コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■其一の《四季花鳥図屏風》との再会(黎明アートルームにて)

サントリー美術館で、衝撃的な出会い(?)をした《四季花鳥図屏風》 絵画のネームバリューや話題性に関係なく絵を見てくれそうな周囲の人に紹介すると反応はおおむね良好でした。そして、今年(2017年)4月に再会できるということで、楽しみにでかけました。ところが・・・・ 初めて見た印象と全く違ったのです。

  

サントリー美術館で展示後、黎明アートルームで、展示される予定はないのか。展示予定を伺っていました。毎年4月に其一を展示しているとのことで、そこで展示する可能性があることを其一展、終了後にキャッチしていました。いつ告知されるのかなぁ・・・と首を長くして待っていたらお知らせがありました。⇒東京黎明アートルーム INFORMATION

 

 

■鈴木其一 四季花鳥図屏風

黎明アートルームは、2度目になります。

東中野の住宅街を抜けていくとポスターとエントランスが・・・

 

 

 

■四季花鳥図屏風・・・・何かが違う

展示室に入り、縄文土器や乾山などを見ながら、巡回ルートにそって鑑賞していくと、あっ、《四季花鳥図屏風》だ! と目に飛び混みました。ところが、遠巻きに伝わってくる印象が全く違うのです。あれ? こんなだったっけ? もっと強いパワーみたいなものがあったような気がするのだけど・・・・ これと似た感覚を最近、感じたけどどこだっけ? 

 

そうそう、MOA美術館で《紅白梅図屏風》を見た時と、全く同じような感覚なのです。「もっと大きき作品かと思った。なんだかこじんまりしてる。小さくまとまってしまった感じ・・・・」

 

どうしちゃったんだろう。こんなはずじゃなかったのに・・・・

 

 

 

■右から鑑賞する展示法

まず最初に、屏風の展示はやっぱり右からなんだ・・・・ということを確認。そうですよね。それが屏風の見方のセオリーです。春夏秋冬。その順番からしても、それが妥当。

 

右から見ていきました。ところがどうも以前、サントリーで見た時と様子が違うのです。最初にこのエリアに足を踏み入れた時の違和感が、まだ続いていて、あとをひいています。どうしちゃったのでしょう・・・・

 

 

■左から見た方が、見ごたえあり

左側に移動するにつれ、やっと屏風に引き付けられてきました。全体を見てわかったのは、左隻の方が、アイキャッチのある描き方が、そこかしこにあるのでした。

「もこもこ~」と目をひいた胡粉の盛り上がりが、右隻よりも左隻の方が顕著です。そのため、右隻を見ていても、あれ? あれ? という状況になってしまったようです。

 

 

胡粉を盛り上げる描き方

それと、初めてこの屏風を見た時に、盛り上がる描き方を多用するのが斬新に見えたということがありました。部分的に盛り上げる描写はこれまでも見てきましたが、ここまで広範囲に描くのを見たのは、初めてだったような気がします。

 

ところが、その後、胡粉モリモリの花びらが大画面いっぱいに広がる日本画 橋本明治の《朝陽桜》 という作品を山種美術館で見ていました。

  

   ⇒「日本画の教科書」 | 弐代目・青い日記帳

      ↑( こちらにその盛り上がりのアップの写真が掲載されています。)

 

このテクニックを見てしまい、其一の胡粉モリモリのインパクトが、橋本明治のインパクトに置き換えられてしまっていたようです。そこに、盛り上がりが少ない、右隻から見たので、初めて見た時に、「おっ、これはなんだ?」 と思ったイメージが薄れてしまったようです。こんなはずじゃなかった・・・・と思いながら、左隻に移動し、やっとこれこれ・・・と、再会できたのでした。

 

 

■右から見るか 左から見るか

 この屏風は、黎明アートルームではどのように飾られるのか? というのが私の一つの見どころでした。サントリーでは、どうしても、動線上、左から見る状態となってしまったのですが、もしかしたら、この屏風は左から見る屏風では? と思っていました。

 

黎明アートルームでは、右から見る動線に位置していましたが、屏風の構成上、右から見た方が見ごたえがある。左から見る屏風も例外的にある・・・・と判断しました。

 

すると・・・・

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上記の写真も左から撮影されています。そして、この目線の高さで鑑賞はしてこなかったのですが、このビューポイントはベストポジションではないかと思われました。

 

こちらでは、企画のメインアイテムはここに飾られているようです。そうすると、動線は決まり、必然的に左からとなり、サントリーでも、大型の屏風が重なっていたので、あの場所しかなかったということだったのでしょうか?

 

 

■印象が違う理由を考えてみた

この屏風は其一の集大成とまで思って、以前も紹介したことがありましたが

   ⇒〇其一が気になった人は必見 

それを受けて見た人は、「そんなかなぁ・・・・」と思ってしまいそう(笑) 何でこんなに印象が違ってしまったのでしょうか。

 

 

〇見学者の数?

人も少なくて、独り占めにできる時間もたっぷりあります。近づいたり離れたり・・・ 右に左に見たいように見ることができます。静かにじっと向き合うことができるこれ以上ないベストの状態のでの鑑賞です。それなのに何かが違う・・・ 何かが足りない・・・

 

よくテーマパークなど、人が全くいないと逆に寂しいもので、つまらなく感じてしまいます。混んだ美術展に慣れすぎて、人がいないことが心もとなくなってしまったのでしょうか? それはちょっと違う気がします(笑)

 

〇期待感の増大?

多分、次の再会への期待が、つもりに積もって大きくなりすぎてしまったのかもしれません。おいしいものを食べて、期待して次にいくと、あれ? こんなだったっけ? と感じることが多いのと一緒。期待が膨らんでしまったこと。そして、同じインパクトでは、慣れが生じて同じ感動はおきないのかもしれません。

 

〇再会までの鑑賞体験

さらに、今回は、同じような技法の、さらに強調されたものを次に再会するまでに見てしまったということも影響したのかもしれません。その間にどんな体験をしているか。それによって、見るものの受け止め方が変わってしまいます。

 

速水御舟の絵は、一人の人が描いたとは思えない変遷を遂げている」と言われても其一を見てしまったあとは、これで? と思ってしまうのと同じです(笑)

 

〇空間の違い

空間の広さというのが、なにがしか影響しているような気がしました。ある程度の広さも必要なのかもしれません。MOAで見た《紅白梅図屏風》  以前のMOA美術館根津美術館で見て、この屏風のために作られたようなガラスケース、特殊ガラス、照明でベストの状態でも、何かが違う・・・と感じたのは、展示空間の大きさでした。

 

他の作品と並列していて、人がいっぱいいたとしても、その空間が与える効果というものを今回も感じさせられたのでした。

 

 

〇照明の違い

サントリーの照明は、ともて考えられています。おそらく照明の違いもあったのではと思い、どこがどう違うのか・・・・ということを考えながら見ていたのですが、具体的にはわかりませんでした。

 

ただ、屏風に向かう動線において、サントリーでは、ある程度手前から、すごそう・・・という期待感がありました。ところが、こちらでは、「あっ、あった!」「でも違う・・・・」   おそらく遠目でアイキャッチするときのライティングが違ったのでは? と思われました。

 

 

〇陳列の違い

あれこれといろいろ考えていて、一番、印象を変える大きいな原因は、陳列の違いだろう・・・・という結論に。サントリーでは、其一の特集で、その業績の変遷をこれでもか・・・と見てきました。そこに、さらに、こんなのもあるんだぞ! とばかりに見せられたサプライズ感が半端なかったのだろうと・・・・・ この作品を目にするまでの気持ちの盛り上がり、ストリーがあったということです。

 

しかし、サントリー美術館で見ていた時は、何度となく足を運び其一に浸っていました。「其一ワールド」にどっぷり。あれから、その熱もおさまり、ちょっと遠ざかった状態。その間、他の作品を見たりしながら、其一との再会。連続性、盛り上がりに欠けてしまったのかもしれません。突如として現れた・・・・ それが原因かなと思ったのでした。

 

 

■同じ作品を見る状況

今回思ったのは、静かに作品を見る という環境は、必ずしもベストではないということでした。これは面白いと思いました。独り占めして作品と向きあえる時間。これ以上ない最高の状況だとばかり思ってきました。しかし、そうではないこともある・・・

 

絵を鑑賞すること・・・・  

 

それは、同じ作品でも、一期一会と言われます。その意味を改めて感じさせられるできごとでした。混んでいるから楽しめないわけではない。そして素晴らしいと思った作品を、誰もいない最高と思える状況で見たからといって、満足できる対峙ができるわけでもない。ちょっと面白い体験でした。

 

 

 

■追記(2017.04.16) 宗達屏風のモリモリ技法

国立博物館 常設展にて宗達の屏風を見ました。

モリモリ技法(勝手に命名 (笑)) 宗達も広範囲で使っていました。其一、オリジナルというわけではないようです。盛り上げてさらにそこにエッジを入れています。また桜の花びらは単調ではなく、表情に変化が見られます。始祖、宗達はやはり只者ではない? これも私淑ということでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■追記(2017.04.16) 屏風の左右について

この記事のソースが違っていたので削除

 

 

■追記(2017.04.20) 屏風の左右について

昨年の展示の写真は右からでした。