コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■ポーラ美術館:「飯沼珠実―建築の瞬間/momentary architecture」

ポーラ美術館にて「飯沼珠実―建築の瞬間/momentary architecture」展が行われており、過日、「アーティストトーク」が行われました。新進気鋭のアーティスの生の声を聞ける機会は貴重です。その様子を紹介します。

 *写真の撮影は、自由にできます。

 

 

ポーラ美術館では、「アトリウム ギャラリー」が新設されました。公益財団法人ポーラ美術振興財団が、若手アーティストに助成を行い、それを受けた現代美術作家の活動を、紹介する場にもなっています。

5月19日から、第4回目の展示「飯沼珠美ー建築の瞬間」展が行われ、7月16日まで開催されています。 

 

 

■アーティストトーク開催

開催初日に、ご本による「アーティストトーク」が行われました。

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左は飯沼珠美さん。右はこの企画を担当された学芸員、近藤蒔絵さんです。

 

 

 

〇リリース情報の写真は箱根の自然?

告知やリリースでお見掛けしていた飯沼珠美さんのお写真がこちら。

https://www.photojoiner.net/image/lIDzkgsS

反射してしまうため、斜めな写真ですみません。

 

タイトルが「建築」ですが、箱根開催ということで、開催地へのオマージュ、リスペクトの意味で箱根の自然写真を撮影したものを入れたのだと思っていました。あるいは、チラシや画面を制作する方が、イメージカットとして挿絵のように挿入したのだとばかり思っていました。

 

会場で同じ作品を目にし、これが、作品だったんだと理解した次第。

 

 

〇これが建物の写真?

この写真が建築の写真である意味が、トークで語られました。

箱根のあるホテルを撮影したい。ところが、そのホテルはなくなって建て替えられてしまったのだそう。でも撮影したい。どうしたらいいのか。を考えた結果、それがかつて建っていた場所を撮影することで、建物を撮影せずに、建物を写すという手法を考え出したのだそう。

 

 

〇霜柱は10年前にあったはず

霜柱を見ていたら・・・・ この霜柱は、今も10年前もその前もここに存在していたはず。それを通して今、見えない建物を撮ることができないか‥‥

 

次に、なぜこのホテルを取りたいのか? なぜ、人は箱根に足を運ぶのか? 箱根には何があるのか・・・・と考えていたら、そこに温泉があったからだというシンプルなことに気づいたのだといいます。

 

 

〇箱根といえば湯けむり

温泉といえば湯けむり。湯けむりから見える建築とは何か・・・・と考えて撮影したのがこの写真。光を通して湯けむりが写りました。

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映画の映写機の光が筋のように見えるのは、そこに存在するチリに光があたっているから。それと同じで、水蒸気に光があたる様子を撮影したのがこちらの写真です。(このとらえ方、光と霧の粒子の関係で、松林図屏風をとらえた自分の感覚と同じと思いました。⇒〇想像したものが見えない(笑)

 

湯煙や霜柱ななど、建物があったときにも存在していたものを通して、建築の写真を撮影しているのだと語られていました。目に見えているものが全てではない・・・・ (星の王子様ミュージアムが思い浮びます)

 

 

〇はかなく消える自然の構造体

一時的に発生して消える自然現象。建築の構造体も時の流れとともに消えていきます。その一方で、自然の構造体はまた現れます。建築が織りなす構造体と自然界がもっている構造体。そこに共通性を見出し、同列に並べて撮影をされているように感じました。

 

「建築」は自然とともに存在します。しかし、自然の中にも「建築」と同じような構造体があって、見え隠れしているというのは、新しい視点でした。

 

 

■発想はどこから?

見えない状態、建築物のない状態で建築の写真を撮影する。その発想は、どのように生まれるのでしょうか? いい機会なので伺ってみました。

 

よく音楽のアーティストや、お笑いの方など、神が舞い降りたという表現をされうます。飯沼珠美さんの場合は、いかがだったのでしょうか?

 

やはり舞い降りてきたそうです。なぜ舞い降りてくるのか‥‥ 「撮りたい、撮りたいという強い思い」が、瞬間的にひらめかせたのだそう。「建物がなくてもいい!」

 

 

■原点回帰

そして、最初の作品と今の作品を比べて、原点回帰ということを言われていました。

最初に撮影した写真はこちら。自分の部屋から見た外の景色だそうです。 

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 そして室内を見渡して制作した作品。

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今、原点回帰をして、またこのような作品を制作されています。

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 同じ「原点」に戻った作品でも今と昔の「原点」とは違うのでは?

その答えは、最初の原点は「内から外」へ向かって見た建物。今は回り回ってきて「外から内へ」向かって見る建物なのだそう。

 

 

アーティストの創作活動には、なにがしかの原点があり、その後の転機もあります。飯沼さんは、藝大に入学し、いつも通う通学路の上野公園の自然の中に見る、東京都美術館の表情が機嫌よさそうだったり、悪そうだったりしていることに気づきました。そうした建物の中に人が暮らしています。そしてその周りの森もまた建物にとっての家だと気づきました。

 

 

■「森」という家に暮らす建物と人間

そんな視点でとらえた作品もあります。

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 風景がいくつか重ねられていていますが、偶然に頼るのではなく、計算によって意図的に行われています。いくつかの森と光の競演。

 

 

■最後に 

「あれを見るとこれを思い出す」ということが自分の中にありました。そんな写真を見ていただいた方たちの中にも、同じように「あれを見たらこれを思いだすこともあるのではないかと思うので、いろいろ考えて見ていただけたら」とのことでした。

 (前出で、( )で補足した部分がお写真を見ながら、思っていたこと。確かに写真を見ながら、これはあれとつながるとか、あれ思い出すというのがありました)

 

■感想

アーティストトークが終わると、「建物」や「光」ということに意識的になっていました。ふと上を見上げたら・・・・ これまで何度も見てきたポーラ美術館の建物なのですが、こんな表情をしていたことに気づきました。これまで見たことのない顔をみせてくれました。(見ていなかっただけなのですが‥‥) 

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美術館に差し込む光、美術館から見える空、雲、チラ見えしてる木々の葉。こうして建物の天井をしげしげ見ていて見えてきたこと。作り手はいろいろなことを考えて作っていたんだな。その中にいる私たちは見ているようで見ていないし理解をしていない。

 

前回、訪れた時は、入口の扉に、彫り物があることに気づきました。

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今回は、日差しが強くなると冷却効果のため、天井のガラスに水が流れることを知りました。その水紋がとても美しいです。建物再発見!

https://www.photojoiner.net/image/aIoLKg2i

水が流れている様子が、よく見るとわかります。

 

 

建物にそそぐ光も、初夏の柔らかな日差しで、ベストな状態だったのではないでしょうか? この日のポーラ美術館は、すこぶるご機嫌良好でした。キラキラとした輝く横顔を見せてくれました。そんな建物の中にいる私もご機嫌でした。(笑)

 

 

建物も人も自然という家の中に囲まれていることを体験しました。

 

 

 

そして、その森、自然を守っている人たちがいることも、入口で目にしていました。

https://www.photojoiner.net/image/HgeYNXCq

真ん中で作業されている方たちは、下草のカットをしているのかと思っていたら、周りの草はカットされているますし、ちょっと様子が違います。外来種の侵入を防ぐため、細かに確認しながら、除去をされていたのでした。

 

以前、下草のカットはほとんどしなくてもよい状態に保たれてきたとお話を伺っていたので、こんなにきれいになっているのにまだ、作業をしているって? と思っていました。下草処理は年2回、外来種の除去はこまめに行わえているようです。

 

飯沼は建築を、無機質な物体ではなく、建築家をはじめその建設に携わった人々や、その内部や周囲を往来した人々の記憶が降り積もった、温度のある存在として考える。建造物の構造的な美しさに加えて、「建築」に漂う空気や記憶までをも表現した、洗練された写真作品を制作してきた。

 

建築は建てた人の思いがり、そこに訪れた人が持っている記憶とあいまって、温度を持った存在となる・・・ まさに、3月に訪れた時の光やその温度感。そして5月の日差しと、天井を流れる目に見える水によって感じさせられる建物の温度。

 

建物が持つ空気と、自分の記憶と建物の記憶が混ざり合った時間を体験することができました。