コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■中国美術:これまで見てきた中国美術の感想を振り返ってみる

中国絵画、中国美術、よくわかりません。顔真卿展が大好評ということで、中国の書を半ばノリの気分で見に行きました。そこで、これまで見てきた中国関連の美術展示の記録を集めてみました。どんなところをどんな風に見て感じてきたのか変遷を振り返ってみます。

 

 

■書への興味の変化

「書」「文字」を見てもよくわかりません。古文書の展示があったらスルーでした。ところが、気づくと少しずつ興味を持って見ていたことがわかりました。それは学芸員さんの一言がきっかけになったり、講座の講師の方からの解説だったり。あるいは、過去に自分が見た世界の文字とつなげてとらえていたり・・・・

 

〇書に注目

 

 

「書に注目」という解説がされているのですが、書はわかりにくいです。しかしながら、それまでに見てきた展覧会から、書については、いろいろに受け止めてはいたようです。

「書を絵画として見る」という視点を得てから、実際に見ると、本当に絵のような面白さがあることに気づきました。また、漢字の成り立ちを知ると絵画そのものであることも理解できます。

直近で見た顔真卿展で感じた「文字は絵、漢字は象形文字」というのは、自分なりに見てつかんだことだと思っていましたが、振り返ってみると、解説や講座で聞いたことがベースになっていたことがわかります。

さらに「文字は美術品なのか」という、時代背景における価値のとらえ方という知識も、自分の書のとらえ方に影響を与えていたようでした。

そして、書は、人となりを表し性格が垣間見える。またその時の感情が乗り移っているおもしろさ。あるいは、うまい、下手を超えた何かがあることなどは、折々で感じてきたようです。

今回、顔真卿展で、一気に興味が深くなったように思っていましたが、これまでにも、その時々で、いろいろなことがたまっていたことが見えてきました。 

 

 

〇文字作品は面白いかも・・・・?

文字作品が面白いと感じるようになったきっかけは、真田丸展で、「文字は雄弁」「歴史的事実がそこに存在している」という学芸員さんの言葉でした。その一言で、これからは毛嫌いせず、見ていくようにしようと思うようになりました。これは、私にとって文字作品のとらえ方を変化させたブレイクスル―のようなできごとで、文字に興味を持てるように変化したきっかけとして、鮮明に覚えています。

その裏に、過去広島の平和記念館で「原爆投下の報告書の文字」を見た記憶が、重なっていたことはすっかり忘れていました。直接的には関係ないことですが、文字を訂正して加える。その書かれた文字の重さ。「文字」や「書」が歴史の重大な記録、史実であることを、如実に表していると実感した経験と重なりました。

しかし、これからは、文字資料もちゃんと見るようにしよう・・・・そう思ったはずなのに、その数か月後に行われた「観音の里の祈りとくらし展Ⅱ-びわ湖・長浜のホトケたち-」で、古文書がいろいろあったのですが、まったく見向きもしませんでした。言うはやすし、行うは難し…を感じたことでもありました。

 

〇美しい文字がわかってくる

■日本美術の展示 「書という芸術」 本阿弥光悦

 

よくわからなくても、何度も見ているうちに、心の底から、このこの文字は美しいと思える感性(?)みたいなものができてくるようです。本阿弥光悦って本当に上手なんだな。見ていてほれぼれする・・・・・ ところが、こんな字も書いてたの? そんなことにも遭遇します。

 

次第に私の中で、美しい文字の基準というものができあがっていたことに気づきます。それは、光悦の書だったのです。そうすると、名筆と言われる書を見ても、「これがうまいの?!」と思ってしまうのです。

なぜ、それがうまいと言われるのか・・・・・  

今回、そこの部分が、これまでの鑑賞と相まって、名作と言われる理由の傾向が見えてきました。

 

顔真卿展によって書への関心の扉が大きく開いたように思っていました。しかし、これまで見てきた書に関する記録を見ると、いろんなところで小さな小窓を開けていたようです。

いろいろな展覧会を通して、それに関する解説や、自分が感じたことが積み重なっています。「文字」は、墨の書だけでなく、個人の手紙や、かつては手書きでかかれていた報告書、明治に入って作られた美術品リスト、万博出品作品の記録、小説家の取材ノートなど、なにげなく見ていた手書きデータからも、様々な情報を受け取っていたということがわかります。

木々の葉に降った雨は、時間をずらしながら、葉っぱから一滴ずつ雫がたれて、水たまりになり、そこから流れだそうとしている。そんなイメージと重なりました。

本物を見ることに意味があるのか・・・・と思っていましたが、ふとしたことが、過去に見たものと、今が思いもかけず繋がる瞬間となって生きてくるのだと思いました。

 

 

以下、中国美術に関する鑑賞記録

 

東晋時代~唐:王羲之

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■唐・宋時代:顔真卿

 

 ⇒清朝皇帝 乾隆帝

引用:■うるしの彩り―漆黒と金銀が織りなす美の世界(自分用メモ)

■ガレも愛したー清朝皇帝のガラス:第3章 エミール・ガレと清朝

 

 


 

■漢~明:挿絵本 中国と日本

文字文化の中国の書物に挿絵が加わるようになり、それらの本が、日本に入ってきました。そのタイムラグやその後、日本ではどう受け入れられて発展したかについて

 

■「挿絵本」を「中国と日本」を「年代別」まとめ「時代背景」や「中国からの影響」を一覧に

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南方熊楠 中国本模写

■「和漢三才図」を写筆

引用:■南方熊楠:「南方熊楠」関連情報のかけらを整理(自分用覚書)

 

■和漢三才図絵

引用:■南方熊楠 100年早かった智の人(和漢三才図絵)

 

 

 

■ 明~清:中国絵画と日本

〇明~清:中国絵画

■中国絵画ってとっつきにくくないですか? 

中国絵画ってよくわかりません。ポイントは、日本の美術は、中国に学んでいた。それを知っているかどうかで、理解できるようになることを知る。 

 

日本の有名絵師もみんな中国に学んでいた! 天才と言われる人も、何かしら参考にしているものはあって、オリジナルというのはない・・・・

 

 


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〇明末清初 :中国絵画

 

世界で共通していると感じた歴史。歴史の流れの中で、自国の文化を否定し破壊するということがいろいろなところでおこる。しかし、それを守ろうとする他国の力が現れる。 

 

 

 

■国宝展でみた中国絵画

 

日本美術の昔の人は、なぜ中国の景色や、中国の人を描いていたのか・・・・ 中国の故事とか書かれてもわからない・・・・ と敬遠していました。 

また、雪舟空海など、この人たちは、日本人なのか中国人なのかよくわからない。中国にいたようだから、中国から来た人? 日本美術の歴史を知らないゆえの疑問でした。知ってしまったら、そんなことは当たり前になってしまいまいます。

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知らなかった時のことを忘れないために(笑)