旧あっという間に、国宝展も終わろうとしています。3期が終わるまでにアップするつもりだった松林図屏風の記事。ちょっと横に置いておいたら「国宝展」が終わってしまいそう。今年最大のイベント(?)国宝展。10年後、あの時見たあれは・・・を思い出すための手がかりとして‥‥
■智積院で長谷川等伯を見る
〇智積院を京都で偶然知った
開館前に三十三間堂と智積院に訪れました。三十三間堂で見た「風神雷神」は、また機会を改めることにします。「智積院」は、訪れた前日、和久傳で食事をしていて、カウンターでお隣になった方から教えていただきました。
期の松林図屏風を目当てで来た話をしたところ、千葉の方で松林図は東博で見たことがあるとおっしゃっていました。「等伯が目的なら近くに、等伯のお寺が京博の近くにあるでしょ・・・」と名前が思い出せなくなっていたのを、いろいろひねり出して「智積院」の名を捜しあてていただきました。
私も、等伯の松林図屏風は、今年のお正月に見ているのですが、東京と京都の展示を比べたかったこと。そして今年の夏休みにレプリカが展示されていて、本物とレプリカの比較をしたかった・・・ というお話をしたところ、レプリカも御覧になっていて、「あのレプリカ、よくできていたわよね。びっくりしちゃったわ」とおっしゃっていました。
「やっぱりそう思われました? すごい再現性でしたよね」そんな会話をかわしながら、やっぱりあのレプリカは、すごかったんだ・・・・ そう思っている人がいたことに妙な連帯感を感じてしまいました。
〇長谷川親子の競演 智積院
智積院には、等伯の《楓図》 息子の久蔵作《桜図》が所蔵されています。
智積院は、京博からこんな感じの距離です。国宝展に展示されている長谷川等伯、久蔵作品はこんなお膝元にあったとは知りませんでした。
久蔵の《桜図》は現在、京博の国宝展で展示されているため、こちらでは見ることができません。その変わりいつもは見ることができない《十六羅漢図屏風》を見ることができます。
長谷川等伯展 〜天才絵仏師、みやこを目指す!〜 « 石川県七尾美術館
〇「収蔵庫」に展示された等伯
「収蔵庫」と言われる建物に入ると、これまで展示されたものを見てきた空間とは違う空気がそこには流れていました。展示されているのは《楓図》
美術館、博物館でもなく、お寺の施設とも違うような・・・ そこには、いくつもの作品が、肩を寄せ合うように展示されていました。すべてむき出しの状態。作品の前に柵はありますが、手を伸ばせは届いてしまいそうな距離感です。ガラスをとおさずに、直に国宝を鑑賞ができるのです。しかしながら、国宝を露出展示しても大丈夫なんだろうか・・・ そんな心配がよぎりました。
これが1期に展示されていた等伯の《楓図》です。
でも待てよ。1期に展示されて(10/3~10/22)そのあと、すぐにここに展示されているってこと?(この日は10/31) 展示後、休ませなくていいのかしら? もしかしてこれ、レプリカだったりして? そんなことが頭をよぎったりしていました。
「楓図」非公開期間
平成29年10月 2 日(月) ~ 平成29年10月22日(日)
「桜図」非公開期間
平成29年10月23日(月) ~ 平成29年11月13日(月)
展示室の中央のあたりに、パネルによる解説があります。「祥雲寺客殿障壁画の復元」に関する論文 安原成美博士(文化財)(⇒障壁画想定復元模型が奉納されました | 真言宗派 総本山智積院
この時は、上記の解説が何を意味しているかわからず、「復元」と書かれた文字を見て、どこの復元の話かわからないけども、この《楓図》が復元されたものだったりして! なんてことまで思っていたのでした。(もしそうだったとしたら飛んだお笑い‥‥ まさか、そんなことないわよね・・・)でも、国宝って「国宝」だと思って見るから国宝に思っている・・・・ だいぶ美術品わかってきた気になっていましたが、まだそんな程度のレベルなんだということを、目の当たりにさせられました。
国宝を露出展示することなんて絶対にできない。と思っていました。しかし、この展示状況を見ると、可能ということなのか‥‥ しかし監視員らしき人もいなかったようでした。そしてこの部屋はどうも、鑑賞のための部屋という雰囲気ではなく、作品を押し込めた感じがしたのです。
こうして、展示されている状況を考えていると、次第に混乱してきてしまいました。これは本当に本物なんだろうか? 最後の最後まで、疑念を持ちながら「収納庫」をあとにしたのでした。
■名称庭園へ
「利休好みの庭」と言われる庭園へ・・・ 智積院の前身のお寺、祥雲禅寺の時代に庭が作られました。豊臣秀吉公が建立。
そして庭の前に建物、大書院には・・・・
↓ ここ ↓ この奥に・・・
《楓図》
《桜図》
これを見て、すべて理解しました。
今年はレプリカと本物を見分けられるか‥‥というこで、両方を可能な限り見てみると思っていましたが、見てのとおりお察し・・・という状態です。
展示の状況から収蔵館の作品って、本物? と疑ってしまったのですが、収蔵館を見てからこちらの障壁画を見たら、鑑賞経験のない人でもわかるくらいの差でした。
前々日には、国宝展で胡粉モリモリの息子の《桜図》を見ています。すごいなぁ・・・とため息が漏れるほどでした。やはりそれと比べてしまうといわずもがな‥
金地の状態は・・・
ただ、これらのあの障壁画が「どんな空間に存在していたのか」ということは理解できます。等伯と久蔵、親子並んで、利休の庭を眺めています。楓と桜で季節の彩を添えながら・・・
■収蔵庫とは
あとでわかったのですが、智積院の収蔵庫というのは、金碧障壁画が国宝に指定された際に造られたもので、温度湿度が完璧にコントロールされた建物で、「障壁画のための宝物館」なのだそう。夏は涼しく、冬は暖かい、作品にはもちろん人にもやさしい。
桃山時代に長谷川等伯らによって描かれた障壁画、その他にも、『松に秋草図』『松に黄蜀葵(とろろあおい)図』(国宝)、『松に梅図』『雪松図』『松に立葵図』も収蔵されていました。展示というよりは、どことなく、押し込められているという感じはそこから受ける印象だったのでした。
ここに訪れる前の2期後半から展示されていた息子、久蔵の「桜図」を、京博で見ていました。その前には、等伯の《楓図》が展示されてということなのでした。
収蔵庫について、帰る時に、やっぱり真実をちゃんと知りたいと思って、受付に立ち寄りました。「あの《楓図》は本物なんですか?」と、国宝を見ながらとんでもない質問をしてきました。そんな失礼なこと聞く人、多分いないと思います。
そこで、収納庫がどういうものなのか教えていただきました。そして、「こうして監視しています」と監視カメラが奥の方に見えました。
まだ、まだ本物を見極める目というのが、周辺状況で左右されてしまうんだな・・・と思わされる出来事でした。
■国宝展 《桜図》 長谷川久蔵
メモより
〇遠くから見ても盛り上がりはっきりくっきり。盛り上げて描くのって、結構、みんな実践していたんだ・・・(其一の盛り上げ方がすごい! って思ったけど、それ以前に宗達も実践していたことを知ってな~んだ・・・って思いました。さらにさかのぼること、等伯の息子も実践していました) となると誰が最初に始めたのでしょうか? 久蔵の盛り上がりは比較的維持されています。が、若干、落ちているところもあります。でも時代が下がった其一は、あちこち剥離していました。それは、其一が落ちるのがわかって、わざとあらかじめ剥離したように描いた部分もあるのだと思ってました。一方、久蔵の方はずっと昔なのに、ちゃんと、落ちないように維持できてる)
〇それにしても桜が大きい。巨大
〇金の色がかなりくすんでいる これが金だと絢爛豪華
〇右から2枚目と3枚目の襖が繋がっていないなぜ? ↑
帰ってきてから、京博のブログにそれについての解説がありました。
開館120周年記念 特別展覧会「国宝」を見に行くリン♪~Ⅲ期~ |
京都国立博物館公式キャラクター トラりんより
智積院は次のような厄災にみまわれています。
・天和2年(1682)火災
・明治25年(1892)盗難
・昭和22年(1947)火災
上記の災難によって、消失しているとのこと。昭和22年の火事は、京博からも持ち出しを手伝ったんですって!
また、高さももっとあり火事で持ち出す時に人が持ち出せる高さにされて持ち出されたという話もありました。仏像も、壊して持ち運べるようにしたり、寄せ木造りは分解したり昔の人は、守るのに必至だったんだなぁ・・・
何か変‥‥という直感、あたった!
■参考
第3回 智積院宝物館と長谷川一門の傑作障壁画-京都宝物館探訪記|京都で遊ぼうART ~京都地域の美術館、展覧会、アート系情報ポータルサイト~
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