コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■南方熊楠のゼミナールに参加して(自分用メモ)

第11回南方熊楠ゼミナールが科博で行われました。「南方熊楠は何をしたかったのか?」をテーマに、基調講演やパネルディスカッションが行われました。その中で思ったことや、疑問だったことを伺ったのでメモ。

 

追記しました

 

 

 ■テーマ 南方熊楠は研修者か?

パネルディスカッションのテーマは次のとおり

南方熊楠は研究者か? ―科学者技術者展からの11年を振り返る―」 

 

ディスカッションに登壇された方たちのお顔ぶれ

総合司会     岩崎 仁  :京都工芸繊維大学環境科学センター 准教授
コーディネーター 田村 義也 :南方熊楠顕彰会 学術部長 
コメンテーター  萩原 博光 :国立科学博物館 名誉研究員

 

パネリスト    

平川 恵実子:四国大学 非常勤講師 

細矢 剛  :国立科学博物館植物研究部菌類・藻類研究グループ長 

安田 忠典 :関西大学人間健康学部 准教授 

 

〇研究者とは?

このテーマを見て思ったのは、研究者とはなんぞや? ということでした。何をもって研究者であるのか。世間一般の研究者像研究者が考える研究者像、そして研究分野によっても「研究者」のとらえ方が違うのではないか。ということでした。

 

科学と人文系の研究者では、物事のとらえ方やアプローチが違うということを感じていました。(⇒■美術の世界と科学の世界の違い )パネリストの方も科学系、人文系の方がいらっしゃるので、「研究」のとらえ方のすり合わせはどうなっているのかな? と思っていました。

 

一般的に言葉どおりにとらえたら「研究をする人・・・」 しかし、研究ジャンルによって、「研究」というもののとえ方が違うのではないか。「研究」って何をすることが研究なの? どういうことをすれば研究になるの? 一般人が何かを調べたりまとめたりすることは、研究というのか‥‥ と思ったので、会場でスマホを取り出し「研究」ということばを引いてみました。

 

 

〇「研究」という言葉定義

「研究」という言葉の意味が、トップに出てきません。研究者という職業についてだったり、研究者になるにはとか、研究者という生き方とか。「とは」検索をしても…

 

一般的なwikipedhiaでは、「学者」と置き換わり、(この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。)の注釈付き。電子辞書のいくつかを見たのですが、「研究者」という言葉が定義されていませんでした。

 

 

〇科学と人文の世界の「研究」の捉え方

このような状況が起きた時、人文系は、そういう設定をしないまま、それぞれの考えてで、言説が唱えられていくという印象を持っていました。一方は、科学の世界では、「我々はこれについてこういう解釈ととらた上で考えていきます」という大前提が示されます。

 

科学博物館の展示と、美術展の展示を見ていて、ここに大きな違いを感じていました。「これってどうこと?」と思った時、「われわれは、これについてはこうとらえて、考えていきます」あるいは、この説を取り上げて考えていきます。ということが明確に提示されていると思いました。

 

そのため、展示を見る上ですんなり入っていけるのです。美術展をいろいろ見て、科博に行くと、そうそう、これこれ、これが大事なのよ。私の思考の流れとぴったり合い、これはどうなの? ということに的確に答えながら展示が進んでいくのです。だから見ていてとても心地がよいと感じていました。

似たもの同志の思考というか、以前、医師の言葉で聞いたように、科学というのは、モンドリアンのような学問体系で成り立っている。だから、思考もそのようにならざる得ない。

 

何かで、科学とは「区切る」こと、「分ける」こと。そしてそこに名前をつけていくことだと聞いたことがあるのですが、何かを考える時に、条件設定をして、区切って、その中で物事を考える学問だったんだ‥‥ということに気づかされたことがありました。だから定義というものが前提にあるのだと。

 

〇いろいろな世界の人が混ざって考える時

今回、いろいろな分野の方が集まり、南方熊楠を研究する。そこで熊楠は「研究者か」を話し合う時、「研究者」をどうとらえるか、と区切った上で考えるようとするのが科学を学んだ者の思考であり、そういうことに捕らわれずに考えようとするのが、人文の世界なんだということを、最近感じてきていたところでした。

 

そして、熊楠自身、研究者というものをどうとらえていたのか。「南方熊楠は研究者か?」というお題で話しても、熊楠自身、自らを研究者とは思っていなかったりして‥‥(笑) と思うのでした。

 

 

〇世間の「研究」のとらえ方

おこがましいですが、以前、友人からあなたは「研究者に向いてたのよ」と言われたことがありました。「研究者?」とんでもない! この友人は、大学時代の同級生でしたが、同じ学問ジャンルを学んでいても、彼女が考える「研究」と私が考える「研究」は違うんだと思ったことがことがありました。私に研究なんてできるわけがないでしょ! って‥‥

 

一方、いろんなことを調べたりしているのを見て、他のジャンルから見たら、分析的、研究してると思われることがあります。違う世界から見たら、そう見えるのかも…と思いながらも、科学の世界の「研究」「分析」っていうのは、こんなもんじゃないんだよねとお腹の中で思いながら‥‥(笑) 

 

ところが理系の知人と、分析って言葉を軽々しく使ってしまうけど、真の意味では、ちゃんとしかるべき方法でデータをとって処理した上で提示したものでないとそれは分析とは言わないと私は思う。自分が思うことを書き連ねたものを分析とは言わないと思うんだよね。という話をしたことがあるのですが、彼女はそれだって立派な分析だよ。と語っていました。同じ理系でもとらえ方が違うんだ‥‥と思ったことがあります。

 

というように、「研究者」というとらえ方も、ジャンルによって、人によっても違うということを経験していました。

 

 

〇「研究者」の定義は必要ないのか?

 「研究者」とは? という定義の設定をしないと議論できないでしょ… と思う一方で、熊楠研究というのは、そういう縦割りのような理解ではとらえられない人。ということも、少し見えてきているところなのでした。

 

 

こんなところでひっかかってしまい、前置きが長くなってしまいましたが、あれこれ思ったこと、考えたことを羅列しておきます。

 

 

■顕彰会では病跡学的な研究はされているのか?

Q.  18か国語を操り、和漢三才図絵を暗記したという話から病気との関係を疑ったのですが、顕彰会ではそちらからの研究はされているのか?

 

A. 以前に内科の先生が書かれた本が一冊だけある。顕彰会としては研究はされていない。専門的な部分になるので、その方面の研究は会ではしている人がいないとのこと

 

 

MRIの診断について

 

 

 

 

■18か国語を操ったのは本当か?

熊楠のエピソードは、研究者が増え、進んでくると、嘘も多いことがわかってきた。伝える人が、大げさに奇人変人、つかみどころのない熊楠像にフォーカスし、実像と離れた像を作り上げてしまった部分、そして、熊楠自身も大げさに触れ回っていたということがあるとのこと。

 

Q 本当に18か国語を話せたのか

水増しがあるらしい‥‥  実際には13か国で使いこなせたのは7~8か国語ではないかと言われている。

 

Q 言語を操るというのはどのレベルか

言語を使えるというのは、日常会話も含めて使えるということだったのか? 

(私は英語を使いこなせなせませんが、科学論文の英語は、定型文なので、それをマスタースターすれば、読めるし書けるようになると聞いたことがあります。熊楠の18か国語の語学力は、論文を読んだり書いたりするための語学で、日常会話まで、こなせていたのかなぁ‥‥と思っていました)

 

日常会話ができたのは、5~6か国(不確か)ぐらい。日常会話までできたというのはほとんどないと思っていい。(←やっぱり)

 

 

【多国語を使える人の頭の構造】

多国語を使いこなせるという人がいますが、その方はどのように習得しているのかというのは興味深いです。よく聴くのは英語をマスターし、中国語をマスターするのは比較的簡単。文法が同じだから‥‥ 〇〇語は日本語とよく似ているから簡単。文法が同じ言語を学ぶとどんどん楽になっていく。

というように、話せる言葉増えると増えるたびに次の学習が楽になると言った話は聞いたことがありました。そして、似たような言葉も出てくることによって、関連性が出てくるとも聞きます。

 

そんなおり、植物に興味を持って、ラテン語の学名というものを知りました。最初は音に過ぎなかったのですが、その言葉には意味があることがわかりました。そして、その言葉は、「解剖学」「細菌学」などに共通した言葉であることが見えてきました。そのことから、ラテン語ギリシャ語といった、言語の大元があって、そこから派生して各国の言葉が成り立ってきたということが見えてきます。

 

例えば、デルタはギリシア語で「三角」を意味します。三角洲は「デルタ」とわれ、肩にある僧帽筋は三角の形をしているので三角筋、デルタ筋と言われます。こうした言語の語源が、様々な学問に使われて広がっていることがわかります。それと同時に、言語も語源が各国で変化して成り立っているのだろうと想像しました。だから、多国語を操る人は、そうした共通性に気づき、どんどん使える言語を増やしていけるのだと思いました。

 

熊楠は、その言語の大元でもある、ラテン語で主に形成される植物学を中心に研究をしていた人。その知識が、言語を習得する上でとても役立ったのだろうと思っていました。

 

【発音から多国語にひろがったGakut】

一方,GAKUTも多言語を操ることで有名です。この方は、どうやってそれを身につけたのかかなぁ‥‥と思って調べていたら、いろいろに言われているのですが、発音を徹底的に身につけたといったことをご本人が語っているのを目にしました。その心は・・・ どこか失念してしまいわからなくなってしまったのですが‥‥

 

そして、ネット内に蔓延する「gakutは本当にしゃべることができるのか・・・」

ここにも「英語をしゃべることができる」ということをどうとらえるかということがあります。ネイティブのような発音でしゃべることなのか、文法上正しいのか‥‥

一見、英語でコミュニケーションをとって話している人に、すごいですね。と言ったら、「私の英語は、文法もめちゃくちゃ、単語、並べてるだけ。でもコミュニケーションはそれでもとれるので‥‥」と言われた時、英語をしゃべる、会話するってどういうことなのかって考えさせられられたことがあります。

とかくネイティブの発音で話すことをしゃべることができると思ってしまいがちですが、身振り手振りを交えて、単語を羅列するだけ。それでも伝わり、コミュニケーションができるわけです。それだってしゃべることができるうちに入るのではないか。

 

きっと、熊楠の語学力はそれだったのだろうと思っていました。また当時のイギリスが、18か国もの人と出会って、言葉を交わせるような環境だったのか‥‥ など、18か国の言語を使いこなしたといっても、そのレベルはいろいろなはず。と思っていた通りのお話を伺うことができました。

 

 

■時代が生んだ(英国で)熊楠の評価 

ひたすら集めて並べるだけ。そんな熊楠の研究が、英国で評価されたのは、世界、特に英国でその手法が受けたからだそう。アマチュアリズムの集めるだけの学問内容。しかし、当時のアジアへの興味を、英語に翻訳できるという熊楠の能力が、イギリスでは必要とされたのでした。

 

1851年 第1回万国博覧会はイギリスロンドンで行われました。そこで行われていたことは、世界中からあらゆるものを持ってきて展示することでした。その時、チョンマゲをゆった日本人を連れて檻に入れて展示することまで検討されていたと言います。世界からあらゆるものを集めて、人種までも展示することを考えたお国柄。そうした万博を通して形成された国威が、当時も色濃く残っていたのだと思います。まだまだ、東洋、日本がわからない時代、その国から来た日本人が、英語にして東洋のことを論文にしていたので、重宝がられたのでしょう。

 

博物学的な研究というのは、その時代における特殊な状況(学問体系の未分化)によって成立する学問形態と思っていました。熊楠が英国に渡った時代、東洋に対するあこがれてはあるものの、研究が進んでおらず、何もわからない状態だったため、ただただ、記すことにも意味があったということが伺えます。

 

話はそれますが、箱根の「冨士屋ホテル」熱海の「起雲閣」を見た時、すごいとは思うけど、でもちぐはぐ。いろいろなところから、集めに集めましたという感じ。センスという点ではどうなんだろう‥‥ って思ったことがありました。しかし、この時代、このような海外からものを持ってくることができて、こうして並べるということに価値があったんだと理解したことがありました。イギリス時代はそれと同じだったんだ。ということがわかりました。

 

 

■熊楠がてんかんというのは、どのようにわかったのか

残された脳で、MRI検査を〇〇大学の脳科学者〇〇先生がされて、左(不確か)の脳にの海馬が委縮していることからてんかんということが分かった。そのような場合、熊楠のような、飛びぬけた記憶力を示すことがあるということで、関連性が考えられているらしいことがわかりました。メモがとれなかったので詳細はわかりませんが、調べるヒントになりました。

 

 

 

■ 情報提供者とは?

 今回、2006年の展示から11年を経て、その間に進んだ研究を総括的に展示され、パネルディスカッションも行われました。

 

2017年、熊楠は「情報提供者」だった‥‥と語られています。

 

それについて、下記のように書いていました。

■企画展の感想

  

  南方熊楠情報提供の「操作」「処理」された部分は、情報という枠を超えたものであると。そしてその「操作」「処理」の部分の手法、考え方が、「智」とは何か「学ぶ」ということはどういうことかその本質に至るための方法を示してくれているのではないか。

 

 情報を「操作」して「処理」するということも「情報提供」のうちと捉えられていますが、情報提供の域からは、はずれると思ったのですが‥‥という質問をさせていただきました。

 

それに対しては、「捉え方の違いなので、そこはどのようにとらえてもいいです」とのことでした。学問、研究の世界というのは、集めただけでは認められない論文にして発表しなければ、成果を示したとはいえないという考え方をするので。というお話でした。

 

これで、やっとすっきりしました。近代の研究の評価はそういうところに価値が置かれている。なんとなくそういうことなんじゃないかな? と思っていました。⇒【*1】 

論文を書いたこともないくせに、科学と人文の論文は違うとか、論文を書いている人の世界の価値観では? なんてことを言い始めてしまうのでした。

 

 

【余談】

熊楠が学会に発表することに、意味を感じていないということが、なんとなくわかる気がするのです。価値観の違いというか・・・・・  好奇心を追いかける時の方向性の違いというか…

論文を書き学会に発表するということに価値を見出す人というのは、ごく限られた世界の話。学会に発表できる状況を与えられた環境にいたとして、それをしたいと思う人はどれくらいいるのでしょうか。私の身の回りに、学会発表したい人なんていませんでした。学会費は職場が負担して入会しています。しかし多くの人は、よけなことをせず、つつがなく過ごせればいいと思っていましたし、研究したいテーマなんて持っていません。 

研究成果を発表して認められたいというのは、ごくごく一握りの人たちの特殊な思考だと思うのです。熊楠の場合は、またそれとは違いますが‥‥ 勉強会には職場から行くようお達しが出ていやいや参加。どうにかして逃れようとみんなで画策してました(笑)発表できる環境があっても、私の身の回りには、自ら率先して学会に発表したいなんて人がいませんでした。上から言われるとしかたなく‥‥ 

そして、学生時代も、卒論がありませんでした。本当になくてよかった‥‥って今でも思っています。実習先の技師さんからは「私たちの時は、あの厳しい〇〇病院で実習しながら、卒論まで書いてたのよ。私のテーマは「生理周期による〇〇〇のデータ変化」で、毎日、自分で自分の採血してデータ測ったんだから‥‥」と言われ、私には、そんなテーマを見つけることができないと羨望の目。今でも、当時、卒論を書けと言われたと想定しても、どんなことが書けるのか、想像すらできません。 

でも論文を書くという一連の作業がどういうものなのか。どんな世界観なのか、今は、とっても興味があります。こちらでも、卒論を書く機会があるなら、絶対に経験すべきと言われています。⇒(学生時代における無から有を生み出すほぼ唯一の経験とは - 乳牛と酪農を科学する)新たなものを自分の手で作り出すことの意味や体験の機会。そういわれると、経験してみたかった・・・という思いはあります。いや、経験まではいいけど、覗いてそのステップでいいから過程を知りたいと思います。 

論文を書いて発表するという世界は、そういう環境が与えられたとしても、そこに向かう人はなかないないのが現状。一般社会では、大学の卒業の時に経験するくらい。でも、書いた経験があればまだいいのですが、一度もないと何か、大切なことを取り残してきたような気がしています。しかし、その後は世間一般からは、かけ離れた一種独特の世界となっていくのだと思うのです。 

ところが、時を経て、いろいろな知りたいことを探っていくと、論文にあたります。そして、英語の論文に行き当たり、語学力がないためそこでストップしてしまいます。しかし、この知りたい欲求がもっともっと、強くなれば、英語の論文を読むようになると思うのです。⇒【*2】 

(2018.1.29記) 

 

■追記

【2018.1.30】一次情報の日記の信頼性は?

一般的に日記や手紙などの一次情報は、信頼性があると言われています。しかし、それは本心を書いているのか‥‥ 没後、人物研究の題材になることを意識していたら、そこに誇張や取り繕いが生まれるのではないか。熊楠の研究者は、日記を信頼のおける一次情報と位置付けていました。その根拠はどこからくるのか‥‥ を伺いました。

 

お話を伺っていて感じたのは、科学者の日記と、人文系の人の書く日記というのは違うということでした。科学者の書くものは事実の積み重ねが重要。その事実が間違っていたら、そのあとの考察もゆらいでしまう。自分に嘘はつけない‥‥といったような感じでしょうか?

 

美術を見ていて、画家が残した日記によると…という判断がありますが、画家は本当のことを書いているのかということをずっと疑問に思っていました。人物研究の題材になることがわかている。その時のために脚色もするのでは? 日記という一次情報の信頼性をどのように担保しているのか?

 

現に藤田嗣治のパリ日記は、渡欧した直後は見栄と思われる記載が多いと学芸員さんから聞いたことがあります。ブルーノタウトの日記も、訳者の誤訳、しかも意図的なものだったということがわかっています。人文系の日記は人間臭い部分があるからそのまま、鵜呑みにしてはいけない・・・・(笑) と思っているところがありました。

 

現代でいえば、あの人が著書で言ってたからと言っても、そこには編集があります。ブログに書いてあるから‥‥と言っても、そのブログはどういう母体の中で書かれているのか。ターゲットは? すると書き手はその母体やターゲットに合せて書いていることもあります。今は、いろいろな媒体がいろいろな情報を提供しています。どんな媒体にどういう立場で、どんな人たちに向かって書いているのか。そこまで読み取らないと真意がどこにあるのかわかりません。たとえ自分のブログであっても、受け狙いで本心は別のところにあるかもしれません。

 

〇熊楠の日記のプライベートな部分

熊楠の日記が出版されいろいろなことがわかりました。漢字とカナまじりで書かれ、その他の言語は、英語、ロシア語、ローマ字が使われました。ロシア語で書いた部分は、プライベートなことで、人に見られたくないことが書かれています。どんなことが書かれていたかは、熊楠のプライバシーを尊重してここでは伏せておきます。さらに符号も使われていました。

 

上記が「南方熊楠は研究者か?」というパネルディスカッションで語られたことでした。日記の信頼性は何を根拠にしているのか? という部分で上記の話が引き合いに出されました。

 

真実かどうかというのは、「見られることを前提としているか、いないか」熊楠の場合は、ロシア語で書いたり、符号を使っている。これは見られることを前提にしていないと判断ができる。このことから、私たちは、この日記は真実であるということを信じて、研究をしています。手紙などは、あとで見られることを考えて違うことを書くこともありますが、わざわざロシア語を使って書くなど秘匿性を保とうとしているあとが見られるので・・・・

 

そして、パネルディスカッションで伏せておきますと言ったロシア語の部分というのは性的なことを書いていたんです。ということを伺うことができました。

 

やっぱり‥‥‥ 命とか、生まれ変わりということがテーマにになると、「生殖」「性」というのは切っても切り離せない関係ですよね。一般に取り上げるのは難しいテーマかもしれませんが、医療系だったのでそういうことは抵抗がないですし、キノコを作品にしたガレも最後のキノコは自身のシンボルを表現しているっていわれています。極める人は、そこにみんな行くんだと思いました。

 

そんなお話を伺わせていただくとができ、熊楠研究をする上で、根幹となす部分の信頼性いついて、納得ができる根拠が示されました。

 

【2018.2.3】マンダラと科学の結びつきは?

パネルディスカッションの中で、熊楠がマンダラについて語ったのは、僧と手紙のやりとりをしている中の1度だけだったというお話がありました。マンダラについて深い考察がされているような言及があったように伝えられていますが、実際は一度だけだったもよう。

 

マンダラとはなんぞや? 仏像めぐりをした時にすこし見聞きしたことはありますが、イマイチよくわかりません。東博、本館に展示されていたマンダラ図を撮影。

 

胎蔵界? (東博 本館にて)

 

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金剛界?(東博 本館にて)

 

そのうちおいおいわかってくればいいかなと思ってとりあえずストック。

 

【2018.2.3】仁和寺の僧侶にマンダラについてお話を伺う

仁和寺と御室派のみほとけ」に行ってきました。そこにもマンダラが展示されていました。 

上記の写真は、上が胎蔵界、下が金剛界。であるらしいことが展示からわかりました。胎蔵・・・胎内・・・子宮ってことかな? 「金剛界」はどういうことなんだろう。

 

今回の企画展示には、僧侶とお話できるコーナーがありました。せっかくの機会。マンダラとはなんぞや。聞いてしまえ! ひとことで語れるものではないことぐらい私にもわかります。さわりの概要だけでも、言葉として聞くことができれば、文字を読んだ時の理解も違ってくるはず。

マンダラとは仏の悟りの境地、経典の内容を絵で表したものらしいです。わかりやすくするために絵に表したそうですが、よけいにわかりにくくなってしまったと言います。あるいは絵で表したことでへんな誤解も生じてしまったり。

元来は、「胎蔵曼荼羅」と「金剛界曼荼羅」の2つの曼荼羅があり、弘法大師が日本に持ち帰ってそれをペアにしたというお話がありました。

 

再度、上記のタイトルを確認しにいったら「両界曼荼羅図」でした。(2018.02.04)

 

これは単体なのでなく組モノで「両界曼荼羅だと理解しました。

 

悟りの段階は10段階あって、その最後は‥‥ 

というお話をしながら、科博の南方熊楠のことについても話題に。熊楠とマンダラのこと、ご存知であれは難しい‥‥と。熊楠と科学とマンダラをどのようにつなげようとしたのか‥‥

 

〇「心はどこにある?」「人の本質は?」

そのあと「心はどこにあるのか」「人の本質とは‥‥」といった話題が。これ、タイムリーでした。 

たまたま、「内向型の人と外向型の人の血液は、それぞれちがった経路をたどっていた」と推論した研究者が著書を上梓しているという話を目にしました。 

内向的、外交的という性格を血液が決めるだろうか? 内向的、外交的を決めるのは何か。それは、個々の思考の傾向であり心の問題。では心ってどこにある? 

といったことを、解剖実習をした時にずっと考えていたことを思い出していました。多くの人は、心は「心臓」にあると錯覚してしまいがち。しかし心臓は血液を送るポンプの役割で、そこでモノは考えない。じゃあ、心、思考するってどういうこと? それを担うのは「脳」。脳で考えるということはどういうことなのか‥‥と言えば、微弱電流による神経の伝達。その積み重ねが複雑な思考をもたらす。

心は複雑で、それを司る脳の機能も複雑。しかしその大元は、電気信号だったと自分なりに理解したのでした。精神活動というのは複雑です。しかしそれは、電気信号とそれを伝達するケーブル、つまり神経によってもたらされ、「考える」という行為は複雑に見えて、その大元をただせば電気信号にすぎない。それが解剖実習をしていた当時の私の悟り? でした。

となると、血液が内向的、外交的という性格を決定するとは考えにくい。この著者の経歴はどんなフィールドの人なんだろう。と気になって調べたのですが、情報がうまく拾えませんでした。まっいいか‥‥ よくありがちな推論で話を進めていくタイプなんだろう。そういう話は私は信じない。自分の知っていることと、理屈上、合致するかどうかが私の判断の基準。

 

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(追記 2018.02.04)

原文を見ることができました。

内向型を強みにする: おとなしい人が活躍するためのガイド - マーティ・O・レイニー - Google ブックス

いろいろな研究者の説から自身が考察したという内容でした。脳科学は科学なのか・・・ 「男脳、女脳」「右脳・左脳」はエセ科学という見解があるように、このあたりの判断はなかなか難しいところ。「脳科学」という研究ジャンルをどう受け止めるか。臨床心理学と医学の関係なども。

参考:脳科学の真実
    ○盲信しないために知っておきたい「脳科学の真贋―神経神話を斬る科学の眼」

著者:マーティOレイニー  心理療法士。

経歴を見て、その違和感の理由が見えた気がしました。医学と臨床心理は似て非なるものという認識を私はしているので・・・
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ただ、最近、体の機能の司令塔は「脳」と言われていたけども、「腸」もそれを担っているという新学説が出たとNHKの「人体」で言ってました。ということは、血液が関与しているということも考えられるわけで‥‥ などと考えながら、人の本質、人の心を考える時も、自分の身につけた自然科学の中で考えてしまうのが自分の思考なんだということを確認していました。

 

(【2018.02.04】著作の中では、神経伝達物質が血流の中にあり、血流がどこを巡回すればよいかを判断して血流量を調整しているとのこと。これは腸から伝達物質が発せられてコントロールするのと同じことかも‥‥)

 

僧侶とも「心はどこにあるか」という話となり、私はこういう風に考えてしまうという話をしていました。

他にも「禅宗の殺生とは?」など、「生きる」というテーマであれこれ巡り巡って、いろいろな話をしていました。

 

〇悟りの境地とは?

最後、帰り際、悟りを開いた境地について、さりげなくヒントが・・・

なるほど、そういうことだったのか。熊楠の思考につながりました。ロシア語で書いていた日記の部分につながっていくということでしょうか?

 

そして「僧侶」とは何か。ということを語られていました。お経をあげることではない。亡くなった人を弔うものではない。出会った人に、幸せな人生を送ってもらえるようにすることだと思っている。

「嘘も方便」 それはどういうことか‥‥ いろいろな話をする中で嘘もある。どこまでが嘘でどこまでが方便なのか‥‥

 

〇すべては「生きる」ということを考えるためにある?

「生きる」ということを考えて続けていたともいえる学生時代。生きるということの根源的なもの。それは「生殖」そのしくみをちゃんと知りたいと思いました。

学生時代にあれこれ考えていたことが、時を経て、いろいろなものに触れるようになって次のようなことを思うようになりました。

 

■「いかに生きるか」はすべてにおいて大命題 

命をつないでいくための「生殖」 それは、生命の根源的なこと。

時を経て、医療からは遠のき、20年以上の月日が・・・・ 自分の興味の赴くまま、趣味に走ってきました。いろんな興味を追いかけていくと、必ず、この国家試験前にどうしても、自分で調べたい、学びたいという欲求にかられた「生きる」「命をつなぐ」「生殖」というところにたどりついていくのです。

 

きっと、熊楠の性的な話というのも、命、そして「つなぐ」ということを考える時、切っても切れないものであると考えたということは、想像ができます。 

ただ、マンダラとどうつながっていくのか。それは、これからすこしずつ探っていく世界。その大きなヒントを僧侶から授けていただけた気がしています。「出会った人を幸せにするというミッション 」を享受させていただいた気がします。

 

【2018.2.6】映画「羊の木」でも「命」「再生」「生きる」に帰結?

疑問点6:タイトル「羊の木」とはどういう意味があったのか?

>「木」は、いわば「生命の樹」=生命力、再生の象徴

 

 

■関連

国立科学博物館「南方熊楠 -100年早かった智の人-」 | インターネットミュージアム 

 

■脚注

*1: インターネットミュージアム:エリアれポートより

上記で大事なのは「イイネをもらったり、論文発表をして認められることでもない」「人の評価を気にせず自らが楽しめ」と書いています。その時に思っていたこと。一連の熊楠の功績を現段階で、情報提供者」だったと導かれたのは、熊楠研究をしている方たちが身を置かれている世界が、研究を発表することで認められる最先端の場にいらっしゃるからではないかと感じていました。発表の数やそこで認められることが実績となる世界。だから、熊楠の残したものは「情報提供」というとらえ方になるかと。

しかし、私には、単なる情報提供しただけとは、どう考えても思えないのでした。熊楠の研究をされていらっしゃる方の世界の値観による評価なのでは?と感じました。

前出にもあるように論文を書くことに価値を見ている人、書きたいと思う人とというのは少数派。その少数派の中の価値癌で捉えられているのではないか?

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*2:■語学(英語)の習得について(2018.1.30)

英語の上達は「趣味を持つことだ」と言った方がいらっしゃいました。その趣味の世界をもっともっと知りたいと思ったら、英語で書かれたものを読みたくなるし、外国の人にも話を聞いてみたくなってくる。熊楠の多国語の習得はそういうことだったのではと思っています。 

そして私自身も、ガーデンに興味を持っていた時、本場イギリスのオープンガーデンに行って、そのオーナーが何を考え、何を思って庭づくりをしたいのか直接、聞きたいと思うようになっていました。その思いがもっともっと強くなれば、英語はマスターできる。 

また、今も、英文の論文にあたると引き返してしまいますが、それを本当に知りたいと思えば、翻訳で読むだろうし、それを繰り返すうちに習得できるようになるのだろうなと‥‥ 

だから、今、英語の早期教育の是非が云々されていますが、そんなものは、好奇心や自国語の言語で考えることのできる力を育てておけば、必要を感じさえすれば自ずと身についていくもの。私は、今は英語ができなくてもなんら困ることはないし、必要も感じていません。だから勉強しようとも思いません。でも知りたいが高じて、それは英文を読まないとわからない。そうなったらきっと、できるようになると思っています。そのため、早期教育は意味がないと考えるわけです。やらされる勉強じゃなく、自分が必要と感じて学ぶ。そのことの方が大事だと思うからです。 

 

■英語教育と統計

一方、こうした議論をするとき、想像の仮説で話したりせずに、ちゃんとデータをとって、それを示そうよ‥‥ というのが私のいつもの考え方です。ところが、非の打ちどころのないデータを示めされ、早期教育の意味を語られても、心は動かないのです。それは自分自身の考えが確固たるものになっていこともあります。しかし、そういう場合でも耳を傾けるようにしようという気持ちは持っています。ところそれを阻む他の要因があったのです。 

それはデータ提供する際、そこから醸し出される雰囲気、あるいはその周辺に漂う空気。きちんと手順を踏んだ、最近ではめずらしい充実したデータです。しかしそのデータを受けいれることができませんでした。

自分でもあれだけ、論文にデータや根拠が大事でしょ。と思ってきたのに、それを示されても心は動かない‥‥ 何でそのように感じてしまったのか。そのあと自分なりに考えて、結論は出ているのですが‥‥  自著の口コミに対して、マイナスコメントを削除しているという行為に遭遇しました。著者自らが、書評を削除するという行為を始めて私は目にしびっくりしてしまいました。一般的ないい、悪いの口込みで削除に値する内容にはとうてい思えませんでした。自分が考えることと違う意見に、耳を傾ける余裕がない方。そんな私の中におこった感情は、その後、提供される記事を見ても色眼鏡で見てしまうことになってしまったのでした。 

英語教育から話がずれてしまいましたが、英語は必要を感じて、自分が学びたいと思ってからでも遅くない。ということとで、論文にデータや根拠が欠かせないと思っていても、感情によって、全うなデータすらも、受け入れられなくなるということがおきるということを体験したのでした。 

英語教育は「個」のものであって統計ではないということ。親と子が向き合って、自分の子供をしっかり見つめて、その子にあった方法を選択する。子供がどうしたいのかといういうことを一番にくみ取ることだと思うから、一般データは参考にはしてもそれにたよってはダメなんじゃないかなと思うのでした。

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