コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■「名刀礼賛-もののふたちの美学」ブロガー内覧会 刀ってみんな同じじゃない?!

泉屋博古館分館「名刀礼賛-もののふたちの美学」が6月1日より開催。それに先立ちブロガー内覧会が行われました。刀・・・どれもみんな同じにしか見えない。どう見たらいいかわからない。そんな超・超初心者によるレポート。まずは「基本のき」を知ることから・・・

 

 

■みんな同じに見えてしまう刀剣

ずらりと居並ぶ刀剣の数々 しかしどれもが同じに見えてしまいます。これらをいったいどのように見たらよいものやら・・・・

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 いったい何が違うのでしょうか?

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※写真は美術館より特別の許可を得て撮影しています 

 

よ~く見ると、「刀の刃が上に向いている」もの、「下に向いているもの」があります。そのあたりに何かヒントがあるらしいのです。

 

 

でも、その前に・・・・

 

 

 

■読み方と言葉の意味の理解から 

泉屋博古館分館・・・センオクバンコカンブンカン

大変失礼ながら、美術館の名は目にしていましたが、読み方を知りませんでした。イズミヤハクブツカンブンカン だと思っていました。センオクだったとは! 

 

〇礼賛-ライサン

これ、ずっとレイサンと呼んでいました。言葉の意味は知っていても読み方が間違っていたため、いつも文字の変換ができずどういうことなんだ・・・って思っていたら読み方が違ってたというお話(笑)

 

〇「もののふ」って何?

タイトルのもののふたちの美学」 「もののふ」って聞いたことはあるけど・・・ 「もののふ+たち」って人のこと? どこで聞いたんだっけ? 「天下のもののふ・・・ そんなフレーズが頭に浮かぶのですが、それが何か思い出せません。何かの歌だったような・・・・  そのうち、♪箱根の山は天下の剣・・・・♪ の歌が頭をよぎり始めました。ところがそのあとの歌詞が続きません。インターネットで歌詞を調べてみました。⇒箱根八里(意味・解釈)(この歌、「箱根八里」ってタイトルだったんですね)

   

もののふ」って武士のことだったの!?

(「いらか」が瓦だったと知った時と同じような衝撃・・・)

 

箱根八里って中学の音楽で歌ったけどどんな曲でしたっけ?

www.youtube.com

 

イントロが、メンデルスゾーンの結婚行進曲みたいです・・・・

 

”雲は山を巡り 霧は谷を閉ざす
 昼猶闇き 杉の並木
 羊腸の小徑は 苔滑か”

 

なんだか、山水画の屏風絵でも見ているかのような光景です。等伯? 友松? 其一? の柄を思い浮かべながら聞いていると・・・・

 

””天下に旅する 剛毅(ごうき)の武士(もののふ)”

 ”斯(か)くこそありしか 往時の武士(もののふ)”

 

と友松が武士の血を引いていることなどが思い浮かべながら、刀を携える武士の心情のようなものがこの曲から伝わってくる気がしました。

 

前置きが長くなりましたが、この歌を聴き、歌詞を見ながら名刀を思い浮かべると、当時のもののふ」たちの美意識などが感じられる気がします。中学の頃、言葉の意味もわからず歌っていた中学唱歌「箱根八里」 もののふという言葉を聞いてふと思い出され(中学唱歌とのことですが、今は、歌わないのでしょうか・・・)途中で転調するあたりから妙な高揚感があります。

 

文明開化の夜明け。武士が刀を下ろし、近代に向かったことなども重なります。

 

刀を所持していた「もののふ」たち(=武士)の心持を感じながら、その後の帯刀禁止令によってその刀を奪われながらも時代を経て、今に残った名刀の数々。新しい時代の幕開けと共に刀工たちは、新たな生きる道を模索しその技術は今も、いろいろな形で生かされています。刀の鑑定を生業としていた本阿弥家。今は・・・・? と室町、鎌倉の時代から今に引き継がれてきた刀について、あれやこれやと想像を巡らせていました。

 

 

■「太刀」と「刀」の違い

冒頭に、刀と太刀は違うというお話があり次のように説明されました。

 

太刀は腰に吊るして持つので、刃が下向きになって鞘に入っています。

一方、刀は 帯などに差してすぐに抜くので刃は上になっています。

そのため展示する時も、太刀は刃が下刀は刃が上に展示されています。

 

 

【種類】   太刀               

【展示】  刃は下向き           刃は上向き

       ↓                 ↓

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     ↑                ↑

携帯法:帯に差す           腰に吊るす

使い方:すぐに抜く          馬に乗って使う    

 

 

〇刀を抜く動作と刃の向きについての疑問

上記のお話、言葉の上では理解はできたのですが、刀を抜いたあとの動きを考えると、今一つよくわかりませんでした。

 

太刀は長いので、刃を下向きに鞘に入れ、引き抜いてから「振り下ろす」というのは、理解ができます。ところが、の場合、なぜ上向きにしなくてはいけないのか・・・ 別に下向きでも、使用には問題ないような気がして、上向きにする必然性を感じないのです。刀を抜く動きとどう関連しているのかが理解できず、戸惑っていました。

 

 

〇太刀と打刀の使い方の違い

そこで調べてみると次のような図解がありました。

出典:e-とぴあブログ - スライドショウより

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こちらは朝日新聞に出ていた記事だそうです。

 

打刀の場合・・・左手で鞘の向きを変えるので、抜く方向には決まりがないことがわかりました。これで納得。てっきり、抜いた時の右手首の返し方で、刃の方向はコントロールできると思ったので、刃が上でも下でも関係ないと思ってしまったのでした。が、鞘を持つ左手で方向を決めているということがわかりました。

 

 

あらためて箱根八里の歌詞を照らしてみると・・・

(だいとうこしに)  (あしだがけ)
大刀腰に    足駄がけ 

   →大刀を腰に差し落としざしして、素足に高下駄をつっかけて

八里の岩根 踏み鳴らす

   →岩だらけで険しい八里に及ぶ道を、下駄の音も高らかに堂々闊歩

斯くこそありしか 往時の武士

   →このようなものであっただろう 昔の侍は・・・

 

 太刀が腰ひもでかけられていることが表現されており、ここでは馬にはのらず、箱根の険しい岩の道を、踏みしめながら歩くもののふの姿を想像しながら歌詞にしていることがわかりました。

 

 

■初めて知る世界の理解のプロセス

〇理屈があっているか? その言葉の定義は?

始めて知る世界。こういうところで、いつもひっかかってしまいます。(笑) 理屈にあってないと感じてしまうと、どうも腑に落ちず、モヤモヤが残ってしまい、その先に進まなくなります。

 

知らない世界に触れ新しい知識を得た時に、その世界をどうやって理解していくのか・・・ということについて、今回はちょっと意識的にとらえてみようと思いました。 

 

 

〇それ知っている! というところから理解の糸口を

黒川古文化研究所のコレクションから刀剣が30振り展示されています。

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初めて耳にする施設でした。施設案内の所蔵品を紹介したハンドブックの中に、鈴木其一の《暁桜・夜桜図》がありました。あの桜を所蔵していたところだったのか・・・ 其一展でこの2つの桜、とても印象深くて、友人は其一で一番好きと言っていました。年賀状はこの図案を使っていました。そんなこともあってこの施設がググッと近づいてきます。

 

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 黒川古文化研究所 冊子より 

 

 

本阿弥家が、刀の折り紙(鑑定)をつけています。先日見た海北友松展や、茶の湯の茶碗でも本阿弥光悦が関連人物として登場してきました。そういえば、光悦は様々な功績を残していましたが、元はといえば、刀剣の鑑定や研磨などを家業とする家柄の出。刀剣を鑑定するということは、そこに付随する造作物に対する目利きが効く。それによって培った技術や意匠が、光悦の作品に多才な才能が発揮させ、統括的なプロデュース力を発揮し、いろいろな才能ある人も活用しています。総合芸術ともいえる刀剣の鑑定を行う家柄、その育ちが光悦の軸となっていた。となると、これまで見てきた作品の中に、刀との関係を見出すこができるかもしれません。

 

ミクロの目で見る 単眼鏡の貸し出しが行われており、拡大して見ることをすすめられていました。それまで伝来とか、装飾の意匠のようなことを中心に見ていたのですが、顕微鏡的な視野で物を見る・・・ というアプローチになったとたん、それまでつかみどころのなかった刀が、一気に自分に近づいてきたことを実感していました。

 

茶の湯の茶碗の時の時もそうでしたが、伝来といった歴史的なことよりも、作品そのものを物質として観察をし、どのように制作をしていて、だからこういう模様が出てくるという理由がわかってくると、いきなりモチベーションが上がるのを感じました。

 

いろいろ、伝来とか歴史とかあるとは思うのですが、そのものが持つ本質というのは、持つ人によって左右はされないと思っていて、そのものがどういうものであるのか。という自然科学の原理原則に落とし込んで矛盾がないか。という方に関心があります。誰が持ったかによって、物質が持っている特性は変わらないわけですから、価値も変わらない。という捉え方をしています。

 

まあ、これは、歴史や伝来に疎いことの言い訳で、そのあたりを鑑賞の要素に盛り込めないので、ごまかすためかもしれません?(笑) いずれにしても、そのものが持つ性質の確認から鑑賞が始まっているということがわかり始めた今日この頃です(笑)

 

刀のあの模様の裏には「科学」があるとわかると、やっと興味のアンテナが向けられるのでした。このあたりの原理に矛盾がなく納得できれば先に進めるし、納得できないといつまでたっても、そこのあたりを解明するべく、うろうろ、何年もかけてさまよってしまうのでした。

 

「物事の本質を見極める」とよく言われるのですが、私の突き詰める本質は、「物質としてどういうものなのか」「どんな方法で作られているのか」こちらの方向になってしまいます。美術界で言われる本質とは、ちょっと違う方向のような感じがしているところです。「本質」ってなんだ?! というのも一つの課題(笑)

 

しかしながら、右も左もわからない「刀剣」でしたが、これまで見てきた何かとつながる可能性は見えてきたし、それらとからめて理解を促す状態にできる糸口がありそうでした。

 

 

ということで、「基本のき」でもある「太刀」と「刀」を自分なりにまとめると・・・ 

 

■改めて「太刀」と「刀(打刀うちがたな)」の違い

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参考: 太刀と刀の違い?刀剣の鑑賞のキホンを簡単に! | KENブログ

 

そこで、最初に展示室を見た時に、刀にはこういうきれいな装飾品がついているものなんだ・・・と思ってみていたのですが、

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       ↑

この布切れのようなものは、太刀緒といわれる腰に巻くものだったんだ・・・と理解したのですが、刃が上に向いています。ということは、腰に紐でまきつけてぶら下げているわけではなさそうです。こんなに長い刀もあるということでしょうか? この布切はなんでしょう・・・・

 

 

■「折紙」つき・・・その語源は

〇刀剣の役割

刀剣というのは、戦の道具の他にも役割があります。それは美術品でもあること。そんな刀剣は、贈答品としての役割を担っていました。贈答として用いられるためにはその価値、素性がはっきりしていなければなりません。その価値の判断をしていたのが本阿弥光悦の生家、本阿弥家だったのです。その鑑定結果は「折紙」と呼ばれており「折り紙地付」というのは、ここからきた言葉なのだそうです。

 

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〇本阿弥家による鑑定 明治以降

本阿弥家には、こうした鑑定の記録や、贈答の記録が代々残っています。そして時は明治。刀は廃刀令により姿を消します。その伝来は闇の中・・・・ ところが、その素性を知るべく鑑定を続けたのが本阿弥家。

 

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過去の記録を元に付き合わせをして、「折紙」が正しいかどうかの「折紙」をつけるという作業を担っていたのでした。

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本阿弥家は今も存続しており、国立博物館の刀のメンテナンスなどを担っているそうです。

 

〇刀と茶碗の関係

本阿弥光悦は、茶碗の制作もしていました。楽茶碗の2代目、3代目、常慶、道入親子と交流があり、光悦の黒茶碗は、楽家の窯で焼かれたと言われています。光悦の斬新さは、道入に多大な影響を与え、これまでの楽家にはない作風を生み出しました。楽焼と光悦との関係はこれまで「静と動」であったのに対し、光悦の影響を受けた道入の作風には、透明釉などを用い、華やかさが加わりました。一方、「動」の光悦が黒楽茶碗を手掛けるなど、お互いがお互いに影響を与え合っています。

 

そして、光悦の黒楽茶碗の背景に、刀剣で培った鑑定能力が生きていたのでは? という考察を目にしました。偶然、焼きあがった黒肌。その黒肌は、刀剣の柄の中に銘を刻んである部分、茎(なかご)の地肌と共通性があるのではないか・・・と。

 

鑑定後、その地肌に銘を入れる作業をずっと見てきた光悦。刀剣の研ぎ澄まされた部分と、何もほどこされていない地肌の対比。それを見続けていたからこそ、茶碗の中にも新たな美を見いだせたのではないか・・・と。

 

参考:美意識の原風景 : 本阿弥光悦覚え書き

 

本阿弥家が施した鑑定の証は、刀の左端に赤字で名が入っています。その部分はザラザラとした茶色い質感。言われてみると黒楽の質感に通じるものがある気がしてきます。

 

 ↓ 赤字で名が入る(写真をクリックで拡大)

  ざらざらとした質感の茎(なかご)の部分

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    ↑

黒楽茶碗の地肌との共通性はあるかも・・・?

     ↓              ↓

f:id:korokoroblog:20170601235934p:plain  時雨写真

本阿弥光悦 《村雲》         《時雨》     

 

 

■ミクロ的に観察 

〇単眼鏡で見る

単眼鏡の貸し出しが行われています。

この貸し出しはビクセンによるもので、入場者を対象に単眼鏡「マルチモノキュラー4×12」を無料で貸し出ししています。刀の見え方なども下記に詳しく解説がされています。

www.vixen.co.jp

 

【追記】後日、再訪した時に、これはビクセンとのタイアップではなく、泉屋博古館が購入して貸し出しているものだということがわかりました。

 

〇単眼鏡無料体験の案内 

拡大観察することによって、刀の見え方が全く変わります。先着20名なのでお早目に

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刃文の観察。さまざまな形があります。焼き入れの際に、土を縫り必要以上に焼きが入らないようにします。また加熱中の酸化、脱炭の保護、冷却速度の調整などの役割も担います。その塗り方によって模様がいろいろに変化した結果が刃文です。(図録p104よりまとめ)それがわかってやっと、模様の成り立ちがわかり、面白さが出てきました。

 

刃文を観察をしていると光を受けて、いろいろな輝き方をします。曜変天目茶碗を見た時と同じように、干渉のような虹の状態が見えたり、粒子がきらきら光って見えるものもありました。かと思えば曇りガラスのような霧のかかたモヤ状態のものもあります。

 

刀は硬さの違う組織からなり、加熱によって変化したものを急冷して硬くし、さらに粘りを出すため、焼き戻しをして組織を変化させて作っています。ここで砂粒の粒子の混ざり具合から、刀の表面の表情が現れます。

 

 

〇光による変化を見る

そんな刀が光によってどう変化するのか。どんな種類の光をあてるか・・・ どこに当てどこから見るか・・・・ そんな見方は、やっと自分の知っている土俵に刀剣が上がってきたきた気がしました。

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刀剣も慶長年以降のものは新刀として分けられています。

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新刀のコーナーにはこんな光が当てられています

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〇刀剣は科学の産物

加熱によって、分子(?)が動くことによってできる文様・・・曜変天目茶碗の原理と同じじゃない? 偶然の産物かに思っていたのですが、その裏に化学反応があった? 美術作品が、自然科学の産物として捉え直すことができると、興味は俄然、増してくるのを感じるのでした。

 

そのうち、理解できる時が来ることを・・・・と思って、ブクマしていた記事。

melonpankuma.hatenablog.com

 

物理化学の世界になると、お手上げ状態になってしまいますが、やっぱり、伝来よりも、モノの成り立ちの方に興味があるんだということを実感しました。

 

 

■伝来の調査方法について・・・

この刀剣には葵の御紋がありますが、しかし、徳川とは関係がないというのです。伝来はあまり興味がないといっても、逸話のようなものはやはり想像力をかきたてられ楽しいです。そして、それらの調査というのはどのようにされるのかということにも興味があります。

 

↓ 持ち手部分の葵は葉脈がそれぞれに違います

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                  ↑ 葵の刺繍がされた刀袋

 

今回の展示を機会に、あらためて調査研究をしたところ、柳沢家に伝来するものと判明したそうです。

 

さて、これまでわからなかった伝来。何をたよりに調べるのでしょうか? 刀についている付属資料を洗いざらい調べなおすそうです。すると新たな記載がみつかったり・・・ それを足掛かりにして過去の日記や、様々な記録を照らし合わせていくそう。

 

贈答の記録とともに、それはどんなサイズのどんな刀だったかが記録からわかるそうです。するとそのものズバリの刀で情報の一致を見たり、紋などから総合して判明したり。これまで「〇〇〇の守」とされていたものが、実は違う人のことだったことが判明したり。それによって一連の伝来の解明につながったりするそうです。

 

 

やっと、刀を見る・・・という土俵につけた感じがしてきました。ずっと素通りしていた東博の常設展、刀剣コーナー、今度は足を止めることができそうです。

 

 

■まとめ・感想

当初は、みんな同じように見えた刀剣でしたが、こうしてみるといろいろな視点から見るポイントがあることがわかりました。何から見たら理解しやすいのか、どんなことに興味があるのか・・・・ 

 

どんな人が手にし、どんな人の手に渡ったのか。歴史や伝来のロマンみたなものから入ってもいいし・・・・ その間に介在した人。作った人。それをやりとりした人。折紙を添える人。あるいは刀そのものの美術品としての美しさ。そこに価値を見たり、教養人として武士がたしなんだ文化とともに共通する世界を味わったり。着目する点はいろいろありそうです。自分は何に興味があるのか、なにかしらの興味とつながる部分があると思うので、同じに見える刀の違いを理解する自分なりの糸口をみつけてみてはいかがでしょうか? 

 

www.youtube.com

 

 

 ■おまけ  鎌倉の正宗見学

 2012年に、鎌倉の散策ツアーがあり、参加コースの中に「正宗」見学が組み込まれていました。当時もよくわからず、記念撮影的に撮っていた写真。

 

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↑  アツアツに焼かれた鉄の融けたかたまりが出てきて、打ち付ける様子を見ることができました。

 

そして今、この技術がどうなっているかというと・・・・

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包丁やハサミなどに引き継がれています。そしてオブジェのようなものに・・・ 外国人観光客向の案内などもあって・・・・ 

 

この時、鎌倉彫なども見学コースにありました。明治という時代によってもたらされた改革。それによってそれまでの技術者たちはいかに生き残りをはかろうとしていたのか・・・ 仏師たちは、鎌倉彫という工芸品にその技術を引き継ぎました。そして刀はは刃物に・・・・  そんなことが一連の歴史となっていまここにつながった気がしています。

 

この見学をした時に見ていたサイトがこちらです。

hamarepo.com

 

以前、見た時はここに書かれている意味を表面的にしか理解していませんでした。今、これを見ると、その意味がとてもよく理解できます。 

 

 

■刀剣に感じていた矛盾の解決

これらの、美しい刀剣を見ながら感じていたこと・・・・

 

それは、そもそも、刀の目的は人を殺めるための目的をもって作られているもの。その道具が美しすぎるくらいの気品を漂わせ美術品としても成立。人々に愛でられて大切に引き継がれてきた。ということについて、どう折り合いをつけらいいのかということに戸惑っていました。

どんなに美しくたってその裏には、人を・・・ 

 

そういう目的を有した道具であることには変わらないのです。その答えになるようなエピソードが紹介されていました。

 

「切れ味を競うのが名工ではない」


敵を寄せ付けず、持ち主を無事生きながらえさせるのが、本当の刀鍛冶という訳だ。

 

名工が作りだす美しさは、人を寄せ付けず、おののき退散させる。命を奪うことなく持ち主を勝利させるもの。そのための美しさでもあったのだなと。

 

しかし、これも眉唾だというオチをつけながらも、名工とは何かという逸話として紹介されていました。

 

 

■参考サイト

日本刀の「働き」その1 ~映り~ - 渓流詩人の徒然日記

「超・日本刀入門」展行ってきた – 雨がくる 虹が立つ

〇 太刀と刀の違い?刀剣の鑑賞のキホンを簡単に! | KENブログ 

日本刀の科学 - 常温常湿希望

美意識の原風景 : 本阿弥光悦覚え書き

刀が見える人、見えない人 - 渓流詩人の徒然日記

刀剣哀歌 ~傷めつけられた刀剣~ - 渓流詩人の徒然日記

刀剣 | 単眼鏡が広げる美術鑑賞の世界 | 株式会社ビクセン/Vixen

 

 

【追記】(2017.06.03)折り返しについて

刀の製法の話で「折り返し」という言葉が出てきました。折り返すって、どこをどう折りしたらどうなるのかが全くわかりません。下記のサイトで、科学的に解説されていました。

 ⇒日本刀の折り返し鍛錬と強度の関係

   ⇒日本刀の出来るまで 

 

 

■関連記事

■名刀礼賛:「刀剣の見方」お勉強のための資料