泉屋博古館分館で「浅井忠の京都遺産」が行われています。中澤岩太は旧態然とした伝統工芸から脱却し近代にふさわしい工芸を目指した京都帝国大学理工科大学教授。彼に声をかけられた浅井忠は図案化教授の道に進みました。工学博士、化学者だった中澤岩太の言葉を元に、美術における科学について、これまであれこれ思っていたことをまとめて覚書…
写真は美術館の許可をいただき、掲載しています。
■中澤岩太について
1902(明治35)年に誕生した京都高等工芸学校(京都工芸繊維大学の前身)の初代校長。工学博士(1858-1943) 着任前は京都帝国大学理工科大学教授。その前は、には母校の東京帝国大学で近代窯業の父・ワグネルの助教。化学畑の人物。
その一方で美術工芸にも深い関わりをもつ。パリ万博視察を通し、「世界の今」を知る明治人。19世紀末の京都では、旧来の伝統工芸からの脱却と近代化が強く求められていた。京都高等工芸学校を設立し、校長として実業教育を推進。近代化を牽引してきた。(参考:中澤岩太博士の美術工藝物語(ストーリー)―東京・巴里・京都― | 京都工芸繊維大学)
〇工学系大学の美術工芸
日本でデザイン教育を取り入れたのが
東工大 千葉大 大阪大 京都工芸繊維大学の順で京都工芸繊維大学は4番目。
参考情報:東工大と千葉大の意外な関係
本学は近代デザイン史に大きな足跡を残し 千葉大にバトンを渡した
(これまで東工大から感じさせられていた独特の(?)プライドのようなもの それがこういうところからきているのかとつながった気がしました。友人の子供の受験説明会についていった時の印象。福島の原発で対応が遅れた原因が、菅さんの出身校である、東工大vs東大の張り合いがあったなどの噂があったのですが、こういった設立の経緯が影響していたりするのかなぁ…と。)
■美術と科学
中澤は化学の人。浅井はデザインの人。中澤曰く・・・・
素材や材料についての科学的知識と図案の独創性が必要。それらを合わせ持つ人材の育成こそが同校の使命。
まさに、この言葉に意を得たり! の思いでした。ちょうど、MIHO MUZEUMUで雪村を見ながら光琳の《紅白梅図屏風》との関係について語ることについて、あれこれ考えていました。その延長で、科学と美術について思うことをつらつらと・・・・ ⇒【*3】
この作品も、琳派で描かれた梅がモチーフになっていると思われ、先日見た雪村の《欠伸布袋・紅白梅図》と光琳の《紅白梅図屏風》が思い浮かびます。(⇒ 〇武田光一説 光琳の《紅白梅図屏風》の構図の元かも説) (じゃあ、これも光琳の《紅白梅図屏風》を題材にしているのか? って考えたとしたら、その根拠をどう示すのか・・・・)
といったようなことから発っして、絵画の技術やテクニックの考察についても思うことがあり、こんなことを描いていたところでした。
御舟の重曹を使ったひび割れの独特な技法の仕組みがわからないと言われています。発泡しているような技法。重層を加熱していたらしい。だったら、重曹がどんな性質を持っているかがわかれば原理はおのずと見えてくるもの。この世界は、誰も重曹というものを調べようとしないのか?
正に中澤の言葉と同じことを思っていたのです。素材や材料についての科学的知識が必要だと・・・・ 技法を推察するとき、使われたものを特定し、その性質から考えていくというアプローチをとらないのだろうかという不思議を感じていたのでした。
中澤岩太と同様のことを、曜変天目茶碗を創造した物理学者、安藤堅氏も口にしていました。そのことから、この思考は科学を学んだ者の中に定着して当たり前のようになっているモノの見方なのかもしれないということがやっと見えた気がしました。
それまで、科学者の中には、人文科学、哲学の世界を理解し美術を語り、人文系の人たちも納得させることができる人がいました。しかし美術界で、科学に理解を示した上で解説し、納得させてくれる人に私はまだ出会っていない・・・・そんな大口をこっそり叩いていたのでした(笑)
しかしながら、その直後にみた「浅井忠の京都遺産―京都工芸繊維大学 美術工芸コレクション」で、科学の領域からもアプローチしなければならないと奔走した人たちがいたことを知ることになったのでした。(中澤岩太は化学の人でしたが、職人に科学を伝え、デザインと科学を融合できる人材を育てました。)
■物質の特性を知れば、ティファニーは曜変天目の原理と同じ
ティファニーのあの虹のようなグラデ―ションは「干渉」といわれています。(干渉の原理について、私はよくわかっていませんが…)これは曜変天目の原理だと突き止めた科学者がいました。しかし、美術の世界ではどうもその人の存在をないものにしているような気がしていました。 ⇒〇「虹彩」の観察
こちらの情報についても同様です
⇒曜変天目のメカニズムは、特殊だが簡単な現象: リテック情報
その他にも曜変天目茶碗に関する科学的な考察がこちらでされています
科学の視点で語られたものを、どうも無視しているような印象を持っていたのです。
ルイス C ティファニーの作品には干渉の現象が見られ、それが曜変天目茶碗の原理と同じであることは上記のサイトからでした。しかし、曜変天目茶碗の原理を語る時、安藤氏やリステックのこのような情報に触れている方を私が見た限りではいらっしゃらないのです。
今回、ティファニーの作品が展示されると知り、じっくり見て、曜変天目茶碗との関係を見てみたいと思っていました。
そして曜変天目茶碗がこちらです。
結局、見たところで、私にわかるわけはありません‥‥
しかし、黒い斑点の回りの青い虹のようなグラデ―ション。ティファニーの青い部分の変化とやっぱり似ていると思いました。ティファニーがこれだけの色の変化を作り出すことができたわけです。ということは、その原理がわかれば、「曜変天目茶碗は比較的簡単に作ることができる」と言っていた科学者「いた」、そして今も「いる」ということを知っていただけたらなぁ‥‥ と思うのでした。科学者の目見たら、曜変天目茶碗も化学反応で説明がついてしまうのです。
■工芸品を科学で捉える
曜変天目茶碗を酸性ガスを使うことによって再現したというニュースがありました。酸性ガスは、どのように作用してどんな影響を与えるのかを調べていた時に見付けた資料がこちらです。 ⇒ 陶磁器の欠陥と対策
美術品の作成において「科学」はどの程度、取り込まれているのかな? と思っていたのですが、陶芸品は物理・化学反応をふまえて作られていたことがわかりました。闇雲に偶然の一致に期待しているわけでなく、化学反応を考慮していた。これは、中澤-浅井による功績あっての今なのではないか・・・・と思ったのでした。
■釉薬研究
中澤岩太、浅井忠らが持ち帰ったものには、釉薬を研究するためのものが多くあります。新しいものを生み出すためにいろいろな釉薬の作品が集められました。
▼エオシン釉薬
▼マット釉薬
▼様々な釉薬で文様を表す
▼古代ガラスの玉虫色から発想 金属的輝き不透明な色彩が特徴
彼らは釉薬によって、さまざまに表情が変わることを知っていたのでした。
その後の研究の成果がこれ
持ち帰ったあとは、このような小さな小瓶に様々な釉薬を研究し、施されたものを作っています。美術品というよりも、基礎研究に値するようなものですが、こうしたものにも評価を与え住友春翠が購入して、研究を支えていたのでした。
干渉作用によってもたらされるティファニーの作品。もしかしたら、中澤岩太は曜変天目茶碗の原理と同じではないか? ということに気づいていたりして?!
中澤先生! 安藤堅氏や、リステックの考察についていかが思われるでしょうか?
新しい曜変天目を制作した安藤堅氏が言われていました。曜変天目に再現というのはあり得ないそのことを、美術界の人にはわかってもらえない。化学者の鑑定人だけがそれを理解してくれたと・・・・ また同じ科学者であっても美術の造詣がないと難しいのかもしれません。中澤先生なら物理学の研究者が想定した釉薬を理解できるのではないかと思ったのでした。
■自然科学の目線 人文科学の目線
作品を見た時に、これは何でできていて、それはどんなもので、どうやってできているのか。そこの部分が最初に気になってしまう。つまり作品を物質としてとらえてしまうのが自然科学を学んだ人の避けることができない物の見方なのかなぁ・・・・と。
一方、人文科学系の人は、それを作った人の「思い」や「歴史的な位置づけ」「動機付け」などに、着目しているのではないか‥‥(よくわかりませんが)そのように見ている視点が違うのではないかということが見えてきた感じです。
浮世絵を見た時、何で何版も重ねるのにずれないのか? とか、多色刷りの版を完全一致させて彫れるのか… そっちの方が気になって、版画の鑑賞モードにしばらくはならないという経験をしました。それがわかるまで、3年ほどの時間を要しました。
その間、版画を見ている人たちに対して、そのことは気にならずに見ていられるのかと不思議でした。習慣になってしまったしまった自分のものの見方が当たり前になっているので、人も同じように見ていると思ってしまうのです。見ている焦点が違っていたみたい。そしてもののとらえ方の違いということについて、中澤岩太が志したことから理解ができました。
また、全く違うジャンルの美術ですが、自分は作品を前にしていかに見ているのか・・・・ということを、ここ何回かの展示で考えさせられるようになりました。
■関連 自分の作品の見方が見えてきた
〇自分がとらえていた本質
〇科学的に「人」の本質を考えたら
〇解剖学的にみる
〇技術を理解して初めて鑑賞のスタートに
〇美術と科学 思考、アプローチの違い