建仁寺の高精細複製品と、本物はいかに違うのか? 昨年(2016年)2月に見てから1年以上たちます。記憶もおぼろげですが、まずは、京都国立博物館で軸装にされた本物を鑑賞。そして、翌日には建仁寺で「本物とレプリカを見比べる」というのが今回の最大の目的。「本物とは何か」「レプリカ」とは? その上で本物を見ることの意味について考えてみたいと思いました。
■最終日、人はいっぱい
〇エレベーター乗車による入場調整
若干、入館する際に並びました。エレベーターに乗るために人数を区切って誘導されエレベーターの前で並んで待ちます。きっと上は混んでいるのだろうな。目的は《雲龍図》 それなら、3階にあがらず、階段でショートカットした方がいいかも・・・ しかしミュージアムショップ横の階段は、ロープが張られ、利用できなくなっていました。動線を制限されているようでした。
〇入り口の混雑状況
3階に到着すると予想した通り、人がひしめいています。まずは最初のパネルの前に立って読みふけっている人が多数。人のいるところは飛ばし、空いているところから見て回ります。あとで戻ってきてわかったことは、エレベーターから人が下りると、人だだかりができているということ。しばし待てば、人はばらけて、見やすくなります。
混雑時は、エレベーターの到着によって人の動きが変化することを把握しておくといいかもしれません。エレベーターへの誘導に沿わず、1階から入って、中の階段を上がるという手もあったかもしれません。
一番の目的は、「雲竜図」です。どこに展示されているのでしょうか? 作品リストで確認していきなり目的の作品に直行という手もあります。しかし、メイン作品を見るまでの過程、その動線上で何を見て、そこにたどりつくか・・・・ということも、鑑賞の印象を左右することに最近気づきました。
■見学順序
〇メインに至るプロセスも大事
見たいものがある場合、それを目指して突き進むという方法もあります。どこに展示されているのかをあらかじめチェックしておき、一目散にそこに向かう。今回のメインアイテムは、最終章に飾られている《月下渓流図》だと思われます。
会期終盤に向かうにつれ、開館前に行列ができていたようです。開館と同時に一気に人が流れ混むような状態の時は、まだ他の人たちが周回していないうちに、最終展示を見るという方法を紹介されていた方がいらっしゃいました。
私も速水御舟展の《炎舞》を見た時は、この鑑賞法で見ていました。どこの展示でもまず入り口の挨拶パネルで、人は足を止めそこに留まるのが常。開館直後は、人が流れる前にメイン作品を見てしまうというのは一つのコツです。
〇メイン作品を見る過程も大事
ところが、鑑賞には、それを見るに至る過程、盛り上がりというものがあることを、ある作品を見た時に感じていました。いきなりそれを見るのではなく、ある程度、そこに至るまでの「画家の画業を見ながら高揚感を肌で感じて最後に見る」のと、「いきなり見る」のとでは、その印象も変わるのでした。私の一押しの鈴木其一作品《四季花鳥図屏風》をこの春、再度、別の美術館で見た時に感じたことでした。(⇒■印象が違う理由を考えてみた)
作品は、それを展示する企画者の構成の意図もある。お目当てがあっても、それのみに走るのではなく、どういう流れの中で見るかということも大事。
〇全体を俯瞰して見るポジション
お目当ての《雲龍図》は3階から降りる階段で視界に入ってきました。2階に展示されています。階段の途中でちょっと立ち止まって全体を確認していました。すると、隣にいた方も「近くによりすぎるとわかりにくくなるから、これくらいの距離でまずは全体を見ておくことがポイントなのよ」と同行されている方に話していました。(立ち止まらないようにとの注意の立て札があるので、見るのはほんのちょっとだけ・・・)
特別展覧会「海北友松」:京都国立博物館で開会式 - 毎日新聞 https://t.co/dmQCVX89YT #海北友松 #京都国立博物館
— 毎日新聞大阪・文化事業部 (@osakabunkajigyo) 2017年4月10日
上から見ると全体が把握しやすくなります。いきなりこの空間に飛び込んでしまうと部分しか見ることができません。
〇展示には構成、ストーリーがある
やはり展示構成には、こうしたプロローグ的な鑑賞を動線の中に含めていたりするものだと思うのです。今は音楽の聴き方も変わり、好きなところをつまみ食いして聞く傾向になりましたが、昔は一枚のアルバムをアーティトがどんな思いで構成したのかを考えたりしたものでした。美術展もそれと同じだと最近、感じさせられたのでした。
いよいよ、《雲龍図》です。
■《雲龍図》を前にして・・・・
違う! やはり違います。
本物とレプリカは違う・・・当たり前と言えば当たり前のことなのですが・・・
〇本物を見た時に感じる一般的な印象
以前、京博で《風神雷神図屏風》3点をを見た時に感じたこと。それは色が薄い!・・・ということでした。本物を見たら、実際の発色はこんなに悪いんだということを初めて体験しました。それが本物の古さ、歴史なんだと妙に納得はしたのですが・・・ しかしこれは、どの作品を見ても共通して言えることだとあとでわかりました。
私たちは、本物を見る前に、様々な画像で作品を見ています。それらの色は調整がされていて、作品がわかりやすいように補正されているということだったのです。作品として認識できるよう、はっきりとした発色の加工がされていたことを理解しました。そのため、多くの場合が、こんなに色が薄いんだ・・・・という感想を持つことが多い。というのが共通した第一印象であると感じています。
そして、思っていたより「小さい」ということも。これもサイズを比較するものがない状態で美術書やネット内の画像を見ています。画面いっぱいに作品が掲載されているので、すべて等尺のように見えてしまいます。そのため見る人の勝手なイマジネーションで、大きさを決めてしまっています。思ったよりも小さい。この感覚も、多くの作品において共通して感じさせられる印象です。
〇《雲龍図》は逆だった
ところが、《雲龍図》は、色が濃い! のです。キャノンのデジタル画像は、なんであんなに薄い発色にしてしまったのでしょう? そう思ってしまうくらい、発色が薄く再現されていました。そのため、建仁寺の龍は、すぐに全体像が認識できません。じっくり見て、やっと全貌が見えてきて、そんなふうに描いていたのか・・・・と納得したり、驚きにつながりました。最後にニョキと現れる爪におどろかされるのです。
しかし、この本物の龍は、最初から、はっきりくっきり。あとからハッとさせられる爪の存在も最初からバッチリ見えていました。これじゃあ、驚きがそがれるなぁ・・・ 楽しみがなくなっちゃう・・・・・ キャノンの再現はそういうことを考えて薄い色で仕上げていたのでしょうか?
もしかしたら、私自身がすでに龍の全貌を知ってしまっているため、全体像もすぐに認識ができてしまい、余計にそう感じてしまうのかもしれません。保存状態がとてもよい状態で軸装されたということなのだと思います。(あるいは描かれた直後の状態を再現するように補修されたのか・・・)ただ、突然、現れる発見の面白みがなくなってしまったようで、本物を初めて見た場合、どんな風に感じるのだろう・・・・と想像を巡らせていました。
〇展示空間の高さ・・・・
そして、この軸をかけるためにあつらえたかのような高さのある空間・・・ この天井高がより龍の迫力を増すかに思われます。最近、「ミュシャ展」「草間彌生展」でも、巨大展示空間による醍醐味を感じさせられていました。建仁寺の襖絵も、あえてそうした空間に展示されることで、別の迫力が増すのかどうか、期待をしていました。ところが、建仁寺で襖絵として空間を知っていると、この天井高は逆効果になっていると感じました。
建仁寺で《雲龍図》を見るとこのようにな目線の関係で見ることができます。
(建仁寺で撮影した写真をアニメーションに ストップしないのであしからず)
座った状態と龍との目線、襖の高さとの関係。そして軸装となってしまったための作品の縮尺感が損なわれています。90度に配置し、建仁寺方丈に掲げられた状況を再現しようとされていますが、やはり作品はあるべき場所で輝く。その作品が持つ迫力とは違ったものになってしまうと思いました。
■本物と高精細複製品との比較
〇全体の色の違い
一番最初に感じたのは、色が濃いということでした。
でかける直前、以前、建仁寺で撮影した写真を見ていたので、その違いがある程度、理解できます。
↓◎建仁寺の龍 ↓◎本物
全体にはぼやけた印象 色が濃い
↑
出典:開館120周年記念特別展覧会 海北友松(かいほうゆうしょう) | 京都国立博物館 | Kyoto National Museum
↓ 建仁寺の爪 ぼんやり ↓ 本物 精細緻密
ぼんやりであとから気づく驚き 見てすぐ目に入るわかりやすさ
出典:川沿いのラプソディ より
爪についても、建仁寺の爪は、うすぼんやりしているのですぐに目には入ってきませんでした。あとで気づかされる感じです。一方、本物は、いきなり、この爪が目に飛び込んできました。くっきりはっきり描写されています。
〇細部の表現の違い
しかし、さすが本物の威力。細部の表現の繊細さ、勢いは全く違います。上記の爪の書き込みもちがいますし、龍の背中の背びれ?も繊細さが違います。また、一番、違うと思ったのは角です。
↓ ◎角の勢い
↑
出典:開館120周年記念特別展覧会 海北友松(かいほうゆうしょう) | 京都国立博物館 | Kyoto National Museum
角の表現に顕著な違いが見られたように感じました。勢いが全く違う! 出自が武士であることをどうしてもつなげてとらえてしまうような角。友松が素性を隠そうとしても、この角がそれを象徴してしまうように感じられました。
〇目線の高さ
空間としては、やはりあるべきところにあることの意味というものも感じさせられました。軸装の状態で90度に展示しても、建仁寺の障壁画を見ている感覚とは異なります。座位で見るという高さの感覚も損なわれているような・・・
出典:噛めば噛むほど味が出る? 「海北友松展」 @京都国立博物館
ことはじめライターブログ
ただ、この角度からの写真を見るように展示されているので、建仁寺で座位で見た目の高さになるように調整されているように思いました。しかし何かが違うのです。
出典:噛めば噛むほど味が出る? 「海北友松展」 @京都国立博物館
ことはじめライターブログ
それは、今、振り返ってみて気づいたのですが、「立った状態で同じ目の高さ」なのか「座った状態で龍と同じ目の高さになるのか」の違いだと思いました。見ていた時は、ベースラインが違う・・・・ と感じていたのですが、そのベースの感覚が今一つつかめませんでした。今、こうして見ても、目線は同じになるよう再現されています。
「座った状態」で襲い掛かる龍と、「立った状態」で遅いかかる龍の違いだったのです。やはり座った状態で遅いかかる迫力は全く違います。翌日、建仁寺に訪れて見たことも重ねて振り返って、やっとわかりました。
〇阿吽形の龍
この龍は阿吽形で描かれています。
(出典:開館120周年記念特別展覧会「海北友松」を見に行くリン♪ |
阿(あ)=「あ」ということで、ものごとの始まり
吽(うん)=「ん」ということで、ものごとの終わり
◎吽(うん) ⇒口閉じる ◎阿(あ)⇒口を明ける
ものごとの終わり 物事の始まり
向かって左側 向かって右側
建仁寺では、次のような関係になっています
▼吽(口閉じる) ▼阿(口あけてる)
実際の会場はこんな感じ・・・・
距離感が全く違います。このような巨大空間に入ると、正方形の同じ辺の空間となり、どちらがどちらかという方向感覚も見失ってしまうのでした。
〇墨のたれの再現の違い
立てて描き墨をたらすことで効果を狙ったという技法。それがどこに使われているか・・・・
これについては、訪れる前に知った技法だったので、初めて見た時は認識していませんでした。撮影してきた写真を確認して、なんとなく垂れたようなあとがあることがわかりました。
↓ 垂れた墨のあと
テレビで紹介された墨のあと。
出典:日曜美術館・海北友松 龍の世界 - チャンスはピンチだ。
本物を見たら・・・・ この墨あとは、はっきりくっきり表現されていました。デジタル画像は、それほど明確に表されていません。
ここで「阿」の龍(右)を見ているのに「吽」(左)の龍を見ていると錯覚がおきていました。そのため、建仁寺で龍の背景の墨のたれ具合を見た時に、炭のたれが全く表現されなくなってしまっと勘違いがおきていました。
〇紙質の違いは?
建仁寺の高精細複製品の紙質はかなり再現されているように感じていました。しかし1年以上もたっているのでその記憶もあいまいです。本物の紙質を目に焼き付けておこうと双眼鏡でじっくり見ました。でも、見ていると龍の方に気がとられてしまい、結局、紙質をちゃんと見ることができなかった気がします。
色の濃い部分というのは紙質がわかりにくくなります。また、其一の《風神雷神図襖》が絹だとばかり思って見ていたのに、絹ではなく紬らしいということが最近わかりました。これは、絹だ! と確信してみていたのに、違っていたということで、ちょっと自信がなくなっています。和紙のように見えますが、違うと言われると違うかもしれないし・・・
少なくとも、棟方志向の版画のようなコピー用紙ではないとは思いましたが・・・ しかし棟方志向の紙質を画像でみても、よくわからない状態だと思いました。
■感想
とりあえず、雲龍図の本物を見てみたい。という兼ねてからの願いがかないました。 今の高精細複製品は、本物に迫るのでは? と思っていましたが、そこはやはり本物には本物のディティ―ルというものが存在していました。
色の発色が随分と違ったのはどういう意図があったのかな・・・・というのが新たな疑問です。
その他の作品については、ちょっと複雑でした。もう一つの私のお気に入り、《山水図》 本物の繊細さは伝わってきます。しかし、これは、全体を並べて通してみなくちゃ全く意味をなさない襖図だと思うのです。
あっ、鏡面反射した絵なんだ! 横のラインは水面だったんだ・・・・ その驚きは全くこの展示からは伝わってきません。4面のうちの3面の展示じゃなぁ無理もありません。せめて4面展示して欲しかった・・・・ ちょっと残念。本当のよさを本物で全作品、並べて見てみたかったというのが正直な感想です。他の作品も同様でした。
今、ここで見た本物の感触を忘れないうちに、翌日建仁寺に行って、比較してみる。というのが今回のメインの私の課題(笑) とりあえず、本物の雲龍図を見ることができたということで中締め。
このあとは、友松の画業の変遷などを追いつつ、最晩年の作品や他の龍を追ってみます。(続く)
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