コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■「落合陽一 、山紫水明∽事事無碍∽計算機自然」: 見えるまま、感じるままに・・・

「落合陽一 、山紫水明∽事事無碍∽計算機自然」を最初に見た印象は? 難解と言われる落合陽一のアート作品。予備知識を入れず、どこまで理解できるのか試してみました。(作品展が開催されているのを知るきっかけのブログをざっと見る程度の予備情報はあり)

*写真の撮影は自由です。

 

 

■これが作品? イメージと違うと思ったら導入展示だった

会場のEYE OF GYREへ訪れたのは、根津美術館で始まった「始めての古美術鑑賞」を見たあとでした。会場はキティ―ランドのとなりで、ファッションビルのようです。ところが、展覧会が開催されている様子がありません。案内もみあたりませんでした。

あたりを周回して、どうやら地下で展示されているらしいことがわかり、エスカレーターで下がってみると‥‥ 

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その前には、レンズようなものが据えられ、何が映るのかな? と思って見たのですが特に・・・・・

 

パネルにはつぎのように書かれていました。 

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今一つ、よくわかりませんでした。

 

そして上を見上げると‥

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昆虫のパネルが上に向かって掲げられています。ホログラムのようです。レンズの向こう側は、シースルーエレベータでした。

ははん… エレベーターの中からこのパネルを見るとなにかが起きる? そんなインスタレーションなのだと理解しました。

 

ところで、この展示には、茶室があるって聞いたような気がします。この展示のどこが茶室なのでしょう。それに、金属の球体のようなものもあったはず。それらしいものも見当たりません。何か、見逃しているのでしょうか‥‥

とりあえず、エレベーターに乗り込むと、会場は3階だということがわかりました。

ここは導入展示だったのです。虫のパネルは、エレベーター内で変化したかというと、しているようでもあり、していないようでもあり‥‥

 

 

■カエルのお出迎え 

MoMAのデザインストアが目に入り、そこに立ち寄ってから展示会場へ。入口はこんな感じになっているのですが、左手は視界に全く入っておらず、円形窓とカエルが目に飛び込んできました。 

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円形窓の右の台に置いてあるのが‥‥

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おそらく、「古池や蛙飛びこむ水の音」をイメージした展示なんだろう・・・・ と思いながらも、関心は、カエルのリアリティーとこの構造。粘性のある物質は何だろう? 液体が動いているけど、どうやって動かしているのだろうか。カエルの表面の皮膚感覚が、妙にリアル。

しかし、それは、「背中」と「脚」に限っていて、「側面」は物質感が出てしまっています。物質は木のようです。「ぬめり感」があるかないかで、カエルの皮膚感覚の見え方が全く違います。粘性の物質がまとわりついているかいないかで、カエルの質感が左右されていることに妙に感じ入っていました。側面の液体は流れ落ちてしまうのでしょうか‥‥ 

木でできていると思われるカエルですが、それをリアリティーあるカエルと認識するための「ぬめり感」 こんなところに自然と人工の行き来を感じていました。そして中へ‥‥

 

あとでもう一度見た時に、カエルの下に、回転しているモーターのようなものがあることに気づきました。それによって液体が盛り上がったりしながら移動しています。

https://www.photojoiner.net/image/db6oKFg0

2回目の時、それは磁石であることがわかりました。ということは、あの液体の中には、鉄成分が入っていて、それによって動いているのだと理解しました。ところが2度目は、液体が少なくて動いていなかったのです。機械の不調でしょうか? と思ったら、子供がカエルをさわりたくて、被せてあるケースを開けしまい、カエルをつかんだらしく、繋がっていたコードが断線してしまったのだそう。展示期間、何がおきるかわかりません。それによって見えるものも変化しています。

 

 

 

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入口は、狭くなっていて、これが茶室のにじり口をイメージさせているのだと理解しました。中も、茶室のように狭い空間なのだとばかり思っていたら、結構、広い空間で、いくつかの展示が同時に行われていました。

 

静けさに染み入るカエルが飛び込む音。侘び寂の世界。しかしこの目に見えるものから、侘び寂を感じられるかというと‥‥  しかし、次第になんとなく、それがわかってくるという不思議な世界が繰り広げられています。

 

 

■飛び込んできたのはモルフォ蝶 

まず最初に目に飛び込んできたのはモルフォ蝶でした。モルフォ蝶の色の再現をしているようです。ちょっとタイムリーです。モルフォ蝶の色について調べていたところだったから…

曜変天目茶碗の色は、色素でなく干渉による構造色モルフォ蝶の色と同じ仕組みということをつい最近知ったところ。モルフォ蝶の発色について調べていたところでした。

■世界一美しい「モルフォ蝶」の色を人工的に再現(基礎研究最前線)
■モルフォ蝶の鱗粉

 

もしかしたら、この展示を通して、曜変天目の発色の理解につながるかも! と微かな期待を抱きながら、本物と人工のモルフォ蝶に見入っていました。 

▼印刷              ▼本物

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左は印刷によって再現されたモルフォ蝶の発色。断続的に羽根が揺れ出します。右は本物です。やはり、印刷で本物に近づけても限界があるのでしょう。それを補っているのが「動き」なんだと理解しました。

構造色をより現実に近づけるための動き。「自然の色」と「技術によって自然色を再現した結果」の対比。限りなく(?)近づけたけども、それには限界がある。それを補うのは、生きた蝶の羽根の動き生命の運動によって、印刷の色が、自然の色に変化する。そんなことを示しているのかな? と思っていました。ところがちょっと違ってました。

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モルフォ蝶の干渉による構造色。自然の美を解像度を上げて見る

(技術は、実際に見る視覚の解像度を上回る映像を提供します。機械的に見る解像度。現在手術に使われるロボット、ダヴィンチの映像は、人が見ている解像度より鮮明な映像を見ながら、手術ができるといいます。どこかそれに似ていると思いました。印刷技術の解像度を上げていけば、本物より本物に見えてします)

モルフォ蝶の自然の色をいかに再現するか。構造色印刷を使って解像度を上げれていけばリアルな色を再現できます。

一方、本物ではあるけども、死んでしまったタンパクはもろく崩れやすくなり、動くことはありません。しかし、人工的に色を再現し近づけることによって得られたものは、生きているかのようなビジュアルとなり、動きを感じさせる。(⇒印刷で自然に近づけた蝶に、プログラミングの技術で生きているのと同じ動きも与えることもできる)

文明によって生み出された技術的な構造が(モルフォ蝶の構造色を再現)自然と人工を曖昧にしてしまう。人工物であるはずの印刷の蝶は限りなく自然に近づき、まるで生きているかのような動きまでもそなわってしまう。そんなことを表現しようとしたのだと理解をしました。

 

人工色に加えた動きのとらえ方が違いました。

 

人工での再現には、限界がある。それを補うための動きなのだと思ったのですが、人工色は自然の色と同化し、そして蝶の動きまでも生み出したということのようです。

 

「生と動」そこに生まれるパースフェクティブ。

 

◆パースフェクティブ

パース的に描かれた遠近法という意味だと理解していました。改めて調べてみると、インターネット上の有害・不適切な文章を機械学習により自動的に分類・判定するソフトウエアの名前でもあるそう。

 

 

■目玉のオンパレード

〇まつ毛が見える!

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こんな写真が展示されています。何だろう‥‥ 右上の四角の中にまつ毛が見えます。これ、双眼鏡などで見た視野に、自分のまつ毛が映る状態を表しているのだろうな。これは、目の写真だと理解しました。

 

ところで、この展示、こんな仰々しい展示になっています。

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このパネルは何を見せようとしていうのだろう。回りの支持体は何のために必要なんだろうか。写真の後ろにあるボックスは何? この目の写真を見せて、何かを伝えたいなら、こんなもの必要ありません。このボックスに何かしかけがあるはず。

目の真ん中になにやら穴が開いています。ここを覗くときっと何かが見えるしかけになっているんだわ‥‥ 覗いてみました。しかし、何も見えません。おかしい! そんなはずはない。このパネルを見せるだけなら、周囲の仰々しい構造は必要ないはず。

単に他の展示とのバランスをとるためなのでしょうか? この空間を実験室のような人工のイメージにするための環境づくり? なんとなくタイトルを横目で見ていました。

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〇あっ、カエルだ!

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奥のパネルがこちら。中央から覗いてみたらやっぱり、映像が見えました!

中の映像は、何か水面のような感じがして、これ、きっとカエルの視線なのだと って思いました。そうか‥‥ カエルが水中から見てる世界を表現しているんだと理解。  

ちょっと遠くに離れて見たら、まさにカエルの目。入口の展示のカエルのと連動しているのかな?

 

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蛙:海面と泡の波 
空気と水の中間生成物として生きる生物と工業 

 

と書いてあります。

 

〇これは何の目?

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これ、何の目だろう‥‥ いや、このパネルは目ではないのでは? 目と思わせておいて実は違うというオチ。目の周りにあるものが臼歯のように見えるのです。何かの歯のようです。これ、目に見えるけど、実は何かの口とか?

いったい何の写真なのでしょう? 解説が目に入りました。

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「鰐」なんて読むのかわかりません。魚扁にガク? 変温性? 変温性の魚っていたっけ? なんだろう。対比されているのが鮫(サメ)。結局、最後まで、この漢字を何て読むかわからず、ずっと、変温の魚って何かを考えていました。

(あとで、ワニと読むことがわかり、臼歯に見えたのは鱗だったのだと理解。そして、魚はこれまでずっと恒温動物だと思っていました。今更ながら変温動物だったことを知りました。ふと魚って温度変化したっけ? と思って調べたら変温動物の代表格でした)

 

ワニが古典的な日本の幻想って、どういうことなんだろう? ワニって昔から日本にいたっけ? あこがれとして珍重されていたってこと? 日本の美術にワニは素材として使われたんだっけ? 

鰐に対応する生き物が「鮫」。ワニと鮫の関係がわかりません。ワニは爬虫類、鮫は魚類。(で、いいよね。もしかしてほ乳類だったり? →魚類で正解)

そこにどういう関係性があるのでしょうか‥‥ 動物の進化による視覚の違いとかを込めているのかな?

 

 

最初に訪れた時、人の目の穴を覗いても何も見えませんでした。おかしいな…と思いながらも、人の視覚というのは、誰もが知っている。だからあえて見せていないんだと理解。カエル、ワニの視界との比較なんだと思っていたら、不調だったとのこと。

2回目に行ったら、ちゃんと見えました。しかしその映像が、タイトルのように「都市の波」なのか、身体運動を作り出す波と三人称としての構造の波」とは? と逆にわからなくなっていました。

映像が映っていないことによって理解し、映像が映ったことによって、わからなくなるという妙な状況が起こっていました。

展示というのも、一期一会。その時、その時の状況があって、どんなシチュエーションに遭遇するかによっても、受け止めるものが変化します。

 

 

【追記】(2018.06.05) 見て見られる関係

この作品の解説を見ると、見て見られての相互の視覚のようなものを表現しているらしいことがわかりました。

自分が見る。しかし、見ている対象からも見られている。これと同じ感覚を、若冲の池辺郡虫図を見た時に体験していました。この図の中で自分はどれか・・・・ 絵の中にいて絵の世界から見ている小さな虫。

『若冲展:⑤「池辺群虫図」 この絵の中で若冲はどれ? そして自分の姿はどれ? 』コロコロさんの日記 [食べログ]

向こう側の世界がある・・・・・ と同時に、向こう側からもこちらを見ている

カエルや鰐、人の目を、最初はこちら側の世界から見る。次の視界は、その目の中に入って、相手側の視界で見る。見て、見られている関係。ということには気づけませんでしたが、同じような体験を若冲の絵で経験したな…と。

 

■あの球体はベアリング!?

となりの部屋に行くと、今回の展示の肝かなと思われる作品が展示されていました。

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これを見てまず、思い浮かべたのが「ベアリング」 でした。

 

昨年、そごう美術館で行われた【没後500年記念】レオナルド・ダ・ヴィンチ展で見た、現代に使われている「ベアリング」の形状に相通じるものを思い浮かべていました。

 

左:現代のベアリング 右側の半欠けの形状と似てると・・・・
右:レオナルドが考えたベアリング

 

展示作品の写真を撮影しようと試みました。すると、どうしても自分の姿が映り込んでしまうのです。どこに位置どりしても、自分が映り込んでしまい、何か逃れられない感覚を抱いていました。否応なく自分と向き合わされてしまう感覚です。

 

どこか、写らない死角がないものかとあちこち移動してみるのですが、どこに移動しても、自分が自分を追いかけくるのです。その間、反対側で映し出されている映像が、その球体に反映しているようです。刻々と色が変化していきます。

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自分自身と向き合わされながら、刻々と変わる周囲の環境が目に入ってきます。その中にあっても、自分の存在だけは、動きません。

 

人がある環境の中に投げ込まれる。これは、ベアリングの機能がそこに生きていると思いました。ベアリングは、ものを動かすときに発生する摩擦を軽減するための部品です。多彩な機能を持っていますが、起動時の抵抗を小さくするのが大きな役割。つまり摩擦を抑えるというのが主たる機能です。

 

常に映し出されている自分の姿と、変化する外界の景色。それが球体の中に同時に映し出され、変化する環境によって生じる摩擦。それをすこしでも軽減しながら、私たちは生きています。それは「ベアリング」の起動時の抵抗を小さくする機能と同じです。摩擦を軽減する何かに、私たちはのかって暮らしているのかもしれません。

 

球体に映る自分変化する外界。それをどうやって折り合いをつけていくのか。それには、大昔、レオナルドが発見した「ベアリング」という技術を使って、解決の糸口をみつけさせようとした作品? 

レオナルドが発見したその部品は、今や、自動車などの機能を向上させる大切なものとして不可欠な存在です。しかしその原理は、人がいかに、変化する環境の中で摩擦を避けなけながら生き抜いていくかを考えるヒントをもたらしている。

 

そんなことを思いながらも、この球体に映る自己からのがれることはできないのか

自分自身の姿が映らないポジションを、まだ探しています。作品のサイドにスペースがあり、そこに場所を移動してみると‥‥ 遠くに見えるベアリングを拡大してとらえれたら、消えるかも・・・

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この作品を見ながら、そんなこんなことを考え、流されていた映像を見たり、作品解説パネルを見たりしていました。

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この展示の肝は、浮遊‥‥ それ、全く気付いていませんでした。この球体が、浮いていた! 最初に見た瞬間、これは「ベアリング」だと認識してしまったことで、「浮く」という見え方がブロックされてしまったのだと思いました。

 

あれこれ、考えていたわりに、全く違う方向の理解で、ノックダウンをくらった気分(笑)。これまでいくつかの現代アートを見てきたのですが、いつもこんな感じ。的外れの解釈をしていることが多いのです。作品の意図とは全く違うことに着目して、そこを広げて違うとらえ方で勝手な解釈をしています。でも、こんなとらえ方したっていいじゃない? 美術ってそれでいいんだって思うようになりました。

 

「見る」という行為の裏には、その人の経験や思考が反映されます。最近、感じていたことが、近い記憶で強い印象を受けたこととリンクされやすいようなのです。過去に見たものを含め、強く印象に残った何かとつながって、今、見ているものとの関係性をみいだそうとしています。

レオナルド展を見た時、あの時代にベアリングを発明していたということに、強い衝撃を受けていました。その仕組みが、今はこんな形になって、社会に役立っている。そんな記憶が強力に残されていていたようで、それが瞬間的に引き出されました。

私のものの見方はやはり、原理のようなところから入っていくということを改めて確認させられたようにも思いました。

 

作者の意図、はずしてた‥‥と思ってしまったので、解説は最後まで読まずに移動。でも、あとから見たら、後半部分でちょっと、かすっていたような気も‥‥

 

 

■外界の変化 外界は生き物?

振り向くと、奇妙ば形状の物体がクルクル回りながら、背景の映像が変化しています。背景の映像は何が写し出されているのか‥ 私の興味はそちらでした。何かの組織みたい。なんだろう‥‥ 生命感を感じさせられていました。ところが幾何学模様になったり、光が点滅したり‥‥

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そうなると、関心が向いていた背景から、その前にある物体へと興味が移り始めました。クルクル回る物体。右回り、左回りもあります。球体と同じように、ここにも背景の変化が投影されていました。しかし、球体に映る状態とは違って、その物体の形状によって、様々な状態に変化しています。

https://www.photojoiner.net/image/5woH9N0i

形によって、写し出される世界の変化。ゆがめられている世界でもあるのかなぁ… 私はなぜか、この奇妙な形の物体よりも、そこに移し込もうとする映像の世界が何であるかに興味を持ったのでした。落合さんは何をここに、投影しようとしているのか・・・ 

 

最初にこの映像を見た時、これは何かの組織なんだろうと思いました。それは、生き物との関係性を提示しようとしていると理解しました。自然と人工ということがこの展示の一連のテーマだと感じていたので。機械的、工業的なものと、自然を組み合わせ対比させる。

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これは生き物なのか? だとしたら何の生き物なのか‥・ そんなことを考えていました。が、次第に有機的なものではなく、無機的なものが投影され始めます。それにつれて、視線は物体に移っていったのでした。

 

目の前にあるいくつもの物体よりも、映像の方が気になってしまったため、ここでも、これらの物体が、浮遊していたことに、全く気づかなかったのでした。  

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■導入展示とつながる凹レンズ

奥の部屋に行くと、視界が開け、外の景色が目に入ります。その前にレンズらしきものがあります。そこを覗くと、窓越しの景色が逆さまに移っていました。

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この四角いものは凹レンズになっているんだ。 と思って横から眺めてみました。

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てっきり、凹面鏡のようなレンズなのかと思っていたら、まっすぐのフィルムのようでした。軽く湾曲はしていたようですが‥‥  想像していたものと違いました。このような形状でも凹面レンズの役割をするんだ‥‥と思って、どこのポイントで、画像が反転するのか逆転するポイントを突き止めようとしていました。レンズの近くから、次第に後ろに下がりながら、反転するポイントを探してみました。

 

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次第にレンズから離れて撮影した写真です。上から3番目がおそらく、画像が反転して映像を結ぶ点かと思われます。

よくわかってはいないのですが、反転するのは下図の焦点の部分なのではないかと。

 

 

 

 

 

 

レンズを通る光 ■わかりやすい高校物理の部屋■より

 

そして一番下の映像、この色のニュアンス、どこかで見たぞ‥‥と思ったらこれです。

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右側の写真と同じです。

 

この写真は、2度目に訪れた時の状況で、時間帯は19時頃だったでしょうか?

 

 

はじめて訪れた時は昼間でした。こんな様子でした。

https://www.photojoiner.net/image/bp1zJXwg

3番目が焦点を捉えた状態だと思われます。

 

「見る」というのは、網膜に投影すること。しかし日常では、そんなこと意識してはいません。この展示は、光によって映像はどのように結ばれているのかを、感覚的にとらえるためのインスタレーション「見る」というということに対して意識的になって、捉えなおしてみようという作品なのだと理解しました。

 

ところが、これまた、違ったみたい。f:id:korokoroblog:20180601200145p:plain

 

風景を見るということは、網膜に光を結像させること。というあたりはあってたみたいですが、運動を持たせるということがこの作品の要。 最初見た時に、ゆれというものは全く感じていませんでした。揺れによって写し出された景色の歪みも、それは凹レンズによる歪みと理解していました。

 

2回目に訪れた時は、振動が与えられていることを知ってしまって見ているので、確かにレンズは揺れていることが目にとまりました。となるとこの揺れは何によってもたらされているのでしょうか? 機械的に与えているのか、空気の流れによる揺れなのか。あるいは、外の人や車の往来がビルに与えている自然振動なのか‥‥

じっと見ていて、これは機械的な振動ではないのでは? と思いました。おそらく、ビル自体の振動ではないかと。建物には、普段は感じることのない小さな振動があるのだと思います。

それをちょうど生活の中で、感じていたところでした。テーブルに置いたエビアンの透明のペットボトル。そのボトルの水が、どこからきているのかわからない小さな振動でゆれていたのです。そしてそこに窓から光が入って、きれいな文様を作っていました。それを見ながら家ってゆれていたんだ‥‥ということを認識させられたのでした。ビルも、普段、体には感じない固有の振動があるんだろうな。それがあのレンズをゆらしているのだろうと。

 

そして「見る」ということは、網膜に映像を結ぶこと。というのは、もう一つの展示からも伝わってきたことでした。たまたまイレギュラーな状態に遭遇しました。

 

 

■画像はどこに結ばれる?

入口に展示された 「Colloidal Display」という作品

https://www.photojoiner.net/image/y5KRmDDx

輪の中に何か映像が写し出されています。ここに映像が映るということは、この輪にスクリーン替わりになるものがあるということ。それはなんなんだろう…と見ていたら、この輪っかは黒い容器の中に入って持ち上がりました。引き上げられた輪には、界面活性剤のような膜ができていました。スクリーンの正体みつけ! コロイドディスプレーってそういうことだったのか‥‥と思いながら、その裏に回りました。

 

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するとこちらの輪には、映像が映し出されていません。あれ? どうしたのでしょう。モルフォ蝶は木に投影されています。本来、写し出されると思われるところに映し出されていないのです。

つまりこれは、「見る」「見える」ということは、どういうことなのかを示唆しているのだと思いました。見るとは、網膜に結像することによって物を認識しています。そうした視覚の仕組みを感じさせる作品なのだと。

結像した映像をどこに投影するか。ここにあるだろうと思っていても、そこには写らず、別の場所に蝶が見えている。

よく見ると、輪の中に界面活性剤のスクリーンが貼られていません。ここに見えるはずなのに見えないのは、スクリーンとなるものがないからです。見えるはずのものが見えないという逆の視覚体験をさせて、人が見ているものは、目の前にあるものではなく、網膜に映ったものを見ているのだということを感じ取らせる作品なのだと理解しました。

 

ところが‥‥ 

 

これ、不調で本来、輪の中に投影されるはずの映像が、今は投影されていない状態だったことがわかりました。膜が貼られていないのはそのせいだったようです。

 

機械の不調ですらも、意図的に組み込んだものだと思わせてしまう。時々、美術作品を見ていて、自分で考えていることが、こじつけだと思うことがあります。イレギュラーな状態でも、そこに意味を見いだせてもしまうのです。

 

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■鯖と認識したら鯖にしか見えなくなる 

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 これを見た時に、頭に浮かんだ作品がこれ。

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ポーラ美術館にて撮影(撮影・掲載OK)

 

エミールガレの作品。トンボが生まれた水中でもあり、そこから大空に飛び立った空でもあり、宇宙も表現したと考えられる作品です。

 

このパネルも、下部は水中、深海(?)を表していて、上に行くにしたがって、境界なく空に向かい、そして宇宙空間を感じさせられます。水中から上を見たところで、空を仰ぎその先の宇宙にまで思いを馳せさせる作品。

 

作品の中の黄色い点が気になりました。f:id:korokoroblog:20180602030416p:plain

 

それを中心にいろいろな角度から、撮影してみました。

https://www.photojoiner.net/image/UMYnmU3t

黄色い点の周囲の色が、見る角度によってこんなにも違うのです。どこからどんな光があたっているのでしょうか? この色を乗せている材質はなんでしょうか? おそらく和紙ではないかと思われます。

 

こんな様々な色を発色する光源はどんな光なのでしょうか? 

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こちらの光ともう一つ、サイドから当てられていました。

 

 

最近、アートはマテリアルだという言葉に妙に反応します。 これもまさに、マテリアルのなせる技だと思われます。和紙という特質がこのような反射をもたらして、様々な色を認識させてくれます。これもまた網膜に映っている現象なのです。

 

そして、いろいろな角度から見ていたある瞬間、鯖だ!

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これ、鯖の背中の色じゃない!

 

と思って解説を見ると・・・・自分の理解を( )で

 

光の波、水の波、海の青、空の青。⇒(それ、感じた‥‥)
日光のレイリー散乱と海の散乱による青。
 ⇒(レイリー散乱、知らなかったけど、これのこと。マークロスコ―でも感じた)

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wikiphedhiaより


海中から空を見あげる、そのとき、視覚的なあらゆる波は結合する。
 (波という捉え方はしてなかったけど、水中から宇宙はつながっているという感覚をガレの作品を見た時に感じていたのと同じことを感じた)


鯖。青魚の保護色は波と波の境界面に見える、視覚的擬態であり、
 (やっぱり、これ、鯖だったんだ‥‥ この色って波と波の境界面と同じだったのか。
擬態ー変容ーメタモルフォースーメタモルフォーシス ジョルジュブラックを見て、擬態について考えていたところだったのでタイムリー。そう言えば、エミールガレが何を描いたか。それは自然の摂理。そこには擬態表現もあるはず。そんなことを思っていたことも思いだした。)

 

海と太陽を自然界が光学的に模倣したものだ。
 (海の中から外界を見る。それを人工的に作り出した)

その自然の寂びたプロセスを解像度の高い入力と出力を用いて描きだす。
 (技術的に解像度を上げると、自然に近づく)

墨の和紙の上に張られた銀箔のカンバスは、詫びと寂によって描き出された、日本の自然の人為的到達点の一つだ。ここに鯖の光学的擬態を描く。
 (何に、どのように描いたのかが、ここに書かれていました。銀箔の上に描かれる絵。抱一の夏秋草図屏風が思い浮かびます)

この解像感は今まで人類に到達できなかった美しさを標榜し、
 (技術による解像度の向上は、これまで見てきた自然の美しさ以上のものをもたらし)
人為と水棲生物、
二つの自然のプロセスの中に計算機によって超解像された自然を描き出す。

生物という計算プロセスによって、波の形を反射する空と海の点描 
 (人為的に作られた鯖の表面と、実際の海の生き物は、その裏に自然界の計算によって組み込まれている計算式があって、それを駆使したら、自然も人工も境界がなくなくなりより近づいていく。空と海は波の形を反射していて、それらの色は、点描によって表される。色は点の集まり?)

 

点で表された印刷による鯖の体

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最初は水の中から空を見上げた図と思って見ていたのですが、一度、これを鯖と認識してしまうと、鯖にしか見えなくなってしまいます。2度目に見た時、水中からの景色と思って見ようとしても、そうは見えなくなってしまっていました。 

 

 

 

 

■2度目に訪れてわかったこと

モルフォ蝶の裏、実は‥‥

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こんな模様なんです。

 

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スタッフさんとお話していてわかりました。了解を得て撮影させていただきました。

 

それで、表の展示の意味が理解できました。

https://www.photojoiner.net/image/j3ZqYyUE

上部に茶色い羽根の蝶、その下にモルフォ蝶のきれいな羽根が落ちています。当初は、同じ鱗粉でも構造色との違いを対比させた展示なのだと思っていました。

ところが同じモルフォ蝶の表と裏だったのです。左の写真は、羽根が一枚、欠落しています。それが下に落ちたやぶれた美しい羽根だったのでした。

 

そして、帰り、吹き抜けに展示されていたモルフォ蝶の裏を確認しました。https://www.photojoiner.net/image/gqiUsMgW

ちゃんと、表と裏で違う模様になっていました。

 

休む時には羽根を閉じます。その時に、目立たなくなるような色、模様を形成していたのでした。モルフォ蝶の裏は模様が違うというのは、思わぬサプライズでした。