コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■風神雷神図屏風:風神雷神とは?

東京国立博物館常設展で、尾形光琳の《風神雷神図屏風が展示されています。以前、この《風神雷神図屏風》について調べた記録があるので、これを機会にそれらをまとめ直してこちらのブログに転載します。

 

風神雷神図屏風》が琳派の3人の絵師によって描かれました。この風神雷神とは、一体、何者でこの図は何をしているのか?」 という対話式鑑賞の問いに触れて、はっとしました。3者の《風神雷神図屏風》を見て、ああでもない、こうでもないと考えていたのですが、風神雷神」がいかなるものか? ということについては、考えていませんでした。それをきっかけに調べた下記の記事を、こちらにまとめて掲載します。

 

  出典:風神雷神:②風神・雷神ってそもそも何物? (2015/11/11)

 

 

 ■2015年 琳派400年

この年、琳派400年ということで、京都博物館で、3人の絵師による風神雷神図屏風》が展示されました。当時は、《風神雷神図屏風》が3種類あるということもさえも知りませんでした。

でも… 三十三間堂の《風神雷神》は見たことがある。3人の絵師のうち誰が描いたものだったのだろう? と思っていました。

 

ところが、三十三間堂風神雷神は、屏風ではなく、彫刻だったのです。見たという記憶、そして何を見ているかというのは、いかにいい加減なものなのかと思った出来事でした。

 

琳派風神雷神」と「三十三間堂風神雷神」はどういう関係なのか? どちらが先に作られたのか・・・・ など疑問に思いつつ、おいおい、そのあたりのことを理解していきます。

 

 

■そもそも、風神・雷神って何?

空想の人物・あるいは動物(?)でしょうか?

ギリシャ神話の西風神ゼピュロスみたいな。あるいは、「龍」とか 「麒麟」とか 「鳳凰」のようなもの・・・・

そのあたりまで、考えてみたのですが、そこでストップしていました。今、思うと、「〇神」という名称なのに「神」とは思っていなかったのです。

擬人化された動物のようなもの・・・・それは、きっと、あのユーモラスな「雷」「風」の風体が、神を感じさせなかったのだと思います。


 

風神雷神のイメージは何から?

ところで、風神雷神のあの風体のイメージは、どこから来ているのでしょう?
最初に見た、風神、雷神は、何だったのでしょうか?

おそらく、琳派の「宗達」や「光琳」の絵ではなかったはず。子供の頃、ゴロゴロ轟く雷。それは、雲の上に「雷様」がいて、太鼓を鳴らしている・・・・その鬼のような表情と、背にしょった「雷太鼓」 その図柄が「雷神」の原型となっている気がします。

ビジュアルとしての雷神は、絵本に描かれていた雷様が、雷神のイメージになったような気がします。あるいは、雷門の雷神像も・・・・ さらに、雷おこしのパッケージに描かれている雷様。あの電電太鼓のような太鼓を背負う雷の姿が、雷神の原型になっていたのだと思います。

 

▼雷門 風神雷神

 

出典:風神・雷神 | 神使像めぐり*余話

 

▼雷おこしパッケージ

「雷おこし 風神雷神」の画像検索結果

出典:雷神ポータブル缶|上磯部おこし|商品情報|常盤堂雷おこし本舗

 



そして、wiki pedhiaの「雷神」では、 

民間伝承では惧れと親しみをこめて雷神を「雷さま」と呼ぶことが多い。雷さまは落ちては人のヘソをとると言い伝えられている。日本の子供は夏に腹を出していると「かみなりさまがへそを取りにくるよ」と周りの大人から脅かされる。

というように、子供をしつけるために、「神」というよりも、より人間に近い位置づけの怖い存在として、定着していったのではと思われます。
 

▼絵本からのイメージ

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出典:1.bp.blogspot.com

 

 

 

■風神 雷神とは何か?

ということをふまえて、改めて調べてみると、いろいろなところで、いろいいろに「風神雷神」について語られているようです。

wiki pedhia「風神雷神図」より

風神雷神を一対として扱う像容は古くから仏教美術において見られ、すでにカニシカ王統治下のクシャーナ朝で風袋を掲げて疾駆する風神を描いたコインが作られている。

  

敦煌石窟の壁画では風袋を携えた風神と太鼓を輪形に並べて捧持する雷神が描かれている。

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日本ではどちらも力士様に描かれ、三十三間堂の木造風神・雷神像は鎌倉時代の作で国宝である。 

 

 
いまいちわかりにくかったのですが、風神、雷神は仏教美術における像容で、日本だけでなく、他でも存在していたようです。


コトバンク「雷神信仰」より 

人間が怖れを抱くほどの偉大な力を見せる天然現象のうち,最も身近に起こり最も代表的な強風と雷鳴とをそれぞれ神格化したもの。

 

元来,別個に早くから尊崇され,中国では漢代の画像石に表される。日本でも級長津彦(しなつひこ)命と級長津比売(しなつひめ)命の男女の風神をまつる神社,霹靂(なるとき)神,鳴雷(なるいかずち)神,別雷(わけいかずち)神など,雷神をまつる神社が各地に見られるが,その像は造られなかった。

 

〇千手観音の眷属 二十八部衆の傍らにいる存在

一対の神々としては,仏教における千手観音の眷属である二十八部衆の傍らに表現される場合が多く,この場合,風神は風袋を,雷神は数個の小太鼓をそれぞれ肩より上方,あるいは頭上にささげる裸の力士形に表される。 

 

▼ 三十三間堂風神雷神

  

  ◆眷属神
   日本の神道における例としては、蛇や狐、龍など。
   神に代わって神の意志を伝えるなどする神使

 

  二十八部衆

   仏教修行者を保護する 28部の善神。正しくは「千手観音二十八部衆」。
   ただし,28部の名称については文献によって多少の異同がある。
   三十三間堂鎌倉時代の像がある。

 

参考:蓮華王院 三十三間堂 国宝風神雷神二十八部衆

 

三十三間堂「風神」「雷神」「二十八部衆」位置関係  

                ↓ wikipedhiaより

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↑ 三十三間堂 〜地図・アクセス・写真など観光情報:

  京都パーフェクトガイド:京都観光.comより

 

三十三間堂風神雷神を確かに見た記憶があるのですが、それがどこに置かれていたのか記憶が全くなく、やっと画像をみつけ思い出しました。二十八部衆も見てきたのですが、どこにいたか、全く覚えていない状態・・・・でした。

 

 

 

神格化した”神” 風神・雷神像より 

風神・雷神像 国宝
インド最古の教聖典「リグ・ウエーダ」に登場する神
自然現象を”神格化”した原始的神。

風神は数頭立ての馬車で天を駆けて悪神を追い払い豊貴栄達を授ける神。
雷神は水神の神。仏教では、仏法を守る役目で悪を懲らしめ善を勧めて、雨風を整える           

 

 

三十三間堂風神雷神のモチーフとなったものは?

インドや中国の神、敦煌の壁にも見られる神。気候の変化を科学で解明することができなかった時代、天候は神が操っていると考えられた。また、日本では八百万の神 という信仰を持つため、天候に対する恐れの現れとして神格化したと考えられると思われます。

三十三間堂の彫刻が彫られた時の、お手本にしたモチーフは?

カニシカ王統治下のクシャーナ朝風神雷神だったのか。敦煌石窟の壁画に描かれていた風神雷神だったのか。それは、どういうフォルムをしていて、どうやって、遠い彼方の地の風神、雷神を目にすることができたのでしょうか。

あるいは、空想で彫っていたとしたら・・・・ 共に風袋を持っているというので、彼の地の風神雷神との共通性、または相違部分はどこか? なんてことも、気になってきます。


 

 

宗達風神雷神は、三十三間堂風神雷神をモチーフにした?

宗達はなぜ「三十三間堂」の「風神雷神」を選んだのか

宗達は、三十三間堂の中から、仏教においては、千手観音の眷属(従者)と言われる二十八部衆の「傍らに表現される場合が多い」風神、雷神をモチーフに選びました。

 今でこそ、風神雷神は、有名ですが、当時としては、千手観音という主役がいて、その従者とも言われる「二十八部衆」がいて、さらにその傍らに位置した「風神雷神」にスポットをあてたということになります。

ある意味、「神」とはいえ、日陰者(?)を、メインに引っ張り出してきたと言えるのではないでしょうか?


風神雷神の像を絵にしたのは、宗達が初めてと言います。では、風神雷神の彫刻は、三十三間堂風神雷神の前にもあったのでしょうか? あるいは、三十三間堂鎌倉時代に作られた風神雷神のあとにも、作られていたのでしょうか?

 

 ⇒日本における風神雷神の彫像としては三十三間堂像が最古であることが判明

    (wikipedhiaより)

 

 ⇒風神・雷神 | 神使像めぐり*余話

   その後、風神雷神は作られており、全国に存在しています。


三十三間堂風神雷神以後も、制作された風神雷神像。宗達はなぜ、三十三間堂風神雷神を、モチーフに選んだのか。単に、地理的な距離の関係なのか・・・ あるいは、その時代、他に風神雷神が存在するという情報がなく、出会うことができなかったからなのか・・・・ などなどの疑問が出てきます。

 

 

風神雷神図屏風宗達)の風神・雷神について

日本絵画の名品として、教科書などでもよく知られた作品です。
風神は風の、雷神は雷・雨の神であり、自然を神格化したものです。古来日本人は自然の脅威を恐れていました。菅原道真の怨念を宿した雷神は、絵巻などで古くから絵画化され、本図にもその図様が影響を与えていいます。風神と雷神を組み合わせにした場合は、観音の護法神となります。蓮華王院三十三間堂浅草寺雷門の風神雷神には、そのような信仰の二神が祀られています。

    東京国立博物館

    建仁寺の至宝 琳派の美を象徴する俵屋宗達の最高傑作より
        国宝「風神雷神図屏風」を全期間展示 

 

 

北野天満宮 菅原道真の怨念の雷神をモチーフ説

菅原道真が怨念となって現れた雷神北野天満宮に祀られており、それを参考にしているという説もあります。

鎌倉時代
絵図:日本の美術299/絵巻 北野天神縁起より

出典:神格化した”神” 風神・雷神図

 

当時としては日陰の存在’(千手観音の眷属(=二十八部衆)の「傍らに表現される場合が多い」)にも思える「風神雷神」をモチーフにしたのは、宗達の出生に関するある推察が、今回、生まれたのですが、そこにつながっていくのでは? という謎解きが出てきました。


 

■参考サイト

風神雷神 より

 風神雷神は天然現象を擬人化したもので、密教では婆羅門教(ばらもんきょう)の神を組み込んで神格化した風天・帝釈天が風神・雷神の性格を持つものとされているが、おそらく中国古代の固有信仰から別の展開をとげたものであろう。
すなわち中国の雷公(らいこう)・雷鼓(らいこ)・風伯(ふうはく)をインド的な裸形の鬼体としてあらわし、混然とした天神のイメージに作り上げたものと思われる。
 日本でも仏教伝来以前より強力な自然神として畏敬され、特に稲作を中心とする農耕文化社会においては豊穣をつかさどるものと見なされた。

ちなみに全国的規模の風神祭(かぜのかみまつり)は、風神の神意を鎮め、農作物を風水害から守るための祭祀であった。
一方雷神はその水神・火神的神質から水利と日照、ひいては一切の民生を支配する強大な最高神格とされ、古来天神として畏敬信仰された。
御霊(ごりょう)の猛威が雷的エネルギーで象徴されることの多いのも、その一つの現れである。

 元来悪神であった風神雷神は、千手観音の眷属である二十八部衆との戦いに敗れ、仏教に帰依して二十八部衆に加えられ、三十神で祀られることが多い。
 風神は風袋を背中に背負い、巻き髪、筋骨たくましく牙をむいた青鬼で、雷神は小太鼓を輪にめぐらせ両手にばちを持った赤鬼である。
風神・雷神とも肩布を首に巻き上半身は裸、下半身に裳(も)を着、雲を配した岩座に乗る。 





三十三間堂3 風神雷神の起源 より

三十三間堂風神・雷神由来

風神像 鎌倉時代宝治年間(1247-48) 123㎝
同書は、サンスクリット語のヴァーユで、風天と訳される。『リグ・ヴェーダ』にでる神で、数頭立ての馬車で天空を駆け、敵を駆逐して名声や長寿、財宝や子孫を授けるとされ、天界の神酒・ソーマを好むことからソーマパーとも呼ばれた。雷神(水天)とともに「護法十二天」の一尊でもある。
自在に吹きわたる風の力を神格化したもので、その尊容は全く日本化されており、二十八部衆には、後になって付加されたものという。後世の風・雷神のイメージを決定づけた傑作という。

 

雷神像 宝治年間(1247-48) 105㎝
同書は、その起源はインド最古の聖典という『リグ・ヴェーダ』に水神として登場するヴァルナだといわれる。ヴァルナは、のちに雨や水を司る龍神と混同され、さらに下って天候を司る雷神へと変化したという。

 

後6世紀の制作という敦煌莫高窟の壁画に風神と共に描かれたのが最古というが、古代人の水に対する恩恵と畏怖心がこのような神格を生み出したのだろう。
『千手陀羅尼経』にでる「水雷火電」の語句から日本中世の俗信的空想によって創作した尊容という。巻雲に乗り、天鼓を打つ姿態は怒りととも大笑ともみえるという。

 

◆我が国最古の風神雷神 

風神像雷神図 平安時代(12世紀前半) 「金銀字一切経」見返し部分 和歌山金剛峯寺
  ↑ 
わが国の最も古い風神像は高野山金剛峯寺が所蔵する経典の見返しに
アレクサンドロス大王と東西文明の交流展図録』(以下『交流展図録』)は、見られるものであるという。 

 

 

風神雷神図 西魏(535-557) 敦煌莫高窟第249窟西壁より 

第249窟
阿修羅の両サイドの風神雷神
ショールのような紐にラッパで風を送る → 風袋 
太鼓を足をくねらせ打つ

敦煌莫高窟第258窟窟頂部西壁
三十三間堂の雷神に似た描かれ方


世界の風神雷神をたどっています。

 

 

 

【追記】2016.11.19 

東京国立博物館常設展にて風神雷神と同じような風体の神を目にしました。 

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それは平安時代の祈りの形 山岳信仰末法思想 というコーナーで紹介されていた、
蔵王権現鏡像」というものでした。風神雷神の元ではないかと思われるフォルムです。

 

山岳信仰末法思想

奈良時代の終わりから平安時代にかけて、山林で修行する僧によって広められた山岳信仰は、わが国の古代社会において独自の発展を遂げた信仰形態のひとつ。やがて修験道へと展開。山岳信仰の代表的な霊場として著名な奈良県大峯山頂の出土品

 

 

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