国宝《松林図屏風》 東博が所蔵している屏風が、京博の国宝展に2週間、出展されました。夏には東博では夏休みイベントとしてレプリカと映像が展示され、毎年行われている初もうで展では、来年の出品されません。とてもよくできたレプリカの記憶がまだのこっているうちに、本物とレプリカを比べてみたいとわざわざでかけてきました。
- ■混雑必至の《松林図屏風》を見る意味は?
- ■レプリカの再現はどの程度だったのか‥‥
- ■東博の展示との違い
- ■知ってしまって見ること
- ■違いといえば・・・・
- ■東博と京博の解説の違いは?
- ■「湿潤」とはどういう状態なのか‥‥
- ■閉館間際も減らない人
- ■名作誕生 つながる日本美術 の松林図屏風(2018.05.08)
- ■関連
■混雑必至の《松林図屏風》を見る意味は?
国宝展、開催前の予測では、若冲展を超えるかもしれないと言われていました。《松林図屏風》を東博と京博で見比べたいと言っても、混雑必至の芋洗い状態でこの屏風を見る意味があるのか・・・ この屏風の本来の姿は、静かに見ることだと思われます。
ところが、主たる目的は、東博、京博比較ではなく「レプリカとの違い」の確認の方に重きを置いていたので、遠目で全体を見れなかったとしても近くで見て、どれだけ精密に再現されているのか、確認ができればと思っていました。
東博でお正月に見た時の込み具合はこんな感じ・・・・
出典:松林図屏風 : おくのフォト道(2014年)
3期の国宝展では、上記のような感じの込み具合でした。想像していた込み具合よりはるかに良好な状態でした。2015年の琳派展は、とにかくすごかった。おしくらまんじゅう状態。それを覚悟していたので・・・・ あれを思ったら天国。たいていの美術展は、許容できる免疫がつきました。(若冲展も・・・)
■レプリカの再現はどの程度だったのか‥‥
記憶も朧気になりつつあるのですが、再現性はやはりかなり高かったと思われます。前日に、和久傳でご一緒になった方も、そのようい言われていたこともあって、どこがどう・・・と細部にわたって比較しようという気にならなくなっています。
自分のブログのレプリカの写真を、休憩場所で見て比較しようと思ったのですが、決定的な違いがあり、比較にはならないと思いました。
それは当てられている照明です。明るい! 明るすぎ! と感じるくらい明るいのです。夏休みこども企画で展示された《松林図屏風》 都合、5~6回、見たような気がします。その時の照明の明るさがどうも、目に焼き付いてしまっているようで、京博の展示が、とても明るく感じられました。
それぞれの展示で見せている明るさが違うので、それをどこがどう違うか‥‥と比較するのは、ナンセンスな気がしてしまい、同じ土俵で比較ができないと思いました。比較への興味が失せていたのです。
■東博の展示との違い
東博のお正月の展示の印象は、もう記憶からだいぶ失われつつあります。写真を見ながら、違いを比較してみるのですが、目につくのは、紙質の状況など、全体の印象ではなく、細部のディティールになってしまいます。同じ部分に、和紙の藁?のあとがあった! ちゃんと再現されてる‥‥と、思ったところで、そうだ、これ、本物だったんだ‥‥ どうも、レプリカを見ているモードのなっていたり。
■知ってしまって見ること
《松林図屏風》の細かなタッチなど、すでに知っています。『ニッポンの国宝100』にも、下記のような実物大の写真がありました。
例えば、初めて見る人が、予習のためにこの冊子を購入して見ていたとします。すると、この屏風の松の部分、実はこのように描かれているということを知ってしまうわけです。
遠くから人をかき分けて、すこしずつ近づいてみたら、こんな筆致だった! というサプライズはなくなってしまいます
それと同様に、今年のお正月にそれを確認しています。さらに夏の展示でレプリカですが、その筆致と同じかどうか、何度も何度も見てます。すると、この表現に対して新たな驚きとか、発見とかってそうはないのです。
勝手知りたる・・・状態で、はい、はい‥‥ という感じで見てるなぁ・・・って思っていました。
また、東博の夏休みの展示で映像とともに見てから見たとすると、映像の広がりとともにある種のストリーとともに、屏風を見てしまいそう‥‥ この周りの景色はこんな広がりがあって、四季の変化があって‥‥ そんなことを含めて見てしまう気もしました。
■違いといえば・・・・
当てられている光です。妙に明るいのです。しかし、それは当たり前のことなんです。その前に見ていたのが、暗い照明の中のレプリカだったわけですから‥‥
この屏風については、「湿潤さ」と「光」や「風」感じさせられると言われています。私は、その「湿潤さ」と「光」「風」について、そして、この景色がどのような場所なのか、自分なりに調べ、あれこれ考えて、考察を加えていました。
■長谷川等伯:《松林図屏風》 感想② 2017年 描いたのは海岸? 山並み?
さらに今年の夏(2017)にも何度も見ています
一枚の屏風を、ここまで掘り下げてしまうと、同じ年に再度見ても、もうこれ以上、何も出て来ない‥‥というのが正直な感想だったのでした(笑)
以前も国吉展で、国吉作品を穴が開くほど見て、同じ年の夏休み、直島に見にいきました。やはり何にも出てこないのです。
それと同じ状況だと思いました。せっかく、そのために行ったのに‥‥ 記事にしたくてもネタがない状態に陥っており、とうとう、国宝展最終日を迎えてしまったのでした。
《松林図屏風》を毎年、お正月に見る。ということを10年続けたら・・・・なんて大きな期待を寄せて、鑑賞がスタートしてたのですが、毎年見てたら、そんなに変化はしないかも‥‥ と思い始めています(笑) (という意味では、今年のお正月に展示がないのは良かったかも‥‥)
■東博と京博の解説の違いは?
〇東博の解説
《松林図屏風》の解説は、こんな感じです。
〇京博の解説
京博の学芸員さんは、この絵をどんな解釈されるのかしら? 興味はそちらに変わってきました。
『国宝展』図録より(p360)
濃い霧の中に見え隠れする松林が、画面の奥へそしt外へと続く空間の広がりと、湿り気を帯びた大気の確かな存在。さらにはその待機や松林を浮かびあがらせるかすかな光さえも感じさせる。
現実にはありえない険峻山水でもなく、隠遁者の住む人里離れた山奥でなく、日本の至るところで容易に見られるような親しみ深い風景を水墨という技法によって実感豊に描きだした展に、日本の水墨画の最高峰と称されるゆえんがある。
〇私はの理解は・・・
私はこの屏風を見て、湿潤さというのを感じていませんでした。その理由についていろいろ考えて、自分なりの捉え方で理解をしていました。
■「湿潤」とはどういう状態なのか‥‥
私の「湿潤」は霧が充満して、ほとんど見えないと感じるくらいの状態。それは、お正月に《松林図屏風》見た前日に、ポーラ美術館で、モネの下記のような絵を見ていたことが大きく影響されていたのだと思いました。しかもその日は、大雪に見舞われバスが立ち往生するような日だったのです。
そのため、松林図屏風ぐらいの霧では湿り気を感じないのだと。
そして、光については、夏に東博で見た暗い状態で見ているので、妙に明るすぎるくらい明るくて光を感じていたのでした。
光は霧を通る。霧が薄ければ光も感じる。と思っていたのですが、今回は照明の影響で光を感じていました。
描かれた屏風から「光」を感じる。「湿り気」を感じる。「風」を感じる。と一口に言っても、どういう状態になったら、それを認識するのか。個々の「閾値」のようなものがあることを感じました。そして、その前に見ていた作品の状況によっても、印象というは、引っ張られてしまうことがあることがわかりました。
離れて見て思ったのが、前列の松が濃く描かれていることがより明確になって見えました。これは遠近を表現するためのものと思っていたのですが、これによって湿潤さが軽減されていると自分には感じられたのだと思いました。この濃さがなければ‥‥ もし、背景と同じようなトーンで描かれていたとしたら・・・・ 写真で示したようなモネの霧の状態になって、私には湿潤さを感じられたかもしれない‥‥
■閉館間際も減らない人
〇最後の瞬間まで居残る人たち
2期の《風神雷神図屏風》は、最後一人で対峙することができました。《松林図屏風》もきっと同じ状況になるはず‥‥ と思っていたのですが、さにあらず。
いつまでたっても人は減らず、最後、8人ぐらいでしょうか? 残った人の間で一定の鑑賞ルールもできあがります。みんな遠目で見ているときは、近くでは見ない。そして、鑑賞を終えて人がやってくると、その人は、前を陣取って鑑賞します。すると、みんなで前に向かって鑑賞。そんな感じで何度か繰り返されていました。
〇一番遠く離れてみる
そうそう、この屏風は一番、遠い距離で見るのがよかったんだわ・・・と思い、対面にある円山応挙のガラスのぎりぎりまで下がってみました。お正月に見た時は、下がったことで見えてたものがあったんだけどなんだったっけ? 和紙のツギハギのことだんだけど・・・
そして、下がれるだけ下がって見ても、だれかの鑑賞を妨げることはありませんでした。
〇応挙の屏風、誰も見てません
なんだかかわいそう‥‥ じゃあ私が、見てあげる(笑) そしたら、応挙もすごい! なんだかデジャブ感があるなぁ・・・と思っていたのですが、参考に買った本の表紙だったのでした。
見たことある・・・ってやっぱり作品に近づく距離感をググッと近づけます。この作品、屏風になることで、すごい立体感がうまれるのでした。
〇3階からの鑑賞忘れた
今回の展示は、松林図屏風狙いだったので、1階から逆順で見ていました。そのため動線にそった3階からの眺めを見るのを忘れてしまいました。と思っていましたが、階段を下る時は、展示の位置の関係上、見えない位置だったかもしれません。金印のあたりから見たような、見ていないような、うろ覚えの記憶でした。
それにしても、《松林図屏風》の人気は宗達の《風神雷神》を超えていました。日本人はやはり、こういぼんやりとした風景がすきなのでしょうか?
■名作誕生 つながる日本美術 の松林図屏風(2018.05.08)
2018.04.14鑑賞
特別展『名作誕生-つながる日本美術』(東京国立博物館で開催) | みどころ | インタビュー「一木の祈り」より
田沢館長談
この屏風は東博が東北で見た景色、あるいは、激しく揺れる松林に等伯の人生を重ねたという見方が主流になっているが、静かな音のない世界に見える。風のない世界、朝もやが段々消えていく絵だと感じる。
私も同じ!! って思いました。
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