根津美術館にて、細見美術館の岡野智子氏による講演会が開催されました。昨年、サントリー美術館で見た作品についての解説があり、《風神雷神図襖》について疑問に思っていたことの答えが、講演会のお話の中にあったので紹介します。
■講演会の概要
日時:2017年5月13日(土) 午後2時から3時30分
タイトル:「燕子花図と夏秋渓流図」展講演会
「其一と光琳 ―受け継がれる革新―」
講師:岡野智子氏
場所:根津美術館 講堂
《風神雷神図襖》の感想や疑問点
⇒■鈴木其一:《風神雷神図襖・屏風》 鑑賞の変遷記録(抱一とともに)
以下、新たな知見や疑問に関してわかったことを紹介します。
■《風神雷神図襖》の新知見
〇新知見1:絹本というのは本当?
この襖は、絹本と伝えられています。ところがザラザラしていて粗く、紬ではないかというお話がありました。金箔よりもあっさりしていると言います。アップにした画像を見せていただきました。確かに映像で見るとザラザラしていました。
ところが、サントリー美術館で初めて見た時は、「ザ・絹!」という感じに思えて、其一は「私は、絹地に描いたんだぞ!」と宣言していると思えた・・・とまで書いています。
この襖に何が描かれているのかを確認するため、襖の何も描かれていない部分も含め、端から端まで、双眼鏡でくまなく観察もしたのですが、その時は、ザラザラ感には気づきませんでした。おそらく、何も知らずに見た段階で「これは絹だ!」と思い、さらに解説パネルにも「絹」と書かれていたことで、そう思い込んでみてしまったかもしれません。拡大された画像写真はザラザラ感が出ていました。また、拡大倍率が手持ちの双眼鏡とでは違うことが、あとから見せていただいた画像からわかりました。もう少し拡大しないと、そして近くでみないとわからないのかもしれません。
〇新知見2:襖の配列は、実は・・・・
裏表だったと言われています。ところが、裏表ではなかったのでは? という意表をつくお話。並列だった、あるいは90度に据えられていたのではないか・・・とのこと。
最初に見た時、横一列というのは、構図として間延びしていてどうなのか・・・・と思ったことは確かです。また、8枚の襖を横一列に並べるほどの広さというのはあったのか? という疑問もありました。そのため90度飾られていたのでは? ということは、私も感じていたことでした。ちなみに横一列に8枚の襖というのはあるそうです。
↑ 建仁寺でも8枚一列の配置は確認できています
〇新知見3:襖は開くものと考えたら
襖は閉じた状態だけでなく、開け閉めして開くもの。そう考えると・・・・ 言葉で表現するのが難しいのですが、左右の襖の開いた状態を、動画で見せていただくと、なるほど・・・・ 過去の風神雷神図屏風の構図と一致します。
全開の展示で、襖が裏表だった・・・・ということがわかって納得はしていたのですが、どこかで、それでもこの配置、構図は間延びしているのではないか・・・という心のひっかかりのようなものがありました。襖は開いた状態になる・・・ その状態で構図が決まっていると理解すると、喉のつかえのようなものが取れた気がしました。
〇新知見3:襖に傷がないということは?
襖を裏表で描いていたとしたら、開け閉めによって傷などができるはず。その傷がほとんどないと言ってよいことなどから、襖はもともと裏表ではなかったということの推察にもつながると言います。
ところが、私は裏表の件で、美術館に問い合わせて確認しており、なぜ、分離したのかなども伺っていて、実際に分離したのは事実だと思うのです。そのお話をしたところ、確かに、冨士美術館にあった時は、表裏の両面で所有されており、その前の段階の話なのだということでした。
誰かが、表と裏、くっつけちゃおうと思ってくっつけてしまって、その襖は開かずの襖として、飾って利用していたということでしょうか? そう考えると、ちょっとミステリアス・・・
〇新知見4:中央に黒いベルトのようなもは何?
そこで、右から4枚目と5枚目の何も書かれていない部分。襖の枠周辺を近くでつぶさに観察。さらに双眼鏡で拡大もして観察しました。
↑ このあたりの黒い部分
その結果、完璧につながっていました。
この黒いベルト帯については、岡野先生も認識されていらっしゃり、下の木枠が経年劣化によって浮き出てきたのではないかと思っているとのこと。
その後、襖絵を見る時には、この部分を注意して見ているのですが、多くの襖が、黒く浮かびあがっているように見えたということは、木枠の影響というのは考えられそうです。⇒【追記】(2016.11.9) 東京国立博物館の「禅」の展示の襖絵
汚れ防止のために、わざわざ黒っぽくしていたとか? いろいろ想像を巡らせていましたが、木枠のヤニ? のようなものが浮き上がるという想像はできていませんでした。
裏表かどうかについては、もしかしたら、本当に裏表だったかもしれないし・・
その理由もおっしゃっていたのですが失念しました。(落款の関係かな?)
■抱一の《風神雷神図屏風》の違和感
宗達、光琳、抱一・・・ この3人の風神雷神図屏風の比較解説をされながら、部分拡大の顔写真を見せていただきました。最後の抱一のところになって、「アップに堪えないので、ここはカットします・・・・」と。
あれ? どういうこと? もしかして・・・・
抱一の風神雷神は漫画チック。最初に見た時は、抱一の人物像など何も知らなかったので、天真爛漫な人、自由闊達な人、遊び心のある人なんだなと理解していました。
ところが、鈴木其一展を通して、抱一像が明らかになってくると、抱一のことを天真爛漫なんてとんでもないことを思っていたと冷や汗ものでした。洗練、知的、教養人、洒脱、粋・・・ そんな抱一像が次第に見えてきました。そうすると、なぜ、あんな風神雷神を描いたのか・・・? 抱一のキャラクターと、全然一致しないじゃない? と感じていました。
しかし、そこは、先人と同じものをなぞってもしかたがない。先の風神雷神にないものを描こう・・・としてあのスタイルが生まれたのだと理解していました。
でも・・・・ どこか、ひっかかりがあって、抱一の人物像とあの風神雷神が一致しないとすっきりしなかったのでした。
あとで、お話を伺うと・・・・・かくかくしかじか・・・・とのお話。そのお話が妙に納得ができてしまうのでした。
「なぜ、其一は、風神雷神を描く時に、手伝わなかったのでしょうね?」
と疑問を呈されていました。
「私の想像は・・・・・」
■感想・まとめ
昨年のサントリー美術館で、新たなことを知るとともに、また新たな疑問も出ていました。其一は、師匠の抱一よりも、どうも、光琳LOVEらしいという話を耳にしていました。その理由のようなものが今回、見えてきました。
個人的には、其一は光琳さえも超えたと思っていました。岡野先生も、どうも其一に傾倒していらっしゃるのでは? と思われるお話が、講演会の中で随所にうかがえたように思いました。
ひそかに「鈴木其一」というすごい画家がいることは専門家の間ではささやかれていたそうですが、2011年に行われた展示で、一般の鑑賞者からもなんだかすごいという声が上がって、単独開催に至ったのだそうです。見る人に知識がなくてよくわかっていなくても、心惹かれる何かがある・・・ そう思わせることができるのが真の力なのだろうと思うのでした。
サントリー美術館で感じていたいろいろな疑問が、根津美術館で、しかも細見美術館の学芸員さんによって解決できてしまったという・・・・ そして、琳派を知ったのは「細見美術館 琳派のきらめき」だったので、原点にまわりまわって戻ってきた感じがしました。いろいろな形でつながりあっています。
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