たばこと塩の博物館で開催されている「江戸の園芸熱 -浮世絵に見る庶民の草花愛-」の展示から、一大ブームとなった朝顔にスポットをあてて紹介します。品種改良ここに極めり!と言えるほどの変化朝顔。浮世絵ではどのように描かれているでしょうか?
- ■浮世絵に登場する朝顔の鉢植と植木売り
- ■変幻自在する変化朝顔
- ■江戸時代、日本人はメンデルの法則を知っていた!?
- ■朝顔ブームがもたらしたもの
- ■変化朝顔を見よう
- ■歴史は繰り返され繋がり合っている
- ■関連サイト
- ■脚注
18世紀半ば、鉢の普及で園芸が庶民にまで広がると、ただ育てるだけではなく、様々な植物の品種改良が行われるようになりました。その中でも、朝顔は「変化朝顔」として特化した改良が行われました。
今回、展示されている作品の中から、朝顔が描かれている浮世絵に注目してみます。
■浮世絵に登場する朝顔の鉢植と植木売り
浮世絵の中に描かれる朝顔。芝居や舞台にも鉢植や植木売りの姿が見られます。役者とともに植物が浮世絵の題材となり、朝顔もよく登場します。市井や舞台の中で、朝顔はどのように描かれたのか探ってみます。
〇歯磨きする女性と朝顔
51 諸国名勝くらべ むらさきの一トもと 本所 上州板はな 渓斎英泉
歯磨きをしながら朝顔の花を眺める日常の光景が描かれています。日常生活の中にいかに園芸が深く根付き、朝顔が人々の心をとらえていたかが伝わってくる一枚です。
朝顔を拡大すると、おしべとめしべが花弁のようになった変化朝顔で、仕立てはおなじみの行灯作り(4本の支柱に二本の輪を通す)です。
作品名の「むらさきの一トもと(紫の一本)」(⇒*1)は地誌における地名で、このシリーズは本題に江戸各所の女性の風俗を描いています。コマ絵には日本各地の名所絵が描かれており、この絵では、上州板はなとなっています。
〇役者が花売りを演じ、団扇に役者の正体が
177 花江戸絵劇場彩 歌川国貞(三代目歌川豊国) 個人蔵
左の役者が、三代目坂東三津五郎で朝顔売りを演じています。
177 花江戸絵劇場彩 歌川国貞(三代目歌川豊国) 個人蔵(部分)
ちなみに右は、水売りをしている七代目市川団十郎。(先日、2020年5月に、11代市川海老蔵から13代目市川団十郎白猿襲名を発表しました。市川家は歌舞伎界の家元とも言われトップです。⇒*2
〇歌舞伎の背景として描かれた朝顔
188 八幡祭小望月賑 三代目歌川豊国 個人蔵(部分)
「八幡祭小望月賑」(⇒*3)は「与話情浮名横櫛」(⇒*4)をもとに書き換えた芝居。八代目市川団十郎の当たり役、与三郎を、弟の初代河原崎権十郎が演じました。
◆知っトク情報
「八幡祭小望月賑」を描いた浮世絵は複数存在しています。
前期:1/31〜2/17 後期:2/19〜3/10 で展示替えがあります。
[前期] No.188(図録より)
お富(右の女性)の背後の窓辺に描かれる植物は、朝顔と実をつけた万年青(オモト)
[後期 ]No.189(図録より)
お富の背後は、「ほや」(植物を守るための金網)をかぶせた植木鉢、波千鳥模様の水盤に入った石菖、赤い実をつけた万年青が描かれています。
以上のように同じ舞台を描いたものでも、背景の植物は違うものが描かれ、登場人物の描かれ方も違います。前期、後期で違うバージョンを比べてみるのも面白そうです。
〇移動する生業の職業がよく描かれた乗合船に植木売りの姿
181 隅田川浮世の鏡 一恵斎芳幾 個人蔵
乗合船を描く時、移動する生業の職業がよく描かれ、植木売りなども登場しました。中央に座っているのは、五代目坂東彦三郎が演じる「おもしろいうへ木や」。着物にも、尾花、女郎花、桔梗など秋の七草が描かれています。そして朝顔を手にしています。
〇朝顔売りを演じる役者
201 役者物売り 歌川豊国 個人蔵(部分)
人気役者を物売りに当て込んで描いています。左は三代目坂東三津五郎が朝顔売りに扮し、変化朝顔を植えた素焼きの鉢を手にしています。
朝顔は様々な形で、浮世絵の中に登場していました。江戸園芸で特異な発展を遂げた花として、菊とともに代表的な花で、舞台の中、役者の背景、手にする小道具など、様々な形で登場していることがわかります。
■変幻自在する変化朝顔
日本の朝顔の進化は、世界に類を見ない品種を生み出しました。幕末には約1200系統が作られたといわれており(⇒*5)、朝顔の流行は二回のピークがありました。
世界的に見ても、これほど形態が多種多様に変化した園芸植物は他にありません。ほとんどの変異は江戸時代に生まれたものです。
朝顔のブーム
●文化・文政期(1804-30)狂歌師を中心とした「連」が主体
朝顔図譜刊行が後押し
●嘉永・安政期(1848-60)
形、色、大きさなど、多種多様で、八重や、花弁が切れたものなどバラエティーに富みます。そうした朝顔は、図譜にまとめられ、下記のような本が刊行されました。
〇1817年 江戸で始めて出された朝顔図譜
53『あさがほ叢』四時庵形影著 文化十四年(1817年)平野恵氏蔵
著者:狂歌俳諧師四時庵形影著
序文:太田南畝(なんぽ)
上巻:185種 下巻 317種
内容:変化朝顔の作り方記載
〇1854年 嘉永・安政期のブームの朝顔図譜
54『三都一朝』田崎早雲絵図 嘉永七年 (1854年) 平野恵氏蔵
担い手:植木屋へ移る(←狂歌師や文人から)
刊 行:植木屋の成田屋留次郎蔵版
出 品:88点の変化朝顔
出品者:成田屋他41名
署 名:「三都」…出品者は江戸中心
写生図:田崎草雲は谷文晁に師事 本草学に通じる幕臣
〇1857年 3冊目の朝顔図譜
55 『 都鄙秋興』幸良粥誌 野村文紹図絵 安政四年(1857年) 平野恵氏蔵
刊 行:植木屋成田屋留次朗
点 数:122点の写生図
書 名:「都鄙」 行徳、宇都宮からの出品数増える
高岡、赤城も加わり、地域の拡大が見られる
写生図:野村文紹 谷文晁の弟子で文晁の伝記を残す
■江戸時代、日本人はメンデルの法則を知っていた!?
以上のような形の変化を起こさせる仕組みについて、江戸時代の人々は経験的にメンデルの法則を知っていたとも言われています。(⇒アサガオ - Wikipedia 品種改良)
メンデルの法則が発表されたのは1856年。江戸の朝顔ブームは、文化・文政期(1804-30)から始まり、嘉永・安政期(1848-60)にリバイバルがあります。つまり法則が発見される50年以上前から、遺伝という概念をつかんでいたと考えられ、朝顔に関する本も発行されていました。
〇朝顔の名前に遺伝情報が隠されている?!
江戸時代の朝顔の名前は「竜田葉紅柿絞風鈴組上車牡丹度咲」というように、漢字が並ぶ長い名前がついていました。これだと何がなんだかよくわかりません。しかし、この言葉を分解してみると、朝顔の特徴を並べた名称であることがわかります。
例えば・・・・ 上の朝顔の名前は、下記のような意味があります。
「竜田葉」:タツタという5枚に切れた葉
「紅柿」 :紅柿色の
「絞」 :絞り模様があり、
「風鈴組上車」:風鈴のような花弁が、上に飛び出し、
「牡丹度咲」 :牡丹先(八重咲)
つまり、朝顔の個々の性質を別々にとらえていて、その性質別に名前をつけていました。これは、遺伝情報を見抜いていて、名前でそれを表したと考えられます。
突然変異して現れた性質を、言葉にあてはめつつ、一つの花として結びつけていたと考えられることから、江戸時代の人は遺伝の法則を経験的に理解していた証拠ではないかと言われてきました。
参考:変化アサガオで見る遺伝の法則/江戸時代の人は遺伝の法則を知っていた?
〇実は日本人はメンデルの法則を知らなかった!
ところが、2003年、歴博のくらしの植物園だよりに次のような記載を見ました。
〇「朝顔の名前からわかること」
仁田坂 英二(九州大学大学院理学研究院生物科学部門 講師)
【概要】
1865 年 メンデルが遺伝の法則を発表しましたが、世間に広まるまでには時間がかかり、1900 年以降に知られるようになりました。そのため、江戸時代の人々は「メンデルよりも先に遺伝の法則を知っていた」という記述がみられます。
しかし、そんな法則性があることなど、日本人は知らなかったとのこと。メンデルの法則どころか、受粉の仕組みも知らなかったというのです。
ただ、朝顔の特徴を見抜いて言葉に当てはめていたことは、その仕組みや理屈を理解していなくても、感覚的にメンデルの法則を捉えていたことになります。これは鋭い観察によってもたされたと言えます。
また、このように分けて考えるという背景には、「陰陽五行説」があったのでは?と。すべての事物は基本単位の組み合わせで説明することができるという考え方です。朝顔の観察によって、基本単位となる性質をとらえることができたのでしょう。
鋭い観察は、理論にまで到達することができなくても、概要をイメージとしてとらえることができたという例です。
■朝顔ブームがもたらしたもの
鈴木其一の有名な《朝顔図屏風》です。一双の屏風全面に散りばめられた朝顔。「青々其一」という落款から1844(弘化元)年頃〜1858(安政5)年頃の作品と考えられています。
これは、丁度、第一次朝顔ブームと、次の朝顔ブームの端境期にあたります。
江戸時代後半、園芸ブームで多種多様な変化朝顔が世間に出てくるなかで「真打ち朝顔はこれだ」と、当時浮世絵などで流行していた真っ青なプルシアンブルーの色感を意識して描いたかもしれない。
引用: 鈴木其一《朝顔図屏風》メビウスの輪の飾り──「玉蟲敏子」:アート・アーカイブ探求|美術館・アート情報 artscape
花菖蒲や朝顔などの園芸ブームの影響で朝顔を題材にしたものと考えられるという解説もありました。朝顔の熱狂的なブームが、其一に、朝顔というテーマを与えたのだろうということは容易に想像されます。(⇒*6)
■変化朝顔を見よう
変化朝顔を毎年、恒例行事として展示をしている博物館があります。それが、佐倉市にある国立歴史民族博物館の暮らしの植物苑です。1999年から変化朝顔の展示を続けてきました。今でも夏になると変化朝顔を見ることができます。
花博のあった2004年に開催された「海をわたった華花」に訪れました。
〇変化朝顔の研究者
この時に行われた、朝顔の研究の第一人者、九州大学の仁田坂先生の講演会「平成のアサガオ・ブーム -現代の朝顔とあそぶ」にも参加しました。
そこで印象深かったのは、小学生の時の変化朝顔の研究ノートを拝見したことでした。
小学生で変化朝顔の原理を理解していることもすごいことですが、その観察力。江戸時代、日本人がもっていた資質が、このような形で引き継がれているのかもしれないと思わされました。
〇日本人にはなじみ深い朝顔
幼稚園で最初に描く花がチューリップ、小学校では朝顔。誰もが一鉢を育ててその成長を記録するという経験をしています。朝顔の観察日記を書いた思い出を共有している親しみやすい花です。
ふと思ったのは・・・・
江戸から明治になって教育改革が行われた時、まず一番に力を入れたのは、窮理(きゅうり)と言われていた物理でした。そして小学生に博物図を使って授業をしていました。科学がこれからの国家の繁栄にとって大切だと判断された背景には、博物図を通して様々な生き物を知って、興味を持ったものをじっくり観察するという意図があったのではないでしょうか?(⇒*7)
〇朝顔から広がる世界
こうした明治の教育改革で、科学的な基礎知識を身に着けつつ、対象物の観察眼を行う。それは、江戸時代の園芸熱がもたらした品種改良の技術が、日本人の細やかな観察によるところが大きかったという経験によるものだったのでは?と感じさせられました。
いつの頃から始まったのかわかりませんが、小学校に入ったら、朝顔を観察するということを通して、生き物を見つめ、その成長を身近に感じながら、変化を観察する目を養ってきたのかもしれません。
実家では、毎年朝顔を植えていました。それは、今でも、日よけとして毎年植えられています。そんな環境だったことが影響しているのかはわかりませんが、中学1年の自由研究が朝顔の開花でした。
そして、年を経て、其一の《朝顔図屏風》屏風にであったら、その絵を観察しています。花の向きや色、形、つぼみやツルなど、形や配置に何か法則性がないかと探っていました。(⇒*8)
誰もが経験した朝顔の観察が、研究に向かう人もいれば、絵画の鑑賞に生かされていたり、他にもなんらかの形で影響を与えられているのかもしれません。
小学校の時に浮かんだ疑問「なぜアサガオは朝さくのか?」をずっと追いかけて米国で発表した高校生もいるようです。
仁田坂先生をはじめとする朝顔の研究は、さらなる壮大な宇宙へと羽ばたいていました。宇宙で育てるという実験を子供たちとともに行い、次世代へ研究を引き継いでいこうというプロジェクトに育っていることを知りました。
ちなみに、なぜ小学1年で朝顔を育てるのかを、小学校の先生に聞いたお話もありました。
■歴史は繰り返され繋がり合っている
変化朝顔の歴史を見ると、一次ブームのあと、一度、納まり第2のブームがおきました。しかし、また廃れ、明治に第3のブームが・・・・ そして今、第4次ブームなのだそうです。
入り谷の朝顔市も、江戸時代からずっと続いているのかと思っていたら、江戸後期から始まり、一度は下火になり、今は、復活して60年なのだそう。
一度、なりを潜めてもまたリバイバルする背景には、それを支える人たちの熱い情熱があることがわかります。
また朝顔から、明治の教育などのつながりも垣間見えました。博物図は、パナソニック汐留ミュージアムの「子どものための建築と空間」でも展示されており、学校教育と建物という広がりも見えてきます。
#子どものための建築と空間展 に #千の技術博 で観た博物図がありテンション上がった。テーマは建築ですが、1章は明治の教育改革。寺小屋から「1:多」の教育へ変革した旧開智学校のモデルや図面が展示。明治教育で使われた教材など、新たな教育論や、科博教育の側面から多面的にみると楽しめます。 pic.twitter.com/kqMAHVEnj3
— コロコロ (@korokoro_art) January 14, 2019
誰もが親しみを感じる朝顔。江戸時代の浮世絵の朝顔を、子どもの頃、わくわく観察した純真な目で見つめ直してみると、新しい世界につながるかもしれません。
■関連サイト
〇朝顔の歴史 江戸っ子も熱狂させたその魅力をたどる | プリザーブドフラワーのはな物語
〇江戸期の園芸ブーム
特 集 ・イ ン グ リ ッ シ ュ ガ ー デ ン か ら 『ジ ャパ ニ ー ズ ガ ー デ ン』 へ 丸山宏
〇アサガオの園芸史 九州大学
〇 江戸時代に花開いた変化朝顔:江戸美学研究会
〇鈴木其一 江戸琳派の旗手:《朝顔図屏風》
〇鈴木其一 江戸琳派の旗手:《朝顔図屏風》朝顔の種類は何?(2回目の感想)
〇鈴木其一 江戸琳派の旗手:《朝顔図屏風》朝顔の向き・色・形の法則をさぐる
〇鈴木其一 江戸琳派の旗手:《朝顔図屏風》蔓のうねりの方向性と蕾の方向性 種の配置
〇■博物学への広がりの体験
■脚注
*1:「むらさきの一トもと」「紫の一本」(むらさきのひともと)
市川團十郎という「業」〜海老蔵も受け継ぐであろう”運命”(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(3/3) ⇒市川団十郎家系図
*3:「八幡祭小望月賑」(はちまん まつり よみやの にぎわい)
『与話情浮名横櫛』の派生作品。⇒本作の後日譚として、二代目河竹新七(黙阿弥)が四代目市川小團次のために書いたもの。江戸に出てきた源左衛門がお富に瓜ふたつの芸者・おりよに横恋慕したことから、越後の商人・新助が悲劇に巻きこまれる。明治から大正にかけて初代中村吉右衛門が新助を、昭和では六代目中村歌右衛門がおりよを、それぞれ当たり役とした。(wikiphedhiaより)
*4:「与話情浮名横櫛」(よわなさけうきなのよこぐし)
お富と与三郎の道ならぬ恋が露呈し、引き裂かれた二人が思いがけず対面する場面を描いています。この芝居は八代目市川団十郎の当たり役となりましたが、作者に内緒で改変したところ大うけとなったそう。・・・与話情浮名横櫛 - Wikipedia
186 与話情浮名横櫛 三代目歌川豊国 個人蔵
右の女性、お富の背後の花は、赤い実をつけた万年青、松葉蘭、桜が描かれています。万年青と桜の鉢は脚付きの染付。万年青の根元には大きな大粒の石が敷かれ、化粧石と考えられます。
*5:出典:wikipedhia 4.1品種改良の歴史
『私の花生活 特集:夏をたおやかに彩る-アサガオ』日本ヴォーグ社, 2012
変化朝顔のブームが、朝顔を題材にするきっかけにはなりましたが、其一の描いた朝顔は、変化朝顔とは違うものだったように思われます。この屏風の源となった朝顔はどんな種類だったのか、あれこれ想像を巡らせていました。
西洋朝顔のヘブリーブルー(⇒)だったのでは?という推測をしました。ところがこちらの葉は、朝顔の葉がサツマイモの葉だというので、どうやら違いそうです。
調べると「濡れ鳥」という品集だということがわかりました。そこで、いつか、朝顔の図譜の中で「濡れ鳥」をみつけ、実際の屏風の朝顔と比べてみたいと思っていました。朝顔の図譜の展示は、そのめぐりあわせがないかと興味深く拝見しました。
関連:
〇『鈴木其一 江戸琳派の旗手:《朝顔図屏風》.』コロコロさんの日記 [食べログ
〇『鈴木其一 江戸琳派の旗手:《朝顔図屏風》朝顔の種類は何?(2回目の感想)』
*7:明治の教育は科学から
国立科学博物館 明治150年記念 日本を変えた千の技術博より(2019.3.3まで)
授業で使われた博物図
国立科学博物館 明治150年記念 日本を変えた千の技術博より(2019.3.3まで)
花の向きと配置の規則性を観察
引用:『鈴木其一 江戸琳派の旗手:《朝顔図屏風》朝顔の向き・色・形の法則をさぐる 』コロコロさんの日記 [食べログ]
つるの向きの方向と構図の関係を見たり…
引用:『鈴木其一 江戸琳派の旗手:《朝顔図屏風》蔓のうねりの方向性と蕾の方向性 種の配置』コロコロさんの日記 [食べログ]