コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■人体展:神秘への挑戦-人体をいかに理解してきたか そしていかに理解していくか

「人体ー神秘への挑戦」では、「人体をわれわれはいかに理解してきたか」先人たちのの偉業を提示し、それを知ることによって、今後「私たちは人体というものをどう理解したらよいか」を考えましょうという投げかけがされていました。

自分はこれまでいかに人体を理解してきたか、そしてこれらの展示を見て何を理解できたのか。そして今後、どのように人体を理解していくのかを、まとめました。

(前出の記事の補足として書いていたら長くなったので独立させました)

 *写真は自由に撮影可能エリアより

 

 

■先人たちの偉業に触れる

先人たちがいかに人体を理解してきたか。医療系の大学に進学し、初めて触れる人体の模型や図譜。それは、もともとそういうものなんだと思って受け入れてきました。しかし、それがわかるまでに、過去の人たちがどれだけの努力と苦労をしてきたのか。

それらは今の時代とは全く違う、アナログな世界。地道な手作業によってなされていたことにも驚愕させられました。研究者など最先端の場にいると、そうしたことを忘れてしまいそうですが「先人の努力があってこそ、私たちの理解がある」と会場にいらした企画を担当された方の言葉にハッとさせられました。

この世界にちょっとだけ足を踏み入れた経験のある立場として、この偉業、そしてこの展示の奥深さを伝えられたらと思いました。

 

■人体展:人体の発生 胎児の成長

■人体展:神秘への挑戦神経解剖学   壮大なアトラスを完成させた日本人

 

 

■わからないことを理解する機会

長年、理解できなかった疑問がありました。しかし差し迫って理解しなければいけないわけではないので、そのまま放置されてしまいます。多分、調べる気になって調べれば、今のネット社会では、すぐにわかってしまうのだと思います。

たまたま、今回の展示の中にその疑問がありました。こういう機会とからめて理解すると、エピソード記憶として定着しやすいのかな? と思いました。(と言いながら、エピソード記憶って、科学的な根拠があるのかなぁ…と考えていたり)

 

 

■理解に至るポイントは?

長年ホムンクルスの意味が理解できず、なぜ理解ができなかったのか、やっとわかりました。表現方法の好みという問題もあるのだと理解しました。

概念でなく、現実的な表現で確認しないと私の場合は理解に至らないのです。最初に腎小体を見た時も、概念図でなく、実際の腎臓のどこにあるのかを、確認できるまで理解できなかったのと同じだと思いました。

最後の人体のネットワークを見た時も、実際に言葉なんて交わしてないよね。具体的にはどんな指示系統になっているんだろう‥‥と現実的に考えてしまうのです。

 

 

■そのものの存在の確認から始まる

この習慣は、今尚、続いています。

〇幹細胞って?

話題の幹細胞。体内に存在すると、コスメメーカーが言っています。幹細胞って骨髄の中にあるものはず。なのにどうして骨髄から体内に出ていくの? 未熟なまま体内に出てしまったら、それは病気ってことじゃない? 

体内にあるということがどういうことなのか。その状態を、実際に確認できるまでは、私は信じられませんでした。最近、なんらかの形で、骨髄の幹細胞が体内に存在することがわかったらしいです。(その機序は不明だけども、写真が掲載されていました。それでやっと納得。)

 

〇骨髄でできた血液はどうやって血管へ?

そういえば、学生時代、骨髄で作られた血液は、どうやって体に運ばれているのかも疑問でした。骨から血管が出ている図なんて見たことがありません。いろいろ探したのですが、骨からでてる血管なんてみつかりませんでした。

使えるものは何でも使え・・・と、友人の彼氏が医学部だったので、聞いてもらいました。「その質問、鋭い」と言ってたけど、解説はよくわからなかったって… そんな疑問も今、調べれば、すぐにみつかります。骨からちゃんと血管は出ています。

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動作を支える骨と筋肉、関節|身体のしくみとはたらき―楽しく学ぶ解剖生理|看護roo![カンゴルー

 

セルライトって何?

セルライトを減らす? そんな細胞、聞いたことありません。どこにあるのでしょうか? 私が学んだ組織学にはそんなものは、存在していませんでした。新発見されたものなのでしょうか? 実は‥‥

 

〇目で確かめることから 

こうして、私の人体の理解は、新しいものに遭遇したら、それがどこに実在しているのか。本当にそういうものが存在するのか、まず確かめる。もしそれが、新たな発見なのだとしたら、それを示している図はどこにあるのかを確認。そこからスタートするのでした。存在の確認から始まる。それは学生時代から培われていたようです。そのことを人体展を通して確認できました。

■最初に学んだ腎臓の機能

 

 

■人体を理解するとは?

人体に限らず、物事を理解するとはどういうことなのか・・・ということを考えさせられます。知れば知るほど、新たなわからないが生まれます。何をもって理解したと言えるのか。いつまでたっても、理解なんてできない‥‥

 

研究者には2つのタイプがあって、「多くを知ってより知ることができたと満足するタイプ」と、「多くを知って、さらにわからなくなった」と思うタイプがいるとどこかで語られているのを読んだことがあります。

 

専門にだけ没頭する人、一方、専門を離れ、美術、音楽、文学・・・・と世界をどんどん広げ、哲学的な世界に足を踏み入れ、結局はわからないとなるのではないか。最後は宇宙や神といった世界に向かう? 自分のわからないを突き詰めていくと、それまで知らなかった哲学という世界の存在が見えてきました。

学問の成り立ちを考えると、哲学から分化していたらしいことが見えてきました。私はその末端の世界からたどって、このあたりの扉が見えてきたのかも・・・・

世界に功績を残された方は、専門だけでない方が多く、美術鑑賞を趣味とされる方が実際に多いと感じました。 

 

しかし、研究者でなくても、何を知るにしても、結局わからない‥‥と感じている人は多いと思います。それが真理のように思っていました。じゃあ今、「理解する」「わかった」というのはどういうことなのかと自分なりに考えてみると…

 

現状の『知識レベル』の中で『納得』すること」 ではないかと思いました。

 

知識レベルが変われば、理解できる。わかることも変化していきます。どんどん新しいことが解明されていく人体。そこに「理解できた」ということはないと思うのですが、現状のレベルのなかで「わかる」というのはあるのかもしれません。

 

 

■人体展からの広がり & 人はどのように人体展を見たのか? 

twilog.org

人体展を見て感じたこと。「あっ、これ、こことつながってるよね」って思ったことをtwitterに投げ込んできました。美術の世界も科学の世界も、ベースにあることは同じだと感じます。いかに生きるか。そして命とは? 命をつないでいくことが根底にあると感じています。 

しかし見る人によっては、この展示の受け止め方もいろいろで、おもしろいと思えるのかなぁ‥‥と思ってました。いろんな人の面白いと感じたポイントも集めてみました。そして、面白いって思う人ばかりじゃないってことも。いろんな見方がなくちゃおかしい。

 

言いにくいことでしたが、私には人体のシンフォニー、あんまり面白くなかった(笑) 

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(撮影したのはこの一枚だけでした‥‥)

写真の撮影は、自分の興味を顕著に表します。興味のある部分は、いろいろな角度から撮影したりどう切り取ろうかと考えいます。しかし、興味をいだかないことは、一枚も撮影していない。ということはよくあることで、それもあとから気づきます。これは、このコーナーの唯一の一枚でした。撮影する時も、ここがこの展示のメインらしいから、一枚ぐらいはとっておくか‥‥ そんな気持ちで撮影していました(笑) だから、ここだ!というシーンを探すことも待つこともなく、アングルも考えない。とりあえず、とっておこうとテキトーに撮影していた。ということを振り返って見えてきました。

 

なぜ、これを面白い! すごい!って私は思えなかったのか、わかった。それが今回の人体展の収穫の一つです。 

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神経細胞の軸索 (緑の部分)⇒これが軸索なのかぁ‥‥

 

 

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▲脊髄を走る神経の束 ⇒神経の中って空洞になってたの? 

なんか丸っこいもの入ってるけど、これは何だろう・・・

 

私にとって人体を理解するというのは、こうして実物をみて、こうなっているのか‥‥と思うことがポイントだったのです。ところがキャプション見ていたら、これらはラットの写真に着色されたものだとわかりました。するととたんに「なんだ、これ人の写真じゃなかったんだ・・・」と思っていたのです。

冒頭の人体解剖の歴史の展示で、動物の解剖を人間にあてはめていたから、随分と違っていて間違いも多かったって言ってたじゃない。ラットの細胞をここで展示したら、これを人の細胞だと思って見る人、多いんじゃない? 勘違いしている人、いるんじゃないかなぁ・・・・ ラットの細胞とヒトの細胞の違うところはどこなんだろう…

人の細胞で見たいな‥‥ でも、それができないからラットなのか(笑)

 

自分がどうやって人体を理解してきたのかがわかりました。まずは、本物を確認することが第一だったのです。この先、人体をどう理解していくのかも、きっと変わらないのだろうと思いました。「わかる」にも、いろんな「わかる」があるということも‥‥

 

 

 

■情報にまどわされないために

「健康」「美容」「病気」「運動」‥‥ 人体にまつわる情報はいろいろです。提供する側はあの手、この手で訴求してきます。そこで真偽を見極める目を持つには、やはり本来の人体のことを知っていることが必要なのだと思います。

「ない物」を「ある」ように語られたり、「効果のない」ものを「ある」ように言われたり。

まずはそのもの本来の姿を確認して、どんなものなのか、どのように作用するのか、人体の構造と機能に照らし合わせて確認してみる。そうしたら、簡単なまやかしは見抜けるはず。

 

人体にまつわる情報はあふれています。その取捨選択をする判断の一つとして、人体の基本的なことを知っておく。新しい情報に触れた時、すぐに鵜呑みにはしない。自分で確認して確かめてみる。

それは、昔も今も、そしてこれからも変わらないのだと思いました。一度は、本当なの? と思いながら、いろいろ見たり聴いたり考えたりして、自分の中で判断する。知識も増えれば、その判断材料も増えて、総合的に判断ができようになり、見誤ることが減らせるのだと思います。

 

NHKの情報だからって正しいわけじゃない。科博の情報だって同じ。そういう視点も持って見ていこうと思う。と小さな文字ですが、大きな声で叫んで、おしまい(笑)

 

■参考 アートの世界の「わかる」「理解する」ということについて

〇「アートがわかる」ってどういうこと? 今よりもっと展覧会を楽しむヒント | cafeglobe

〇10分で分かる現代アート 理解深める20のキーワード :日本経済新聞

〇【アートが分からない】芸術って本当に価値があるの?という疑問がある方へ

〇「意味がわからない」はもう卒業!現代アートでまず知っておくべき5人の芸術家 | シゴトタイムズ

〇光悦「熟柿」などー「寛永の雅 江戸の宮廷文化と遠州・仁清・探幽」展より - 年とともに感受性は鈍くなるは本当か? - ふぉるて日記

 

 

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