コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■サントリー美術館が行っている教育普及事業「ティーチャーズ・デー」のレポートしました

美術館の仕事の一つに、教育普及事業というのがあります。子ども対象に行われることが多いですが、学校の先生を対象に行われるプログラムもあります。サントリー美術館で行われている「ティーチャーズ・デー」の取材をさせていただきレポートしました。

 以下、プログラムに実際に参加した感想を紹介します。

  

 

■わくわくわーくシートの体験

〇好きなカエルを描こう

現在、開催されている「河鍋暁斎 その手にえがけぬものなし」で配布されているわくわくわーくシートの中から、好きなカエルを描くというミッションが課題でした。時間は20分です。

 

 正直なことを言うと、絵を描くのは苦手、嫌いです。鑑賞するのは好きなのですが‥‥参加したプログラムは、実際に子どもたちが体験するシートの中から、描くミッションを行います。あまり、気乗りがしません。しかも、参加された先生のほとんどが美術教師です。

その中で絵を描くなんていやだなぁ‥‥

 

〇どのカエルを描くかを決める

カエルが描かれている絵のリストが配られ、そこから好きなカエルをみつけだし、描きます。このプログラムを受ける前に、内覧会ですでに見ていました。

 

↓ 内覧会のレポート

 

さらに、プログラムに参加する前の時間にも鑑賞しており、カエルの絵といったら、これ!と思うほど、印象深い絵がありました。今回の展示のテーマでもある「何でも描ける暁斎」それを顕著に表した一枚だと感じた絵でもあります。

 

 

〇描く作品は、曲芸のようなカエル

それは、大英博物館所蔵の《蛙の蛇退治》という作品です。

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《蛙の蛇退治》大英博物館 1879年  (図録より)

画面の中でカエルが縦横無尽に動き回り、ユニークなポーズをとっています。それだけなく、蛇を退治するというタイトルどおり、蛇が縄のように貼られてカエルとの構成が、思わず笑いを誘います。

画鬼、奇想のイメージが強い暁斎が、こんなユーモアセンスも兼ね備えていたのかと、新たな側面を、この絵から一番強く感じさせられていました。

 

曲芸のようなポーズをとる数々のカエルの中からどのカエルを選ぼうか・・・・ それもすぐに決まりました。

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左上の棒に右手右足でしがみつき、左足を横に伸ばして、イチョウの扇を持っているカエルと、蛇の中央から縄をたらし、さかさまになってぶらさっているカエルです。この発想があっぱれ‼

しかし、この2匹のカエル、私が描くにはとても難しいポーズです。それでも、このカエルを描きたいという気持ちの方が強かったので、簡単に描けそうなカエルにチェンジしようとは思いませんでした。

 

〇描いてみると楽しい

スケッチなんてやだなぁ…と思っていたことは、飛んでいました。描き始めると段々、楽しくなってくるのです。あんなに描くことが嫌いなのに‥… 会場には、鑑賞されている方もいらして、なんとなくチラ見をされている視線も感じるのですが、そんなこと気になりません。

 

 

〇描いてみて見えてきたこと

暁斎は、実際のカエルを相当数、スケッチしたのだろうなと思います。しかし、カエルがこのようなポーズをとることはあり得ません。ありえないポーズを、考え出すことができたのは、数多くの観察をしたたまもののはず。

見たものを描くだけでなく、擬人化した動き。手や足の角度、筋肉の付き方。多くを描くうちに、カエルの骨格や筋肉が、透けて見えていたのではないかと思うほど。カエルの骨や筋肉を動かしたら、本当に、こんなふうになりそうなリアルさ。

暁斎のイマジネーションの広がりに、うなってしまいます。そして蛇とカエルの絡み。暁斎の構成力の奥深さが伝わってきます。

 

見よう見まねで描いていると、墨の濃いところ、薄いところ、太いところ細いところ、これを鉛筆で表現するにはどうしたらいいのか。そんなことに悩みながら描いていました。

 

〇カエルのふきだしに言葉を入れる課題

この言葉も、すぐに決まりました。

バンジージャンプ‼」「俺、ポールダンスできるんだぜ」

カエルに語らせる言葉を考えて、暁斎の発想のぶっ飛び方に改めて驚かされました。ポールダンスのような、通常ならあり得ないようなバランスの姿勢を、考えだしてしまう創造力。暁斎の底に秘めた逆方向への振りきれ方に、得体のしれない力を感じたのでした。

 

〇描くことはうまい下手を超えた何かがある

美術は、昔から嫌いでした。うまく描けない・・・・ だから楽しくない。中学に入った時、1学期の美術が3 あとは5。唯一オール5のチャンスを阻んだのが美術でした。それ以来、美術が苦手という意識が埋め込まれてしまったようです。

今回も、最初は、スケッチを描かされるという、やらされる感からスタートしていました。

しかし、ぜひ、これを描きたい! と思えるものがある。すると、嫌いなスケッチも楽しむことができるということが体験ができました。「好き」「これがしたい」と能動的に向き合えるものに出会うことがいかに大切なのかを身をもって理解できた気がします。

 

 

■人の描いたものを見て

美術の先生が描く絵ですから、お上手なのは当たり前です。しかし上手い下手ではなくて、どういう視点で、そのカエルを選んだのかというお話にとても興味を持ちました。

私の中では、このカエルしかない・・・・ みたいに思っていたので、選ばれた作品を見て、そんなすみっこにいるようなカエルに目を向けるんんだ。と、それぞれが見ている世界の違いに面白さを感じました。

また、いつもでしたら、人が目をむけない作品や部分を取り上げて描こうという別の意思が働くのですが、今回は、そんな気持ちが入り込む余地もなく、これしかない。という状態でした。

カエルに何を語らせるかという課題も、それぞれの物のとらえ方や、感性のようなものが感じられて面白かったです。

 

 

■顕微鏡のスケッチを思いだす

学生時代の実習で、顕微鏡のスケッチをしたことを思い出しました。最初は義務感でいやいや描いていましたが、細胞とその機能がわかりだすと、面白くなってきました。

就職してから、検査をするためのトレーニングとして顕微鏡スケッチをした時のこと。描いたものを上司にチェックしてもらうのですが、細胞の顆粒を描く時に、ランダムに点を打ったのではだめ。顆粒の一つ一つを見て、それを、写し取りなさいと指導されました。

すると、よく観察するようになります。絵が苦手、嫌いと思っていたのですが、スケッチがそれなりに変化していきました。私でもこんなに描けるんだ・・・・と自画自賛するほど。

時を経て、若冲の鶏の鶏冠の斑点を見た時、顆粒を一つ一つ描き写したことと重なったのでした。若冲は1年かけてニワトリを観察したと聞き、よく見るという行為が、描く技術をその人なりに、向上させられるのかもしれない。

それからは、ちゃんと観る力をつけて描けば、私だってある程度、描けるようにはず。根拠のない自身を持てるようになったのでした。(と思ったのに、ボタニカルアート講座を受けた時は、実際に描く回だけ、拒絶して参加しないという矛盾もあるのですが‥‥)

 

■能動的に観察して描く

描くことが苦手、嫌いと思っていても、これを描きたいという能動的な気持ちを持てること。好きと思えるものと出会うこと。それによって、描くことは苦ではなくなり、楽しいものに変化するということを、このプログラムで気づかされました。