コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■解剖実習前の戸惑い(学生時代のレポート)

片付けをしていたら学生時代に書いたレポートの下書きが、出てきました。自分が歩いてきた道の、通過点で何を考え、何を思っていたのか・・・・ その記録として、書き起こしていました。(2000年頃)

 

先日、「デザインの解剖展」に訪れて、そのレポートのことを思い出したので、ここに記録しておこうと思います。

 

 

 

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課題:『実験動物医学研究序説』を読んで   

       岩波文庫 改訳1970年     

原稿用紙: 10~15枚
氏名・提出年月日・番号
何を感じたか 特定のことを               とメモ
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倫理-なぜこうしなければならない
道徳-こういうことをしてはいけない
   こういう場合にはこうするのが正しい    

 

■プロローグ

医療にたずさわろうとする私たちの前に大きく立ちはばかる壁--生体解剖。人体解剖の実習を間近にひかえているせいもあって、最近、解剖について、考えさせられることが多々あった。考えれば考えるほど、わからなくなっていった。そんなところへ、ちょうど、飛び込んできたのが、この本の生体解剖の頁である。

この部分を読み進めるにつれ、自分なりの答えが得られた。何か体の中を通り抜ける、熱いものを感じられたように思う。でも、それが何であるかはわからない。ただ、かつて私が何かに、心動かされたいくつかの経験とは、少なくとも異とするものであることは、確かなのだが・・・それは「医療従事者になるという自覚」であり、それに対する「責任」ではないかと思われた。それを身をもって感じている自分がいた。

 

■人体解剖の背景

人体解剖について述べる前に、その背景を知る必要があるだろう。医学の歴史における解剖の位置について簡単に触れてみる。 


世界最古の国、エジプトでは、職人の手によってミイラ作成が行われ、屍体から内臓をぬきとられたが、そのことは、解剖学には、何の影響もなかった。これは宗教的理由による。一方、ギリシアにおいては、直接、人体解剖は行われなかった。これが可能になったのは、アレキサンドリアの一時代だけで、この時に、知覚、運動神経、目の構造などが明らかにされた。アラビアでもギリシアと同様、コーランによって、人体解剖が禁ぜられていた。のちの、ローマ医学の最高峰がガレノスの時代においては、動物の剖検がそのまま人体にあてはめられたため、誤った解剖学通用した。しかし、医学が正しく立つためには、人体の正しい構造に関する知識の必要性が痛感され、1240年、解剖がおこなわれ、医学の発展の基礎となったのである。

以上のように、解剖が一般に受け入れられるには、非難があった。先史は、宗教観、倫理観、因習など、あらゆる問題を前に争ってきた。死体解剖に関して、ある程度の認識を得た今日でさえ、まだ、協力が得られない現状である。この戦いは、これからも続くのだろう。そして今、私たちも戦わなければならないのだと思う。

この項によって、自分の中で解決させられた部分、その反面、さらに投げかけられた新しい問題や著者への対する私の考えを述べたい。

 

■解剖に対する当初の受け止め方

まず、私がこの道を選んだ時に、いだいていた解剖に関する見方を述べたい。とは言っても、つい先日までの受け止め方にすぎない。前述のとおり、解剖とは、医学に従事する者にとって、だれもがぶつかり、そして、乗り越えなければならない関門であるといえよう。それを前にして、平静でいられる人はいない。しかし、医に従事するものは、避けて通ことのできない、乗り越えなければならないステップである。ある意味、医学の道の第一のパスポートを渡される関所であり関門ともいうべきところであろう。以前、優秀な医学生であったが、血液を見ると倒れてしまう。何回やってもどうしようもなく、とうとう、医の道を断念してしまった例があるように聞いた。 


解剖----即、死体と結びつき、恐ろしいという観念が頭に浮かぶのは、だれしも当たり前であろう。私自身は、そう受け止めているのである。というより、「受け止めていた」と、今は過去形になっている。

解剖と聞けば、嫌悪が先に立つ。よくあんなことができるものだと非難の目も向けていたように思う。しかし、私自身、いつのまにか、考え方、捉え方が変わっていた。それも、私の気付かぬうちに・・・・

 

■今、私が捉える解剖

それに気付いたのは、友との会話からだった。友人に、この仕事について語った時のこと。「解剖してきたものを薄く切って染めたりするのよ」私は、なんでもないことのように話していた。しかし、それに対する友の目は冷たかった。さも、冷血人間でも見るかのごとく向けられた視線。その視線に戸惑っていた。しかし私は思っていた。そんなことに、惑わされなければならないのだろうか。著者と同様、自分に疑問をなげかけていたところだった。私は、きっぱり、この冷たい視線を無視しようと思った。友とは済む世界が、もう違うのだと。進む道が全く違うのだ。そう思えばよいだけのこと。残酷と思うのなら、勝手にそう思えばよい。私たちは、それを求められている。話せば、話すほど、理解を求めれば求めるほど、離れるような気がした。もうこの仕事に関して、友に話そうとは、思わなくなった。というより、話してはいけないとも思った。話したところで理解はされない。冷たい視線が返ってくるだけ。それに関して、とやかく言われるのもわずらわしかった。 

この時、私は、自分の中に確信するものがあった。今、自分は、医の道の第一歩に踏み込んだのだと・・・・・そんな自分をうれしく思った。どこかに、嫌悪感を持ちながらも、そういった自分がいた。心は切り離すつもりだった。

解剖に対する嫌悪や恐怖は確かに抱いていた。ただ、ここで、心に思うことは、実際、その場面に直面したとき、いわゆる俗人の叫びと称される声を発するべきでないという持論が芽生えていた。それを前にしたとき、冷たいと思われるのかもしれないが、慈悲の心は、きっぱり切り離し、冷静な目でみつめようとする自分がいつのころからか、心の奥に確立されていた。

ただ、これほどまで、きっぱり割り切ってしまってよいのかどうかは、多少、疑問には思った。それを素直に喜べない自分が同居していることにも気付いていた。不安だった。先生のお話で、ラットの首を切ることなど、すぐに慣れると言われた。 正直、そんなことに慣れたくないと思った。そうなってしまったら、自分を見失っていくようで、恐ろしかった。これでいいのだろうか・・・・解剖という問題が、私に投げかけた大きな問題だった。

それは実習中の一瞬の出来事だった。ラットのしっぽを持ち、机の角に頭をたたきつけての安楽死。「ヒィッ~~!」教室中が、騒然となった。私は、声を発してはいけない。自分に一生懸命、そう言い聞かせていた。これが、自分が選んだ道なのだから・・・・・心や感情を、自分の体から頭から、切り離そうとしていた。

しかし、「外科医は、自己の所信と手術の目的のみを見つめ、解剖学も同様、恐ろしい屍体室にいるとは感じない」という一節に私は意を得たと思った。この言葉に、身震いさせられた。私の考えは、間違っていない。何度も繰り返し言い聞かせた。他人の中傷に惑わされる必要は、決してないのだ。この時である。体の中を流れる熱いものを感じたのは・・・・

慣れてしまうと言われた。慣れとは恐ろしい。確かに、生体実験に慣れなければならない。しかし、慣れきってしまって、何も感じなくなってよいものだろうか。果てには、死に対しても、慣れが生じてしまうだろう。それではあまりに悲しすぎる。

その時、ある人が言った。「そのような職業について、解剖などを当たり前のことのように捉えるようには、なって欲しくない・・・・・」この言葉が、決意した自分を、大きく揺るがした。

 

動物実験について思う

そこで、この視点を動物に移して考えて見直してみたい。著者が呈示する動物実験に対する考えに意を得たりと思ったものの、やはり、わりきれない部分が残ってしまった。私たちにその権利が与えられているのだろうか・・・・・ 


ある先輩にこんなことを尋ねた。「先輩は、死んだ時、自分の体を献体として解剖に提供できますか?」それに対するNoの答えに戸惑った。解剖実習をやっていて「あれ?ここの神経、切っちまったよ」そんな自分たちの、実習風景。自分の体も、そんな風に扱われると思うと、献体にはなぁ・・・・。これには驚いた。人間においてさえ、こんな安易な気持ちで解剖実習が行われている現状。この状態で、生体解剖など、決して許されるべきとはいえない。

解剖だけではない。生体移植についても、倫理性が訴えられる。外科手術も一種の解剖といえる。解剖において道徳性の問われる所以は、普段、人目に付かないものがあらわになるという点と、直接の行為によって、生じるものと思われる。

観点は違うが、人を傷つければ、罪に問われる。本来、認められるはずのない、体を傷つけるという行為が、医療において認められている。それがこの解剖に関する問題なのである。ここに道徳性の是非が問われる所以といえよう。

解剖に対する中傷者から、議論を投げかけられたとすれば、私は問いたい。「注射について、どう受け取めるのか。」人体を傷つけるという点から言えば、解剖と変わらない行為である。確かに程度の差は明確だ。針でちょこっと刺すのと、体にメスを入れるのとは・・・同列で論じることではないかもしれない。しかし、同じ傷つけるという行為に‘慣れ’という部分がないだろうか。私たちは、幼児のころから、何度となく予防接種と称しては、注射を受けてきた。この慣れが私たちの恐怖心を、次第に取り除いて行ったのではないだろうか。慣れとは、恐ろしいのかもしれない。

動物実験が認められるのと同様、人体実験なくしては、医学の進歩は望めない。進歩はおろか、後進の道をたどるばかりである。ただ、これを行うにあたっての事前の綿密な研究。科学的根拠、実験により得られる結果の有用性、相手の同意など、あらゆる面における同意が必要となるだろう。

そしてここで、考えたいのは、人間には拒否という選択がある。Noという一言で、すべての実験はストップされる。ところが、動物において、それは与えられていない。そのあたりに、問題が見いだせよう。人間には、Noという言葉、意思表示があるのだ。    を付け加えるべきであると思う。実験者の道徳、あるいは、倫理の重要性を強調しておきたい。

以上のように解剖は、いろいろな問題をかかえる。その理解を得るために先史は、宗教観、倫理観、因習など、あらゆる問題を前に争ってきたことは、前に述べたとおりである。そして、死体解剖に関してある程度の理解を獲得できたとはいうものの、この戦いはなおもいているといえよう。

解剖に関する非難との戦いの歴史は、私が友とかわした会話からもわかるように、今の私自身にも、大きくのしかかってきたといえる。これは、単に済む世界の違い、思想の相違と一言で片づけてしまってはいけないのではないだろうか。著者は中傷者の議論に対し、答える必要はないという。確かに一時は、私も、そう思った。中傷を煩わしいと思った。が、必ずやそういった人達を納得させられる部分があると信じたい。彼らの理解の上に立つ解剖こそ、望ましい姿といえるのではないだろうか。それには私たち自身、自分の思想をみつめ、最終目的のみを目指すだけになってはいけない。慣らされてしまってはいけないのである。

いつでも彼らの抱く感情の中に、自分を置くことができるよう、意識を持ち続けるべきではないだろうか。そして、中傷者自身も、自分自身が、一個の個体として成立しているのは、かつて行われてきた幾多の解剖によって、もたらされていることを自覚するべきである。わたしたちが、健康体を求めるために、それをするのと同様、彼らもそれを求めていることには変わりないのだから。そのあたりに彼らとの接点を見いだし、相互の一致が、はかれるのではないだろうか・・・・・

 

 

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■あとがき

これは、2年生のこれから解剖実習が始まるという前に、「実験動物学」の課題として『実験医学研究序説』を読んで感想をレポートを提出するというものでした。

 

解剖という未知の世界の扉を開く前の心の葛藤。

 

ところが、卒業時には、そんなことはすっかり忘れ去られて、仕事につきます。時を経てこのレポートが出てきた時に思ったことは、医療従事者は皆、学生時代、このような葛藤を経て医療に従事してきたはず。ところが、従事してうん十年の月日は、こんな気持ちでいたことなど、すっかり忘れ去ってしまっているのだろうということでした。奇しくもレポートが語っていました。今の気持ちを忘れてはいけない。彼らの気持ちになって、会話ができるように・・・・と。

 

今思うと、どこか川を渡って遠くに見える向こう岸にたどりつき、別世界に来てしまったような感覚に教われていました。しかし、そんなことさえも、卒業までにクリアにされてしまっていました。ここまでの葛藤を経ながら向き合った解剖実習。

 

そんな「解剖学」が、美術という世界に首を突っ込むと、レオナルド・ダ・ヴィンチが、ミケランジェロが、そして葛飾北斎が、行っていたのです。あるいは、解体新書を編纂した杉田玄白前野良沢も・・・  彼らが描きおこした人体図を見ると、それを前にして描きとった時の気持ちとリンクするものがあるのでした。「解剖」という人への興味、体への興味が、医学、そして美術という世界にも脈々と流れていること。はては、その解剖学をもとに、レオナルド・ダ・ヴィンチは私たちの身の回りの建築や、街づくり、動力、機械などに応用していったこと。そうして、生きていることに感慨深いものを感じるのでした。

 

 

レンブラント  テュルプ博士の解剖学講義(1632年)

 

   

そごう美術館:レンブラント リ・クリエイト展2016 より     

 

レオナルド・ダ・ヴィンチ

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