コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■学び:「本質」って何? ①美術館めぐりで見えてきたもの

ここ3日、美術展の梯子でした。美術展に行くとしたら、一日、一館。ほぼ一日中、閉館まで美術館にいるのが常。回ったとしても2館が限度。キャパの限界もあって、一日に何館も回って見るということはまずありませんでした。それなのに・・・

 

招待券をいただいたこと。どうせ行くなら講演会のある時に・・・・ そして会員になっている美術館は、一度見ていても、再度、見てみようかなと。全く関係のないテーマでも、何かしら、関連づいたりするこもあるし。一つの展覧会をじっくり見るのも美術館の見方だけども、梯子しながらというのも、それはそれで面白いかも…

 

 

■訪れた美術館

 【1日目 

レオナルド・ダ・ヴィンチ展(そごう美術館)

〇おもしろ美術ワンダーランド(サントリー美術館

ジャコメッティ彫刻の時空間」横山由美子氏による講演国立新美術館

 

2日目

〇吉田博展(損保ジャパン美術館)

ジャコメッティ―展(国立新美術館

 

3日目

ディスカバリートーク 深海の貝類(科学博物館)

〇浮世絵ガイド(東京国立博物館

 びょうぶとあそぼう(東京国立博物館

 

こうして横断的に訪れると、一見、関係のなさそうな展示でも思いもかけずつながったりして面白いです。

 

 

ジャコメッティ―の予習

国立新美術館ジャコメッティ展」は、2日連続で訪れました。本展を企画した横山由美子氏によるジャコメッティ彫刻の時空間」の講演に合わせてでかけ、翌日も訪れました。次の日は音声ガイドを傍らに・・・ 行く前も予備知識はざっくり取り込み、自分なりに解釈をしたり、既に行かれた方のブログを参考にさせていただいたりしながらネット鑑賞。

  

展示の概要については下記のサイトから情報収集。いつも丁寧に美術展や周辺の状況をまとめていただいているので、何も知らないアーティストの時などは、とても参考にさせていただいております。

  ⇒〇【感想】ジャコメッティ展:異常な細さはクセになる?! 充実の大回顧展を見逃すな! - あいむあらいぶ

 

ジャコメッティ―の生涯、全体像についてはこちらから。学芸員のを資格お持ちの方がリリースされており、かなり詳細の情報が得られました。

  ⇒〇【ジャコメッティ展】アルベルト・ジャコメッティの作品意図やその人生 細長くて不思議な作品を生む、20世紀を代表する情熱の彫刻家~

 

見る前に、いろいろ考える中で、私に近い捉え方をされていらっしゃると思ったブログ。あの作品の細さについては、私はその人の「軸」だと考えました。こちらでは、「芯」から「核」に。そして「残滓」ではと変化されていました。

  ⇒〇ジャコメッティ展|視覚と精神に見えるもの - Art Inspirations

 

 

 

■見る前の感想

詳細はこちらの後半に書いているのですが

   ⇒ ■告知:ジャコメッティ展夏休みフェア開催のお知らせ 

 

〇本質を表す作品 

この細い人型の彫刻を見た瞬間、ブランクーシ《空間の鳥》が思い浮かび、 それと同じようなコンセプトなんだろうと思いました。

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対象をそぎ落とした結果として残ったもの。すなわち人の本質を表しているということではないか。HPの解説にも同様に語られ、これを見た方たちの感想も同じようなことが言われていました。

 

 

〇本質って何?

ところで、人の「本質」っていったい何なんだろう。よく「本質」が大事。「本質をとらえなければいけない」という言い方をされますが、その「本質」が何のことなのかがよくわかりません。 

 

そぎ落として最後に残った「本質」・・・ それがいったい何なんなのか・・・ 私は、ジャコメッティ―が表現しようとした人の「本質」とは人の「軸」のことではないかと考えました。最後に残った自分のぶれない信念のこと。

 

 

■ 前日のテレビで見た「本質研究」

訪れる前の日、テレ東の「カンブリア宮殿」で「客の心をつかむ商品を生む"本質研究"の神髄」という番組がOAされ、花王社長 澤田道隆氏が語っていました。

 

本質とは・・・・ 「物質の特性」というように理解しました。

泡、匂い、髪、皮膚…様々な分野の本質を研究し、そのメカニズムを解き明かすことこそ、客が欲しいと思う商品を正確に作り出せる、という考えだ。 

 

この「本質」という言葉が初めてストンと心の中に落ちていきました。花王のHPにあった本質研究(基礎研究)に関する言葉を拾ってみると・・・・

・対象の構造・物性や、対象と物質との相互作用の本質的な理解
・現象を原子・分子レベルまで理解する本質研究
・物事の本質に迫る解析科学の研究

 

それらの一つ一つが、しっくりと自分の心の中になじんでいきます。そして、これまで感じていた 美術界で使われている本質と、私がとらえている本質がどうもずれているような気が、ずっとしてきたのは、これだったのだとはっきりわかりました。 

 

 

〇本質のとらえ方の違い

花王の研究の特長は、本質研究です。それは科学の目で物事の本質を追求することです。

 

本質をとらえる時に、「科学の目で」追及する。この「科学」でとらえるという部分が大きな違いだったのだということでした。「茶碗」「刀」に興味を持ち、それを鑑賞しようとしたとき、最初に何をしたかというと、それらは何でできていて(成分)どのように作られ、その過程でどんな反応がおき、その結果、何ができるのか。それによってどう私たちの目に見えるのか‥‥ そこを解明することからまずは始まるのです。

伝来などが付加情報として語られますが、それらは、その物が持つ本質には、何ら影響を与えるものではない。そんなふうに思っていたのでした。「本質」を考える時、それをどういう視点でとらえるか… それによって見えてくる本質も違うということがやっと理解でき、これまでの違和感が解けたのでした。

ヒトと物質の双方において知恵と技術の種保有し、多種多様な本質研究を行なっているという点では、花王は世界でも稀有な企業

このように「本質」を語る時、自分は本質というものをどうとらえているのか本質とは何か明確に提示することができること。その上で表現されている「本質」を自分はどう受け止めたかを語るそれこそが、物事をとらえる本質なんだと・・・・ 

「この作品は、本質を表している」だけなら誰でも言えるし、どんな作品にだってそれを語ることができる。それだけでは、本質は表せていないと。

 

 

〇自分がとらえていた本質

このブログを立ち上げた時に、プロフィールに下記のようなことを書いていました。

「鑑賞」というよりも、作品が持っている「構造」や「構成」。使われる「テクニック」によって、どう「視覚」に影響するのか。美術作品のそんな部分に、目がいきがちだと、最近、感じ始めました。

  (略)

なぜを5回繰り返せば、物事の本質に迫ることができると言ったのは、かの「トヨタカイゼン」です。自分が、なぜなぜを繰り返すと、どうも「物質の特性」や「身体の機能」という方向に掘り下げられてしまうというのは、自分の本質的な部分がそこにあるからではないか・・・と美術鑑賞を通して思うようになりました。

 

自分にとって「本質」とは何か。それは、どういう視点でそれをとらえているかということ。それが自分の中で明確になりました。

 

 

〇科学的に「人」の本質を考えたら

人の本質とは何か? と考えてまず思い浮かべていたことは、人は何からできているのかということでした。70%の水、20%のたんぱく質・・・  それらをさらに最小単位にしたら元素レベルに・・・ 構成元素という単位で考えてしまうのです(笑) これは「成分」から見た本質です。

 

ところが、ジャコメッティ―の作品は、削ぎ落した結果として、作品タイトルに「歩く」と付けられていました。「歩く」を表現するなら、「骨」と「筋肉」そして「関節」がなければ人は歩くことはできません。この彫刻には、関節がありません。だったら歩くことはできない。これは「機能」から見た本質です。

 

 

〇自分がとらえる「本質」でこの作品を解釈すると

この作品は、歩いているのではない歩こうとしているけども、歩けないでいる状態。前に進みたいのに何か、それを阻む何か(問題)がある。あるいは、気持ちの上で阻むもの(精神的要因)があったりして、歩きだせないでいる人。人の本質ってそういうものなのではないか? 

 

前に進みたいでも、進めない・・・・ 

 

誰もが持っているそんなジレンマを抱えて生きる姿。そんなことを表した作品ではないか。タイトルの「歩く」は、「歩く」ではなく「歩きたい」ではないか。と作者のつけたタイトルにまで、それは違うと・・・・(笑)

 

そして実際に、関節を曲げずに歩けるのかどうかを試してみました。あら? 歩けるじゃない! 人は関節を曲げなくても、体重移動だけでも歩けたのでした(笑) こんな風に作品を見てしまうことが、私の本質のとらえ方でもあるのだと、実際の作品を見る前に考えていたのでした。

 

〇解剖学的にみる

ジャコメッティ展に行く前に見た、レオナルド・ダ・ヴィンチ展。

 

飛行するためのいろいろな道具があって、見た瞬間、これは、鳥の骨格そのものじゃない! 科博で見が鳥の骨格と全く一緒・・・

レオナルドは、ちゃんと観察してるし、それをもとに、様々なものを考えていると思いました。現に鳥の解剖までしていたと解説にありました。この形を見たらそれが伝わってきます。ミケランジェロも同じように解剖したり観察をしています。

レオナルドが芸術に留まらないあらゆる方向へのへ昇華した結果は、理にかなってると思うので受け入れることができます。一方、ミケランジェロの飛躍は、私には納得ができない方向へ飛んでしまっているのです。一般的には、ミケランジェロの肉体表現が評価されているようなのですが、私にはどうしても受け難いものがあるのです。

 

モノの構造などを、解剖学的にとらえてしまう。こうした見方が自分の「本質」のとらえ方なんだということが、やっとはっきり見えました。そんなことを感じながらの、ジャコメッティ展の鑑賞に臨むことができました。

(レオナルド展は会員になっているので、いつでも見ることができるため、別の日でもと思ったのですが、ここはあえて立ち寄ることに意味があるかもと思いました。それが的中。なにかしらつながりがあるかも…と思ったのですが、この鳥の骨格を見た時に、これだ! って思いました。) 

 

 

■ジュニアガイドが秀逸 

 

上記のジュニアガイド、作品を理解する上で、とっても参考になりました。 これはHPからダウンロードができます。

   ⇒鑑賞ガイドブック

ジャコメッティの年譜があり、作品も制作順に代表作品が並べてあるので、どのような変遷をたどったかが、一目できます。展示構成は基本的に、制作年順になっていますが、それでも、一部、前後していますので、どのあたりで作られた作品かということや、ジャコメッティが何歳ぐらいの作品かということを展示を見ながら把握しやすいです。

 

 

〇作者の変遷を要素別に分けてとらえる 

これまで、美術展を見たあと、テーマごとに分けられた作品を、一度、制作年順に並べ替えてみるという作業をしていました。それは、どこでどんな変化がおき、その芽がどのあたりで見えていたのかを把握しやすいからです。その変化をもたらしている要素は何か。家庭環境、住まいの変化、交流する人、作品展への参加・・・・など変化を起こす構成要素を項目分けした年表にして、それらの相互関係を把握してとらえようとしました。作品の変化をもたらす条件の変化も時系列に並べてみる。それらが相乗的に作品に影響を与えて変化を生み出していきます。物質によって引き起こされる化学反応みたいにとらえていたのかも(笑) 

 

このジュニアガイドは、その作業をせずおおよその全体が把握ができとても役にたちました。作品の展示はいろいろな切り口でまとめられて展示されますが、私の中の基本はやはり制作順。この作品の前はどんな作品だったのか。あとでどんな変化をしたのか。時間軸を基本にした上で、どこに変化の兆しがあるのかをみつけようとしていました。

 

 

■ざっと見た感想 

いくつかの主要作品で感じていたこと。解説を見ずに感じたことです。

 

〇《3人の男のグループ(3人の歩く男たち)》(4-32 1948年-47歳)

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出典:【完全解説】アルベルト・ジャコメッティ「20世紀モダニズム彫刻の代表」 - 山田視覚芸術研究室 / 近代美術と現代美術の大事典

 

この角度から見た時、「人という文字」を思い浮かべました。そして金八先生が語る「人という字は支え合っている」という名講義が浮かびました(笑) ジャコメッティ―は、漢字を知らないと思いますが…(実は、漢字の由来「人」という字は支え合っているわけではないらしいですが・・・)  

 

この作品、どこから見るかで見え方も変化します。このアングルは離れていくように見えます。

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出典:ジャコメッティの大回顧展が国立新美術館で開催 代表作含む130点超が集結 - アート・デザインニュース : CINRA.NET

 

お互いがお互い頼り合っていることを表していると思いました。これはすれ違う瞬間を表しているらしいのですが、すれ違う人と人との関係。距離感。つかず離れずの距離のバランスを保ち方。ハリネズミのジレンマ。近づきすぎない、でも離れすぎない。そんなよきポジションを示している。下記のCMの映像も浮かんでいました・・・ けっしてぶつかり合うことはないのに、連携している。 

www.youtube.com

 

この作品の足の向きを見ると、そのあとの動きが映像で見えてきました。正に上記のCMのような状態なのです。 決してぶつかることのないぎりぎりに近い距離なのですが、そのあとの瞬間にはほぐれるように見事に散っていく姿が見えます。こんなにすれすれ状態で、あっ、ぶつかりそう! なのに、次の瞬間には、それぞれの方向に歩いている・・・・

 

 

〇 《林間の空地、広場、9人の人物》(4-35 1950年-49歳)

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 ネット上で、この作品を見た時に、ジャコメッティ―が表現しようとした「本質」は「軸」だと感じさせられた作品です。人をそぎ落としたら、誰もが一本の棒状態。高さも太さも若干違う。地に足をつけてる高さも違う。でも、その人の中にある「軸」。それは「信念」といえるのかも・・・・ 

人の構造を機能としてとらえたら、その本質は、基本骨格に、肉付けされて成り立つ。と考えていたので本質は「骨」? と思っていました。この作品を遠目に撮影した写真を見たら、その骨格というのは、その人にとってのぶれない「軸」を意味しているのでは? と思いました。外部からの刺激や、力が加わったとしてもぶれないその人なりの「軸」 それが「本質」なのでは?と・・・・

 

ところが、実際に見たら、感想は変わりました。これは人の「軸」ではない。もっと細くて力強いものだと思っていたのですが、そうではありませんでした。

 

〇《森、広場、7人の人物とひとつの頭部》(4-34 1950年-49歳)

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そして同じような作品で、平べったく身体の横幅のあるものもありました。これを見たら、人の本質を「軸」として表しているわけではないと思いました。これは「軸」が変形している。そぎ落としたけど、くっついちゃった感じ・・・・ あるいはそぎ落としきれなかった。軸の違い・・・・ それが多様性を意味しているのでしょうか?

 

 

ところが、解説は、見事なまでに違っていて、制作のプロセスは違ってました。

 

 

〇 書物のための下絵Ⅰ》(5-37 1951年-59歳)

 

この一帯は、リトグラフ用の鉛筆を使った下絵です。見た瞬間に思ったこと。

 

下絵には「関節」あるじゃない! でした。

 

どうやら私は、「関節」のある・なしがどうしても気になってしまうようです。関節がなくても歩けることがわかっても・・・・ ここに展示された下絵には、ほとんどに関節が存在していました。

 

そして三菱一号館美術館で行われている「レオナルド×ミケランジェロ展」の素描を思い出していました。素描の描き方が全く違います。

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*写真は「レオナルド×ミケランジェロ展」自由撮影コーナーにて

 

ジャコメッティ―は、まずは目から・・・そして鼻を描くと言います。そうすれば、形が決まる。みたいなことを言っていました。

 

立体を影でとらえず線で捉えるのがジャコメッティ―の特徴だと横山由美子氏による解説がありました。目を描く時、影はありません。いくつもの直線で区切って顔の凹凸を捕らえています。彫刻も同様です。

その背景には、幼少期を過ごしたエスタンバという土地から見えたアルプスの山脈の壁面。緩やかな斜面の向こうに見えるごつごつとした山の壁面を思い浮かべながら描いているのでは? と講演会で解説がありました。

 

下記の写真の緩やかな傾斜の向こうに雲で隠れてしまっていますが、ごつごつとしたアルプスの山を見て育ったのだそうです。

 

そして下記のような岩の中であれやこれや考えていたそう。 この岩の表面の記憶も潜在意識にあるのでしょうか?

 

また、ラスコーの洞窟への入室が管理される前にも入っていて、鮮やかな色彩を見ていたそうです。

↓ 風光明媚な地域      ↓生ラスコー壁画も見る

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*写真はラスコー展にて撮影

 

こうした幼少期の環境が、作風形成に影響しているものと思われます。 

 

 

〇《女-スプーン》 (1-10 1947年-46歳)

極めたアーティストは最終的には「生」「性」を描く。 

これを見た瞬間、女性と子宮を連想していました。ふっくらした胴体は、子供を宿すお腹。子宮の形はしていないけども、この中にある子宮をイメージさせられていました。この膨らみ、カーブの中で命を宿しはぐくむ。子供を育てる子宮がイメージとして内包されている。と思ったらスプーンでした。!? 

でも、なんだか、「子宮」と「スプーン」は共通している気がします。凸凹

 

〇《鼻》(1-10 1947年-46歳)

最初に目に入るのがこの姿。 横から見たらなが~い鼻ですが、正面から見たらどんなふうに見えるのでしょうか・・・・ 

 

 

 

正面に回ったら、ほ~ら、突起の鼻の部分はなくなって、あんなに長い鼻も消え去ります。鼻が高いとか、低いとか人はこだわって修正する人も中にはいるけど(笑) そんなのは見方によってどうにでも変わる・・・・ 正面から見たら、あの長さがこのとおり。

 

 翌々日に訪れた東博の常設展で、能面の展示を見ました。鼻の高い天狗(?)のお面が展示。「鼻の高い人」の顔を表現するというのは、西洋も東洋も共通している。作品としての関連性はないけども、表現という部分で共通性を見たように思いました。

 

〇《鼻》(1-10 1947年-46歳)正面

しかしこのアングル、鼻の高さ、云々ではない。これ、男根を表していない?(笑)

 

 

アーティストは、生殖を描く・・・ さっきは子宮だし、今度は男根。これは「生の本質」という私のとらえ方。作品の中に、性の隠喩が含まれている。それが私の作品への視点の与え方の一つ。

 

 

〇《ディエゴの胸像》(6-48~ 1954年-53歳)

 こちらも同じ。ジャコメッティの弟、ディエゴの胸像。外国人だから、鼻が高いけど、正面からみたら、結局、同じなのね。鼻が高いか低いかなんてことにとらわれているのは・・・・

 

そんなことを思いながら、正面からこの作品を見ながら、鼻の高さなんてわからないわよね・・・

 

 

〇《歩く男》(14-125 1959年-58歳)

 

見る前から、この作品は、人の本質を表しており、人のぶれない「軸」なんだと、もう答えが出たような気になっていました。ところが、ジュニアガイドを印刷し、電車の中で読んでいたら、彫刻は平面ではないので、いろんな方向から見てみよう・・・と書かれていて思い出しました。

 

初めて見た彫刻は、2005年、現代美術館で行われたイサムノグチ展のエナジーヴォイド。そういえば、その時、何度も何度も周回して見ていたたんだっけ。近寄ったり、一番遠くから見たり。逆回りで見たり。彫刻は、360度の視点で距離も変えて見る。そのことを忘れていました。

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地球の細胞を作った彫刻家、イサム・ノグチ - ライフスタイル - nikkei BPnet

この時に思っていたこと。⇒【*1

その後、イサムノグチ庭園美術館に訪れ、蔵の中にある彫刻作品を見ました。ある作品を周回して見ていたら、石が人の姿に変わり、歩きだしたという瞬間に遭遇しました。その作品名が、「ウォーキングボイド」 当たってる! 周回して見る角度が変化します。すると石が人の形になって動き出したのです。関節はないのに・・・・(笑)

 

もしかしたら、この《歩く男》も周回したら、歩きだすかもという予感が・・・・ 実際に目の前にし、周回しながら、いろんな方向から見てみました。やっぱり歩いた!(笑) 《鼻》の時と同じように正面からとらえてみたら・・・・

 

関節があるかないかは、正面から見たら関係なくなります(笑) 

前後に開いた足。前傾姿勢。これは体重の移動を意味し、まさに歩いている状態です。

 

私がこれまで見てきた、まだまだ数は少ない彫刻作品ですが、ジャコメッティ―の作品からインスピレーションされた彫刻作品やアーティストは次のとおり。

 

ジャコメッティ― ⇒ ブランクーシ ⇒ 《空間の鳥》

  ⇒イサムノグチ ⇒《エナジーヴォイド》 ⇒ 《ウォーキングヴォイド》

 

そんな一連の流れができました。

 

 

近代彫刻の相関図なるものがありました。この流れ全然、系列が違ってたみたい。でも私は、そう思ったのだからそれでいいの・・・・

 

展示を見た時は、事前に予習はしていましたが、すでに忘れている状態。その状態の方が、新鮮に見えるのであえてもう一度みなしたりせず、解説も読まず、見て感じたことが上記のとおり。

 

このあと、横山由美子さんの話をお聞きし、帰ってからもう一度、予習したことを見直し、いろいろなものをもう一度見て、翌日、再訪しました。

 

翌日は、山田五郎さん、速水もこみちさんの音声ガイドを借りて作品を見ました。その解説の中にヒントがあって、自分のモノの見方、捉え方というものが次第に見えてきました。そして「本質」とは何か。それがわかってきた気がしました。

 

「見えたものを見えたままに」とはどういうことなのか。
「ビジョン」とは何か?
実存主義本質主義とは?

 

そんなキーワードをもとに紐解きます。

 

続き ⇒ ■学び:「本質」って何? ②ジャコメッティ―展より
         「見たものを見たままに描く」とは?

 

 

■関連

 ■ジャコメッティ展:見えるまま感じるままに見た写真館 

■学び:「本質」って何? ②ジャコメッティ展より

             「見たものを見たままに描く」とは? 

■学び:「本質」って何? ①美術館めぐりで見えてきたもの ←ここ

 

*1:■「エナジー・ヴォイド」=「エネルギー・空虚」

この作品から受け止めたエネルギーは「重力エネルギー」「回転エネルギ―」「光エネルギー(反射)」「 代謝エネルギー」「熱エネルギー」・・・

石は生命活動をしている地球の代謝産物である。その石を使って作品を作るということは、地球の代謝産物からさらに新たな代謝活動を行っていること。石の彫刻は、地球という生命活動が産み落としたものを消化して産み落とされたもの。石とは何か? 生きている地球の生命活動がもたらすもの。彫刻はその循環の一部として組み込まれること。こうした着眼点はイサム・ノグチが、医師を目指していたというベースからもつながる。

ちょうど、このころに森美術館レオナルド・ダ・ヴィンチ展」も見ていました。レオナルドが水の研究から、地球を循環する水、そこから発生するエネルギー。そのエネルギーの循環にまで言及し、知見をまとめていたことに誘発されていたように思います。

 

それが12年前の話・・・・ この時から、作品の本質をとらえようとすると、科学の視点で捉えていたということがわかります。物の見方の根幹というのは変わらないのです。(光によって見え方が違う。朝・昼・夕方時間帯によって変化する。あるいはあたる光の反射による見えかたの違い。そういう視点は最近になってからのモノの見方かと思っていたのですが、振り返ったらすでに2005年には持っていたことがわかりました。それはどこで獲得した知識だったのだろうと考えていたのですが、趣味のガーデニングからだと思っていました。

モネは庭づくりに、朝の光、夕方の光によってそれに映える植栽をしていました。そのあたりからヒントになっていたのかと。ところが、職場では、試験紙のカラーチャートの判断をする際、部屋の照度によって、目に届く発色が変わる。そのため定期的に部屋の照度チェックをするという検査のマニュアルが存在していました。それによって光と見え方の関係を身につけていたのでした。これはどこの検査室でもしていることではなく、当時の職場の精度管理意識によるものでした。自分が所属するコミュニティーにおける習慣や考え方。そこから得られたことでした。こういう思考の原泉をたどるおもしろさが記録の中にあります。)

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