コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■北斎とジャポニスム HOKUSAIが西洋に与えた衝撃

インターネットミュージアムにて「北斎ジャポニスム」のエリアレポートが掲載されました。ご覧いただけましたら幸いです。 

  ⇒国立西洋美術館「北斎とジャポニスム HOKUSAIが西洋に与えた衝撃」

さらに詳細について、下記にレポートしております。

 

現在、静嘉堂文庫美術館で「あこがれの明清絵画」が開催されています。日本は中国をお手本に模写しました。その日本は、西洋に模写をされていたということが伝わってくる展示が「北斎ジャポニスム」です。西洋と東洋の模写の様子を比べながら、それぞれが模写に終わらせずにどのようなスタイルを築いていったかを比べてみるのも面白いのではないでしょうか?

 

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国立西洋美術館北斎ジャポニスムが、2017年10月21日から始まりました。それに先立って、プレス向けの内覧会に参加させていただきました。かなりの招待客に、受付開始前から大行列。高円宮妃久子さまも参加される大がかりなレセプションでした。

*写真は、主催者の許可を得て掲載しております。また他館の撮影画像についても、撮影可能期間に撮影したもので掲載許可をいただいております

 

 

■海外に与えた日本の影響

何か新しい趣味に出会って、そこから西洋を知ろうとすると、その裏には必ずといっていいくらい「日本の存在がある」ということを漠然と感じるようになりました。

絵画を見るようになってからも同様で、それはジャポニスムと呼ばれる一種の潮流であることがわかってきました。

 

ジャポニスムとは

「ジャポニム」ではなくて「ジャポニム」?

ジャポニズム」は英語、「ジャポニスム」はフランス語なんだそうです。フランスが中心になっておきた「日本を参考にして、新しい芸術を生み出そう」という気運のようなものなので、フランス語で「ジャポニスムと表現されるようです。

 

wiki pediaより

ヨーロッパで見られた日本趣味のこと。フランスを中心としたヨーロッパでの潮流であったため、ここではフランス語読みである「ジャポニスム」に表記を統一する。

19世紀中頃の万国博覧会国際博覧会)へ出品などをきっかけに、日本美術浮世絵琳派、工芸品など)が注目され、西洋作家たちに大きな影響を与えた。1870年には、フランス美術界においてジャポニスムの影響はすでに顕著であり[1]1876年には"japonisme"という単語がフランスの辞書に登場した[2]

 

 

■西洋は日本の何に注目したのでしょうか?

自分たちにはない美術表現が、日本の作品の中にあったと言います。たとえば、それはどんな部分だったのでしょうか? 

それをひもといてみると、われわれにとっては、ごく当たり前のことで、そんなことを、西洋の人は面白いとか、めずらしいとか、感心してしまうんだ・・・ と逆にこちらが驚かされてしまうという展示でもありました。

 

 

 

■描くシーンや対象の違い

たとえば・・・・展覧会がはじまる前にもよく目にしたドガの踊り子の絵と北斎漫画の力士。 

 

あるいは、ソファーにもたれる少女と布袋像

 

 これらの対比の図を、至るところで目にしていたのですが、どこを参考にして描いたのか、よくわかりませんでした。

 

〇自然な姿、後ろ姿は描かれなかった

ドガの踊り子の絵は、力士の何を参考にしたのかというと、自然な「後ろ姿」を描いていることが、斬新に映ったというのです。腰に腕をあてて立つという、日常のさりげない様子を描くという習慣が西洋にはなかったらしいです。そのことの方が驚かされてしまいます。

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エドガー・ドガ 《踊り子たち、ピンクと緑》1894年 吉野石膏株式会社(山形美術館寄託)周辺会場展示風景

 

 

〇行儀の悪さを肖像に

メアリー・カサットが描いたソファーに腰かける少女。本来ならブルジョアジーのお嬢様を、お行儀よく描くのが画家のお役目のはず。ところが布袋をクッションにして横になる布袋様のユニークな姿を見たら、こういう描き方もあるわけね。それいただき! 

モデルとして長時間座らされてむずがる少女のありのままの姿を描いてしまおう! ってカサットは思ったのでしょうか?

 

しかしながら、わが子のこのような姿を絵にすることを許したクライアントもあっぱれ。画家だけでなく北斎を見たパリの人たちもみな受け入れていたことが伺えます。
 

 

■自然とのかかわり方

〇花を描くなら静物

花を描くということに対しても、日本との考え方の違いがありました。

花を作品として描く対象とは考えられていませんでした。描くとしたらボタニカルアートのような学術的な絵か、あるいは、花瓶に切って盛った静物でした。

 

 

↑ ポーラ美術館にて撮影 

 

自然から切り離すことで朽ちる花、それは「死んだ自然」を意味しました。栄える花に対比させて「死を忘れるな」というキリスト教の教えによるものです。人の魂は滅びない。ということを示すために、滅びるものを描いたのだそうです。

 

 

〇土に植えられた花を描かない

そんなわけで土に植わっている状態の花を描くという習慣がありませんでした。

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左から葛飾北斎朝顔に蛙》1831-33(天保2-4)年頃 ミネアポリス美術館
   葛飾北斎《牡丹に蝶》1831-33(天保2-4)年頃 ミネアポリス美術館

 

▲ 上記のような地面に植えられ根を張った状態、自然の一部として描かれた絵が、とても斬新に映り、モネやゴッホの心を捕らえました。

 

▼地面から生える花

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左から クロード・モネ《黄色いアイリス》1914-17年頃 国立西洋美術館
    フィンセント・ファン・ゴッホ《ばら》1889年 国立西洋美術館 (松方コレクション)

 

 

モネが食堂に日本の浮世絵を飾っていたことは有名です。

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そして今年のお正月に、ポーラ美術館で見たゴッホの《草むら》

 

 ↑ ポーラ美術館にて撮影

 

 この作品の解説で、「地面に植わっている草を描いたことが特徴・・・・」と言われたのですが、なんでそんなことが特徴なのか、その時は、よくわかりませんでした。今回の展示と解説で、やっとその意味を理解することができました。

 

 

〇人が一番のヒエラルキー

西洋にはキリスト教に基づき、神が一番、その次が人間、神の創造物の中で人が一番で、動物や植物は低位なものという考えが浸透していました。

 

ところが、自然の美しさや生命を間近で見る日本の花鳥画美術が、西洋画の表現を変えていきます。

 「われわれ西洋の芸術の中では、ささやかな役割しか与えられない「獣」を、日本人がこれほど偏愛するということへの驚きである」

批評家 アリ・ルナン

 

ささやかな役割しか与えられない、動植物が低位なんて考えることに、われわれは驚いてしまいます! 

 

 

■影を描かないということも斬新

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ポール・ゴーガン《三匹の子犬のいる静物1888年 ニューヨーク近代美術館
正面に描かれた子犬。

 

この子犬の何が参考にされたかというと、影をつけていないということが、斬新だったようです。日本人はのちに、いかに西洋の影の表現を学ぶかに心血を注いだというのに・・・・

 

 

■構図の違い

西洋は遠近法に基づいて描かれるという伝統が昔から続いていました。ところが、手前に柳をカーテンのように描いてその奥を見えかくれさせたり、竹藪の向こうにうっすら富士山を描いたり、並木のように林立する木々の間から富士をのぞかせたり、一本の巨木を画面中央に貫いたり・・・・

 

 《冨嶽三十六景 東海道程ヶ谷》の情景をモネは《陽を浴びるポプラ並木》に生かしています。

 

一番驚いたのは、川を横から描くという手法がなかったということです。

 

従来の遠近法から脱却をはかりたいと思っていた西洋人にとって日本画平面的ながら、奥行きを表現するという手法が斬新に映ったのでした。

 

一方、日本は・・・というと、自分たちにはなかった西洋の遠近法表現の攻略に励み、開国後はいかにしてそれらの表現を獲得するか、光と影をいかに表現するかに翻弄しました。その結果、西洋があこがれを持って参考にしたものを無にしてしまったというのは実に皮肉なことです。

 

お互いがないものねだり状態・・・・ 自分たちの当たり前は、他国の当たり前ではないということがとてもよく理解ができます。

 

 

■ただの模写で終わらせない気概

西洋人は日本画のコンテンツをそのまま模倣するように描いただけだったのでしょうか・・・ その精神性も理解していたように思われますし、それらのアレンジ力もみせつけられました。独自の創意工夫として感じられたものを紹介します。

 

〇ガレ作品のガラス内部の彩色 

ガレの自然観が好きです。日本の影響も大きかったと言われています。しかし、今回展示されていた作品を見ると、ガレは日本画の幽玄な世界を、ガレが持つガラス技術によって、より高次元に昇華させていると感じました。それは・・・

 

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手前から:葛飾北斎北斎漫画』十三編 1849(嘉永2)年 浦上蒼穹堂
     エミール・ガレ 《双耳鉢:鯉》1878-90年 個人蔵

 

上記の作品は開口部が大きく、低めに展示がされていたので、中の様子を見ることができました。中がどうなっていたかというと、内側からも絵付けがされていたのです! 

内側からの絵付けというのは、ガレの一般的な技法なのかわかりませんが、それによって鯉の周りの水の表現に、より深みを与える効果をもたらしているように感じました。

ガラスの厚みを挟んだ、内と外、そして黒の濃淡によって、鯉の周りの水の表現が、墨絵のような濃淡に加え、ガラスの厚みを伴う深みになっていたのでした。

様々な技法によるガレのガラスの深みを見てきましたが、また新たな手法を目にしました。

 

他にもガレ作品が展示されています。

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エミール・ガレ《栓付瓶:蝙蝠・芥子》1889-92年 サントリー美術館

 

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エミール・ガレ《壺:ペリカンとドラゴン》1889年頃 サントリー美術館

 

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左からエルネスト・レヴェイエ《花器:菊》1888年頃 パリ装飾美術館
エミール・ガレ《ローズ・ウィルドの花器:シカモアカエデ》1903年 ナンシー派美術館
ドーム兄弟《花器:マロニエ》1908年頃 個人蔵

 

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エミール・ガレ《ランプ:朝顔》1904年頃 ヤマザキマザック美術館

 

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エミール・ガレ《パネル:枝垂海棠》1890-1900年頃 サントリー美術館(菊地コレクション)

 

寄木細工で作られた枝垂海棠

一つ一つ木の皮の表情が違って、それを利用して作成される寄木細工。自然と向き合い観察した結果によって生み出されるもの。日本の寄木細工の歴史は200年。ガレはそれを見る機会があったのか、あるいは独自で生み出したのか・・・ 自然とともに・・・という精神があったからこそ成し得た技法だと思われます。

 

 

〇動物とのかかわりを伝統的な構図の中に配置

動物画は博物的関心と狩猟への関心から描かれました。虫、鳥などの小動物は、宗教的な寓意、静物画の添え物でした。日本の自然全体をとらえる花鳥画とは、異なる自然観のもとに描かれていたのです。

 

ドガのこの絵が北斎と関係があると言われてもピンときませんでした。隣には馬の様々な状態の北斎漫画がありますが、この絵の馬はおとなしいです。

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エドガー・ドガ 《競馬場にて》1866-68年 オルセー美術館、パリ

 

競馬という競技は、人が馬をコントロールして競うという、西洋の思想に合致した題材で、まさに西洋というイメージの絵だと思いました。

が、当時のブルジョワにとって競馬は人気スポットで日常の場であったそう。日常の中に存在する動物として馬を描いた・・・・ しかし、漫画に見るような動きはありません。

よーく見ると中央の馬だけ暴れています。その馬は、馬の配列による遠近法の消失点だったのです。視点が集まる場所に配されていたのでした。西洋で培ってきた遠近表現を馬で表し、中央の消失点に馬独特の動きのある姿を持ってくる。これは日本人にはできない芸当で、西洋ならではの構図の中に、北斎表現が取り込まれていると思いました。

 

〇連作の構図

西洋に連作という作風はなかったそうです。そんな中で、アンリ・リヴィエールは、北斎の「冨嶽三十六景」に啓発されて、エッフェル塔をいろいろな角度から描きました。

もともと同一モチーフを繰り返して描く土壌のないところに、36パターンを描くというのは、さぞ大変なことだったのではないでしょうか? 至難の業と思われるのですが、その出来上がったパターンを見ると、そうきましたか‥‥とこちらが感心してしまうほどの構図に仕上がっていました。エッフェル塔を、建築している配管工そのものからとらえた構図は圧巻でした。

 

 

■まとめ 感想 

様々なジャンルで、日本の技術や文化が参考にされて取り入れられています。日本てすごい! ということを改めて感じさせられます。当たり前のことのように思っていたことが、特異なこととして評価され、取り入れられている様は、日本人として誇らしささえ感じさせられます。 

 

しかし、西洋は日本の北斎を単に模倣していたわけではないことが、これらの展示から見てとれます。エッセンスを抽出し、それを自分たちの文化、生活、芸術活動に載せて「ジャポニスム」という潮流を作りあげたのでした。

 

一方、日本人も西洋に学び、追いつけ追い越せの切磋琢磨を重ねて、独自のスタイルを生み出してきました。同じ道を歩いているということです。

 

新たな芸術活動に出会った時、隣の芝生は青く見え、その青に近づこうとします。その結果、自らの良さを見失ってしまうということも、同じように経験しています。学ぶべきことは、新たな出会いとともに、みずからのよさにも目を向け、見失ってはいけないということでした。あたり前のことは当たり前ではないということです。

 

 

■あらゆる方向へ影響を与えた北斎

北斎画は、工芸製品、食器、宝飾品にまで及びます。

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アレクシ・ファリーズ/アントワーヌ・タール《ブローチ:鶴と蛙》1869年 ポラク・コレクション

 

 

 

 

そして以前、こんな宝飾品を目にしていました。

出典:リーヴ デュ ジャポン - レーヴ ダユール - ハイジュエリー - Boucheron

 

見た瞬間、北斎の《神奈川沖浪裏》だとわかりました。

 

これは1910年(明治43年)ブシュロンが日本画風の風景をイメージして作成されたものです。ヴァンドーム広場の本店にアーカイブとして眠っているそうです。

 

ブシュロンといえば、1858年(幕末時代)に創業パリ グランサンク(*1)に所属するハイジュエラーです。そのブシュロンまでもが北斎をモチーフにティアラを制作し、アーカイブとして大切に保管されていることに驚きました。

 

(*1)グランサンク: パリのヴァンドーム広場を拠点とする店のなかでも、高級宝飾協会が認めた5大ジュエラー(パリ5大宝飾店)のこと。ヴァンクリーフ&アーペル ショーメ ブシュロン メレリオ・ディ・メレー モーブッサン

 

ジャポニスムの火は、開国当時だけのものではなくその後も引き継がれ、今も、そのモチーフが大切に記録として残されていることに感慨深いものがあります。《神奈川沖浪裏》をティアラに・・・・ という発想は、西洋ならではではないでしょうか? 

 

海に囲まれた日本。そこで培われたものは、デザインのみならず、あらゆるものに広がっていることも知りました。こうしたデザインの元となる宝庫であることに、意識的でないといけないのかもしれません。

 

 

【追記】2017.11.15 グランサンク、ティアラつながりのジャポニスム展示

展覧会について | 新しい私に出会う、三菱一号館美術館

三菱一号館美術館にて、「ショーメ展 パリのティアラ、ジュエリーの魅力(仮称)」が 2018年6月28日(木)〜 9月17日(月)に行われます。

 

ショーメはブシュロン同様、グランサンク(パリ五代宝飾店)の代表格、1780年に創立された老舗メゾン。ナポレオンⅠ世と皇妃ジョゼフィーヌ御用達のジュエラーとして発足しています。

 

ショーメ240年の伝統と歴史を追う展覧会。その中にジャポニスムの影響などについても展示されるそうです。北斎をモチーフに選んだブシュロン。ショーメはどのような日本のモチーフをデザインに反映したのか・・・という興味が湧いてきます。

 

宝飾品にあまり興味がなくても、このような接点がみつかると、いろいろな方向へひろがりを見せてくれます。

 

【追記】2017.11.15 波の表現と自然とのかかわり 海に囲まれた日本 泳法にも

北斎ジャポニスムを見たあと「世界!ニッポン行きたい人応援団SP “津軽弁”“日本泳法”愛す外国人ご招待 | テレビ東京」という番組をみました。

 

そこで日本古来より伝わる古式泳法が紹介されていました。

日本が水泳大国となった背景に日本泳法があると紹介されました。それは、海に囲まれた日本だからこそ生まれた。そして早く泳ぐ競泳が目的なのではなく、海や川、池などそれぞれの自然を味方につけて、状況に応じた泳ぎが生まれたと言います。

 

日本の多神教は自然とともにあると言いますが、戦闘時の泳法なども自然を味方につけ、それに逆らわずに体力を消耗させない泳法が引き継がれてきました。日本人の私たちが知らない泳法を、ポーランドの人が魅せられ身につけているということが、「北斎ジャポニスム」に通じるものを感じさせられました。

 

シンクロの小谷実夏子さんが、演技をしていて自然との一体感を感じさせられる時があると語っているのを見たことがありましたが水の中で体を動かすということは、自然とのかかわりであること。そうした環境が日本には古来から引き継がれていることが、波を表現する時にも西洋とは違う表現がされているのかもしれないと思いました。