コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■海北友松展:龍を描かせたら世界一 最晩年のそぎ落とされた《月下渓流図屏風》

建仁寺で海北友松の龍に出会ってから、龍に注目するようになりました。まだ鑑賞経験は少ないですが、あの龍を超える作品には出会っていません。日曜美術館で友松は他にも龍を描いていたことを知りました。晩年、描いた龍は、私の一番を塗り替えてくれるのでしょうか?! 

 

 

日曜美術館で見た龍

日曜美術館の本放送を見ることができず、日曜美術館の再放送で『帰還!“奇跡”の名画 桃山孤高の巨匠 海北友松』の番組を見ていた時は、 海北友松展に出かけることはほぼ、諦めていました。そこで見せられた龍は・・・・

 

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暗闇の中にうすぼんやりと浮かぶ龍・・・・ こんな演出をされては・・・・

 

琳派の《風神雷神図屏風》を見た時に知ったこと。今、美術館で見る光と、当時の光は違う。そして昼と夜、暗闇のなか、ぼんやりとした明かりの中に浮かぶ姿もまた変化する。それを知って、当時の照明で見るという体験をしてみたい。という思いを募らせていました。

 

京博の「海北友松展」の龍は、そんな演出もされていたのか・・・・ 担当の山本学芸員が退官ということもあって全精力をあげた展示となっているという話は耳にしていましたが、ここまでの演出がされていたとは! やっぱり行きたい! という気持ちを大きく誘発した映像でもありました。

 

もし展示を、この放送を知らずに見ていたとしたら、その驚きは、はかり知れなかったと思います。

 

 

北野天満宮の龍はいかに?

このエリアは、「第八章 画龍の名手・友松―海を渡った名声」あたりから始まります。コーナーに入るところに解説が展示されています。作品の横に解説をおかなかったのは、きっと、解説なんて読まずに、龍としっかり対峙して下さいという意味だったのではないかと思いました。もしかしたら単に暗闇の中では文字を見れないというのもあったかもしれませんが・・・・

 

北野天満宮や「勧修寺」の屏風、掛軸画などが展示され、龍のフルラインナップといったところでしょうか? 

 

   はたして北野天満宮の龍は、建仁寺龍を超えたか! 

 

と思いながらじっくり向き合おうとしたのですが、あ~らまぁ・・・

 

   威厳が・・・・ない!

 

間抜けとはいいませんが(笑) やっぱり建仁寺のあの龍よりは、「ひょうきん」・・・でもなく、「ユーモラス」でもなく、「人間味あふれる」というか・・・・ 中にはこういう龍もきっといるんだろうね。龍だからって、全部が全部、威厳があるわけじゃないってこと。そういえば、建仁寺「吽」の方の龍も、ちょっと抜け感があって、親しみを感じた龍だったわけだし・・・・ 目のあたり、ツケマツゲでもつけたようにピンピンでおちゃめ(笑)

 

そのあと、お食事をするのに並んでいた時にご一緒になった方とお話をしていて、同じことをおっしゃっていました。「どうしてあんなにまつ毛がながいのかしら? って思ったら龍の顔ってラクだったのよね。ラクダって砂が入らないように、まつ毛が長いこと思い出したわ・・・」と。ラクダのまつ毛が長いということを初めて知りました。

 

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■老成した龍

そして、2つの軸装された龍は、なんだか、一気に老け込んじゃって老成しちゃったみたいに見えました。これを年齢を重ねた落ち着きととらえるか、龍も老化現象が現れるととらえるのか・・・(笑) 私はやっぱり、寄る年波には龍も逆らえない・・・って思ってしまいました。

 

しかし、暗闇の中に浮かぶ演出によって、先ほど軸装された建仁寺の龍の爪は最初から、どうだ! とばかりに威嚇してきましたが、「脳ある龍は爪を隠す」で、こちらは、ヌアンとあとから忍びよる怖さを持っていました。そうそう、これこれ・・・と満足しながら見ていました。

 

 

 

■友松の龍はやっぱり一番

〇龍の体躯は?

龍を見る時には、その体のくねりがどのように表現されているか・・・・を確認する習慣がいつの間にかできていました。北野天満宮のうねり方もチェックしていたのですが、どうも曖昧な感じ。どこがどうつながっているかがわかりにくくて、先はフェードアウトするのですが、どちらかというと知り切れトンボ状態端の尻尾がちょん切れてしまっているように感じました。

 

龍の体のうねりを見ている人がいないかなぁ・・・・と鑑賞している様子をうかがっていました。表装にされた天井高のある建仁寺の龍のところでは、それを見ているような人はいませんでした。ところがここの空間だと、「ここがここにつながって・・・」と体の流れを追っている人が何人かいました。やはり高い空間と、低い空間で目の追い方が変わるのだなと思って見ていました。

 

 

〇お隣の国からも引き合いが

お昼を食べる前にざっと見て、お昼の後、解説を見ながら再度、鑑賞しました。すると、解説には、海北友松の龍すばらしさは、お隣の国、朝鮮まで鳴り響いていたそうです。朝鮮の高官・李大根(イ・テグン)が、海北友松の龍の絵を見て忘れられず、どうして欲しい。描いてもらえないかという内容の手紙をとうとうと訴えて送っており、友松もそれをとても喜んで大事にしたという解説がありました。

 

そうでしょ、そうでしょ・・・ 日本のみならず、中国や朝鮮で描かれた龍よりも私もすごいと思うわ・・・・ 自分が見つけた龍が、海外でも絶大に評価され、わざわざ高官が手紙までしたためて所望されていたと聞いて、それを見つけることができた自分も褒められているいる気分になって喜んでいました。

 

そして、龍の解説を見ると、やはり、私が感じたとおり、建仁寺の龍が勢いのピークで若干失われていると書かれており、ほ~らやっぱり・・・・と鼻を高くしていましたた(笑)

 

 

■《月下渓流図屏風》は無一物? 

さて、となりのクライマックス《月下渓流図屏風》

 

〇イメージが先に膨らむ

日曜美術館で、すでにどのような描写がされているのか、大まかなところ理解しています。静寂、静謐さを感じさせる屏風。季節は早春。朧月夜の夜明け。優しい光・・・静かに流れる渓流を月明りが照らす。

 

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すでに自分の中でイメージが出来上がっています。月明り、静かな流れ、得も言われぬ光・・・  MOA美術館で見た杉本博の《月下紅白梅図》をイメージしていました。渓流は、なぜか其一屏風。季節も違い、流れの勢いも違うのですが《夏秋渓流図屏風》  それらをミックスさせたような雰囲気だろうと。その静けさにこの屏風の前で時を忘れて浸る・・・・ 

 

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〇人ごみに阻まれる

ところが・・・・・ 静寂さは全くありません。

屏風の前は人ごみ状態。春のにおいたつ香も静謐もなにもありません。

 

やはり鑑賞の環境は大事です。これはもう、閉館前、人のいなくなる時間を待って、その瞬間にかけるしかない! ところが閉館間際になるにつれ、どんどん人が、ここに集まってきて集中してしまいました。読みを誤ってしまったのです。

 

 

〇間隙を縫って

しかし! 大丈夫・・・・ 午後の部で、ちょこちょこのぞいて、人の切れ目を狙ってちゃんとチェックしていました!

 

人が少なくなった時にすかさず鑑賞に。受ける印象は全く違います。角がとれて丸くなちゃったんだなぁ・・・・と思いきや、いやいや、梅はやはり鋭い勢いが残っていました。しかしそれを感じさせないまでに回りの空気がつつみ混んで和らげています。この空気感は、長谷川等伯の《松林図屏風》を思いおこさせます。

 

が、長谷川等伯の何も描かれていない空間を見た時、私は海北友松の方が空間表現は上だと思いました。友松に負けてる。と思ったのでした。何もない空間の描写は、ここに極まれり! と思われたのでした。(⇒【追記】(2017.02.04)空白のとらえ方

 

 

■音声ガイド

最後に音声ガイドを借りました。これが、めっちゃくちゃよかったんです。

 

これまで借りたガイドの中で、ナンバー1だと思います。ナビゲーターは、俳優の石丸幹二さん。特筆すべき点は解説をしながら、「では、友松になり切ってこの時の心情を語りましょう」という前置きのもとに語られるセリフは、さすが役者さん。友松が耳元で、心情を吐露しているかのようにささやきかけます。こんな音声ガイドは初めてでした。そして、BGMが場を盛り上げ、友松の世界にどっぷり浸らせてくれるのでした。

 

昼食の時に音声ガイドを借りて、そのまま聞きながら食事をしようか・・・・ ハイアットが提供するコースランチ。ちょっとお行儀が悪すぎるかな? 待ってる間なら許されない? と思ったのですが、音声は展示館内だけだったので、あきらめがつきました。

 

これまでも女優さん、俳優さのガイドを聞いてきましたが、役者さんがガイドをつとめる意味というのは、こういう演出によってより高まると思ったのでした。

 

 

 

■そぎ落とされた世界

音声ガイド、そのBGMとともに、《月下渓流図屏風》を見ていると「茶の湯」で見た《無一物》が思い浮かびました。極限までそぎ落としてそぎ落として、最後に残ったものがこれだという・・・・ ここまで、これまでの画業がそぎ落とすことができてしまうのなのか・・・ 武士に返り咲くことを心に思いながらも最後は絵師として全うしました。すでに達観していたのでしょう。

しかし、やっぱり、どこかで・・・・ と思ってしまうのが梅の枝です。鋭さが出ているような気がしました。そして色も排除して、排除して、排除したけども、最後に着色を施しました。それは、生きとし生けるものに対する憧憬なのか・・・・畏敬なのか。生命の輝きを表現するには、色の力を必要としたのかも・・・・とか。

 

屏風中央の何もない空間。春草を思い浮かべました。スタイルは同じように見えますが、春草よりもそぎ落とされた空間に感じます。春草は広がりを感じました。友松は収束していたような・・・・ そして流れる水は、其一は中央に集まっていますが、友松は外へと広がっています。それぞれが、どこか似ているようでいて違うのです。

 

何も知らずにこの屏風を見たとしたら、友松の作品とは絶対に思わない世界です。この絵の静けさを、ちゃんと味わえる瞬間に遭遇できたこと。ちょっとの間だけでしたが、それを味わえてよかったです。

 

それにしても、この屏風を持っていってしまった、ネルソン・アトキンズ美術館。お目が高い・・・ 日本人は何をしていたのか・・・・(笑) アメリカの人がこの感覚を理解するというのも、国を超えた共通の感性というものがあるということを感じさせられます。

 

大切に引き継いで下さい。そして、また、貸して見せて下さい。このあと60年後となると私は見ることができないので、友松の没年と同じ年になった頃、もう一度見せてもらえたらうれしいです。

 

 

出典:永徳、等伯、山楽に並ぶ桃山の絵師 “海北友松” ただものではなかった!!

                  | ARTことはじめライターブログ

 

 

 

あの友松展、「わざわざ最終日、京都まで見に行ってたのよ~」と何年か先に、自慢できる日が訪れるか?! (笑)

 

 

 

■参考 

──「山本英男」:アート・アーカイブ探求|美術館・アート情報 artscape

 

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