ポーラ美術館「エミール・ガレ 自然の蒐集」で展示されている作品の、個人的な「一押し作品」や「見どころポイント」を紹介します。じっくり見れば見るほど、深みがあって、新たな発見と出会える作品です。ガレの世界観を味わって下さい。
*撮影は可能ですが、撮影禁止作品があります。禁止作品は許可の上、撮影しております。コラージュ加工の了解も得ております。
- ■写真が撮影ができるうれしいはからい
- ■個人的な一押し作品
- ■ポイント:注目はカップの中!
- ■ポイント:光によって見え方が変化
- ■ポイント:同じ作品を比べてみる
- ■新たな作品との出会い
- 【付記】タツノオトシゴの海馬、脳の海馬の関係について
- ■関連
■写真が撮影ができるうれしいはからい
ポーラ美術館「エミール・ガレ 自然の蒐集」は、一部の作品を除き、写真撮影が可能です。しかも、一点撮りOK、ズーム写真もOK。ガレファンには、垂涎の対応です。
最近の、ポーラ美術館の企画展は、写真撮影が可能になっています。多くの方の目に触れる機会を増やし、作品のよさを知ってもらって、実物を見て欲しいという思いがあるようです。
*撮影禁止作品は許可の上、撮影しております。コラージュ加工の了解も得ております。
■個人的な一押し作品
《くらげ文大杯》1898-1900年サントリー美術館蔵(菊池コレクション)(c)TAKESHI FUJIMORI
サントリー美術館で見て、魅せられた作品です。一見、下記の中央の写真のように黒っぽい作品に見えるのですが、見る角度やライティングによって、実に様々な表情を見せてくれます。
以前、サントリー美術館で見た時の感想
光にかざすとブルーの海が見えてきます。プラチナ箔が挟まれているので、その煌きが海底に届く光の煌きを思わせると図録に解説。海藻やクラゲの足(?)が、まるで水流に流されているように渦巻いています。 ↓
足の部分は地球の瑠璃色を感じさせます。この部分は「パティネ」と言われる技法で、透明なガラスに化合物を加えて、錆色のように曇らせます。上部の杯の部分と違って透明度がありませんが、透き通る地球の青さと雲を感じます。クラゲのモチーフはアール・ヌーヴォーの好む曲線で、杯の表面を渦巻くように流れています。
■ポイント:注目はカップの中!
この作品のカップの中に、海藻があしらわれていることを『ガレのガレ』ーエミールガレの神髄ー(紫紅社)という本で知りました。
『ガレのガレ』ーエミールガレの神髄ー(紫紅社) より
ガレは、ガラス作品の内側も工夫していることを、西洋美術館の「北斎とジャポニスム HOKUSAIが西洋に与えた衝撃」でも、確認することができました。作品の内側に施された技に注目してみるのも面白いです。 ⇒〇ガレ作品のガラス内部の彩色
《くらげ文大杯》は、2016年にサントリー美術館で展示された時は、残念ながら、中まで確認することができませんでした。今回、ぜひともこの杯の中を見たい! というのが大きな目的の一つでした。光の加減によって瑠璃色になったり、オレンジの光を反射したり… 外も中も七変化です。
■ポイント:光によって見え方が変化
ガレの作品の面白さは、作品に当てる光や、作品の裏からの光にかざして見ると色が変化することです。下記のような乳白色の作品も、全体が不透明に見えても、光にかざすと、透明感のある色に変化します。一見、暗く見える作品なども、見方によって透き通るようなきれいな色が表れてハッとさせられます。そんな変化をいろいろな角度から眺める楽しみがあります。
ぐるりと一周すると表情が変わります
《蜉蝣文花器》サントリー美術館 1889-1900
光のかざし方で透明度が変化して、モチーフが浮びあがってきます。
見えていなかった彫刻された蜉蝣が、浮かび上がります (↓) 《蜉蝣文花器》サントリー美術館 1889-1900
花器《深海》飛騨高山美術館 1889-1903
付瓶《魚》 北澤美術館 1895-1900
下の作品に施されたグロテスクな生き物はタツノオトシゴです。左の写真はプロによる撮影。右は自ら撮影。ライティングをしていないと、ほとんど黒っぽく見えてしまいます。作品にあてる光で色も変化しますが、展示会場では、見る角度を変えたり、腰をおろして見上げたりすると七変化します。
(左)《花瓶「海馬」》1901-1903年 北澤美術館蔵 (右) 自ら撮影
この色は、図録によると(p160)海底の岩肌を思わせるとのこと。
■ポイント:同じ作品を比べてみる
ガレは、同じ作品をいくつか制作します。それぞれにどのように違うのか見比べるのも面白いです。「北澤美術館」と「個人蔵」の《花瓶「海馬」》を比べてみます。
《花瓶「海馬」》1901-1903年 北澤美術館蔵 《花瓶「海馬」》1900-1903年 個人蔵
▼北澤美術館蔵
↓ 裏のタツノオトシゴが透けて見えます
↑ 削ったあとが見えます
中央写真
▼個人蔵
花器の中の様子も、こちらの方が繊細? (↓↓)
↑ 底の部分の深みが違うような‥‥
図録によると(p160)器の色や形は、中国の酒器。犀角盃を想起させるとのこと。この形に似ている作品があったなぁ‥‥と思ったのがこちら。
《コバン草文水差》飛騨高山美術館 1905(ガレの没後)
《海馬》の下部の赤い部分は珊瑚だそうです。
しかし私には、これが血管に見えました。
同じような印象の作品を過去に見たことがあります。
脚付杯「ルバーブの萎れた葉」(1903年頃) 出典:北澤美術館_今月の読み物より
この作品も血管のように見えました。両者ともに、白血病で亡くなる晩年の作品です。白血病と血管。何か関連性を感じてしまうのでした。
■新たな作品との出会い
今回、素敵だなと思った新たな作品です。
《蜻蛉文脚付杯》1904年頃_ヤマザキマザック美術館蔵
本当に美しい‥‥ 瑠璃色の地球を思い浮かべます
トンボがいます(↑)青はトンボのヤゴが育つ水辺を表しているのでしょうか?
グラビュール(グラインダーでガラス表面を削り文様を浮彫にする)によるトンボの薄い羽根でしょうか?
空に向かって飛び立とうとしています こんなところにもトンボの姿が・・・・
杯の色は、トンボが生まれた水辺なのか、あるいは生を受けて生きた地球のようでもあります。命を全うして、天に飛び立つ空にも見えます。その先の、宇宙から見た地球にも見えます。生命が生まれた海、そして地球、さらに地球を作った宇宙へとイマジネーションは広がります。宇宙から見た美しい地球を感じさせられます。
「瑠璃色の地球」の曲が聞こえてきました。
沙也加ちゃんを宿した時に、レコーディングした曲だそうです。命の連続。そして歌も子へと引き継がれています。
歌詞がなぜかガレの作品と重なりました。
♪朝陽が水平線から 光の矢を放ち ‥‥
⇒この赤い光、水平線から登る朝日に見えてきました
♪二人を包んでゆくの 瑠璃色の地球 ・・・・
⇒2頭のトンボの姿・・・ 雄と雌でしょうか?
♪争って傷つけあったり 人は弱いものね
⇒ドレスフェス事件を思いださせます
♪ガラスの海の向こうには 広がりゆく銀河
⇒まるで銀河系の宇宙のようにも見えます
♪地球という名の船の 誰もが旅人
♪ひとつしかない私たちの星を守りたい
.
晩年親しい友人に送った、白いマーブル模様のトンボの杯。
この作品は色違い。地球そのものを表現しているように感じさせられます。このタイプもいくつか作られたらしいです。
【付記】タツノオトシゴの海馬、脳の海馬の関係について
〇海馬という名称について
タツノオトシゴの別名が「海馬」と言われています。「海馬」で思い出されるのは、脳の「海馬」です。ガレの制作意図の中に、脳の海馬が何か関連はあるのではないか? と想像していました。
博物学的な見地から作品を作り続けたガレ。常に思考を絶やさなかった人。そんな制作背景を反映し、「常に考え続けよ」という意味を込めたのかな? と想像していました。
〇海馬の機能は?
ところで海馬って脳の中ではどんな機能を司っていたんだっけ?と調べてみると、
記憶にかかわる領域のようです。
脳の海馬の形がタツノオトシゴの形態が似ていることから、タツノオトシゴを海馬と呼ぶようになったらしいです。
〇タツノオトシゴの発見と、脳の海馬の発見
両者はいつ頃、発見されたのでしょうか? 脳の海馬発見されたのは・・・・
ヒトの「海馬(hippocampus)」はちょうど小指ほどの大きさになる。ギリシャ神話に登場する海神ポセイドン(ネプチューン)がまたがる海馬(4頭立ての馬車を引く架空の動物)の尾に形が似ていることから、ルネサンス後期のイタリアで活躍したボロ-ニャ大学の解剖学者アランティオ(Arantio)が、1587年にこの脳部位を「海馬(Hippocampus)と名付けた(ギリシャ語でHippoは「馬」を、Kamposは「海獣」を意味している)。海馬は雄羊の角に似ていることから別名として「アンモン角(Ammon’s horn)」と呼ばれることもある(エジプト神アンモンは羊の角を持っている)。
脳の海馬の発見は、1587年。その名称は、タツノオトシゴが名前の由来なのではなく、ギリシア神話の海の神がまたがる4頭立ての馬車をひく架空の動物の尾に似ていることから命名されたとあります。
一方、タツノオトシゴが発見されたのはいつのことでしょうか? 海洋生物学が発展したのが、今回の展示によれば、1899年あたりからとのこと。タツノオトシゴは、そのころに発見されたのでしょうか? あるいは、その前から知られていたのか、調べてみたのですが、いつ頃、発見されたのかわかりませんでした。
〇タツノオトシゴを日本で「海馬」と命名されたのは?
タツノオトシゴを海馬という名前となった由来は何からなのでしょう? 日本で海馬と名付けた時、脳の海馬のことをどのように理解していたのかが気になります。
一方、タツノオトシゴは、英語では「ポットベリード・シーホース pot bellied seahorse 」 英語名をそのまま日本語にあてたとも考えられます。
タツノオトシゴは「竜の落とし子」で日本名。分類学上は Hippocampus 果たして脳の海馬と関係があるのか、ないのか‥‥
〇ドレフェス事件との関連
海馬との関係を「ドレフェス事件を常に考えること」という象徴的なメッセージが含まれているという解釈が近年フランスで提唱されているという記載を見ました。(もっと知りたいエミールガレ p70より)
その一方で、今回の図録によると(p161)脳の海馬は新しい記憶を一時的に保存するにすぎないということなので、矛盾するという指摘されています。そしてガレの意図はわからないとのこと。
ドレフェス事件:
1894年、アメリカ生まれのユダヤ人陸軍大尉、ドレフェスがドイツのスパイ容疑を受けたがのちにぬれ衣だったことが判明。ユダヤ人への偏見がもたらしたもので、ガレは「人間と市民の権利」にかかわり正義を貫く主張をした。
〇脳の海馬の機能の変化
「脳の海馬」と「タツノオトシゴの別名『海馬』」の関係が、今一つ定かではなく、海馬の機能についても、おそらくガレの時代と、今の最新の脳の機能の解明による働きは違うと考えられます。
◆海馬の基礎知識より
海馬が魅力的である二つ目の理由は、1950年代前半ごろから海馬がある種の記憶や学習に基本的な役割を演じていることが認知されるようになったからである。とりわけ、1957年に出されたScovilleとMilnerの報告は神経心理学に重要な一石を投じた。これはHMというイニシャルをもつ患者の報告である。おそらくHMは神経心理学の分野ではもっとも詳しく検査された人物である。彼はてんかんの治療の目的で両側の海馬を取り除く手術を受けたが、その後、新しい情報を長期記憶に留める能力が永遠に欠如してしまったのだ。この発見を機に、海馬は、記憶・学習の脳内メカニズムを理解しようという風潮から、神経解剖学、生理学、行動学などの分野で盛んに研究されるようになった。現在では海馬と記憶の関係は疑いのないものとなっている。
〇ガレ時代の海馬は?
1950年ぐらいから、海馬の記憶、学習メカニズムなど盛んに研究されるようになったととのこと。では、ガレの時代、海馬は、どのような働きをしていると考えられていたのでしょうか?
というように、「人体展」で見てきたことが、ガレの作品の理解にも影響をしているのを感じます。人の臓器の仕組みは、今と昔では飛躍的に変わってきています。ガレの作品を理解する上で、脳の海馬と結びつけて考える時、当時の知見と照らし合わせる必要があるなぁ‥‥と考えるようになりました。
一見、関係のなさそうに見える展覧会ですが、相互に作用して、見方に広がりを与えてくれています。博物学的なアプローチで作品を制作していたガレなので、自然科学の領域と結びつくのは、当然ともいえるのかもしれません。
(実はさかなクンのセミナーで、タツノオトシゴがいつ頃、発見されたのか、質問したかったのですが、お子様たちの質問に押されてしまいました (笑))
〇偶然の一致? 花瓶の中が神経細胞と神経線維模様‥‥
▼《花瓶「海馬」》(1900-1903年)
花器の内部が神経細胞と神経線維のよう‥‥
科博「人体」図録p71 右は左の拡大(1899年頃)
カハール作成臭球の組織標本
最新の(?)海馬トピックスと、海馬の名称の由来
〇教科書に海馬の記載がない!? という不思議
ところで昔の解剖の教科書を確認したのですが「海馬」という記載がない! どういうこと? 脳の側面図にも記載なし(正中線なのでずれてるから?) 目次にもない・・・
海馬旁回 という記載はあるのですが…
〇海馬に関する参考情報
↑ 新聞情報の記事は何を出典にしているのでしょうか?
〇当時の知見との齟齬について
今、わかっていることを、画家が描いた時代に照らし合わせて比較するのは矛盾が出てきてしまいます。時代に応じた検証は必要。ということが確かにあります。しかし若冲の絵を見ていると、時代の知見を超えた描写をしています。本人も1000年先を見て描いていると語っていました。
顕微鏡が日本に入ってきた時期が1859年、シーボルトが持ち込んだと言われています。若冲は1716~1800年に生きた人ですから、顕微鏡の世界は知りません。しかし、ミクロの目で見た植物の世界を描いていることから、観察力の鋭い人には、心眼で見えてしまう。るということもあると考えられます。
ガレが脳の機能を心眼で感じていたかどうかは別ですが、時代の検証だけで語れないこともあるのではないかとも思うのでした。