コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■建仁寺と友松 海北友松って? 桃山時代の三巨匠の生没年でみる関係

海北友松との出会いは建仁寺の高精細複製品。この人すごい! これがレプリカ? だったら本物はどれだけ~? 本物を見る機会があったら私は絶対に行く! と思っていたら京都国立博物館で海北友松展開催京都限定で東京への巡回はなし。次に見れるのは? と思ったら行くしかない! ということで5月21日、最終日に訪れました。

 

 

■海北友松との出会いは建仁寺

始めて建仁寺で、海北友松の作品を見た時の衝撃たるや・・・・ いろんな意味でインパクトを持った絵師との出会いでした。  

 

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「海北友松」 読み方がわかりません。 →→→ 「かいほうゆうしょう」です。
そんな人、聞いたこともありませんでした。ところが、この人の龍がすごすぎるのです! 龍の姿が徐々に徐々に浮かびあがってくるんです。その姿はそれはそれは大きな体が飛び出してきたのです。そして空白には得も言えない雰囲気が漂っていまました。これまでに見たどんな有名な絵師よりも迫力があって、この人の方がすごい! と私は思いました。それなのに美術界は、こういう人のことを評価していない気がする。なんで、こんな人がいるってことを、もっと伝えてくれないんだろう・・・・とまで無知をさらけだしながら、思っていたのでした。

 

ところが、この絵が高精細画像によるもだったのです! これまた愕然・・・・ 本物っていったいなんなんだ? というのがことの始まりでした。

 

帰ってから海北友松について調べました。しかし当時は、「琳派」という言葉に出会ったばかりの頃でした。江戸時代の琳派について調べるので手一杯。活躍した時代が桃山時代だとわかりましたが、その時代を理解するにはキャパシティーオーバーでした。海北友松について理解するのは、今はまだ無理。この先、別の機会にと持ち越したのでした。

 

桃山時代をわかっていませんでした。江戸時代よりずっと遠い昔・・・ と思っていました。ところが、本阿弥光悦を調べていると、桃山時代は江戸時代の前の30年間ぐらいだということがわかりました。その前が室町時代。光悦は室町時代に生まれた人。ということは、光悦と時代が重なってるっていうこと? 琳派とはどういう関係? とチラリと頭をかすめてはいましたが、まあそのうち、おいおい・・・・と。

 

 

■龍比べ

龍というのは、どこか魅力を感じさせられます。建仁寺の龍を見てから、龍に興味を持ち始めました。どんな龍でも、これほどまでのすごみがあるものなのか・・・・ 海北友松の絵力によるものなのか。あるいは、龍そのものに、力あるから、ある程度の絵師が描けば、それなりに見えるモチーフなのかも・・・と思ったり。それらを見極めたいと思い、翌年は、龍をめぐるバスツアーに参加しました。

    ⇒京都禅の本山 龍めぐり

 

4つのお寺の龍を見たのですが、やはり、海北友松の龍にはかなわないと思いました。目力、構図、墨の濃淡による表現・・・ どれをとっても超えるものがありません。その後も龍の絵をいくつか見ていますが、やはり海北友松の龍がピカ一です。そして龍をとりまく空間表現も彼を超える絵師に出会っていません。そんな絵がデジタル画像なのです。

 

今回は、友松の龍は、「雲龍図」だけでなく、他の龍も登場すると聞いています。マイベストだと思っている雲龍図を超える龍にめぐり合うことができるのかも期待。

 

 

 

■桃山時代の3巨匠

狩野永徳長谷川等伯と並び称される桃山画壇の巨匠。と言われているらしいですが、当初はそんな人たち、知りません。「狩野永徳」なら聞いたことありました。しかし3巨匠っていったって長谷川等伯なんて、聞いたこともないし・・・ この時代の美術の世界では3巨匠なんて言われているのかもしれませんが、美術に関心がない者人にとっては、そんなこと知ったこっちゃありません・・・ それが2年前の印象でした。 

その後、狩野派を理解しないと琳派は理解できないなぁ・・・ と思うようになり、長谷川等伯という名前もあちこちで目にするようになりました。今年のお正月には、長谷川等伯のあの有名な「松林図屏風」を見にでかけてきました。

 

 

狩野派琳派の関係 

狩野派」は教科書で見ただけの言葉でしかありませんでしたが、美術展に行くと、次第に狩野派の作品が展示されている場面に遭遇します。作品もいくつか目にして次第にどんな画壇だったのかを少しずつですが、理解しはじめてきました。

 

琳派のことを調べていて意外だったこと。それは琳派は江戸時代の画壇とされていて、創始者とされる本阿弥光悦江戸時代初期の書家、陶芸家、芸術家。と言われています。そのためてっきり江戸時代だけに生きた人かと思っていました。ところが生まれたのは江戸時代よりも前で、安土桃山時代かと思ったら室町時代だったのです。ということは、琳派室町時代も引きづっているはず・・・・ということを理解しました。

 

   

〇歴史を把握すること 

歴史に疎くて、安土桃山時代って、「安土」時代と「桃山」時代に分かれていると思っていたし、その前が「室町時代」だったなんてすっかり忘れてました。時代の前後関係が全くめちゃくちゃ。「室町」「安土桃山」「江戸」という時代の流れ。先日見た茶の湯展でも、そのあたりの整理が必要だなと感じさせられていたところです。

 

 

以前に書いていたことから抜粋

①若冲生誕300年記念:「ゆかいな若冲・めでたい大観」 山種美術館 (2016/01/12)

ちょっと脱線しますが、琳派400年の歴史の時も、時代感覚のなさを痛感していました。
本阿弥光悦が始祖と言われますが、その年代は時代にしたらいつのことなのか? 光悦は何時代に生きていた人なのか? 江戸時代初期に活躍と言われていますが、江戸の初期っていつごろまでをいうのか? さらに、生まれていたのは、江戸時代よりも前だったことをあとで知りました。

江戸時代の前は、何時代だっけ? 江戸時代って何年から始まったの?

恥ずかしながら、日本史の知識のベースが全くないのです。大昔、一生懸命、語呂合わせで年代を覚えたはずなのに、江戸時代がいつから始まったのかも忘れており、そんな状態で日本画を見ているというのは、いかがなものか・・・・・と心の奥底でずっとひっかかっていました。

 

 【室町時代】 【安土桃山時代】 【江戸時代】

(1493 - 1573) (1573- 1603) (1603~1868)

    1558ーーーーーーーーーーーーーーーーー1637

         本阿弥光悦

 


本阿弥光悦は、1558年、江戸時代より前に生まれていました・・・・

安土桃山時代」 (1573年 - 1603年)に生まれたのかと思っていたら、
「室町の戦国時代」(1493年 - 1573年)だったのです。

 

ということは、それぞれの年代で次のような時代を過ごしていたわけです。

室町時代        1558年誕生 0歳~15歳 室町文化       
安土桃山時代の始まり  1573年~  15際~45歳 桃山文化
江戸時代の始まり    1603年~  45歳~79歳 壮年期を江戸時代  

 

 

つまり、15歳までは、安土桃山(桃山文化)の中で育ち、45才までは、室町(東山文化)の影響を受けていたことになります。江戸時代の初期に活躍したと言われていますが、その根幹には、室町、安土桃山の文化が、ベースを担っていることが考えられそうです。幼少期、そして多感な時期に何に触れているかで、その後の画業に大きく影響するものだと思います。

そんなことを感じ始めたころで、年号と時代を一緒に捉えておくことが、重要だと思い始めました。

 (それまでは、絵を見るだけで、いつの時代に描かれたものか、その人の人生の中のいつ頃に描かれたのかなどは一切気にしていませんでした。)

 

〇年表で見ると

ということで、本阿弥光悦をはじめとする琳派。そして狩野派長谷川等伯、海北友松の年代の関係。それにからめて茶の湯関連の作陶、利休、織田信長豊臣秀吉あたりも絡めた、歴史を把握したいと思っていました。

 

 

室町時代  :1493年 - 1573年

安土桃山時代:1573年- 1603年  たった30年しかなかった?

江戸時代  :1603年-

 

海北友松は、これらの時代を経て、この時代の誰と同じ時期を過ごし、絡んでいるのか・・・・ 生没年表が欲しい! 帰ってから作ろうと思っていたら、京都国立博物館だより」にその表が記載されていました。これは助かりました!

 

 海北友松は琳派本阿弥光悦とも重なっており、あの宗達とも同時代を生きていたらしいということがわかりました。ところが上の表、生没年の表記は数字なので左から右なのですが、棒グラフは右から左。縦書き文章の中に挿入されたグラフなので、右側が若い年代になっているため、視覚的な認識が狂ってしまいます。

 

 

〇やはり自分の関連年表が欲しい

さらに狩野派のその後の絵師との関係に、琳派の流れ、そして先日見た、茶の湯関係もからめて対応させて把握したいと思い・・・・

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狩野派は、同時代を過ごしたのは、永徳だけでなく、山楽、山幽も重なっていました。幼少期から学んだ狩野派の影響について語られていますが、常にかたわらにビック3いたことになります。友松は、狩野永徳長谷川等伯よりもずっと前の人・・・という印象があったのですが、思ったほどの隔たりもないことがわかりました。水墨画を見ていると長谷川等伯を感じさせられた部分がありました。幕末同様、桃山時代から江戸時代変わる時代の節目、過渡期というのは、影響しあってぶつかり合うところから新たなスタイルが生み出されるのかもしれません。

 

 

〇年譜の作成

海北友松の年譜が会場にありました。

京都国立博物館だより」の年表と照らしながら見ていたのですが、誕生から60歳まではほとんどが空欄です。しかし年表は等列に記載されているので、後期に集中している画業が、全体に分散しているように見えてしましました。時間のスケールが把握しにくいと感じたので、自分の時間感覚にあう年譜に作り直したくなり鋭意作成中。

 

「歴史・戦」「建仁寺 禅宗との関係」「交流関係」「作品」の項目に分けて年表にするとそれぞれの関連性がわかりやすくなりそうです。

 

海北友松は武家の出。和歌や俳句、茶道をたしなみ、その時代の文化人や武人、公家との付き合いが広く、画業の広がりはそうしたネットワークによるものが大きく影響していたことが展示から読み取れます。そうした軸とともに全体を把握していくとより理解が深まりそうです。

 

  

 

■今回の鑑賞の目的は・・・・

〇本物は違うのか?

建仁寺で見たデジタル画像があまりによくできていました。でも、本物はそれ以上の何かがある? いやいや、今のデジタル技術は本物にひけをとらないほどになってる?

 

〇紙質の違いは?

デジタル画像は紙質まで表現されているように感じました。それは印刷による表現なのか、紙を再現しているのか。そして本物の紙質はいかなるものなのか。

 

 

〇「襖絵」「障壁画」が「軸装」なった印象は?

本来襖絵だったおのが、保存のため軸装になった作品。「襖」と「掛け軸」 その作品形態によって印象はどう変わるのでしょうか。

 

 

建仁寺「方丈」に設置される作品と、博物館で見る作品の違いは? 

博物館でケースの中に張って見る作品と、本来あるべきところにある作品。環境は鑑賞にどんな影響を与えるのか。博物館で見ることによるバイアスを意識してみようと思います。

 

 

〇作風の変遷は?

海北友松の作品は建仁寺墨画しか見ていませんでしたが、フライヤーには極彩色の屏風絵が掲載されていました。「友松=墨画」とばかり思っていたのですが、こんな作品も描いていたのかと驚きました。

一方、革新と破壊を続けたと言われる画家、速水御舟。しかし御舟の画風よりも、友松の方が絶対に革新と破壊をしているはずです。バラエティーに富んでいると思うのです。(そもそも桃山時代の絵師と比較することが妥当ではないのかもしれませんが)

画家の「作風の変遷」とは何か。どんな画家でも作風は変わります。ひとところには留まってはいないはず。なのになぜ、御舟だけにそのような強いキャッチがつくのか。いまだに私は納得できません(笑) (いや、その理由はわかったのですが・・・) 友松を通して改めて画風の変化について考えてみたいと思いました。

 

 

〇筆の勢いは? 

素人目にもこの筆の勢いは何?! と思わされた鋭い筆致です。パンフレットなどを見ても、梅の枝が空を切るように貫く枝ぶり。それは、もともと武士で刀を振り下ろしていたから・・・・ それが筆に現れている。なんて話をどこかで聞きました。しかし、それは違うという話も・・・・ 実際にその筆の勢いを見て肌で感じて、出自との関連について自分なりの理解をしたい。

 

建仁寺雲龍図以外の龍の印象は?

日曜美術館で見た、友松の龍。それは当時の光の中に浮かぶような状況を再現されているようでした。暗闇の中の龍。そして私が最高峰と思っていた龍以上の龍が存在するのかを見てみたいと思いました。 

 

 

 以上のようなことに着目しつつ、このあと感想などをレポートします。

  

 続きはこちら ↓

   ■海北友松展:《雲龍図》本物と建仁寺の高精細複製品はいかに?!

 

 

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