横浜美術館のアートギャラリー1で行われている「柵瀨茉莉子展|いのちを縫う」の内覧会と初日、ギャラリーには生まれたお子さんとともに会場に立つ柵瀨茉莉子さんの姿がありました。縫い上げた作品が語り掛けるメッセージとは?
将来活躍が期待される若手作家を紹介する小企画展「New Artist Picks(NAP)」。今回は柵瀨茉莉子(さくらい・まりこ)さんの個展が開催されています。
当初、2020年3月〜4月の開催予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で、会期が変更となりました。その間「神奈川文化賞未来賞」を受賞、今後の活躍が期待される若手アーティストです。(神奈川県と神奈川新聞社との共同の表彰)
柵瀨さんの表現手段は「縫う」こと。木や植物、貝殻など、命を持っていた自然の生き物を素材に制作をされています。
■生き物が持つ命の時間を縫い上げる
1年ごとに増えていく年輪。
その年輪は、縫い上げられたステッチによって浮かび上がります。
ところどころ、剥げおちながら・・・・
白地に赤茶の円。日の丸を想起する人もいると言います。
木材に縦に刻み込まれて流れる年輪。
規則正しい横筋が、板を横断しています。
中心部に近い板が見せる年輪は並行で直線的。
樹皮には、木目とは違って方向性のない形が潜んでいます。
樹木が成長とともに残す足跡。その痕跡は内部に埋もれています。その足跡にあえて穴をあけ、針と糸を通して、形として浮かび上がらせていく作業。その根気のいる手仕事の時間は、ゆっくり進み、外からは見えていない樹木の時間を、私たちに形として伝えてくれます。
穴をあけながら、縫いあげていく途方もない時間。樹木が持っている時間のリズムを、一つ一つ確認しながら、自分の中に取り込み、同化させているように思われました。
そこから浮かび上がるステッチは、樹木、本来が持っている根源的な姿を、知らせてくれます。樹木は年輪を重ねて育ちます。年輪をカウントすれば、樹齢がわかること、南と北では成長の幅が違うこと。知識としては、誰もが知っています。しかし、わかっているようで、わかってはいなかった植物の時間を、目の前に差し出されたようです。
■貝の成長の時間
貝にも、年輪みたいなものがある・・・・
それを理解したのは、「貝の試作」を見た瞬間のことでした。
貝も、樹木と同じように、成長の痕跡を残してる!
柵瀨茉莉子さんは、縫うという行為、創作活動を通して、命を持った自然物の本質的な形を浮かび上がらせているのだと思いました。
対象物が、長い年月を経て引き継ぎ、今に至った形や機能を、ステッチで浮かび上がらせます。こんなふうに生きていたんだよと、私たちにメッセージを届けてくれているようです。
その創作は、ブランクーシが対象物を極限までそぎ落として、本質を形にしようとしたことに通じるものを感じました。
同時開催されている「トライアローグ」展の冒頭に、そぎ落とされた鳥の形が展示されています。(写真は横浜美術館常設展示)
■祖母との思い出を縫い込む
《いとの日-2》(No.18)
コロナの影響で展覧会は延期しました。その間、新たに制作された作品。
作者の創作スタイルに影響を与え、大好きだった祖母の死。1月10日糸の日のことでした。お婆様が好きでよく着ていた猫のトレーナーに、銀色の髪の毛、飼い猫の毛や庭の植物などを縫いこんだ作品です。
縫い込まれたものが特徴的な作品。しかし、目に飛び込んできたのは、擦り切れた肩の部分でした。糸の様子が見えるまでに着こまれた時間が伝わってきます。
この状態になるまで、ここに何度も何度も手を通した最愛のお婆様の姿が、浮かび上がりました。作家の根幹に影響を与え、作品を生み出す原動力となった人。その人が、このトレーナーの中に、まぎれもなく存在していたこと。実在感が迫ってきました。
何のかかわりもない人物。それなのに、姿が浮かび上がってくるという驚き。トレーナのサイズ感から、小柄な体形であることまでもが想像され、それは、胸が締め付けられるような感覚でもありました。
ネコのプリントは薄くなっています。
そこに葉っぱや花びらが縫い付けられました。
赤い花びらのまわりが、ほんのり赤くそまっています。
時間の経過で、肩が薄くなり糸のようになったトレーナー。お気に入りのネコは陽炎のようです。一方、亡くなられたあと、生地に縫い付けられた花びらの赤は鮮やか。この色もまた変化していくのでしょう。そして、花びらも朽ちて落ち、ステッチだけが残る・・・・
お婆様が生きた証、そこに柵瀨さんが、祖母の好きだったものを縫い付けたという痕跡は、確実に残されて、記憶として保存されていきます。
■体験の共有
たくさんの葉と、それを縫い込んだバック。
そこに添えられていた言葉・・・・
学生が高い建物から自ら落ちた。ショッキングな出来事がつづられています。作品の解説としては、あまり表には出さないような出来事です。さらに続く言葉。「たくさん人がいる大学、誰も気づかないかもしれない・・・・」
似たような出来事、私も体験していました。同じ年齢の頃に、時間も場所も違うけども似たようなことがおきていた。すっかり忘れていたその記憶がよび起こされ重なりました。それは風の噂で耳にした話。単なる噂なのか、真実なのか・・・・ 学内に命を絶った人がいるらしい。その時、心理学の授業で教師が語っていた言葉。
「受験を終え、大学に入学。目的を持たずに入学した学生は、燃え尽きてしまう。いわゆる5月病と言われる状態。環境も変わり馴染めずに、中には生きる望みを失い命を絶つ学生もいる。それは、毎年、どこかで繰り返されていること。しかし、この学科は、しっかり目的を持って入学してきた人たち。目標を見失うということは起こりにくい。だから大丈夫。心配はない」
その言葉で、事件はどこか他人事になったように思います。私たちは目的を持って入学したという自負とともに、大丈夫!と言い聞かせ切り替えました。
それは「一人いなくなっても、だれも気づかないかもしれない」と感じたのと同じような感覚だったのかも。他人事として、心の中を処理をし、変わらない日常を送りました。そんな記憶はなかったように…
しかし、彼女は、その夜から葉を拾い、部屋でカバンに葉っぱを縫いつけていたといいます。一見、変わらない日常生活を送りながら、葉っぱを一枚、一枚拾って、命と向き合っていたのだろうと想像されます。
私は別の形で命と向き合い、考えるという場面に何度となく遭遇していました。実験動物の失われていく命、それに手をかけること。解剖実習を通して献体として提供された命。授業では「奇形や障害の可能性のある胎児の堕胎は是か非か」といった討論も行われました。その課題は卒業するまで、いろいろな場面で語り合いました。
入学した時に遭遇したショッキングな出来事。忘れていたけども、同じような体験をした人がいる。そして命や生きることを考えて続けていた。時代や場所、環境、目指す方向が違っていたとしても、見つめている世界は同じ…
「同郷」「同級」「同窓」「同業」など同じ環境は、人の距離を一瞬で縮めると言われます。しかし、同じ「体験」も、結びつきを強めることを感じます。私の体験も、作家が制作しているバックに、一枚の葉として、縫い込まれたように感じました。
葉の下には、日付が縫い付けられています。
命について考え続けるきっかけ。実は何事もなかったように心の処理をしていたけれども、それが端緒となっていたのかもしれません。その後、医療へ、芸術へと進む道は違い、接点もなく、世代も異なる時空の中で過ごしていました。ぞれが作品展という場が、引き合わせてしまったようです。
柵瀬茉莉子さんが添える作品の解説。活字ではなく、糸を縫いあげるその手によって、一文字、一文字、書かれています。そこにも引き寄せられる力を感じました。
学びの部屋であった自室。そこで作品の制作をしながら命と向き合う学生生活を送った作家。一方、夜な夜な飲み会をしながら、看護科や医学部の人たちと命について、語った学生時代。
時を経て、美術からも、生きること、命について考えさせられるようになりました。そして同じような体験をした作家と出会う。「縫う」というテーマの作品は、見る人の記憶や心も、作品の中に縫い込まれていくようです。
■自分の進む方向を決めてくれた自然と破壊
三浦半島の佐島で生まれ、豊かな自然の中で育った柵瀬さん。そこは遊び場であり、回りの人の愛情を感じられた場所。多くのことを学び、自分の歩く方向を決めてくれた場所だったと振り返っています。
ところが山の半分が開拓されてしまいます。心のよりどころを失った悲しみは怒りの感情にも・・・ その一方で、開発によってもたらされた便利さを享受してしまうという矛盾にジレンマがあったようです。
そんな山を思い浮かべながら制作された作品。
《山の記憶》2019-2020年
その山の左側の壁に作品が・・・・ 望遠鏡のようにして覗いてみました。作品の裏側にも糸が垂れていたことに気づきました。
■作家も忘れていた記憶
近寄ってみると・・‥
穴の空いた影が映っています。この陰は何でしょう? どこの部分が映っているのでしょうか? よくよく見たら、木に小さな穴があいていることがわかりました。ここに穴が開けられているなんて、近寄ってみても、なかなか気づかないことです。何か秘密をみつけたようで、心が躍りました。
穴をたどると、作品の下部に割れがあり、白い糸でつなげられていることもわかりました。デザイン、アクセントかと思っていましたが、ジョイントの機能もしていたのでした。
この穴は、樹皮のカーブに沿って裏まで開けられていることもわかりました。
中からのぞき込むとその様子がわかります。
柵瀬さんに「気づいちゃいましたよ~」と告げると、その答えが意外でした。「それ、忘れてました。そういえば、確かに穴、あけてました」
作り手の記憶から忘れられていた穴。しかし、その痕跡は、しっかり作品に刻まれています。見る側が、ひょんなことから掘り起こす。そんな作品との関わり方は初めてのことでした。
■プライベートな作品から
今回の展覧会は、作家の個人史をテーマにした新作が加えられています。それらの作品は、作家の個人的な記憶を元にしたもので、そんな背景を公開することに、ためらいがあったと伺いました。
しかし、そのような公開があったからこそ、私には作品がより迫ってきました。展覧会の延期の間の出産、大好きな祖母の死・・・
大学生活の葛藤など、プライベートな背景が、見る人の個人史にも重なって響きます。
忘れてしまった記憶。でも、実は自分の根幹に影響を与えていた経験。作家のプライベートな背景が、見る人のプライベートにも働きかけて、埋もれた記憶を浮き上がらせる。そして自身の根幹を形成する大切な出来事であったことに気付かせてくれました。
アートは、今の自分を作り上げた瞬間や出来事を、様々な形で知らせてくれるメッセンジャーのようです。過去と今、そして今と未来も繋ぐヒントを与えてくれいるのかもしれません。
内覧会の日、横浜美術館前のグランモール公園は、ケヤキが色づいていました。落ち葉は?・・・・まだのようです。
その5日後。葉っぱはが落ち始めました。ケヤキの木は、日本では割と身近にある樹木。棚瀬さんが、素材を求めて散策したり、旅行で気づいたことだそう。初めての公立美術館での初個展。その前にもケヤキが並んでいます。
その日、「横浜美術館、ケヤキがきれいだそうですね」と声をかけられ、場所を聞かれました。