■長谷川等伯:《松林図屏風》 感想① 2017年 の続きです。初めて見た印象は、あれ? イメージと違うでした。期待が大きかったせいか、ちょっと拍子抜け。ところでこの屏風が描かれたのは、海? なんだか山に見えるのですが・・・ ということで探索がつづきます。(2017.2.3)
■追記しました ⇒ (2017.2.7) 当初「光」を感じなかったのはなぜ?
- ■見る前の印象
- ■「美の巨人たち」でとりあげられる
- ■ここはどこ?
- ■見る前に思っていたこと モネと似てる・・・
- ■日本人は、ぼんやりした風景が好き?
- ■最高峰って?
- ■実物とのご対面
- ■モデルとなった海岸はどこ?
- ■松林図屏風のモデルの場所は実在する?
- ■屏風を見るベストポジションはどこ?
- ■《松林図屏風》解説パネル
- ■《松林図屏風》下絵 習作説
- ■風景のモチーフはいろいろな説が
- ■参考サイト・文献
- ■関連
- 【追記】(2017.02.06) 当初「光」を感じなかったのはなぜ?
- 【追記】(2017.02.07)松林図屏風のモデルとなった松林
■見る前の印象
東博で毎年、同じ作品が展示されていることを知ったのはこちらの記事でした。
⇒お正月の楽しみ② 2015/12/31
⇒私の絵の見方 (3) いよいよ入館! 2016-02-09
上記では、美術を鑑賞するうえで、自分の心に逆らわず感じるままに。いいと思わなかったり、よくわからないのに、一般的な評価を、自分の言葉のようには語りたくない。と言われていて、私が絵のを見る時にも、思っていたことと同じでした。
そして、その時、全く知らない、知識もない「長谷川等伯」だったので、実際に見るにあたっては、そのまま予備知識を入れず、何を感じるのかということを、まず確認しようと思いました。
■「美の巨人たち」でとりあげられる
すると、その後、(2016 6月)「美の巨人たちで」長谷川等伯が狩野永徳とともに取り上げられました。
また、以前は、 KIRIN~美の巨人たち~ (← こちらは2010年OA)
■ここはどこ?
〇描いた海岸が実在するのか?
〇描いたのは山間部ではないか?
〇心象風景ではないか?
〇地域特有の空気がある
〇実物を見て感じることは?
■見る前に思っていたこと モネと似てる・・・
この屏風を初めて見た時に思い浮かべたのは、モネ展で見てきた《霧のヴェトゥイユ》であり《国会議事堂》でした。霧がかかったロンドンをモネは、いくつも描写していて、「ロンドンの街は霧というマントをまとってこそ、美しさを完成させる」と語っていたそうです。霧を通して見るロンドン。それと同じような目線で、等伯は霧がかかる松林を見ながら、「霧にかすむ松」見えるようで見えない、見えないようで見える松を表現しようとしたのではないかと思いました。(等伯の方がモネより前ですが)
《霧のベトゥイユ》 Houses of Parliament, Fog Effect
その他にも、
《霧のウォータール橋》 《チャーリングクロス橋》
霧の立ち込めた中で描かれる橋や、 さらには、光の中に浮かびあがる、
▼ルーアン大聖堂
ポーラ美術館にて撮影(撮影、掲載許可)
一昨年に行わた「マルモッタン美術館 モネ展」 そこで見て、心惹かれると思ったのは、こうした霧の中に浮かぶ絵でした。ぼんやりとしたはっきりしない絵。霧で覆われた見えない状況を、いかにして描き上げるのか・・・というところに興味を感じました。
■日本人は、ぼんやりした風景が好き?
霧をどうやって描くのか・・・に興味を持ったのは、個人的な興味でしたが、ぼんやりとした霧の景色というのは、日本人のメンタリティーに相通じるものがあるようにも思いました。はっきりものを言わない。あいまいにぼかす。空気を読む・・・ そんな日本人にそなわった心が、「霧」の風景に心惹かれさせるのではないかと。モネという画家が人気があるのは、画風が日本人の心と合致するからではないかと感じてきました。
それと同様に、ぼんやりとした空気感の中に浮かぶ「松」 というあいまいな状態を日本人は好きなのだと感じました。「松竹梅」と古くから縁起物とされる「松」は日本人のアイコン的存在です。その松の姿がはきりせず、もやの中に押し込めながらも、湿潤な空気で覆われる。物事をはっきり明確に言及することを嫌い、言外に含ませる。そんなメンタリティーと合致して、年々、注目をあび、水墨画の最高峰と言われるようになったのでは・・・まだ、見てもいないのに、そんな想像をしていました。
■最高峰って?
一方で、作品のプロフィールでよく語られる、「〇〇の最高峰」という肩書。いったいそれは、誰が決めたのか? 何を持って最高峰と言われるのか? 長谷川等伯は、水墨画の最高峰と言われているらしいです。さらには日本画の最高峰という話もあるようです。そもそも、最高峰なのに、私は名前を知りませんでした。知名度でいえば、雪舟の方が上です。
モナリザは、美術のことをよく知らなくても知っています。横山大観もしかり・・・ でも、長谷川等伯という人物を知っているのはどれくらいなのでしょう? 今年こそ! と思いながら、見にきたのに、入り口で「曽我等伯」と言ってしまうわけです(笑) 最高峰ってなんなのかよくわかりません。単に自分の勉強不足ということなのか・・・・
最高峰は誰がきめるのか・・・・? それは私・・って(笑) だから、実際に見てから判断しようと思うのでした。専門家から見たら、これが、最高峰。それに対して、自分も同じように感じるのかな? ちょっと違うんじゃない?・・・と思うのか。専門家の評価、世間の評価と感じ方が違ってもいいわけです。
■実物とのご対面
〇「湿潤さ」を感じられない
昨年6月に、「美の巨人たち」で長谷川等伯 《松林図屏風》が取り上げられた時に感じた「湿潤さ」・・・・ それがあまり感じられませんでした。テレビや画像で見た時には、「湿潤さ」を感じられたのに、実物を見たら、それを感じられなくなってしまった。不思議な現象です(笑)
〇「海」も感じられない
実物を見て、海という印象は全く感じられず、まぎれもなくこれは山の景色で、北陸特有の日本海側湿潤さを、なぜかこの屏風からは感じられなかったのでした。霧そのものは、水蒸気の塊なので、ウェッティーなものです。
〇霧の湿潤さはどこから?
たとえば、霧を画像検索すると⇒こんな感じ です。
これらの画像からはかなり湿潤さを感じさせられます。なのになぜ、この屏風から湿り気を感じないのでしょうか・・・・・と考えてみたところ、霧の立ち込め具合、霧の量が少ないからだとわかりました。霧の立ち込め具合が少ないと感じさせるのは、この画面を貫いている光なのでは? と思いました。
〇見えなかった「光」が見える
本物を見て、「海」も感じない「湿潤さ」も感じらない。そして「光」も感じられないと思っていました。ところが「霧」の水分をいうところに注目すると、ここに通る光が見えた気がしました。すると光が通っているため画面全体が明るいのです。それによって、霧の濃さを感じさせない。つまり、水分量を感じないということではないかと思われました。
〇「風」も感じない
そして、「美の巨人たち」の映像で見た七尾の海から、イメージされたこの屏風は、「風」を感じさせるのではないかと想像していました。実際にそのような感想もあるようです。しかし、実物を見て、私は風を感じてはいませんでした。
〇想像したものが見えない(笑)
屏風から、見る前に想像していた「風」も「湿り気」もあまり感じることができませんでした。これが、第一印象が、あれ? となった理由かもしれません。「光」についてはあとになって見えてきました。「霧」と霧の中をくぐり抜けてくる「光」 霧の水分で散乱する光(水分は多くない)と、その「霧」の中を「直進」して目に届く2種類の光があるように感じられたのでした。その光によって、あらかじめ想像していた「湿潤さ」がおさえられてしまったのかなと・・・
■モデルとなった海岸はどこ?
う~ん、やっぱり海岸の松ではないのではないかと私は思うのでした。
明らかに奥に行くほど高く描かれています
(平らな面をこのように描くのが、新しい描き方?)
■松林図屏風のモデルの場所は実在する?
観光協会に聞いてみました。
Q 《松林図屏風》のモデルの場所は観光スポットになっているのか?
とくに「ここ」というような観光スポットはないそうです。以前は、松並木がありましたが、今はなくなっていて一部は、住宅地になっているそう。
ちなみに、等伯生誕の地と言われていますが、その碑や生家などもないそう。地域の住民によってここが誕生の地と設定されていたりはしますが・・・・と。
Q 《松林図屏風》は海岸を描いているのか? 屏風は山のように見えるが・・・防風林だとしても、起伏があるものなのか。実際に見えた景色というより心象風景のようなものでは?
海岸から見ると昔は、山並みがあって、その先に立山が見えていた。あるいは、山の中腹から描いたかもしれないし、七尾城の上から見ても遠くに立山が見え、眼下に松の山並みが見えていたかもしれない。防風林というのも桃山時代にそういう考え方があったかどうか・・・・ 防風林は明治以降に作られているものが多い。あくまで個人的な見解になってしまうが、いろいろなところから見たものを組み合わせて描いているのでは? と思っている・・・
なんとなく、想像されたことが当たらずも遠からず・・・・ 現地に行ってみないとわからないこと。そして、現地に行ったとしても、わからないこと。当然、描かれた当時の姿とは違うわけですから、そこから、どれだけ想像力を働かせることができるか・・・・
■屏風を見るベストポジションはどこ?
この屏風を見るベストポジションはどこでしょうか?
▼左から? ▼右から
▼正面から?
いろいろなところから見ていたら、この展示室の外に出て眺めている親子連れがいることに気づきました。そうです! ベストポジションは、その作品を見る展示空間内だけでなくその展示室の外に出た場所に、存在することもある。御舟の《炎舞》を見た時や、地中美術館でモネを見た時に経験していました。
展示室からでてとなりの展示室に移動してみました。
写真では、屏風がはっきり映っていませんが、えも言われぬ雰囲気を醸し出しているのです。この距離で鑑賞していた方に、「作品との距離で、全く印象が変わりますよね」と話かけたら「この作品は、近くで見る作品ではないです。これくらの距離でみないと本当のよさはわかりません・・・・」と語られていました。
一緒に見ていたお子さん、お父さんからいろいろな作品の見方を、伝授され身につけいるのだろうと思うと、うらやましくなりました。
この作品は、つぎはぎされていて、ジョイントがおかしいという話があり、本当のところはよくわからないようです。ただ、この距離で見ると、大きなカーブの連続性に、不自然さがあることがはっきり見える気がします。こちらの扇が、ここにきたらすっきりおさまるということが、とてもよくわかる気がしました。
■《松林図屏風》解説パネル
最後に学芸員さんの解説です。自分が感じたこととどうでしょうか?
・墨の濃淡だけで、風と光の情景が生み出されている。
・画面に近づいて松の葉をみると、激しい筆勢に押され、後ずさりするほど。
・松の穂先を描く筆は、いくつも穂先を重ねたもの、竹の先を細かく砕いたもの、
藁を束ねたものを使ったと考えられているが明らかではない。
・繊細でながらも迷いない筆の進め方、一気に線を引いていることが見てとれる。
・離れてみると、松の幹はまるで能を舞うかのように風に揺られています。
・松林は四つほどの大きなグループに分かれる。
・木々の間を風が通り抜けるように配置。
・墨のグラデーションによって光の強弱をあらわし、霧に包まれた松林を生み出す。
・さまざまな工夫と技法によってあらわにされたこの松林。
・霧の晴れ間から柔らかな墨の色と相まって、風の流れや森の清清しい香りまで実感。
・松林という日本の伝統的なモティーフを、中国絵画から学んだ水墨表現で描く。
・日本の風土の豊かな形象をみごとにあらわしている。
初めて見る《松林図屏風》 初見の読み取り、結構、いい線いってたかも(笑) 松の表現が特徴的。この描き方は、何かオリジナルな技法がありそう。筆では表現できないと思ったとおり、稲穂や竹、藁が使われたらしい。
「雑」と感じられたのは、藁でぺたぺた、判を押したような表現、竹の先を細かく砕くいたもので描かれていたとしたら、繊細な筆で描かれた水墨画を見慣れた目には、「雑」と映ってしまうのかもしれません。
■《松林図屏風》下絵 習作説
この作品が、下絵や習作では・・・という話もあるようですが、映像や写真で見た時点では、そんなことないんじゃない? と思っていました。実際に見た時に感じた「雑さ」から、やっぱり、そういったことを言われるのはわかる・・・・と思いました。
ここに描かれた技法を知って、下絵、習作であってもおかしくないと思いました。いろいろなチャレンジを詰め込んで試していたということでは? それが、いつのまにか、本作となって扱われるようなった。竹、藁など自作の筆。そんな筆を使った作品が他にあったのでしょうか? いきなりそれを使って本チャンは描かない、どこかできっと試しているはず・・・・それが、この《松林図屏風》?
■風景のモチーフはいろいろな説が
〇【北國新聞】 松林図屏風の調査 画聖の創造の原点に光を より
ただこの傑作が、どこの風景をモチーフに描かれたかとなると、現在、七尾市の中心部に松が生い茂る林が残っていないこともあって、京都に上る道中の羽咋や根上の海岸風景や、琵琶湖のほとりではないかとの説がある。
北國総研が立ち上げた「能登畠山文化の源流をゆく」の調査団が現地調査する中で、等伯が生きた時代に七尾に立ち寄った京都・冷泉家の当主が「松が波のように揺れていた」との記述を残していることが市内の寺院で確認された。また明治初期に別の寺院に奉納された絵馬にも松林が描かれているように、七尾市中心部にも豊かな松林があったと推定される。
《松林図屏風》は、七尾だけでなく、京都に上る道中の「羽咋」や「根上の海岸風景」や、「琵琶湖のほとり」など、他の場所という説もいろいろあるようです。
■参考サイト・文献
ちょっと気になるものをストック あとで追々見てみようかと思います。
→印象評価を数値化する代表的な統計的手法を用いて、
松林図屏風の評価がされています。
事前情報がある場合、ない場合によって受け止め方がどう変化するか。
興味深いです。
〇余白の意味を探る「松林図屏風」長谷川等伯 | tamalog(和楽対談)
〇「余白」の理解を目的とした長谷川等伯「松林図屏風」の鑑賞教材化研究
工学部の方が書かれた論文で、全国の海岸の松の植生の状態、地域性や気候などをもとにした考察を見たのですが失念。一番興味深かった内容だったのですが、いずこへ・・・
■関連
■長谷川等伯:《松林図屏風》 感想② 2017年 描いたのは海岸? 山並み? ←ここ
【追記】(2017.02.06) 当初「光」を感じなかったのはなぜ?
絵の中で光はどこからあたっているか。それによってどこに影ができているか・・・西洋画においては、重要なポイント。
●ルノワール 《水差し》 ポーラ美術館(撮影・他の美術展掲載確認)
西洋の光源設定・・・光のあたった部分 影の部分
▼ボディに光 ▼縁に光
一方、日本画の光源設定は、「隈取」と言われ、西洋のようなルールにのっとった光源設定ではない。という話を菱田春草の《落葉》の解説で見たことがあります。(⇒ジュニアガイド P7)
《松林図屏風》については、光を意識的に見てはいなかったのですが、今、考えると「光がスポット的にあたっている部分がなかった」のと、「陰影も描かれていなかった」 つまり、「目にとまる光もなかった」し、「影もなかった」ということを無意識に体の感覚がとらえていて、「光」を感じられない・・・と受け止めていたのだと思いました。確か、照明の確認をしたと思うのですが、全体にぼんやり光をあてていたように思いました。「光」を感じるには「影」が必要。その影がないから、「光」の存在を感じなかったのかな・・・・と。
一方、霧の水蒸気という見えない部分(粒子)にイマジネーションを起こすと、そこを通る光が見えてくる? 「霧を描く」ということに対して、「霧」とは何か・・・という「自然科学」の現象として、一度とらえ直して考えるという思考癖があるのだと思った。「影が認識できないから光を感じなかった」というのも同様・・・・
【追記】(2017.02.07)松林図屏風のモデルとなった松林
第36回 石川県羽咋市・七尾市へ 長谷川等伯旅 | 旅の紹介 |
↑ タクシー運転手さんにより、松林図屏風に近い松林を教えてもらったとのこと
ここ数日の注目記事がいきなりトップに「長谷川等伯」の記事。展示が終わったのにどうしたんだろう? アクセス数もいつもの5倍ぐらい・・・・ どうしたんだろうと思ったら、日美で長谷川等伯がとりあげられていたようです。見損ねました。それにしてもすごい、日美効果・・・・ 松林図屏風のモデルの場所、当初調べた時には出てこなかった場所が、日美旅に出てきて知った次第・・・