根津美術館、泉屋博古館分館の両館で「燕子花」を見ることができます。似て非なる燕子花。オリジナルとそれを踏襲した大正時代、木島櫻谷の燕子花。比較してみるといろいろな発見があって面白いです。
■燕子花図
〇木島櫻谷も描いた燕子花
根津美術館のtwitterに泉屋博古館がツイートをしてるのを目にしており、その意味がよくわかりませんでしたが、入った瞬間、そういうことだったのか・・・と納得。
【今日14日から泉屋博古館分館で"木島櫻谷 四季連作屏風展"、根津美術館で"光琳と乾山"展】
— 櫻谷文庫 (@oukokubunko) 2018年4月14日
初夏のこの季節。いろいろな燕子花をお楽しみください。 pic.twitter.com/FXnnFKYAWd
ところで、ここに飾られた屏風は始めてみるものばかり。PATRT1の図録は、結構全体を通して見たつもりだったっけど、見逃してた? 気づかなかったのかなぁ…と思ったら、PART2の展示は掲載されていないのでした。
しかしフライヤーには掲載。全く記憶に残ってませんでした。
■似て非なる燕子花
〇絵葉書より
入った瞬間に目に飛び込む鮮やかな色。緑が蛍光色にも見えたのは、印刷物の記憶なのでしょうか、混同してしまったみたい。燕子花の花の白が目立ちます。花がバカがつくほど大きい。光琳の燕子花も実際より大きいと言われているますが、こちらはさらに大きいです。そして金地がとてもきれい。
〇構図の違い
「重心が下」とメモがあったのですが、これが何を意味しているのか、わからなくなっています。光琳の燕子花を見たあとだったため、構図が全て下に寄せられていることに初見で「へ~」と思っていたのでした。
ところが、ずっと閉館まで見続けてしまうと、もうこの構図がそういうものだと認識してしまい、そのように感じたことも忘れているのでした。「人の見る」という行為が、どう変化しているかがみえたと思いました。
上記の屏風を広げた状態ではわかりませんが、左隻上部から右隻の下部に向かって対角線に流れる構図に見えます。だけど、本来は右端から左に上に向かってその先へ広がりを感じさせているのか・・・
〇巨大な花 鮮やかな色
近づいてみると、花の大きさはさらに巨大化。目の前に迫ってくる感じ。キラキラしています。これは顔料のせいなのか、光琳より新しいからなのか、はたまたライティングの影響なのか・・・ と考えながら、顔料が違うような気がしました。そういえば、櫻谷、青の顔料、一杯、集めていたんだっけ‥‥
〇パターンで描かれている? 写実的?
光琳に私淑というか、明らかにあの《燕子花図屏風》がモチーフとなっていることが見てとれます。ということは、パターンで描かれているのかな? じっと探してみましたが、それらしいものはなさそうです。じっと見ていたら、櫻谷も、ちゃんと観察してるよな‥‥って当たり前か。あれだけ動物園に通ってスケッチし続けてた人でしたから。
蕾もいろいろ。蕾の様子を追ってみました。おっ、これ異時同図じゃない?!
固い蕾が段々ひらいていく様子がここに、盛り込まれています。カキツバタっていうのはこんな風に咲くんだよ。って解説してくれているみたい。
花びらの色の違い… 櫻谷の燕子花を見ていたら、表と裏を表していたことに気づきました。裏の部分の色を変えていたようです。葉っぱは、光琳が線のストロークで描かれている感じに対し、櫻谷は面で描いているような気がしました。
〇ヨリで見る環境
屏風を見ている人の様子を見ると、ほとんどの人が近寄って見てます。根津美術館では引いてみる人が多い気がしました。こんなに大きく燕子花を描いたら、どうなっているんだろう…って近寄りたくなるのは人の心情。そして、こちらの館は比較的狭いため、必然的に近寄って見たくなるのでしょう。
〇ソファに座ってみると‥‥
ソファーに腰をかけると、一旦、沈み込みます。その高さが絶妙。これまで見ていた風景がガラリと変わります。視線を落としたこの状態は、燕子花の中に埋もれ込む感じ。まさに座位の目線が作られます。ソファーの中央に座ると・・・・
〇構図の変化
最初初に立って見た位置が左隻側だったので、左上から右下に向かう流れを感じました。中央から見ると両方からの方向性を感じます。そういえば、《寒月》も同じガラスケースに展示されていました。この時も、左から先に見ていました。屏風は基本、右から見るらしいのですが、この館では、無意識に動線が、左に誘導されてしまうのでしょうか‥‥
↑
このあたりに不自然な明るい緑の直線が目に飛び込みました。
こうして見るとそれが、何かすぐにわかるのですが、近くによって見てると、大きな茂みの中にいる状態になります。この線が何を意味しているかわからないのです。なんなんだろう・・・と思ってその先に目をやると(目線の高さぐらいに位置していたという記憶)途中が茎で葉に隠れていたことがわかりました。その先に花が咲いていたのでした。この茎、妙に長すぎない? この屏風を目にした視線では。そう見えるのです。他の茎にも目をやると、燕子花ってこんなに茎が長いんだっけ? というものが多数。葉が浮いたような部分もあります。
↓ このあたり
■解説を見る
琳派が流行した大正期、古典を愛した住友春翠の審美眼にかない発注を受けました。光琳以来の燕子花図屏風の変奏として制作します。厄除けの剣にも似た葉、花の形態は類型化をしておらず、写生を基礎としている。とのこと
視線は花のまばらな「右」から、波のように上下して振幅。密集する「左手」へ。古典に寄り添いながら技術とバランス感覚で、曇りのない空間を作る。
視線の移動については、私は左から見てしまったので、斜め左上から落ち込むようにしておいて、最後、上向にしてその先へつなげようとしたわけね。ちょっと心憎い演出と思ったのですが、全く逆でした(笑) 素から密へ、ジグザグしながら上へ‥‥
ところが、真ん中のソファーに座わると、その両方を感じさせるのでした。
■厄除けの剣のようなとがった葉
そのキーワードで、葉の剣先に目が向かいます。
↑ このあたりの葉先に、厚い胡粉の盛り上がりを確認。
葉先の鋭さを強調して見せているようです。そして、光琳の葉と比べると、櫻谷の葉は塗ってある感じで「面」 光琳はスピード感があって、「線」で描いているように感じました。葉先を見ていると、何かデジャブ感が‥‥
■隠れた花と蕾
櫻谷と光琳の花の表現で、光琳になくて櫻谷にあるもの。それは意図的に葉陰に隠れた花や蕾や花の存在です。それが、一定のバランスで配されているように感じました。これって、構図が全体的に下に下がった重力を、浮かせるような効果があるのでは? 前出の浮いた葉っぱというのも、構図として下に下がった燕子花のまとまりを吊り上げてるような‥‥ これもまたまたデジャブ感‥‥
■其一の《朝顔図屏風》との共通性
花や蕾の配置、その向き。そして見えかくれする花や蕾。あるいは葉の剣先の向き。ここにある法則が見えた気がしました。それは其一の《朝顔図屏風》です。以前、朝顔や蕾の向きや、見えかくれする朝顔によって、浮力が生じていると感じたことがあります。
また、朝顔のツルによって、視線が誘導されたり、その向きが、全体の構図とバランスで成り立っていたり。櫻谷の燕子花、光琳を踏襲していますが、それを踏襲したと思われる其一の《朝顔図屏風》も踏襲しているのではないでしょうか‥‥ 似て非なるものの中の、共通点に感じられたのでした。(⇒『鈴木其一 江戸琳派の旗手:《朝顔図屏風》朝顔の向き・色・形の法則をさぐる 』)
▼朝顔の向きが空間と呼応する
▼隠れた朝顔は、全体を浮かす?
▼ラッパ型の朝顔の向きは、空間と呼応している
このラッパの向きは、櫻谷の燕子花では、蕾の向きが担ってる?
上記の《朝顔図屏風》は勝手に考察したものです。そういえば、光琳の燕子花が、つまらなく感じてしまったのは、《朝顔図屏風》ではこんな仕掛けを類推する楽しみをみつけてしまったからでした。
櫻谷の花や蕾も隠れている部分がある! というのは最初に感じたこと。光琳にはなくて、櫻谷にはあった部分。葉の影に隠れる状態を、構図の中に絶妙に配置しているのでは? と思ったのでした。(ポストカードからはそれが感じられなくなってしまいました)
そしてツルの向きも、構図の空間に呼応している(⇒『鈴木其一 江戸琳派の旗手:《朝顔図屏風》葉の向きと色のパターン』)のは、燕子花の剣先の向きがこれにあたるような‥‥
▼葉やツルの向き
上記のツルの動きや向き、そして櫻谷の燕子花のは左記の向きが、同じような法則にのっとって描かれているように感じたのでした。空白に向けた方向に向いている・・・
左隻の葉の向き
右隻の葉の向き
(↑↑)
しかし、この原則からすると、右隻の右端は、外に向かうはず。それは、左から見た視線。右から見ることを想定しているから、内側に向いていることに納得。
あれこれ、見てメモに控えて帰って図録で確認しよう‥‥と思っていたら、図録掲載はなし。ということだったので、絵はがきを記録用に購入。
他の屏風もいろいろおもしろかったので、4つの屏風の絵葉書、全部買うと、いいお値段になっちゃうなぁ‥‥ 《燕子花図》と《柳桜図》にしました。