コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■《風神雷神図屏風》(琳派 京を彩る) えっ?これ? 屏風の大きさ・配置の謎

2015年の「琳派 京をかざる」で展示された3組の《風神雷神図屏風》をわざわざ京都まで見に行った時に記録した感想。2年後に光琳の《風神雷神図屏風》を見た印象の違い。そして2年間の間に変化していた屏風へのイメージをまとめ直しました。

 

【2015.11.06記録】
京都:③「風神雷神屏風図」えっ?これが? 屏風の大きさ・配置の謎 
                              よりリライト。

 

 

 

■《風神雷神図屏風》の展示コーナー (2015年 京博)

〇コの字に囲まれた形で展示

3点の「風神雷神屏風図」が展示されていたのは、京都国立博物館の2階。ブースはコの字型に配されていてそこに3種類の《風神雷神図屏風》が展示されています。順路の動線にそって進むと、最初に目に入るのは、尾形光琳。その部分は、ブースの入口にあたる部分のため、その前は長蛇の大行列となっていました。


係の方が「奥のすいているところからご覧下さい」と声かけをしています。それに従い、奥にすすむと、左側の酒井抱一作品、それとともに、3つの風神雷神屏風が目に飛び込んできました。
 
 

〇想像と違った《風神雷神図屏風


えっ・・・・・・


この「えっ!」は驚き、すごい!の「えっ!」でしょうか?
「あれ?」という疑問符のつく「えっ?」しょうか・・・・

あまりにも有名な作品、名前だけは耳にしひとり歩き、絵も至るところで目にできた作品。その絵は、拡大された状態で見ているため、作品のスケール感なんて全く無視された画像を、見せられてきたことに気づかされました。

そのため、本物を見た時の第一印象は、ああ・・・・・_| ̄|○ ガクッ という状態…


小さっ!色薄っ!・・・・


もっと大きいと思ってました。そして色鮮やかに印刷された図譜やインターネットの
風神雷神に見慣れすぎていて、本物はこんな色だったとは?!(笑)

あの日光の三猿「見ざる・言わざる・聞かざる」を見た時のような・・・・そうそう札幌の時計台を初めて見た時のような落胆にも似た・・・・・

ちっちゃい・・・  イメージしていたものと違う・・・・ そんな感覚に一瞬、襲われました。

しかし、いやいやそんなことを思っちゃいけない。これは、貴重な展示なんだと心の中で、その気持ちを一生懸命、抑え込もうとしていました。


ところが、周辺でも「ちっちゃいんだ・・・  色、薄いねぇ・・・・」とささやく声が、ここでも、あそこでも・・・・ やっぱりみんな感じることは同じ(笑)

しかし、気を取り直して見ていきます。

 
 

〇展示の状況はこんな感じ

 

上記の抱一の《夏秋草図屏風》が、抱一の《風神雷神図屏風》でした。

 

 

 

■3組の《風神雷神図屏風》に関する予備知識

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行きの新幹線の中で、全然、予習ができなかったという話をしながら、概要を教えていただき、「美の巨人たち」のうろ覚えの知識と照らし合わせていました。

友人から「あまりこだわらなくていいんじゃない? いつものコロコロさんらしい、人とは違う直感的な捉え方をすれば・・・」言われつつ、作品を前にして、予習した情報を照らして、どれが誰の作品であるかを対応させました。


 

酒井抱一 《風神雷神図屏風

まずは、人も少なくても見やすい抱一の風神雷神から…

http://pds.exblog.jp/pds/1/201405/27/50/f0190950_11244411.jpg

抱一の風神雷神は、明らかに他とは違っていて、格の違いまでも感じさせられるほどでした。

一番、新しい作品ということもあり他と違って、色も鮮やかです。そしてユーモラスな風神雷神は軽やかで、ある意味薄っぺらい感じもしてしまいました。まるで漫画チック。

浮世絵というのは、今はありがたがって見るけども、当時は瓦版で、いわば、現代でいうとゴシップ誌だったと言われています。その感覚にも通じるような・・・ お遊びで風神、雷神を描いちゃいました。描き手の天真爛漫さがうかがえるような気がしたのでした。

あとでわかったのですが、抱一は江戸琳派の人。京都と江戸の重みの違い。格の違いを、まざまざと見せつけられた気がしました。

 

いろいろなブログを見て印象的だった言葉。

琳派 京を彩る(2回目) より 

以前、たぶん大学の美術の先生からだったと思うんですが「コピーにコピーを重ねていくとどんどん平面的になります。抱一の『風神雷神』なんてペラペラですよ」 


なんだかその意味がとてもわかる気がします。

そして、宗達は、三十三間堂の木彫りの風神雷神を見て描いたということが、どこかで書かれていたと思うのですが、立体をモチーフにして描かれたものに対して、平面の絵を模写したものは、薄っぺらくなってしまうのもわかる気がします。

また、抱一は、宗達風神雷神を知らず、光琳をお手本にして描いたと言われています。コピーしたものをコピーすると、やはり絵の厚み、醸し出す重厚感の違いとなったのだと思われますが、私は個人のキャラクターが、画面いっぱいに出ている気がしました。

抱一の風神雷神は、ちょっと格が落ちるみたいな事前情報も影響したのかもしれませんが、抱一は自由闊達、天真爛漫な性格。光琳をオマージュしながら、模写をしたけども、描いているうちに、そんなことは、どうでもよくなって、自分自身が楽しんで没頭してしまった感じ。おおらかな自由人・・・・ そんな気がしました。一方、友人は繊細な印象を受けたと・・・・・

えっ? 繊細? この絵のどこが繊細なんだろうと思うくらい、全くそんな印象は受けませんでした。きっちり描かれた輪郭。時代が新しいため、くっきりラインが残っているせいもあるけど、そこをしっかり描いているところに繊細さを感じたのだそう・・・

人の感じ方って面白いと思いました。一人ではなく、友人とでかけるおもしろさはこういうところにあります。

 

 

 

俵屋宗達 《風神雷神図屏風

次に、中央にデンと飾られた風神雷神・・・ 作品の製作の順番から考えると、これは尾形光琳の作品ということになります。ところが、「雷神」がはみ出しています。はみ出して描いたのは宗達のはずなのに・・・ でも、時代の順番でいくと、ここに展示されるのは光琳・・・

 

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宗達風神雷神


あれれ・・・・・ おかしい・・・  混乱してきました。

やっと理解ができました。てっきり時代順に並んでいるものとばかり思って見てしまっていました。展示順は、時代順ではなかったのです。なんだかそのことに不意をつかれた感じ。

頭の中で、何度も何度も、これは最初に描いた「宗達風神雷神なんだ」と、変換しなおしながら観ることに・・・・ 鑑賞するにあたって、この時代を変換させる作業が、ちょっと負担になりました。

 

宗達の《風神雷神図屏風》は、かなり古さを感じさせられました。実際に画像で見たり、テレビで見たり、インターネットで見たものよりも、発色が悪い。というか、これらの画像は色補正されて、見やすい。ある程度、認識しやすい色になって提供されていたことを悟ったのでした。

 

 

尾形光琳 《風神雷神図屏風》(追記 2017.07.04)

尾形光琳も、本物は色が薄いんだ・・・・と思った記憶があります。それは、宗達の薄い! という印象に引っ張られていたかもしれません。あるいは、抱一の発色のよさと比較して、にぶいと感じたのか・・・・ 明確な記憶はないのですが、これまで見てきたものよりも、色は薄い・・・と。  ただ、宗達と比べてどうだったかという記憶がありません。

 

三者の《風神雷神図屏風》を見て、雲の表現が違う。そして足の表現も違う・・・ということに気づいたのですが、初めて見るため、頭なの中の情報処理力がおいつきまませんでした。時代順でない。というだけで、余計な脳内での新旧の変換作業が必要となり、新たな視点を受け入れにくい状況でした。

 

 

 

■陳列の順番は、年代順ではない?

〇年代順でないと混乱する

一緒に行った友人も同じことを言っていました。時代順に並んでいれば、琳派400年の歴史を、100年ごとに順番を追ってみることができます。しかし、順番が変わると、一度、切り替えが必要で、頭の中が混乱して、負荷がかかってしまうのです。自然な流れとして観ることができませんでした。

 

なぜ、このような順番で展示をしたのでしょう? 

 

〇重要度順?

宗達は、国宝建仁寺蔵で京都国立博物館に寄託。
光琳は、重文東京国立博物館蔵。
・抱一は、何もない

作品のクォリティー、重要度からからしても、宗達がこれらの中心的存在であることは明らか。

また、琳派のお膝元、京都での開催。京都という地は、1000年の都を遷都されて、中心を江戸に持っていかれてしまった無念をかかえていると、実しやかに囁かれる土地柄。よそから来た、東京もんの光琳作品を、メインになんて置いてやるものか・・・・なんて、気持ちだってあったのでは? と穿って捉えてみたり(笑)

やはり私淑として受け継がれたという琳派ならでは流れを、時代の流れの配列の中で見たいと思ったのでした。

 

 

■空間の広がりの違い

 「宗達」と「光琳」両者が90度に並ぶ空間に挟まれて双方の屏風を観るという形で展示されています。

 

〇「風神」と「雷神」の間から受ける印象

光琳宗達、それぞれの「風神」と「雷神」の間隔、その間をつなぐ空間感覚が全く違うことに気づかされます。それは、宗達光琳の構図が違うという大きな理由があるのですが、それをさしい引いても、その「間」の広がりに大きな違いがありました。

 

     ↓ 宗達             ↓ 光琳

出典:「京を彩る」風神雷神図屏風展示コーナー - 烏丸経済新聞

 

 

  ↓ 宗達                   ↓  光琳

京都国立博物館「琳派 京(みやこ)を彩る」10/10よりスタート | 村崎一徳旅図鑑

 

角度が違うと随分、見え方が違いますが・・・・

    ↓ 宗達            ↓ 光琳

  報道関係者に公開された尾形光琳(右)と俵屋宗達の「風神雷神図屏風」=9日午前、京都市

【印刷用】京都国立博物館で琳派巨匠が競演/特別展の内覧会開く | 全国ニュース | 四国新聞社

 

 

 

混雑していたため、近距離からしか右隻左隻の間隔のイメージを捉えることができませんでした。もっと、引いたところから、両者を見るとまた違う印象を持ったと思います。

 

光琳の《風神雷神図屏風》を「正面」からみたらこんな感じ 

 

 

 

〇風神と雷神の「間」のイメージは、屏風と図録では違う

屏風は立体で設置されます。それまでに行われた高島屋琳派展を何度か見て理解したのですが、図録やインターネットの平面で見慣れた屏風絵と、立体で観る屏風絵。受け取る感覚が、全く別ものになります。

宗達」「光琳」の屏風を前にして感じた空間感覚の違いを、もどってから確認しようとしたのですが、平面となった図からは、あの場所で感じた感覚の再現はできませんでした。

 

 

屏風というのは、平面なのではなく、折れ曲がっていること。この折れ曲がりが曲者で、絵の印象を大きく変えることを改めて感じたのでした。

   ⇒③琳派400年 細見美術館:第2章 花咲く琳派  光琳・乾山と上方の絵師 (2015/05/12)より

屏風の飾り方の基本的なこともわからず、逆の折り方で飾った状態をイメージして理解してしまったのですが、平面で見るのと、屏風として飾られるのとでは、明らかに違うこと。美術館で見るというのは、こうした立体としてとらえることで、見え方が変わるということがあることを、改めて知る機会となりました。

 

 

 

 

■屏風は同じ大きさ?

 

この3種類の屏風、果たして同じ大きさなのでしょうか・・・・構図のせいもあって、同じ大きさには見えませんでした。風神、雷神をはみ出して描いた宗達全て画角の中に納めた光琳と抱一同じ大きさの屏風に描いたのに、違う大きさに見えてしまうこれが、構図の妙なんだ・・・と勝手に解釈して戻りました。

構図によって、屏風の大きさまで、違いを感じさせる効果がある。それは並べてみることによって明確に感じることができる。と思いながら帰ってきたのですが、調べてみると、それぞれの屏風の大きさは違っていました。どこかで、サイズについて触れらているのを見たのですが、失念・・・・(婦人画報の特集記事で見たようです)

 

〇サイズ比較

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〇見た印象

実際に感じた大きさと逆転現象がおきていました。宗達の「風神」と「雷神」の間は、
果てしなく広がっているように感じられ、それとともに、屏風が大きく感じさせられていました。

一方、光琳は、同じ大きさの屏風に(同じだと思いながら見ていました)、風神と雷神ともに押し込めてしまったわけだから、お互いの距離も近いし、屏風も小さく見えるのですが、屏風のサイズは同じなんだ・・・・と思って見ていました。ところが、実際のサイズは光琳の屏風の方が大きいのです。

 

 

■屏風の展示:右隻左隻の間隔は?

宗達の《風神雷神図屏風》 右隻左隻の間隔

どうも気になったのが、宗達の二曲一双の屏風の間隔です。他の屏風とは違い、離して展示されていたことでした。

何で、同じように近づけて展示しないんだろう。宗達の屏風だけ、左右の間隔を広げて設置してます。  


この間隔は何か、意図があるのでしょうか?

勝手に想像したのは、他の2作品とは別格、特別、差別化をしたいという意識の現れではないか(笑)  最初に見た時は思っていました。

 

〇展示状況:【画像】全景《風神雷神図屏風》(京博 琳派京を飾る)

実際、どんな展示だったのか探してみると、京都新聞に写真が掲載されていました。
  ⇒風神雷神、75年ぶり3組そろう 京都国立博、27日から公開

 

DSC_0062.JPG

出典:風神雷神 3派並ぶ

 

展示の様子の写真を見ると、三者の屏風の間隔が違うことが明かです。やっぱり、どこか宗達を特別扱いしていると私は感じてしまうのですが・・・・(笑)そして、こんなに屏風の間隔を開けて展示をしたら、宗達屏風が大きく感じてしまうのは、当然と思ったのでした。

 

〇展示状況:【画像】宗達風神雷神図屏風》(京博 琳派京を飾る) 

京都国立博物館で「琳派 京(みやこ)を彩る」 ── 被災前の骨喰藤四郎も | ニュース | ミュージアム(博物館・美術館)情報ならインターネットミュージアム

 

琳派 京(みやこ)を彩る | 取材レポート | ミュージアム(博物館・美術館)情報ならインターネットミュージアム

 

 

 www.youtube.com

 

〇展示状況:【画像】宗達風神雷神図屏風》(東博栄西と建仁) 

俵屋宗達の国宝「風神雷神図屛風」、5年ぶりに公開 ── 東京国立博物館で特別展「栄西と建仁寺」 | ニュース | ミュージアム(博物館・美術館)情報ならインターネットミュージアム (東博宗達 風神雷神

 

↑ 上記の写真からも右隻左隻の間隔が、他の屏風より広いことがわかります。 

 

 

〇《風神雷神図屏風》(宗達)の金の表現は無限の濃密空間

京都国立博物館のHPの風神雷神図屏風 の解説は次のように書かれていました。

ここに貼りつめられた金箔は、描かれる物象の形を際立たせ、金自体が本然的にもっている装飾的効果として働いている。そればかりではなく、この屏風においては、金箔の部分は無限の奥行をもつある濃密な空間に変質しているのである。つまり、この金箔は、単なる装飾であることを越えて、無限空間のただなかに現れた鬼神を描くという表現意識を裏打ちするものとして、明確な存在理由をもっている。傑作と呼ばれるゆえんがここにある。


上記の解説に、とても納得しました。金箔使いが、どこか他の作品と違う。そして、空間の広がり方が与える印象も違ったのです。

宗達の風神と雷神の間は、無限の広がりを感じさせられました

 

〇右隻左隻の間隔の違いの理由(推察)

そこで、気にかかった屏風の飾り方。屏風の間隔。あとで考えるとあえて、宗達の屏風は左右をわざわざ離して展示しているように感じたことが、影響していたかもしれません。

ひょっとしたら、この解説をより、確固たるものとして他と差別化して明確に伝えたいという意図が働いて、左右の屏風の間隔を、必要以上に開けて展示たとか・・・・(笑)

 

【追記】2017.07.04 屏風の展示間隔は決まっているのか

その後、建仁寺に何度か訪れた際に伺ったお話。

建仁寺の《風神雷神図屏風》が京博や他のところで展示される場合。学芸員さんは左隻右隻の間隔を、11cmに設定されているようだと伺いました。建仁寺側からも立ち会いをされているとのことで、その時に、その都度、計測したと伺いました。毎回、同じ間隔に設定されていたそうです。京博では、確かに間隔は広かったとおっしゃっていました。

 

今、これらの展示写真を見て思ったのは、会場のバランス、囲まれた2つの展示作品のバランスを考えて、宗達の《風神雷神図屏風》は離したのかなぁ・・・と思われました。

 

その後、屏風を飾る時の基本、屏風の広げる角度や左隻右隻の間隔や、広げ方、たたみ方、見る時のお作法、どこから見るか、どの位置でみるのか。そんな決まりはあるのを探る旅始まりました。

 

 

■ミニ知識 :屏風の数え方

・「曲」:屏風を折りたたんだ時の面を数える単位
・「隻」:屏風を数える単位が
・「双」:二隻一組の対(つい)になっている屏風を数える単位
    (対になった屏風の片方を数える時は「半双」=「一隻」)

「二曲一双」は、二枚に折りたたむことができる屏風2組
「六曲一双」は、六枚に折りたたむことのできる屏風2組を、
「六曲一隻」は、六枚に折りたたむことのできる屏風1組をさす。


   ⇒「屏風の数え方って?」が図解されていてわかりやすい。 

 


 

■はみだし技法について

〇はみだし構図は、どこにでもある?

よく言われるのは、画面に納めずに、はみ出すことで、その先の広がりを感じさせる・・・宗達風神雷神の特徴として語られ、素晴らしさとして紹介されます。


しかし、その解説を聞いた時に思ったのは、そんなこと、みんなやってきたことじゃないの? 宗達だけではないいでしょ・・・ 水墨画だってそうだし、北斎や広重だってそんな構図で、いっぱい描いてます。


日本画ってそういう、限られた空間をいかにして無限の広がりを感じさせるか・・・
ってことを模索してきたものじゃないの? 今更、そんなことで、宗達はすごいって言われても、誰もがやってることだと思うんだけど・・・・

というのが、今年(2015年)前半に琳派の話を聞いて思っていたことでした。


   ⇒○尾形光琳 『紅白梅図屏風』って何がすごいの? (2015/05/22)

梅の枝をはみ出させて、梅の大きさを感じさせる。
そんなこと、みんなやってるのに、
なんですごいのかわからなかったあの日(笑)

 

〇時代をとらえずに鑑賞していた

ところが、私がこれまで見てきたのは、絵画の断片だったのでした。歴史的な流れを一切無視して、目にとまった作品について、知った知識の断片にすぎなかったのです。

絵画、アートには、時代の流れというものがあるということ。画角をはみ出して、壮大さを演出。それを最初に試みたのが宗達だったということなのでしょうか? その前にそういう構図で描いた人はいなかったのでしょうか・・・


 

■構図について

〇まとまった構図は光琳? 宗達

 光琳:風神・雷神を全体像が画面に入るように配置。
   枠を意識しそこに綺麗に収まるよう計算

宗達:屏風の外に広がる空間を意識

それによって、片隻だけ見ると、光琳の方が構図的にはまとまっているという意見があります。

 

〇画面のサイズと見え方

両者の風神、雷神の大きさは同じ。屏風のサイズは、光琳が少しだけ大きいため、光琳風神雷神は、小さく見えるはずなのですが・・・・

私には、風神雷神の大きさよりも、その間隔の大小の方が強く印象に残りました。さらに、それによる、屏風サイズの違い・・・・

それは、実際のサイズと見え方が逆転したのです。

 

宗達 光琳 どっちが好き?

宗達」vs「光琳」  どっちが好き? 「宗達の画のほうが迫力がある」という観覧者が多いそう。友人も、宗達が好き・・・・と。

私も宗達かな。やはり、「画角をはみ出すことで、無限の広がり」という「言葉」に惹かれる部分が多いです。

そして、雷神、雷様といえば、背中に背負った雷太鼓がなんといってもトレードマーク。

ところが、光琳だけ、その雷太鼓のでんでん太鼓の部分の描きこみが、物足りなく感じたのです。もしかしたら、何か意図があるのかもしれませんが、

「ちょっと、手抜きしてません? 光琳さん・・・・」という感じで、雷神のトレードマークは、ちゃんと描きましょうよ。宗達は、画面をはみ出して、描く数が少なかったけど、光琳は、全体を入れてしまって、一つ一つ、描き込むのに、疲れちゃったのかな・・・・とか(笑)

でも、光琳は、このあと、宗達風神雷神図の構図をもとに、風神雷神を、紅白の梅にして、光琳の最高傑作といわれる「紅白梅図屏風」に昇華させたと言われているのですが・・・・

宗達への絶対オマージュ説も、そういう一元的な見方をするから、解釈を間違う・・・・なんて言われてもいるようです。という話が後半に・・・・

  (↑ そうだ、そうだと、後押し・・・)



 

■オリジナリティーとは?

はみ出しの構図が、琳派の特徴と言われているようです。それなのに、光琳はなぜ、はみ出さずに画角の中に風神雷神を納めたのか・・・

〇はみだしに対して、「納める」か「はみだし」てオリジナル?

「それは、自分のオリジナリティーを出すために、 宗達がはみ出すなら、自分は画角の中に納めてみようって思ったんだじゃない?」と友人。

しかし、私はそうは思いませんでした。宗達がはみ出したなら、自分は納めて描く。それは、安直すぎるでしょ・・・・?って(笑)

(内心、私だってそれくらいのこと考えることができるわけだし・・・・ というより、私だったら、同じはみ出し技法を用いて、自分のオリジナリティーをいかにだそうか・・・ という方向で考えたいと思うんだけどな・・・)考えるだけで、描くことはできませんが 笑 

だから、光琳にも同じ「はみ出し構図」を用いて、その中で、さらなるオリジナリティーを持った「はみ出し」を考えて欲しかった。そして凡人には考えもつかない、描き方を見せつけて、私たちを、ハハ~とひれ伏させて欲しいと思ってしまいました。


  人とは違う視点。


その「違う」ということを、どこに求めるのか光琳の紅白梅は、宗達風神雷神へのオマージュとも言われています。紅白梅では、はみだし技法が用いられていました。

 

琳派の構図のポント はみだし

琳派の構図のポイントのひとつが「はみ出し」だといいます。

「琳派 京を彩る」@京都国立博物館♪ - RINPA - より
  ①くり返す 
  ②はみ出す 
  ③余白をおく 
  ④ジグザグに置く 

以上のような構図が、琳派の構図の共通点と言われているようです。ならば、なおさらのこと、風神雷神をはみ出して描いて、これが、光琳風神雷神なり~! 宗達とは違うさらなる高みを見たかったです。

 

■流派で語ることができるのか?

ところが、このような視点で、琳派光琳の梅が語られていました。
「琳派」の現在――流派概念の限界と「琳派」「RIMPA」の可能性

気になった部分を抜き出します。 

流派概念の限界
抱一以前の光悦と宗達、そして光琳には、自分たちが琳派に属しているという自覚はなかった。粉本継承も運筆継承もない系脈を狩野派などと同等に考えてよいものかとの懸念 

縦の構造を重視する琳派観があまりに強固に成立したため、各々の時代の横へのつながり、コンテクストへの視点を見失わせてきたことへの警鐘

琳派の中には多様な個性が含まれており、それを流派観の強いフィルターを通して眺めた場合、個々の作品が成立した経緯や他の流派に属する作家や作品との関係が見えにくくなる

尾形光琳筆「紅白梅図屏風」は主に同じ琳派俵屋宗達筆「風神雷神図屏風」との関係から言説が重ねられてきた。しかし、光琳狩野派学習の経験があった事実は軽視できず、榊原悟が指摘する狩野探幽筆「紅白梅小禽図」(個人蔵)との構図の近似も無視できない

俵屋宗達琳派にあらず」「江戸琳派琳派ではない」など、流派分類をめぐって多様な説が出ており、河野元昭が「定義できないのが琳派」と定義する所以である。とはいえ、今後も琳派研究が進んでいくことを考えると、そう判断するのは時期尚早かもしれない。



後世の人たちが、勝手に「琳派」なんてくくりで、まとめ上げてしまって、光琳は自分が琳派だなんて思って描いていないし、まして、自分の名前がひとつの流派のように語られるなんて思ってもいなかった

あとから、琳派の構図の共通点・・・なんてあたかもそれらしく語られるようになってしまったのですが、描きたいように描いた結果だったのだと。

たまたま知ってしまった、「はみ出し」という琳派に共通していると言われている構図。だったら、それで勝負して下さい・・・・ と思ってしまったのですが(笑)本人は、琳派だなんて意識、全くなったというのは確かにそうだと思います。

学術系の研究者が、流派観という強いフィルターで作品を眺め、型にはめ込んで語ろうとしているというのが、琳派の実態なのかも・・・・と。

 

 

琳派とはまだ新しい概念で一般になじみがない

琳派の概念はまだ新しい

なんでも型にはめて、新説を唱えたがる学究畑。琳派琳派と騒がれてはいるけど、その概念だってまだ新しいわけだし、正直、琳派を知っている人なんて、そんなに多くはないのが現実。

 

琳派の概念の歴史】
琳派という言葉が登場したのは、明治36年(1903) 宗達光琳・抱一の「風神雷神図屏風」が揃って出品され(どこに?)「琳派伝説」が創出されたと言います。

そして、現在の「琳派」の名称が定着したのは1972年東京国立博物館100周年記念 特別展「琳派」からだそう。それまでは「尾形流」「光悦派」「宗達光琳派」あるいは「光琳派」で、2004年に東京国立近代美術館で開催された「琳派RIMPA展」で、現代美術や欧米の作品まで対象を広げて琳派的なるものを探ったという流れのようです。

 

〇世間は琳派を知っているのか?

最初に思ったこと。世間は、琳派なんて知ってるの?

①琳派400年記念 京都・細見美術館  琳派のきらめき (2015/05/09)

上記の中で調べた結果を、次のように書いていましたが、その意味が、ここにきてまたさらにわかりました。


〇昭和40年代の美術辞書にも解説なし

琳派記念祭のHPから 

琳派」は、ごく近年になって使われはじめ、今は世間的に定着した言葉のようだといいます。大正時代に美術史関係の人が創り出した言葉のため、(明治36年(1903)宗達光琳・抱一の「風神雷神図屏風」が揃って出品された時、「琳派伝説」が創出。明治時代は45年までなので、その後、広がったのでしょうか?)

昭和40年代の美術辞書にも解説されていなかったそうで、
一般にはなじみがないとのこと。


琳派って騒いでいるけど、それをちゃんと理解してわかっている人は、実は、そんなに多くはないのかも



 

【参考】2015.11.16 琳派とは本当に存在するのでしょうか

全てあと付けの理論で組み上げられた虚構のようにしか見えません

編者の分析と整理によって現象をカテゴライズし、それを編集して美術史というものは成り立つので、それを封じて現象の羅列だけしても美術史として成り立ちません。表現者が自ら○○派と名乗らなくても、ある傾向として点在するものを纏めて○○派とカテゴライズすることは仕方が無いことです。そうした編集も永久に正しいということでなく、異なる視点が浮上してくれば又歴史は書き換えられるわけですが。


記述された歴史というのは全て後付けの仮説なんです。

 

 

■世間一般の琳派のとらえ方

今回、参加したツアーで次のような会話がされていました。

 

琳派がわかって見ているわけではない

「なぜ、このツアー参加したんですか?」という質問に
(みんな琳派に詳しい方ばかりなんだろうなと思っていました。)

「最近、なんだか、琳派琳派って、騒がしくなって、「美の巨人たち』でも連続して放送しているし、なんなんだ・・・と思って参加してました」

つまり、あの行列の正体の本当のところは、こんなところなのかもしれないと思ったのでした。わかって行ってるわけではなく、なんだか話題になっているから行ってみようか・・・

 

〇あるご夫婦の会話

ご主人「おれ、気づいたんだよ・・・・
    風神雷神の足、どれもはっきり描かれていないんだけど、
    抱一の足だけは、はっきり描かれていたんだよな・・・」
奥さん「それ、他のは、古くて色が禿げてただけなんじゃないの?」
ご主人「・・・・・・」


〇私の回りの会話

風神雷神、どの人が描いたものも、乳首が片方だけなのよね」

ということは、片乳首という部分が、忠実に模写されていったということを意味します。最初のモチーフとなった三十三間堂風神雷神も片乳首だったのでしょうか?

こんなことに気づいたのは、きっと私だけ? これが着眼点の私のオリジナリティーな鑑賞の視点。(笑) こういう誰も気づかないオリジナルな視点をみつけて記録していこうと思うのでした。

 

 

■参考

いかに生徒の発言の痕跡を残すか

鑑賞において、子ども達に願うことは、作品に対して自分の見方ができるようになってほしいということ。美術館に行って、作品ラベルを見て、その作品を知った気になるのではなく、作品と向き合い、自分の中で、自分の中に作品の意味を作り出すこと。社会的、歴史的、美術史的な意味はあるかも知れないが、あるいはそれを踏まえた上で、自分の意味(価値)を作り出してほしい。これは、表現と同じ、さまざまな技法を踏まえた上で、自分にしかできないこだわりを活かした表現を目指して、自分にしかできない作品を作り出す。つまり表現でも鑑賞でも新しい価値をいかに作り出すか。それが大切だと思う。

 

 

■関連