コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■誕生150年 横山大観展:画は人なり その意味は・・・?

今年は横山大観誕生して150年。現在、東京国立近代美術館「誕生150年 横山大観展が開催されています。開催前日にプレス内覧会が行われ参加させていただきました。これまで大観に抱いていた印象をガラリと変えさせられる展示でした。内覧会で紹介された展覧会概要のお話なども含めながら、ご紹介させていただきます。 

*写真・動画の撮影は、主催者の許可を得て掲載しております。

 

 

■誕生150年に開催することの意味

主任研究員の方より見どころの解説がありました。2018年は大観が誕生して150年、そして没後60年という区切りの年。東京都近代美術館では1959年に開催されて59年ぶりなのだそうです。その間に開催の機会を持とうと思っても、大観は人気。他館が早くから貸し出しの名乗りを上げ、ずっと今まで開催できなかったのだそう。

そして誕生150年に、近代以降の大観を通して、生きた時代を振り返ることに大きな意味があると言います。というのも、若い人たちの間では、なじみがなく、大観を知らないという世代も多くなっているのだそう。そうした意味でも大観を見直す、調度よい時期になったと語られていました

 

そして館長からは、大観記念館と協同し、深く多角的に取り組んだ展示は、近代日本画の愛好家も、大観を知らないという人たちにも、興味を持ってもらえるものとなったと語られていました。

 

大観は国民の英雄的存在で誰もが知ると思っていたのですが、若い世代は知らない…ということに大きな世代ギャップと、自分のこれまでの認識を大きく覆される部分でもありました。

 

 

■展示コンセプト

 大観の作品が90点。そこから大観芸術の多面性を示すこと。発想の大胆さや繊細優美さにスポットをあて、最近の知見も盛り込みながら、伝統に表現に基盤をおきつつ、老荘思想新しい表現にチャレンジしてきた大観をあぶりだそうということのようです。

 

展示構成はわかりやすい、明治、大正、昭和と時代を追った編年形式。その時代における大観の取り組みやその変化がわかりやすく紹介されています。

 

 

■私の鑑賞目的

誰もが知る大観(と思っていたら、今は若い人たちの認知度がないというのが意外でしたが)ところが、私自身の無知を棚に上げてしまいますが、大観については、名前しか知りませんでした。作品を知らない、経歴も知らない。なのになんで、こんなに有名なんだ・・・という素朴な疑問からスタートして調べだしました。

 

すると、次第にあれれ? の状態になっていったのです。そして恐れ多くも、大観って富士山ばっかりでマンネリだし、この富士山、ウマいのかなぁ… もっと上手に描く画家って、一杯いるのに…と思うようになりました。他の絵を見ても、恐れずに言わせてもらうと、これは、ウマいといえるのか?と‥‥(笑)

 

そこに、今回の横山大観展の記者発表時、解説を担当されたという鶴見香織学芸員が、『日経おとなのOFF 2018美術展』「大観、実はちょっと下手だった・・・」という特集が組まれていました。昭和になると大家の名に恥じないよう、かっちりした絵を描こうと思うようになったと解説されていて、やっぱり‥‥ 意を得たり! と思ったのです。(個人的には初期の絵に魅力を感じていましたが)今回の企画は、てっきり、大観、実は「ヘタウマ」だったというコンセプトなのだとばり思ってました。

 

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数ある富士山の作品の中で、なぜこの富士山だったのか? 白い雲に青い富士。なんだかあまりに当たり前すぎるし、技術的なものを感じないし‥‥ 今回、ヘタウマが隠しテーマだから? と内心思ってしまったほどでした。

 

しかし、実際に見てみるとは、そこはさすがの大観。伊達に大観を名乗ってはいないことを、私にも理解きたわけですが‥‥

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《群青富士》大正6年(1917年)

こんなに大きな屏風の一部だったことにまずはびっくり。そして白い雲はベタっと白く塗られていたわけではなく、微妙なグラデーションで見事に描かれていました。この繊細さと(?)、青い富士、そして金の取り合わせを、この時代に投げ込んだのだと考えると、斬新なデザイン画です。琳派を学んでいたというので、緑はその影響でしょうか?

フライヤーで見るのとは、やはり違う‥‥ 大観は、ヘタウマなわけじゃなかったと、自分なりに、納得はしました。しかし、よい機会だったので、担当研究員の方に直接、伺ってみました。

 

 

■なぜ《群青富士》をメインビジュアルに選んだのか

「この富士山は、ちょっとどうなんだろう」と思っていたことは伏せて… 一般的な質問として「たくさんある富士の中から、なぜこの富士を選ばれたのでしょうか?」と。

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《霊峰十趣》大正時代  数ある富士山も並んでいます

 

すると「これも大観が描いた富士ですということを示し、その横に『画は人なり』の文字を配しました。こんな富士も描いた大観ですが、いかがですか?」という意味を込めていましたという意外なお答えが返ってきました!

 

「えっ? そういうことだったんですか!? 私、この富士って、実は、どうなんだろう‥‥って思ってたんです。鶴見香織主任研究員が大観のことをヘタウマと言われていて、それが今回のテーマになっているのかな? と思っていました。そのためこの富士山をメインビジュアルに選んだのかと思っていたのですが、そう思ってよかったんですね!」

 

「へたウマ」でなく「下手」です・・・・・ と修正が入りました(笑)

 

「画は人なり」という言葉の隣にこの絵をおいたら見る人はどうとらえるか‥‥ 

 

そして今回の展示の目的は大観の多面性を提示すること。大観は一般的に、大胆とか豪放磊落、勢い、ノリの人にとらえられるけども、繊細な面もある。また挑戦的でいろいろなことを壊してきた人。

その一方で、デッサンはおかしかったり、絵は「下手」だし、その場、その場で言うことが違ったり・・・・ 「画は人なり」と言った人が描いた富士がこれです、いかがですか? という問いかけの意味もあったのです。

そして、この主題の活字インベーダーのような書体をあえて使ったのですが、大観の自由なマインドを示しました。」 

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そんな大観の自由でチャレンジャーな題材選びがこの軸に表れています。右は、76年に一度、近づくハレー彗星を、題材にしていました。大観、45歳。(その76年後の1988年。大騒ぎをして見に行った記憶と重なります。)

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(右)《彗星》明治45年(1912年) 

 

以上のようなお話を伺って、これまでずっと、のどに詰まっていたものが、一気に流れていくのを感じていました。

 

「大観のことを調べると、どうもお銚子者で、はったりかましてのし上がった人のように思えていました。やはり、言ってることを、間に受けてはいけないですよね。矛盾を感じることもあって・・・」

に対して、「話、半分と思って下さい。インタビューを受けるとノリで話してしまうんです。また、新聞などは、一部を切り取られてそれが一人歩きしてしまう部分も多かったと思います。」

 

大観の絵を鑑賞してから、自分なりに調べてうすうす感じていたことでした。しかし、それは言ってはいけないことのように思っていました。しかし、生誕150年、横山大観展の担当をされた研究員の方の言葉としてお聞きすることができ、やっとスッキリした思いです。そしてショップには「別冊太陽 横山大観」も置かれていました。

 

大観のこのような話を美術界では、してはいけない空気を感じるのですが、「やはり控えた方がいいのでしょうか?」という質問に対して「そんなことないですよ‥‥」とのこと。「別冊太陽 横山大観」に書かれていたような部分だけにフォーカスするかどうかですね‥‥ということだったので(笑)

 

 

■大観に対するイメージの確認

大観に対して、いいイメージを持てなかったというのが正直なこれまでの印象。その一方で、作品を見ていると、心惹かれるものが、いくつかありましたその違いがなんなのか、自分なりに確かめたいと、何度となく大観が展示されている展覧会に足を運んでいました。

しかし、大観に対する印象は変わりませんでした。やっぱり大観はヘタウマだ・・・と思いながら帰ってくるのでした(笑)

 

ただ、自由本邦な人ではあるけども、とても義理堅くて、然るべき時には、然るべき絵を描いているということも、見えてくるのです。(⇒『日本美術と高島屋』

大観に対するイメージは、私の中でお調子者、皇室に取り入った人ということで、次第に固定化されつつありました。しかし、それはこれまで見てきた大観の一側面でしかないことも、なんとなくわかってはいるのです。

もしかしたら大観作品を、全体を俯瞰してみたら、きっと印象が変わる。そんな気がしており、今回の展示は、いろいろな意味で期待もありとても楽しみにしていました。

 

そして、最初に大観について調べる導入書となったのが「別冊太陽 横山大観でした。その中で見た《生々流転》が忘れられませんでした。いろいろに思うところがあったのですが、これを実際に見たら、きっと大観へのイメージがガラリと変わるという確信のようなものがありました。今回、壮大な作品の全てが展示されます。それも楽しみの一つでした。

 

 

■大観は繊細だった!

明治の作品。やはりいいなぁ… 私が抱いているイメージとは裏腹に、大観ってこんなに繊細だったの? と思わされる作品がいくつもあります。

有名な《無我》については、この子供のどこが無我なんだ・・・と理解しかねていました。(⇒■初期作品)

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《無我》について作品解説を、かたっぱしから集めてみようと、いろいろな図書館に行く度に、書き写していました。そして近美のアートライブラリーにも内覧会前に立ち寄っていました。大観に関する参考書籍がずらりとラインナップされています。すぐに一覧できる状態に並べられていました。その解説をすべて読みました。

 

 

■初期作品がやはりよい

やっぱり、この表情を「天真爛漫」と表現される解説者は結構いらっしゃいます。しかし私にはどう見ても、天真爛漫には見えないのです。しかしこの絵が描かれた時代。この時代にこれを描くという意味がわかり、大観の斬新生というものが次第に理解できてきました。

そこにこれです。 

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《迷子》明治35年(1902年)

 

無我のようなよくわからないぬぼ~っとした表情ではなく、この得も言われぬ含みをもった子供の表情。回りを取り囲むのは孔子・釈迦・キリスト・老子。いきなり西洋文化が入り込み、信仰もこれまでの教えに西洋のキリスト。4人の大人がよってたかって(笑)子供にああでもないこうでもないと教えを説く。

それはまさにその時代が混沌として何が正しいのか、何を選択したらよいのか、どこに向かったらいいのかわからない世相を表しています皮肉たっぷりの大観の風刺精神が、表れています。しかしながら、この子供の表情、どうしていいかわからない戸惑いの中に、大観の繊細さをみせつけられた気がしました。

 

やはり往年の作品より明治の初期の作品に心惹かれるものが存在するということを、初っ端なで確認させてられていました。しかし初期の作品だけでなく、要所、要所に、こんな絵が大観作品の中にあったんだ‥‥ と思わせてくれます。 

https://www.photojoiner.net/image/GrGHPV4E

これらを見ていたら、大観ってもしかして、本当は描けるのに、わざと崩して描いていたのかも? と思うくらい緻密なところや、繊細な部分があって、印象がガラリと変わったのでした。

  

■チャレンジ精神も旺盛

下記は琳派を学び画風に反映された屏風。しかし、琳派においてこの赤はあり得ない赤なのだそう。そうしたチャレンジを常にしていた人であることを、主任研究員の方からサジェッションいただきました。 

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《秋色》大正6年(1917年)

 

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《柿紅葉》 大正9年1920年

 

 

 

■一挙公開 生々流転 

そしてメインイベント? まさにこの名の通りの運命を持つ絵であることを最初に展示された画像で知りました。

 

始めて展示されたその日、「生々流転」は関東大震災に合うという劇的な運命。展示会場は、老朽化していました。しかし倒壊をまぬかれます。そしてその作品は運び出され、大切に保管され、今、私たちの目の前に姿を現しました。

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 まるでそのタイトルを地でいくような天災にあい、大観の人生を象徴しているかにも思われました。

 

 

◆生々流転とは(goo辞書より) 

  • すべての物は絶えず生まれては変化し、移り変わっていくこと。▽「生生」は物が次々と生まれ育つこと。「流転」は物事が止まることなく移り変わっていく意。「生生」は「しょうじょう」とも読む。

 

「葉末に結ぶ一滴の水が、後から後からと集まって、瀬となり淵となり、大河となり、最後に海に入って、龍卷となって天に上る。それが人生であらう」(大観)

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《生々流転》部分 ‥‥図録より
(この図録優れもの コデックス装という方法で、本が見開きで平坦になりとても見やすいのです)

 

これを見た瞬間、全てをわかっていた人だったんだ‥‥ なんだか風見鶏みたいな人生。富士山に登りもせずに描いて、富士山のことわかったようなことを語る。それで富士の何がわかるんだって思っていました。(私でさえ登ってるのに) この人、ちゃんと自然観察をしてるのかな? 思いつきで描いてる人・・・と、失礼ながら思っていたのです。

しかし《生々流転》を見ていたら、自然の摂理を理解していた人だったことがわかりました。波の表現も繊細だし、部分部分で表現されているものも細かい。40mもの絹に最後まで描く忍耐が大観にはあったんだ‥‥ともう言いたい放題ですが(笑) 

この波が最後、水蒸気となって龍になる・・・ それを見た瞬間、大観への見方が一変してしまいました。レオナルドが地球の水の循環を描いていましたが、それを思いださせました。ちゃんとわかっていたんだ‥‥

 

 

そしてこちら‥‥

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《野に咲く花二題》昭和7年(1942年)
右側の蒲公英、よ~く見ると、蒲公英の綿毛が飛んでいるんです。

 

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写真ではうまうく撮影できませんでしたが、このあたりに綿毛が飛んでいます。

 

お酒ばかり飲んで、飲んだくれていた人‥‥ そんな風に思っていました。こんな優しいまなざしで自然を見ていた人だった。ちゃんと自然観察をした上で描く画家が好き。大観に対する認識が180度、変わってしまいました。

 

この梅だってこんなに繊細です

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(左)春園之月 昭和14年(1939年)

(右)春園之月(習作)昭和14年(1939年)

それぞれが独立した作品なのだと思っていたら、右が習作とは!

 

大観が「デッサンが大事。それをしないようなやつはだめだ」みたいなこと言っているのを見た時、自分はしてたの? あの絵でよく言うわ。やっぱり、口ばっかりの人だ・・・ って思っていたのですが‥‥(笑)

 

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白衣観音》明治4年(1908年) 
今回の開催で新発見されたそうです。しかし、この観音の表現ってどうなのかなぁ・・・と思っていたのですが、そういうアンバランスさがまた大観の味に思えるようになってきました。

 

やはり、一部の作品だけを見て判断してはいけない。全体を通して見ないと‥‥ということを感じさせられたのでした。

 

■感想 

始めて日本画を見た時に大観の作品がありました。それを見て感じた最初の印象。忘れないようにと書き留めておいたのが2年前の2016年。あれから調べたり、さらに鑑賞して思ったことを折々で記録してきました。こんなこと言っていいの!? と思うようなことまで押し込めながら。

ところが、どこかで、これがひっくり返るのでは? という気がしていたのも事実。それが、今回の生誕150年の展示で、やっと大観の人生、作品の全貌、人となりが見えてきて、それを受け入れることができた気がしました。

 

お銚子者‥‥ それをユニークな個性として受け入れられるかどうか。私にはいい加減な人に思えてしまい、当初は受け入れることができませんでした。しかし、主任研究員の方の「ノリで話てしまうんですよ」の一言で、愛すべきキャラに一変しました。

 

帝室に取り入った人‥‥ しかしそれは、水戸藩出身の育ち、気質によるものという言葉上の理解はしていたものの、その真の理解には至っていませんでした。水戸藩の気質がいかなるものなのか…

 

今回、皇室に初めて送った《朝陽霊峰》を見ていたら、大観の皇室への敬意がいかなるものであったのかがひしひしと伝わってきました。水戸藩の気質とは「尊王尊王とは、皇帝や国王の権威を重視し、身分秩序を重んじる儒教思想

明治に生まれた大観。新しい時代が到来したとしても、その家に流れる血(皇国思想)には逆らえません。当然受け継がれてしまいます。そんな大観にとって、皇室からの依頼は、どれほどの栄誉で、喜ばしいことであったかは想像に難くありません。

 

時代の流れの中で、帝室と歩むことを大観は選択をしたのだと理解したのですが、これは、出自によるところが大きかったということがわかりました。やはり血には逆らえない‥‥ 育った環境というのは、人を作り、思考を作る源になっていて、作品の根幹をなしていると思うからです。

 

皇室への寄り添いを、大観の「虎の威を借る」戦略と思っていたのですが、大観にしてみれば、帝室をリスペクトすることは、当然のこと。疑いの余地もなく、そこに策略的なものもない。自然のなりゆきだった・・・という解釈も目にしてはいましたが、その意味が今回の展示でやっと理解できたように思います。

 

そして、日本の国を何よりも愛していた人。そのお国のためなら… という思いが人一倍強かった人。後先かまわず、自分がいいと思ったら行動にうつす。人がなんと言おうと‥‥ ゼロ戦のために絵を描いちゃう人‥‥ それ、あまり公にされていない気がして、大切なことを何か隠されているような感じがしていたのかも。

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《海に因む十題》 今回の展示では、そのことが表示されていました。

 

大観、ちょっと偏りすぎじゃない? と思っていたのですが、時代が時代だったからと理解していました。今回は、時代性もあったと思うけど、根っからの大観のキャラ、あるいは思想に近いものからくる行動だったのだと思いました。

愛する日本のため、皇室のためなら、自らを捧げてしまえる純粋な人だったのだなぁ‥‥と。ちょっと見る方向が変わると、同じ人物だったのに見え方が全く変わってしまいます。一生を通して見ることで、やっと見えてくるものがあることがわかりました。

 

以下、これまで大観について感じたり考えてたりしてきたことです。自分の中にあったオリのようなものが、すっかり解けた展示でした。

 

横山大観を日本美術の頂点に据えて神格化するのではなく、人間大観を表に出して、言ってることが違う矛盾など、お茶目な部分を見せてもらえるともっと親しみが湧いてくるのになぁ‥‥と思うようになった展示でした。

 

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