根津美術館で岡野智子氏による講演会「其一と光琳」が行われました。その中で其一の《風神雷神図襖》の解説があり、新知見がいっぱい! それに先立ち、昨年の鑑賞記録と、抱一の風神雷神の第一印象などを、食べログ日記から一旦、掘り起こして思い出しつつ、講演会のお話と合わせて比較してみようと思います。
- ■【2016.11.07記】サントリー美術館で見た其一の《風神雷神図襖》
- ◇8枚の襖はどう展示され、どう描かれたのか?
- ◇表裏の構造だった!
- ◇構図・ディティール
- ◇描き方・その他の風神雷神
- ◇(2016.11.07)鈴木其一展の《風神雷神図襖》を見る前の印象
- ■【2015.11.06】抱一の《風神雷神図屏風》を初めて見た時の印象
- ■【2017.05.14】抱一に対するの見方の変化
■【2016.11.07記】サントリー美術館で見た其一の《風神雷神図襖》
(鈴木其一 江戸琳派の旗手:《風神雷神図襖》 より其一の風神雷神図襖の言及だけ抜粋しています)
琳派の最大のモチーフ 「風神雷神」師匠の抱一が光琳の100年後にそれを描き、抱一の弟子 其一もまた「風神雷神」を描く。
これまで、風神雷神を見てきた鑑賞記録が「ここ」なのですが、襖に描かれた風神雷神。しかも、かなり横長の8枚の襖に描くというのは、どんな構図となっているのか、とても興味を持ちました。
まず最初に何も見ず、自分の感覚で、次に音声ガイドのサポート、そのあと図録を見る・・・・そんな感じで鑑賞をしていきました。
◇8枚の襖はどう展示され、どう描かれたのか?
まずは、8枚構成と言われている襖をどこにどうやって展示するのか・・・ 会場のどの位置に? どのケースに展示するのでしょうか?
それは、《朝顔図屏風》の隣でした。
朝顔を見ながら、その隣の《風神雷神図襖》に移動します。大きい・・・ 大きすぎます。しかも《朝顔図屏風》よりも引きがありません。襖一枚のサイズも通常よりもワイドサイズ。これを8枚並べる・・・・ こんな構成の襖というのがあるのでしょうか?
襖8枚分・・・・・ このサイズの襖絵を見るには、この距離は近すぎます。
鑑賞には襖8枚を底辺とする三角形となる距離が必要なはず。しかし展示された場所と反対のガラスケースの幅は近すぎて、これでは全体を一望して把握することはできない。
と思いながら、端から徐々に見ていきました。
〇私は絹に描いた! 宣言
一番、最初に、其一が高らかに宣言しているような声が聞こえた気がしました。
「私は、絹地に描いたんだぞ」とお断りをされた気分・・・・
金でもなく、屏風でもなく、絹地の襖に描いた。という強い主張をしていると感じさせられました。
それは、襖の右端を見ると、見てすぐわかるように、絹目であることをあらわにして、意図的にそれを伝えようとしたとしか思えませんでした。
これまで、この絵は「何に」描いているんだろう・・・・紙かな? 絹かな? とじっと目をこらしてやっとわかる感じだったのですが、この襖は、のっけから絹に描きました! と主張しているように思いました。
師匠の抱一も光琳も金箔に風神雷神図屏風を描きました。それは、それはきらびやかな屏風です。
しかし、其一の襖を見る多くの人は、地味~、暗い・・・ 抱一や光琳にはかなわない・・・抱一のおまけ的存在と思ってしまうのではないでしょうか?
それを、しょっぱな、師匠の抱一や光琳のような、金地に描くようなことを私は選ばなかったんだ・・・・という其一の強い主張に感じたのでした。
まずは、多くの人が抱く感覚を最初に払拭するべく、「私は金に描いたわけではない。絹地に描いたんだ」そこのところ、よろしく! それを理解した上で、私の作品を見るように・・・・と言われている気がしたのです(笑)
〇雲の墨表現
この滲みや吹き上げ。筆づかい・・・・一発勝負で、どうしたらこんな表現ができるのか。これが、金地に描かなかった意味なのか。絹だからこそ、こんな雲が描けたのではないか。
風神の雲と、雷神の雲。
風神は下から吹き上げるような雲に・・・雲に乗っているというより、浮力に支えられている感じ(↓) 筆あと、方向性がしっかり確認されます。
(出典:琳派展19 鈴木其一 江戸琳派の旗手 | 終了した展覧会 - 京都 細見美術館)
一方雷神の雲は(↑)吸い込まれそうな、宇宙空間を想像させるようななんとも言えない表現。左から2枚目、3枚目の襖。雷神の足先のあたりの雲の表現。この滲みは計算によるものなのか、偶然の産物なのか・・・吸い込まれるようで、ブラックホールのようにも感じさせられます。
〇ワイド画面の効果
〇8枚の襖はどんなところに設置?
この襖はどんな部屋に設置されたのでしょうか?
右から左に見ていくことで、雷神に迫力を感じることができましたが、おそらく、この襖は「8面全てを見る」という設定と思われます。
昔のお屋敷は広かった・・・・とはいえ、この8枚の襖を一列に並べるほどの広さがあったのでしょうか?
これまで、お寺の襖絵などを見てきましたが、こんなワイドサイズの襖を8枚並べられるような、間取りとなるとかなり広い空間です。お寺だと4枚が多かったような・・・・ あるいは、幅の狭い襖だとば、下記のような8枚というのもありました・・・・
其一のパトロンなら、このワイドサイズの襖を8枚、飾ることができるようなお屋敷だったりするのか・・・・
あるいは、8面、一直線ではなく90度のコーナーに設置されていたのではないか・・・
もし、8面、一直線に設置されていたのだとしたらやはり、その状態で引きで見てみたいものです。
⇒新知見3:襖は実は・・・
〇襖絵の中央部分の観察
菱田春草の《落葉》も中央にぽっかり空間がありますが、その空間に表現されているものがあります。
そこで、右から4枚目と5枚目の何も書かれていない部分。襖の枠周辺を近くでつぶさに観察。さらに双眼鏡で拡大もして観察しました。
↑ このあたりの黒い部分
このつながりの部分を観察すると、何が描かれているというわけではないようなのですが、墨で空間が塗らていて、それが左右完璧につながっていました。
この「間」は何かを表現しているのだろう・・・・と思うのですが、どう考えても、サイズ的に間延びしているようにしか思えません。
この襖を見るベストポジションはどこなのか。いろいろなところから見て見たのですが、私にはみつけることができませんでした。
⇒新知見3:この10cmほどの黒い幅は・・・
【追記】(2016.11.9) 東京国立博物館の「禅」の展示の襖絵
展示された襖絵がどんな場所のどの位置にあったか、間取り図が示されていました。やはり、8枚の襖が一直線に並ぶという間取りはありませんでした。幅の狭い襖なら8枚並びはありますが、このサイズの襖は4枚が基本。
そして襖と襖の境目というのは、どれもつながりのあるような黒ずみがあります。
これらは墨で描かれたものなのか・・・襖の境をこうやってぼかすのが決まり事だった? どうも違うように見えました。劣化によるもののような気が・・・・
ちょうど今回の企画を担当された学芸員さんが通りかかられたので伺ってみると、開け閉めをする場所なので、手垢などのあとによる劣化と考えられるとのこと。
どの襖の境もそのような黒ずみがあるので、もしかしたら、《風神雷神図屏風》も描かれたものではなく、劣化によるものなのでしょうか?
しかし、10㎝ほどの幅で、黒ずんでいるのです。手垢による劣化には思えませんでした。
もしかしたら、其一は、そういう変色を考慮して、墨で滲ませたベルト帯を作っていたとか!
◇表裏の構造だった!
〇音声ガイドによると
なんだ・・・・・そういうことだったのか。
最初に見た時からの感じていた違和感。こんなワイドスパンな構図ってあるのだろうか? そして、こんな広さの家があったのだろうか・・・
何で8枚という襖を構図に選んだのだろう・・・いろいろな疑問が次から次に、押し寄せていたのですが、その答えが、もともとは、表と裏だったとは・・・・・
でも、こういう話を最初から知ってしまうと、そういうものとしてしか見なくなってしまいます。やはり、まずは自分の目で見て、ここで感じる、あれ? という感覚。
それが、その後の調べで分かるというのは、とても面白いです。
【追記】表と裏の分離を見抜く方法はあったのか・・・
この襖を見て、横幅が広すぎるという疑問を感じる方はいるようです。では、この襖を見て、表と裏が一体になっていたことを見抜くことはできるのでしょうか?
音声ガイドや、図録には解説があります。以前、富士美術館で展示された時も、表裏だったという解説がされていたようです。最初からそのことを知ってしまうと、「あれ? 何か変・・・・」と思いながら、あれこれ推察する楽しみがなくなってしまいます。
では、「あれ?」と思った襖が、「これは一続きの襖ではない」と判断できるポイントに友人が気づきました。
それは、一枚の絵なのに、落款が2か所に、書かれていること。もしかしたら、別々に飾られていたものを、一緒にしたのではという推察をしていました。
その後、落款はそれを描く位置というのが決まっていることがわかりました。一双屏風の、「右に飾る屏風は右」に、「左に飾る屏風は左」に書くという決まりがあるようです。風神雷神襖の落款は、両方とも右に書かれているのでした。
私も、いりろな作品を見ていて、落款が右に書かれているもの、左に書かれているものがあることに気づいていて、どうしてなんだろう・・・・と思っていたところでした。そういうちょっとした知識があると、読み解くヒントになります
〇いつ、どこで分けられたの?
「平成5年に現在の状態に改装された」という話を目にしました。
調べてみると、富士美術館で表と裏に分けたとのこで、作品の保護上の問題。
両面が作品だと保管も難しくなるとのこと。また、鑑賞も片面でしかできないので、分離したとのことでした。
〇なぜ其一は表裏に?
では、なぜ、其一は表と裏で描こうと思ったのでしょうか・・・・師匠抱一が、光琳の風神雷神の裏に、描くことで、自身の画業の極みを見たことを受け、襖の表と裏に描いてみたのでしょうか?
あるいは、上記においては「光琳⇒抱一」という継承が認められますが、「其一⇒其一」 自分自身の襖の裏に描くということで「唯一無二」を目指したとか?
其一は「他の誰よりも俺は上手く描ける!」というプライドと自意識が出ている気がすると語る猪子氏。
⇒意識してかわからないけれど、其一は大きな発明をしていると思うんですよ。
琳派の継承、従来の風神雷神を断ち切って、オリジナルなものを目指したとか?
いろいろ想像してみるのも面白いです。
◇構図・ディティール
〇風神雷神は《朝顔図屏風》とシンクロする?
ところが、日曜美術館では、其一が描いた《風神雷神図襖》と重なると限定されていました。
実際に見て比べた時に、雷神の雲は、朝顔図屏風と重なる部分があると感じさせられます。蔓の動きと、雲の動きが同期しています。ところが、風神の雲は、吹き上げており、朝顔の蔓の方向とは、全く違うと感じました。
それなのに、なぜ、其一の《風神雷神図襖》と限定して紹介されたのか、ちょっと理解しにくいと感じさせられたのでした。
《朝顔図屏風》が三者、四者の《風神雷神図屏風》を踏襲しているというならわかるのですが、其一の《風神雷神図襖》と指定してしまうのはどういうことなんだろう・・・・
と思いながら見ていたら、右隻の朝顔の空白部分・・・・ここに風神がぽっかり埋まるように見えました。
〇宗達・光琳・抱一・其一の違い
思い出しても、それぞれの違いをはっきりは記憶していられません。
・ツノってこんなだったけ? あれ? 二本だっけ?
・髪の毛、こんなに薄くなかったよね。
・歯が赤かったのはだれだっけ?
・風袋の握り方、あってる?
・足が雲に隠れてしまっているのは誰だったっけ?
・其一の筋肉表現が、どうも漫画的。
・筋肉もりすぎ~ 筋肉の陰影が隆起を強調
・電々太鼓、其一のは大きいよね・・・
・お腹も出てる気がするけど、どれくらい出てるのかなぁ・・・
そこで、ダメ元で、iPadをもちこみ、比較しながら見ることができないか試してみました。
音声ガイドのところで確認すると、「光がどの程度漏れるかわからないので、中にいる者に声をかけて確認して下さい」とのこと。ガードマンに確認したら「写真を撮らなければいいですよ」とのことでした。(おそらくその時の状況や、人によって対応は違いそうです・・・)とりあえず、許可をいただけたので、大手を振って? 《風神雷神図襖》の前で確認することができました。
(とは言っても、堂々と見ていると光が漏れて迷惑になるので、 胸の前で、のぞき見しながら見ては隠すを繰り返しました)
この時、とても参考になったのがこちらの画像でした。3者の風神雷神の画質もよく風神だけ、雷神だけ・・・という比較もしやすかったです。
⇒風神雷神図屏風(出典:鈴木其一「風神雷神図襖」)
比較して気づいたこと
・光琳百図の風神の雲は、其一の襖の雲と同じ
・風神の吹き上げの雲は、抱一から踏襲
・雷神の雲表現も、抱一から
・其一の雷神の足の爪は、漫画的
・其一の風神雷神の髪は薄い
・過去の雷神の片乳表現と其一は違う
乳が上にまで伸びてる
其一は、師匠や先達が描いた「風神雷神」をテーマとして選んでいるけども、それは単に題材として選んだということで、琳派の踏襲というよりは、其一の「風神雷神」を作り上げてしまった。金でも屏風でもない「襖」に描く、唯一無二、其一のオリジナルな「風神雷神」を作り上げたと思っていました。
最初にパッと見た時に、風神雷神の存在感が薄い・・・って思いました。一方で、雲が迫るように目に入りました。
其一は、風神雷神に着目するのではなく、それによっておこる現象。「風を起こし」「雷をとどろかせ」「雨を降らす」・・・・という自然現象そのものを表現するという新たな風神雷神のスタイルを提示した。そのためには、襖4枚という幅広い表現スペースを必要とし、風神、雷神そのものではなく、それを取り巻く空気にスペースを割いたのかも・・・
(雪舟の《慧可断臂図》の達磨と慧可も、存在感が薄く描かれています。 それとどこか共通するのかも・・・と思うのでした。)
○京都国立博物館:禅 ー心をかたちにー 《慧可断臂図》 (2016/05/20)
とは思うものの、ちょっと、ちょっとですが、やはり師匠の描き方を取り入れていたりして、系譜は受けついでいる部分があるようです。
⇒新知見6:抱一の風神雷神図屏風についておもしろい解釈が・・・
〇風神雷神はどこを見ているか
そこに、「表と裏」で描かれていたことを知り、並べて見る襖ではないことが判明。
〇風神雷神の目玉をどう描いたのか
巨大横長構図において、風神雷神の目線をどうするか、そんな視点では描いてはいなかったと判断しましたが、目の玉は、三者の風神雷神のどれよりも大きくギョロ目だったというのは、この構図とのバランスだったのでしょう。
あるいは、表と裏に張り合わせ考えたら、視線が、表と裏で立体的にクロスしている。
そんな仕掛けがもしかたらあるのかもしれません。
◇描き方・その他の風神雷神
〇どうやって描いたのか
この風神、雷神はどのように描かれたのでしょうか? 風神、雷神、別々に描いたのでしょうか?
別々に描いていたとしたら、右の風神、左の雷神のつながり部分の表現は無理です。両面のつながりの部分を見ると、完全に一致しています。これは何を意味するのか。
両者を同時につなげて描いていたとしか思えません。
そもそも、絹地に描く場合、この絹地はどんなサイズなのでしょうか?。この時代にこの大きなサイズの襖一枚分の絹地を制作することができたのでしょうか?
襖をよく見ると、横に幅30cmぐらいの筋がみられます。反物の生地を横にのばし、それを重ねて、8枚続きの構図で描いたとも考えられます。
そしてあとから一枚、一枚の襖にカットして、両面の襖に仕立てた。そのあたりのことも確認したかったのですが、謎のままでした。両面、同時進行で描いたのか。絹地はどんなサイズのものなのか・・・
【追記】(2016.11.08) 絹地のサイズ
調べてみたらわかりました。当時、絹地は、三六版(900×1800) 四六判(1200×1800)で織ることができたそうです。ということは、この屏風のサイズは、115×168なので、四六判からカットされたことが考えられるとのこと。
そして絹は透けるので下絵の上にのせ、その上から描いたと考えられ、下絵では風神雷神、つながっていたと思われるそうです。ということは、風神、雷神も構図とし、考えられているということでしょうか?
横線については、表と裏を分ける際に裏打ちをするので、そのあとではないかとのことでした。
〇その後の風神雷神
この4者による風神雷神を見たあと、「日本美術と高島屋」展においても、風神雷神を見ました。
〇冨田渓仙 風神雷神
風神と雷神の位置を逆にしちゃってるし!
〇菱田春草 風神雷神
あの春草の風神雷神がこれですか・・・・・
ここにも、何か、深い意味がある????
〇安田靫彦
もう神じゃないです(笑)
みんな思い思いに描いて、その時代の風神雷神があるということですね。
◇(2016.11.07)鈴木其一展の《風神雷神図襖》を見る前の印象
( 鈴木其一 《風神雷神図屏風》鑑賞に向けて 3つの《風神雷神図屏風》 より抜粋)
宗達、光琳、抱一を一同に見られる機会はそうあるものではないと思い、京都にはせ参じました。
〇風神雷神を描いた絵師の印象
細かいことはよくわかりませんでしたが、宗達ってすごいんだ・・・・とう印象を強く感じながら帰ってきました。光琳の方が知名度は高いけど、その前の宗達あっての光琳。宗達が、琳派のベースを築いたという意味でも、なんとなく格の違いのようなものを感じさせられてきました。
そして、抱一を見た瞬間、漫画チック・・・・ そんなあたりから、天真爛漫な性格で、自由奔放に描いていた人。前者の2人とは、雲泥の差・・・・ 足元にも及ばない。同じ土俵にで並び称されるには、実力不足。こうして飾ってしまっていいのか・・・・ぐらいに思っていたのでした。
ところが、今回の鈴木其一展で、抱一への見方が変わって、なんてことを思っていたんだ・・・・と冷や汗ものでした。が、改めて抱一の風神雷神を見ると、そう見えてもおかしくないなぁ・・・・と感じられるのでした。
〇其一の風神雷神
小さな画像でしか見ていなかったので、抱一の風神雷神図屏風ですら、格が違うと思っていたところに、其一のそれは、な~んちゃって風神雷神 みたいに思っていました。これをわざわざ見たいとも思うこともなく・・・・其一も風神雷神を描いていたんだ・・・ぐらいにしか思っていました。
ところが、今回、其一展で《風神雷神図襖》が展示されるとなれば、琳派の〆として《風神雷神》をぜひ拝んでおきたいと・・・・
画像を見る限り、かなり長い構図のようです。どうやら襖らしいことがわかりました。こんな構図で、これまでの風神雷神は視線がどうたらこうたらといろいろ論じられてきましたが、ここではどう表現されているのでしょうか?
また、この空間構成は、いくらなんでも間延びしてはいないか。この空間に風神雷神をどう配置して、バランスをとったのか・・・・
そんなことを見てみたいと思ったのでした。
■【2015.11.06】抱一の《風神雷神図屏風》を初めて見た時の印象
京都:③「風神雷神屏風図」えっ?これが? 屏風の大きさ・配置の謎 (2015/11/06)より抜粋
〇初心者にもわかる格の違い
抱一の風神雷神は、明らかに他とは違っていて、格の違いまでも感じさせられるほどでした。
一番、新しい作品ということもあり、色も鮮やか。そしてユーモラスな風神雷神は軽やかで、ある意味薄っぺらい感じも・・・まるで漫画チック。浮世絵が瓦版、現代のゴシップ誌だった感覚にも通じるような・・・書き手の天真爛漫さがうかがえるような気がしました。
〇江戸琳派、京琳派の差?
あとでわかったのですが、抱一は江戸琳派。なるほど・・・・・ 京都と江戸の重み厚さ、格の違いを、まざまざと見せつけられた気がしました。
〇模写の繰り返しによる劣化?
いろいろなブログを見て印象的だった言葉。
⇒琳派 京を彩る(2回目) より
以前、たぶん大学の美術の先生からだったと思うんですが「コピーにコピーを重ねていくとどんどん平面的になります。抱一の『風神雷神』なんてペラペラですよ」
なんだかその意味がとてもわかった気が・・・・
そして、宗達は、三十三間堂の木彫りの風神雷神を見て描いたということが、どこかで書かれていたと思うのですが、立体をモチーフに描かれたものに対して、平面の絵を模写したもの。確かに、どんどん薄っぺらくなっていくのもわかる気がします。
〇キャラクターによるもの?
また、抱一は、宗達の風神雷神を知らず、光琳をお手本にして描いたということも、絵の厚み、醸し出す重厚感の違いとなったと思われますが、個人のキャラクターが、画面いっぱいに出ている気がしました。
事前情報の影響もあると思いますが、抱一は自由闊達、天真爛漫。オマージュしながら、模写をしているけども、描いているうちに、そんなことは、どうでもよくなって、
自分自身が楽しんで没頭してしまった感じ。おおらかな自由人・・・・ そんな気がしました。一方、友人は繊細な印象だったと・・・・・
えっ? 繊細? 全くそんな印象は受けませんでした。きっちり描かれた輪郭。時代が新しいため、くっきりラインが残っているせいもあるけど、そこをしっかり描いているところに繊細さを感じたのだと・・・
人の感じ方って面白いです。一人ではなく、友人とでかけるおもしろさはこういうところにあります。
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■【2017.05.14】抱一に対するの見方の変化
2015年・・・初めて抱一の風神雷神を見た時の印象は天真爛漫、自由闊達
(細見美術館展で聞いていた「育ちのよさ」というのは忘れてました。
まだ抱一の認識が浅く一致できていませんでした)
2016年・・・鈴木其一展(サントリー)でみた抱一は、知的、洗練、洒脱、粋、育ち
なのに、なんであんな「風神雷神図屏風」のような絵になったのだろう。
酒井抱一 風神雷神図屏風 (出典:展覧会ルポ::東京友禅は、ぼかし屋友禅へ)
先達との差別化のために、お茶目な風神、雷神にしたのかな?
でも、抱一のキャラからは、この風神雷神は想像ができない・・・・
⇒その理由が、岡野智子氏のお話で解明!
このあと講演会のお話を交えながら続きます・・・
続き ⇒ ■鈴木其一:《風神雷神図襖》のトリビア