コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■三十三間堂:風神雷神像 俵屋宗達の《風神雷神図屏風》と見比べてみた

国宝展で展示された俵屋宗達の《風神雷神図屏風》 このモチーフとなったのは、三十三間堂にある《風神雷神図像》と言われています。国宝展で展示されている京博のお隣という位置関係だったので、合わせて見てきました。

 

 

 

風神雷神って?

2015年「琳派 京を彩る」で《風神雷神図屏風》を見たあと、そもそも、風神雷神って何? どういう神様なの? ということで調べてみました。

 

korokoroblog.hatenablog.com

 

2006年頃、仏像ブームがあり、2007年に三十三間堂に訪れていました。そこで風神雷神を見た記憶があります。ところが、それを絵だと思っていました。琳派で三人の絵師が「風神雷神」を描いていると聞いて、誰が描いた絵だったのだろう? と記憶を呼び戻しているのでが、全くどんな状況で見たのかを思い出せないのです。

 

調べてみたら、それはなんと、「仏像」だったのです!
(そうでした。あの時は、仏像行脚で訪れたのでした)

 

 

風神雷神の設置状況 

そこで、どんな状況で設置されているのか、記憶を呼び覚ますために捜してみました。二十八部衆も観てきたはずなのですが、どこにどのように設置されていたのか、全く思い出せません。やっと設置された状況の画像を見つけ‥‥(←当時 今は結構、あります)

                ↓ wikipedhiaより

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↑ 三十三間堂 〜地図・アクセス・写真など観光情報:

  京都パーフェクトガイド:京都観光.comより

 

あいまいな記憶が、上記の写真で少し蘇ってきました。もう一度、ちゃんと見て、宗達はどういうところにインスパイアされたのかを感じてみようかと思いました。

 

「ニッポンの国宝」シリーズで三十三間堂も取り上げられていたのですかさずゲット。

 

 

■千手観音と二十八部衆の位置関係

事前に下記のような状況で設置されていることはわかりました。

10_10

出典: 空白つれづれ草 : 京都1〜三十三間堂

 

 

出典:京都 三十三間堂 仏の数3万3033体の意味と歴史

 

1000体の観音様の前に28部衆が並んでいたのでした。この中に風神・雷神がいるということだったのかな?

 

 

■実際に行ってみると‥‥

お堂の中に入ったらいきなり雷神の登場!

出典:三十三間堂 | おすすめスポット - みんカラ

 

最前列に右端に位置していました。

 

そこから順番に二十八部衆を見ていきます。この解説とか、リストがあるといいのになぁ‥‥と思っていたらなんと、「ニッポンの国宝100」の中に配置図が書かれていたのでした。これはすごい!

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出典:京都・三十三間堂の仏像はいったい何体? | | まなナビ

 

この図から、「風神」はこの列の終わりのところにいることを把握しました。自分がイメージしていた設置場所と違っていました。

 

そして、これらの配置をちゃんとそういうことを調べてネットに上げていらっしゃる方も…

  ⇒■蓮華王院三十三間堂の千手観音と風神・雷神について

 

 

 

■風神、雷神の位置が、宗達と違う!

一通り見てから、雷神のところに戻って、しばし佇んでいました。

 

あれ? 風神と雷神、逆だ・・・・

Fujinraijin-tawaraya.jpg

wikiphedhia

 

 

三十三間堂の風神は左、雷神は右。

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☆『4つの風神雷神図』|ワイアーフォックステリア、ケリーの毎日

 

 

宗達の風神は右、雷神は左です。

あえて逆にしたことが、宗達のオリジナル? あるいは、三十三間堂の設置が、間違えちゃってるとか!?(運慶展で南堂と北堂の仏像が入れ替わってることがわかったから…)

 

 

二十八部衆の設置は決まりがある?

ただ、この左右離れて置かれた配置が、宗達のオリジナルと言われている中央に空白を置いて分断させた構図を想起させたのでは? なんてことを思ったのでした。

 

そのためには、昔からずっとこの状態で設置するという決まり事があったということを確認せねばならず、二十八部衆の配置というのは、ずっと変わらないのかをどうしても知りたくなってきました。

 

タイミングを見計らって聴いてみると‥‥ 配置は変化していることがわかりました。時代によっては二十八部衆が、中央の千手観音坐像の回りに配置することもあり、現在は中央をあけて配置されているとのこと。となると風神雷神の位置というのも、両端ではなかったかもしれない可能性があります。

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しかし、二十八部衆の眷属という位置づけを考えると、その端に位置付けられていたということはありえそうです。

 

 

■立体と平面の風神雷神

左端の風神を見るのに、側面や背面をしげしげ見ていました。風神って立体だったんだだ‥‥ 足の位置(交差の状態)や目線、顔の向き、背面、横顔‥‥ 360度ぐるりと見ると、屏風の風神雷神は、2次元の世界だったんなということを認識させられました。

 

改めて雷神に戻りました。入ってきた時は、いきなり雷神の登場します。それに驚きながら、正面からじっと見て、そのあとは次に移動してしまいます。

出典:BS朝日 - 知られざる物語 京都1200年の旅

 

入口から動線の流れで動くと、どうしても意識はその先にいってしまい、側面や後ろに戻って見ている人は、まずいませんでした。もどらないと、側面、背面を見逃してしまうのでもったいないです。

 

 

宗達風神雷神との違い

正面から見て、宗達の雷神との違いを見ていたのですが、やはりこの目の向きを見ていると、左右、間違って逆に設置されているということはないことがわかります。宗達はあえて逆に配置させたのだと思いました。

 

そして、風神雷神図屏風の乳首は、片方しか描かれていないのですが、三十三間堂風神雷神は? というのが一つの確認事項でした。(すでにネットで画像で確認はしていたのですが)仏像には、両方の乳首が表現されているのでした。(⇒ と思って画像を見るとそれらしきものがありません。そしてノートを見ると乳首なし…とメモされています。どっちが正しいのかわからなくなります。記憶はほんと曖昧。すぐに記録しておかないとダメだ‥‥)

 

一方、屏風の風神雷神にはお臍が描かれています。ところが仏像の風神雷神には、お臍はなかったということがわかりました。

 

お臍があるということは、神でなく人間をイメージさせると、学芸員の方がおっしゃっていました。もしかしたら、宗達は、風神雷神を神から人間に近い存在にして、より身近なものにしようとしたのではないか。そんなことを思いながら、しばらく、風神雷神とお話をしていました。

 

 

■修学旅行生の反応

その間、修学旅行生が、何組も目の前を通っていきました。

 

「すげぇ・・・」「ここに自分に似た仏像があるんだよな」とそれぞれに話している中・・・

 

「これ、3Dプリンターで作れば簡単にできるよな…」とさすが、今時の反応・・・・

 

その一方で、風神の前で、

「いつもお世話になっています」と手を合わせる小学生。

なんだろう‥‥と思ったら、風邪に改源の薬のキャラクターだったのでした。

 

写真

出典:改源|家庭薬ロングセラー物語|日本家庭薬協会

 

 

 

東博に展示された千手観音はどうなってる?

もう一つ確認したかったことは、東博の常設展に、三十三間堂の千手観音が3体展示されていました。この3体のあと、三十三間堂ではどういう状態になっているのか‥‥

ただの空白となっているのか・・・・ それはどのあたりの観音様なのかを見てくることでした。

 

すると風神が設置されている横の3体が空白になっていてそこには次のプレートが。

湛慶

205 東京国立博物館

30  京都国立博物館

40  奈良国立博物館

 

の文字がありました。あと2体はどこにあるのか‥‥ 全体を見渡してみたのですが、空いている場所が確認できませんでした。伺ってみたら、上段の中央あたりに位置し、ここからは見えないとのことでした。

 

仏像様に縦社会があってヒエラルキーがあると「仏像のひみつ」で知りましたが、ここの並びもアイドルグループと同じようなポジショニングがあるように感じられました。