺めて終わってしまうことなく鑑賞することができましたし、こうして見直しながら復習することもできました。この全体を俯瞰した表があるかないかは、理解をする上で、大きな役割を果たしてくれます。
興味を持ては自分で作ろう…という気になれるのですが、書はまだまだ。まして複雑な三国や、南北朝の時代区分まで制作しようとするとお手上げというかもういいや・・・・となってしまいます。
まだまだうすぼんやりではありますが、中国のこの時代の歴史と、その時代の書の歴史、変遷に触れることができ、少し間口が開いたかなという状態です。
会場では、下記の情報も参考にしていました。
王羲之書法の残影-唐時代への道程- その1
王羲之書法の残影-唐時代への道程- その2
その1の解説は、 書道博物館主任研究員の方、その2は、東博の研究員の方が書かれたということだったので、勝手にその1は、書道博物館の展示解説、その2は、東洋館の展示解説と理解していました。
その2を見ながら、どこに、作品があるか探しつつ、照らし合わせて見ているのですが、いくら探してもないものや、逆に「その1」に書かれているものが東洋館に展示されているようで、どういうことなのか、混乱していました。
展示替えのため、ないのか? 部分の展示のため、違う部分が両館で展示されているのか。もしかして、どちらかがレプリカとか?
あれこれ考えていたのですが、どちらの解説も、両方の展示作品に触れながら、書かれているのだと理解するのに、これまた時間を要したのでした。
何がわからないのかもわからない状態です。基礎知識がないと、ちょっとしたことを理解するにも、とにかく時間がかかります。しかし、顔真卿からのつながりで理解をしていく方が、総論から入るよりは、自分にはあっていると感じているところです。
〇なぜ王羲之の書が最高峰なのか
王羲之の書の影響力は現在でも手本にされているほど大きい。
王羲之は「書聖」「最高峰」と呼ばれ、書の芸術性を確固なものとしたといわれます。
ところで、率直な感想。王羲之ってそんなにうまいのでしょうか・・・・
これまでも、新たな美術作品に出合った時「最高峰」という言葉を、耳にします。しかし、多くの場合、どうしてこれが最高峰と言われるのか。そこが理解できないのです。始まりはいつも、なぜ、最高峰と言われるのか。それを理解するところからスタートすることが多いです。(⇒■最高峰って?)
これまで調べてきて、次第にある共通点が見えてきたように思っていました。それは、時代の要請があったから。その時代に、既存の価値とは違う、新たな価値をもたらしたということだったのです。
なぜ、その価値を理解できないのか。それは、今を生きる私たちにとって、その時代の価値観を理解できていないから。もう一つは、その新たな価値は、今の時代には浸透していて、既知のものとなっており、新鮮さがないのです。昔の目新しさを、知ってしまっているため、なぜすごいのかと理解に苦しんでしまうようです。
新たな価値を理解するためには、その時代の空気、歴史、それまでの価値観がどうだったのかを理解しないと、その時代に生まれた新たな価値は理解できないということなんだ…となんとなく感じてはいました。それが、今回、はっきり見えた気がしました。
「最高峰」・・・・ そこには、それまでの世界をひっくり返えしてしまうような斬新な価値を生んだということのようです。私たちはその新しく生まれた価値の流れの末端に生きています。だからわかりにくくなっているということ。
王羲之は楷書を生みました。しかし楷書を日常的に使っている、私たちにはそれの何がすごいのかがわかりません。あまり見慣れていない達筆の人が書くと思っている草書や行書の方が、すごいと思ってしまいます。
そこには書体がいかに変遷してきたのかという歴史を知って初めてその価値が理解できたのでした。
書体の変遷という知識を得れば、なるほど… それを考えたのは確かにすごいなという感性が生まれます。一方、知識なしで見ると、「何でこれが最高峰なのかわからない・・・・」と感じることも感性だと思います。あるいは、聞いたとおり、これが「最高峰」なんだと納得するのも感性。
どうせなら知らないところで感じることと、知ってから感じること。その変化、両方を体験して、そのギャップを楽しむという鑑賞法が、最近のマイトレンド。
そして、何がわかっていないから、理解を阻んでいるのかを自分なりに解明して、こうして記録しておく。初めての体験は、ワンチャンス。知ってしまうと、わからなかった時の状態に戻れなくなってしまうから。初めて触れるジャンルは、その時の理解度を、丁寧に記録しておくと、後で読んだ時に、その後の変化と合わせてとても楽しめます。
参考:
〇「書の最高峰は王羲之」だけど「字の上手い人」じゃない!? | 橋本麻里の「この美術展を見逃すな!」
〇なぜ王羲之が書聖なのか(其之弐) ( 書道 ) - みどりの果敢な北京生活 - Yahoo!ブログ
〇書道史を学ぶ 7 王羲之(5) なぜ”書聖”とよばれるのか | ゴローの手習い
■脚注・補足
*1:展示パネル
*2: