■長谷川等伯:《松林図屏風》 感想② 2017年 描いたのは海岸? 山並み?の続きです。気づいたことを、とりとめなくここにメモしておきます。
追記しました。
2016年にOAされた日美の番組で、等伯の《松林図屏風》について、杉本博司氏、原研哉氏、赤瀬川源平氏が語っていました。原研哉氏が語っていた「空白」は「空っぽ」が、妙にしっくり納得できる見方だと感じました。
⇒【追記】(2017.02.08)日美 夢の等伯 傑作10選より
- ■土坡(小高く盛り上がった地面のこと)と松の足元
- ■左隻三扇から、右斜め上を仰ぐ
- ■斜めに生える松
- ■細部の表現 (右隻の松)
- ■外隈で描かれた立山
- 【追記】(2017.02.08)日美 夢の等伯 傑作10選より
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■土坡(小高く盛り上がった地面のこと)と松の足元
↑ 遠目で見た時に屏風の下部の黒いベルト部分
シミ? 変質? と思いながら近づいてみると・・・
▼足元をアップ
↑黒い帯は、グランド面(土坡)のようです。つまり砂地を表しているということでしょうか?
松の足元は、幽霊のように浮き上がっています・・・(笑)
ベースだけが地につき、中間部が消えています。これは遠近を強調するためでしょうか?
松の足元とその上部は、一体化しているよに見えますが、中間部をぼやかすことで、足元と上部が分離して、奥行感を出しているようにも見えます。
■左隻三扇から、右斜め上を仰ぐ
この角度から見る松と、遠景の山までの距離感。表現が秀逸。
松の足元と土坡を明確に表現することで近景を印象づけ、松の幹の中間部をぼかすことで、一本の松が、足元と上部が分離され、上部は中景の松林と化す。そして屏風の折を生かして、グッと遠景へと引っ張り、より距離感を出している?
当初、遠目に、汚れ? シミ? と思った部分は、実はグランドベースを示していて、前景を明確にするための表現だった?
■斜めに生える松
左隻 右隻
↑ ↑
斜めに生える松 斜めに生える松
屏風の左方向に引っ張るので、 凹部分に薄い松。より奥へ広がる?
屏風に横の広がりが。。。 手前にはっきりした黒の松が斜めに
奥行き方向への流れを強調?
左隻は、斜めになった松が、横への広がりを強調、
右隻は、斜めの松が、奥に向かうように倒れさせて立体感を・・・
◆山林の木々の生育について。
木々は密集して生えているため、光のあたる樹木、当たらない樹木が出てきます。そこで、周りの樹木を切って、一本だけ十分、光をあてるようにすると、その木はすくすく伸びるのか・・・といったら、そんなことはないそうです。共存共栄。回りの木に支えられてしっかり立っていられるのだそう。そのため、一本になったら、傾いてしまうのだそうです。そんな話が書かれた柳生博さんの本を読みながら、山道散策をしていました。すると、まさに1本、それと同じように傾いた木に遭遇しました。確かに回りの木は、枯れてしまったからなのか伐採されていました。森林の生態系が、お互いを支え合いながら、成り立っているというということを感じさせられました。木が立っていられるのも、回りの木があるからこそ・・・・
この松林図屏風の松も、斜めになっているのは近景、前景の松です。前景の松ははっきりと描かれており、土坡の上に立っています。それによって、海岸の松であることを表現したのかもしれません。その先は、海岸から見える山肌の松だったのかも・・・
密集して生えていると↓ ↓ 単独で映えると・・・・
確かに密集したところは、まっすぐ伸びていますが、疎になった部分は、たおれかかっています。
「斜めに描かれた松」何か構図上の意図によるものだったのか、もしかしたら、自然のままを描写していたのかも・・・・
■細部の表現 (右隻の松)
↑ 右隻 松の木 ↑ 全体のアップ
↑ ヨリカット ↑ 先端の表現
■外隈で描かれた立山
この山の形を見て富士山・・・と思ってしまうのは関東の人の発想。
ここに見えるのは立山。雪に覆われた部分は、塗らずそのままで生かす外隈技法。
このあたりに明るさ、光を感じさせられます。
次回、来年に向けての何かヒントになるかな?
【追記】(2017.02.08)日美 夢の等伯 傑作10選より
日美 夢の等伯 傑作10選より
34:20~ 《松林図屏風》
◆ナレーションより
墨だけで幽玄な世界を作り出す 日本の水墨画の至宝
立ち込める霧 大気の流れさえただよわせる
霧の中で見えかくれするかすかな動きさえ感じさせる
注:ナレーションの言葉に合わせて映像が誘導されてる?
画像がこきざみにゆれてます・・・ また、引いた時のライティングによって
訴求したいイメージが作れる? ナレーションに合わせて、映像の効果が
加えられることも・・・ 実際、琳派の〇〇展の映像。実物と違うと思ったら
美術館側のスタッフの方から「あれは加工されてますから」実物とは違う。
という話を耳にしたり・・・・
伝えたいテイストに加工しちゃうんだな・・とその時に思っていましたが、
霧のかすかな動きって、画像、動かしちゃったらダメでしょ・・・って(笑)
◆杉本博司 モノクローム写真の可能性の追求
松林図・・・・を見た瞬間、昨年夏に見たベネッセ パーク棟の松だ!
全国の松林を探し回ってやっと見つけた理想の松が、皇居の松だった。海岸線の松ではなく皇居の松・・・という話をスタッフさんから聞いていました。その裏には、等伯の《松林図屏風》にインスパイアされていた。(見てもわかりませんでした)《松林図屏風》を見た時に、自分が追いかけてきたのはこれだ! モノクロの墨の単色ですべてが表現されている。名前も同じ《松林図》と名付ける。
●完成したら、松がコンテンポラリーダンサーとなって踊っているかのよう。等伯の松もダンサーのように舞っているかのように見えた。
⇒足元が地面についた2本の松は、バレリーナの足のように私もみえました。
でも、踊っているようには・・・ 一部の斜めになった松は、
踊っているのではなく、植物の性質を描いたと思ったから・・・
●最初は静か・・・長く見ていると荒々しい。近くで見ると墨が飛び散っている。
⇒時間をかけて見ることで変化する。そして近づくことで印象が変わる。
・静かなものから荒々しいものに抜けて入って、また抜けて入る・・・・
出たり入ったりです。生と動、生命のような変幻自在さ
⇒この背反する感覚の往復。行き来するという印象は私も思いました。
◆原研哉(グラフィックデザイナー)
2年ぶりの対面。松林図は記憶の中にあるもの。現実の物質として現れると戸惑う。
松を描写するというよりも、頭の中の記憶の松を引き出すきっかけだけが描かれている。ずっと見ていると印象の中の「白」に入る。その「白」は「色彩」の白ではなくからっぽという意味。からっぽによってさまざまなイメージを喚起。何もない空間が需要。松を描くことによって、その周りの大気を描いている。背後の空間の中にたらゆるイマジネーションを見る人が盛り込んでいくことでその絵を楽しむ。
まさにこれだ! と意を得たり・・・・ 実物を見る前、あれやこれや想像。
本物は、風が見えるだろう。湿り気感じるだろう。
その他にもいろいろ見えるだろうと想像。どこを描いたんだろう・・・・
ところが実物を見て、本当に何にも描かれていないことに愕然。
何を描きたかったんだ・・・ どこを描こうとしたんだ・・・
心象風景だったのでは?
いろんな解説を見ましたが、原研哉さんの話が一番、ストンと落ちました。
◆赤瀬川源平
やわらかいけど硬い 妙な手触り シーンとした空気を描く。雰囲気だけを描いた絵だと思っていた。描かずに表現・・・・ 影で実体を暗示 俳句と共通 実態として輪郭を描くのではなく、その脇にあるものを描く 胸の中で実体化
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