コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■「定義」って考えたことありますか?(2016/12/12)

これまで、その時、その時に、いろいろなことに興味を持って、首を突っ込んできました。まず最初にすることは、その世界のわからない言葉。それをちゃんと調べて概要を把握してから理解をするということでした。

 

これまで興味を持った世界は、ガーデン、食、インテリア、建築、健康・・・・そして最近ではアートの世界。それぞれの新しいジャンルに足を踏み入れるたびに、新たな言葉との出会いがありました。それについて理解をすること。つまり言葉の「定義」をしっかり把握するということでした。

 

ところが、意外にもそれらの言葉は、業界によって曖昧になっていることが多いというのがこれまでの経験で感じていることです。「食」の記録として食べログを利用するようになり、2014年に「定義」について書いた日記があるので、これをここに掲載し、プロフィール替わりに、私の物のとらえ方、考え方として紹介したいと思います。

 

 

==============================
食べログ日記より  「定義」って考えたことがありますか?(2014.6.10)
============================== 

物事を考えるときに、どのような思考のプロセスをたどるか。それは一種の思考癖なのだと思います。ただ、この癖も、どのような環境、業界の中に身を置いていたかで、違ってくるということを感じています。

 

新らたな世界に興味を持つと、よくわからない言葉に出会います。そのとき、「この言葉の意味って?」「どのように『定義』されているのかしら?」と考える習慣があります。その言葉について、明確に定義されていることもあれば、なんとなくこういう意味という感じで捉えられていたり、団体によって違う解釈をしていたりということがあります。そんな状況から、その業界の特徴というか、体質というか、もっと言ってしまうと成熟度が、測れるように思っていました。

 

 

 

 ■定義がない世界って?

これまで、新たに興味を持ったジャンルの言葉を調べていくと、ちゃんとした「定義がない」ということがよくありました。それは、自分にとって、ちょっとしたカルチャーショックでした。

 

園芸では、「ハーブ」という言葉に定義がなく、その裏にはいろいろな団体の利権が見え隠れしていたり。美容関係では、「コンディショナー・ヘアパック・トリートメント」というアイテムの明確な定義がなく、メーカーによって独自に決められていたり

そして、食の世界もしかりでした。肉の焼き方の「レア」 それがどういう状態なのか、はっきりした取り決めのようなものが存在していないようなのです。「レア」は、中心部がなまぬるいレアもあれば、加温されたレアもあるというように、シェフによって解釈が違い、食べる側も、それぞれにこういうものと解釈されている状況。

こうした、定義がきちんとされている業界かどうかで、その業界の成熟度がどの程度なのか、測っているところがありました。なんだ・・・食品業界も、こんなもんな・・・と、心の中で思っていたのでした。

 

 

■環境によって変わる思考

たとえば、この「定義」について、意識的であるかどうかというのは、その人が過ごした環境が大きく左右すると思っています。一般的に言われるのは、「理系」の方というのは、この「定義」をもとに物事を考える傾向があるように思います。これは学問そのものが、「定義」に基づいて成り立っているからだと思います。

 

 

wiki phedhiaの解説にみる認知度、文系・理系の違い

調べたい言葉が、wikipedhiaに掲載されているかどうかというのは、世間一般の認知度に加え、業界内認知度の指標にもなります。業界内では言葉が氾濫していたとしても、wikipedhiaには、掲載がない・・・・健康、美容、エステなどは、そういう言葉が多いです。その状況は何を意味することなのか。その存在がどういう位置づけなのか。そんなことも理解の指標となります。

 

言葉を調べる際に、よく参考にするwiki pedhiaですが、理系の言葉は比較的正確に記載されていると言われています。一方、文系の用語は、「○○○と考えられる」という表記も多くみかけ、書いた方の考えであることも多々、見受けられます。理系の言葉は、原理原則が比較的、明確にされているからではないでしょうか?

 

 〇業界による言葉のとらえ方

しかし、理系、文系には関係なく、このような捉え方は、法律関係に携わっている方というのも、法律を定義に置き換えて、物事を考える傾向があるように感じます。「法律」に基づいて、正しいかどうか食べログで起こる様々な問題なども、感情的に騒ぎ立てるのではなく、規約に基づき、これがあてはまる。とか、規約の解釈をどこまで広げるかというように、あくまで元になる「規約」に照らして考えていると感じました。

 

建築業界なども、比較的、定義ということに、意識的だと感じています。一方、インテリア業界というのは、定義が曖昧な印象を持っています。思うに「法」が整備されている業界というのは、「定義」による思考が、浸透しているのではないかと思っているのですが・・・

 

医療の世界は、もともと理系ですし、法律によっても規制されている世界なので、「定義」思考の最たる世界だと思っていました。ある意味、定義によってがんじがらめになっている業界であると・・・・ その環境で過ごした人は、定義指向が強くなるのだと。

 

 

■努力するって?

あるとき、友人と自分は「努力」をしているかという会話になったことがありました。

 

「コロコロは、努力しているよね・・・」と言われ、
「これは、努力とは言わないでしょ。好きでやってるだけだから」
「○○○こそ、努力しているじゃない」
「うん、これについてはね。 でも、コロコロが努力してるって言わないなら、 
 私のは努力とはいえないかなぁ・・・・」

 

じゃあ、「努力してる」ってどういうことなんだろう。って話になりました(笑)

 

(「そんなことどうでもいいじゃない」って思われた方は、ここでおしまい(笑)
  興味がありましたら、引き続きどうぞ 笑)

 

 

〇私が考える努力

私が思う「努力」というのは、自分には困難なことを乗り越えようとすることが「努力」で、努力している内容や程度は問わない

 

たとえば、朝が辛くてゴミ出しができくなったという人がいたんだけど、その人が、頑張ってゴミ出しをするっていうのは、「努力」だと思う。ゴミを出す行為は、だれでもできるなんでもないことだけど、その人にとっては、大変なことで、頑張ることだから。80の能力の人が、80のことをしていた場合。50の人から見ると、すごい、努力しているように見えるかもしれない。でも、本人にしてみれば、努力は全然していない。80の人が、81にしようとすることが努力。ゴミ出しは10ぐらいのレベルのことかもしれないけど、出せるようになるということで、15になれば、80のことをしている人よりレベルは低いけど、努力をしているって思う。そんな会話をしていました。

 

 

〇好きでやってることは努力ではない

私が今、興味を持って調べたりしながら、わざわざでかけて見に行く「〇〇〇」という建築家は、興味があることを調べているだけだから、それは全然、努力じゃないわけよ。建築の世界では有名な人みたいだけど、世間的にはあまり知られていない人だから、そういう人を追いかけていると、努力して調べているみたいに、傍からは見えるのだと思う。でも、これをレポートにまとめたり、論文にして発表するという目的があるなら、それは自分の能力を超えることにチャレンジすることだから「努力」してることになるのだと思うけど・・・・

人って、自分の興味がないこと、知らないことを追いかけている人に対しては、なんだかすごいって見えちゃうものなのよね。でも、本人は、興味のあることを追いかけてるだけ、自分の欲求のまま、当たり前のことをしているにすぎない。だから、苦労もない。好きでやってるだけのことは、私は、努力とは、言わないと思うの(笑)という話をしたことがありました。

 

 

〇会話は「定義」があって成り立つ

すると、友人から、「いろんな人に『努力する』っていうことについて、聞いてきたのだけど、コロコロと話す場合は、 『努力』の定義から考えないといけないわけ・・・・」と大笑いしたことがありました。

「自分は努力をしていると思うかどうか」そんな話を、何人かに聞いていて、どういうことを「努力」と思っているか。これは、人によって違っていたようです。会話や議論をするには、言葉の「定義」が必要という、根本的な考え方が私にはあります。「努力しているかいないか」を語るには、どういうことを「努力」と考えているかという、相手の認識の確認。そして、相手との違いを理解した上で会話をするか、お互い、すりあわせて、こういうことという共通認識持って話すか、それがないと、ずれてしまうと思うのです。新たに、興味を持った世界で「あれ?」 と思ったとき、よく調べてみると、実は定義がない。そんなことによく出くわすのでした。そうすると人によっていろいろな理解の仕方をしていることになります。

 

さて、ここからさらに続きます。内容は全く変わりますが・・・

 

 

■「延命治療」について

先に、医療は、定義の世界だと思っていたと書きました。「延命治療」医療界のことですから、当然、延命治療とは何か、定義が明確になっているはずです。ところが!明確な定義はないそうです。医療界というのは、定義でガチガチの世界と思っていたので、ちょっと、びっくりしてしまいました。

 

医師の頭の中を患者も知ろうという「医師アタマ」という本を読んだ時に、医師の四角四面の思考を、画家のモンドリアンの絵を模して、「モンドリアン回路」と表現されていました。ですから、「延命治療」という言葉にも、当然、どういうことなのか、定義があるものと思っていました。

それを知ったのは、知人が参加したワークショップの話を聞いたときでした。「医師より、延命治療をするかどうか問われた時、どうするか 自分だったら、家族だったら・・・」というお題で、議論がされたそうです。参加者は、一般の方もいれば、看護師、医師、出版業界の方なども・・・・そこで、様々な議論が繰り広げられましたが、延命治療と言った時に、どういう治療を延命治療と思っているかを聞くと、それぞれに違っていたそうです。人工呼吸器は延命治療ではないと思う人もいれば、人工呼吸器も延命治療のうち。気管切開から延命。カウンターショックからが延命・・・・というように、どのような処置を延命治療と考えているかが違っていたそうです。(かなり前の伝聞なので詳細については、定かではありません)

そこで、事前に家族で延命治療について話す場合にも、延命治療とは、どういうことなのか、家族のコンセンサスが必要。自分が病気になったら、延命治療はいらないと言っても、家族は、どこから延命処置と考えているか家族、親戚、それぞれに違うということがあるということなのでした。そして、医療界においても、明確な定義がないという話を聞いて、びっくりしたのでした。「終末期」ということについても定義はないそうです。「いつまでが救命治療で、いつからが延命治療か」という線引きも難しいのだそうです。

 

 

〇定義の世界かに思った医療界に定義がない

「定義」によって成り立っていそうな業界、規約などに則って業務が行われる世界。そういう世界に身を置いてきた場合、物事の考え方も、「定義」によって考えるという習慣、思考の癖がつくのだと思ってきました。そのような環境や集団の中では、「定義」ありきという考え方が当たり前で、周りも、そのような思考を持っているものと捉えてしまいがちになるのだと思います。

一方、そういう世界にいなかった場合、「共通の『定義』がないと話せないよね」という言葉の意味を、「何を言っているのか、わからない人」もいるように思います。一方、友人との会話でも見られるように、何かを語る時には、「定義」が大事。という話をすれば、ピンと来る人もいるわけです。

 

 

〇話がずれたとき

話をしていて、ちょっとずれが生じた時、「その意味は、どういう意味でとらえていますか?」と問いかけて、その意味を理解できる場合と、理解できない場合があります。理解できない場合は・・・・会話は成立は難しいと判断し、それ以上の会話は、無意識に避けるようにしてしてきました。そこには、バカの壁が存在しているからです。自分は知らないうちに、意識せず、この言葉の「定義」は?という思考を必ずしていました。

ネット内で自称、医師と言われている方との間にずれが生じ、会話が成り立たなくなったので、この話をしたことがあるのですが、理解されなかったということもありました。医師だから理系だから・・・・定義ということに意識的であるとは限りませんし、文系だから定義思考でないわけでもなく、個人差のようです。

 

「食」について、興味を持ってからも、同じでした。物事の捉え方って変わらないのだなと思います。食品偽装の問題を調べていたときも、食品業界というのは、定義がきちんと整っていない世界だったということがわかりました。あるいは、お肉の焼き方についてもしかりです。相手と会話をしてていて、どうも意思疎通ができない。そんな時、その言葉をお互いが、どのように理解して使っているか確認してみると、ズレがおきていることがあります。そのずれの部分を認識した上でないと会話は成立しないと思うのです。

 

 

■それぞれの世界の造語

そして最近、食の世界では「絶対味覚」という言葉を目にします。これについては、食の業界に、定義のようなものがあるのかと思ったら、造語的なもので、現段階では、思いついた人が、好き勝手な解釈をして、使っているというのが現状のようでした。一番、わかりやすいのは、wiki pedhiaに言葉が取り上げられているかどうか、一つの判断になると思っています。学問、あるいは業界として認知されているかどうか、そして、世間一般に広まっているかどうか。その判断が、できると思っています。

現段階では、それぞれ、思いついた人が、自分なりに、このように定義してみました。と言ってるだけで、業界にはこの言葉は存在しないようです。でも、使っている人がいます。すると、それぞれの使い方が違うので、会話が成り立たないということがおこってしまいます。最近は、川越シェフが本の中で「絶対味覚」という言葉を使っているようです。彼の解釈が、食の業界で認められ、今後一般的に広まるのでしょうか・・・

個人が勝手に定義をして語っていることもあります。「私はこの言葉をこういう意味で使います」という宣言をしていれば、それはそれで通用すると思うのですが、自分のとらえ方を、みんなが理解しているものとして語られても、ということがあります。

 

紅茶専門店 リンアンのマスターが言われていました。   

    → 「おいしい」は、数字で表せる?!   

「言ったもんが勝ち」最初に、言って世の中に認めさせれえば、それがセオリーとなる。自分がその理論の裏付けとなるデータを集めるために実験をしている・・・と。果たして、某シェフは、言ったもんが勝ちになれるかどうか・・・(笑)

 

 

〇科学領域の言葉 「定義」で考える人 イメージでとらえる人

「食」に使われている言葉も、自然科学に基づく言葉が用いられると、イメージで使う人たちと、言葉の定義に厳密な人との摩擦がおきるのだと思いました。例えば、紅茶のジャンピングは、茶葉を「対流」させるため。といった場合、「対流」とは? という「定義」の問題が生じてしまうのです。

 

物理や化学をかじった人、知識のある人は、「対流」ではないのでは?・・・という疑問を持つことに・・・・ お茶の甘味はアミノ酸によるものだと言われています。50度以上になると、アミノ酸は「分解」されるからという説明がありました。ここでいう「分解」ってどういうことなのでしょう? 熱による分解?  代謝による分解? 代謝による分解が、ポットの中でおきるのかしら? 50度という温度でアミノ酸は熱分解するのかしら? というように「分解」という言葉の定義を考えてしまうのでした(笑)

 

おそらく「分解」という言葉を「変化」という意味で使っているのでは? とそれぞれの認識の違いが生じているように思います。自称、理系と言っている人が、「分解」という言葉を使っていると、それは言葉のとらえ方が違うんじゃない? と私は思ってしまうのでした。

 

アミノ酸全般が、50度で分解されるのかどうか、調べてみました。お茶の甘味となるアミノ酸は、どんなアミノ酸かがわかれば、その特性もわかりそうです。テアニンというアミノ酸だということがわかりました。「テアニン」の性質として、50度という温度に反応し分解されるという記載がどこかにあれば納得できるのですが・・・・

 

 

今、そこのところを調べているのですが・・・・いや~  めんどくさい人です(笑)

 

 

■努力できること できないこと 

興味を持ったこと、疑問を持ったこと。そこから派生するさらなる疑問。その疑問がなくなるまで、知りたくなります。これって、お茶のことを追求していて、「努力」しているように見えますか?(笑) それとも、単なる言いがかりかしら(笑)好きでやってることなので、少なくとも「努力」じゃないというのが、私の定義です。(笑)

 

一方、興味がないのに、調べたりしないといけないという状況は、苦痛を伴うので私にとっては「努力」に値します。カフェや喫茶店などで提供されるお水の安全性について、世界基準がどうなっているかとかは、あんまり興味がありません。そこまではいいか・・・ と思ってしまいます。でも、たまには「努力」して、調べてみることも大事かな? そういえば、フードアナリストのカリキュラムに、そういう内容ってあるのかなぁ・・・とふと思ったので調べてみたら、1級では、「食の安全基準」という項目がありました。どうせ、資格商法民間資格とバカにしていましたが、官能試験とか、いろいろ多岐に渡る項目が組まれていました。

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

第 21 章 食の安全性基準


第 2 節 国際的な食の安全性基準・ HACCP
[1] HACCP システム
[2] ハザードとは
[3] HACCP 方式の適用
[4] ISO22000
第 3 節 レストラン安全性認証(RSC)
[1] 施設と設備の要求事項
[2] 従業者の衛生管理の要求事項
[3] 調理とサービス提供の要求事項
[4] 取得の方法</div>

http://www.foodanalyst.jp/pdf/1.pdf より

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そして、ちょっと笑ってしまったのが、フードアナリストの特典として、インターネットメディア提携サイト「@nifty 厳選レストラン」「食べログ」に参加が可能フードアナリスト®として、様々なレストランサイトに記事を掲載させることができます。記事を見たクライアントから執筆やイベントの仕事依頼など活躍の場が広がります。 

  →http://www.foodanalyst.jp/acquisition.html     ↑ もう大爆笑です

でも、こんな資格(失礼)でも、安全基準という項目が入っているわけですから、押さえておかないといけないことなのかもしれません。

 

 

■プロの定義

よく「プロ」とは? ということについても、それぞれの業界で、話題になることでした。園芸業界の植物園の責任者の方は、「相手の知識レベルを判断した上で、それに即した答えを提供できること」と言われていました。以前、評判になった、蚊を寄せ付けないと言われている「蚊連草」これがハーブの「ローズゼラニューム」とよく似てるいたので、同じものなのか?ローズゼラニュームなら、ハーブティーとして蚊連草の葉を使ってもいいか。と聞いた時に、生産者でもあったハーブ研究家は、「ペラルゴニューム属と・・・ 」という話を始められて、チンプンカンプン。

 

私は、「同じか、同じでないか」「ハーブティーに使えるかどうか」それだけわかればよくて、そんな余計な話はいいから・・・・答えだけ、教えて!と思いながら聞いていました。のちになって、研究家の方は、植物の学名でお話されていて、属の違いなどを説明しようとされたことがわかったのですが、そうした説明が、有効な人と、そうではない人がいて、提供する側は、それを見極めることが大事という、植物園の方の話は、なるほど・・・と思ったのでした。

 

食における「プロ」とはなんぞや。プロの定義をどうとらえるかということもあります。自分はプロと豪語する場合、何を持ってプロというのか。そして、食に関する疑問も、相手が、どこまで知りたいかというのは、人によっても違います。私たちは「プロ」ではありませんが、食についての会話をするときに、どこまで知りたいか、興味があるかというのは、人によって違います。コメントなどのやりとりでは、自分対相手の関係だけでなく、その回りの興味の度合いなども、考慮しないといけないのかなと思うのでした。自分は知りたい。でも、回りはそこまでの興味がない。興味がなければ、スルーしてくれればいいと、基本的には、思ってしまいますが、コメントなどでコミュニケーションをとっている時は、相手の立場も考え、客観的に見るようにしないといけないのかなと思うのでした。

 

 

人によって知りたいことの深度、掘り下げ方が違う。

 

 

そこをお互い理解しあって、潤滑なコミュニケーションをはかりたいものです。

基本は人の興味と私の興味のツボが違うこと。それぞれを認めつつ、間にある壁をうまく利用して距離を計っていけたらと思うのでした。