コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■びょうぶとあそぶ:尾形光琳《群鶴屏風》 レプリカの金箔は本物?

第一会場で等伯の《松林図屏風》を見たあとは、となりの第二会場は、尾形光琳の《群鶴図屏風》インスタレーション。鶴と遊んだり屏風のお勉強ができます。フリーア美術館所有、門外不出のこの屏風を日本で見ることができるのはこのレプリカがあるからこそ。

 

 

下記の地図の第二会場に進みます。

 

 

尾形光琳 群鶴屏風図を見る

会場奥の屏風、 ちょっと離れた位置から見てみます

f:id:korokoroblog:20170814015717j:plain

会場で見た時は気づかなかったのですが、撮影した写真の中から、ちょっと引いた写真を見ていたら・・・・ 右隻、左隻の鶴は、中心に向かって収斂していくように見えます。両脇の水の流れの角度も、それをさらに効果的に演出し、強調している感じがします。

 

ところが別の日に撮影した写真は・・・・ ご対面している感じ?

f:id:korokoroblog:20170814053143j:plain

ちょっと右に寄っただけで印象はガラリと変わります。光の強さも違うので、金の反射も違います。

 

 

そして、図録などで見る屏風はこんな感じ。平面になってしまうので全くイメージが違います。これが屏風を見る一つの魅力でもあります。

f:id:korokoroblog:20170814020703p:plain

出典:東京国立博物館 - 1089ブログ

 

さらに左隻に寄ってみると・・・

f:id:korokoroblog:20170814020825j:plain

1羽だけ、かがんでいたことに気づきました。呉服問屋、雁金屋に生まれた光琳。 同じモチーフをパターンのように繰り替えすのが特徴と言われますが、その中に動きのある鶴を配し、遊び心を持たせいるようです。

 

右隻の寄り

f:id:korokoroblog:20170814020844j:plain

こちらでは一羽、首を傾けています。そして 水の流れから首が出ていて胴体がない鶴がいる? と思ったら、流水に重なっていたようです。

 

首と胴の白と黒の変わり目が、水流と重なっています。

  ↓

f:id:korokoroblog:20170814053711j:plain

そして、背中の当たりにハイライトを入れて、私はここにいるよと、胴体の存在を示しているようです。

 

 江戸時代の元禄文化華やかなりし頃に描かれた鶴の群れ。同じ向きですらりと立つ姿は実際の鶴より、かなりスマートです

 出典:東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館)
   親と子のギャラリー びょうぶとあそぶ
   高精細複製によるあたらしい日本美術体験 より

 

 

■門外不出の作品

この作品はフリーア美術館にある作品です。この美術館、ちょっと曲者で、作品を蒐集した鉄道王、チャールズ・フリーアが作品は門外不出という遺言を残してしまったのです。そんなわけで、この美術館に収蔵されている作品を日本で見ることができません。複製によって、こうして目の前で見ることができるようになりました。《群鶴屏風》のほかにも、今、岡田美術館では、歌麿の《品川の月》の複製画が展示されています。

 

f:id:korokoroblog:20170814052417j:plain

 

参考:キヤノン:綴プロジェクト|びょうぶとあそぶ|フリーア美術館について

 

■鶴を描いた絵師の作品いろいろ

光琳の《群鶴屏風》と聞いて思い出されるのは鈴木其一の鶴。光琳の屏風を元に描いています。

f:id:korokoroblog:20170814044041p:plain

出典:琳派の「鶴」‧ ‧ ‧ "Gunkaku zu Byōbu" : 感性の時代屋

 

作年、サントリーの鈴木其一展で展示されていました。光琳の《群鶴屏風》をもとに・・・という解説を見てはいましたが、その屏風、あまり見たことないなぁ・・・と思いながら、ちらっと画像検索して確認しただけでした。あまりみかけないその理由がつながりました。海外に行ってしまったので展示の機会も少なく、目に触れる機会がなったのでした。

其一の鶴は、のびのび自由きままな感じがします。二曲一双とコンパクトにまとめられていることも、展示で見た時は、そういうものなんだと思って見ていました。元になった光琳の屏風は六曲一双。動きのある鶴を六曲一双で描くと、ごちゃごちゃしすぎるからでしょうか? と勝手な想像…

 

其一展の図録の解説を見直すと(p274)其一は、青々時代に鶴が整然と並ぶ構図で描いているとのこと。それを描く前に、描かれたのがこの屏風です。鶴は思い思いの方向を見ています。光琳をを踏襲しながらも、鶴の配置や姿勢を変えています。光琳風の波紋に対して、鶴の羽根は綿密です。首の曲線、足の直線が形作るフォルムは変化に富むといった解説がされていました。

今回、光琳のレプリカの屏風を目の当たりにしていたので、比較の解説が一層、よく理解できました。師匠の抱一も鶴を描いていたことも知りませした。それを踏襲しているとのこと。

 

こちらが酒井抱一の鶴

f0190950_1421011.jpg

一羽だけ違う動きをしています。

 

光琳」⇒「抱一」⇒「其一」 という琳派の継承が「鶴」というモチーフからも伺えます。これらはすべてが、外国の手に渡ってしまっています。重ね重ね残念なことです。(抱一の鶴、あれ? って感じがしました。)

 

 

その他にも応挙も鶴を描いています。写生を重視した円山派の本領発揮といったところでしょうか?  鶴の生き生きとした生態が見てとれます。

f:id:korokoroblog:20170814024243p:plain

出典:「応挙、芦雪、呉春の世界」 京都国立博物館常設展: 京都 洛中洛外 日々是好日

 

 

こうして、「金地に鶴」の屏風をいろいろ並べてみると、それぞれに鶴のとらえ方が違うことがわかります。また、光琳の鶴は細身という解説がありましたが、他の絵師の鶴と並べることでそれがより際立ちます。

 

f:id:korokoroblog:20170814044605j:plain

 

 

 

■部分観察

〇くちばしの中

f:id:korokoroblog:20170814052040j:plain

 ↑舌が動いているのが見えています

 

〇足

f:id:korokoroblog:20170814052800j:plain

  

光琳のサイン

f:id:korokoroblog:20170814053030j:plain

 

〇水流

f:id:korokoroblog:20170814054144j:plain

 

↓さらに拡大

f:id:korokoroblog:20170814054200j:plain

水流のパターンははっきりしていません。

 

↓ こちらは、《紅白梅図屏風》の水流の表現(MOA美術館にて撮影)

f:id:korokoroblog:20170814054607p:plain

作品の制作順は《群鶴図》が先で、『紅白梅図』があと。晩年に近いです。

 

〇屏風の裏

f:id:korokoroblog:20170814052322j:plain

きっと、ここもリアルに再現されているのではないかと・・・

 

 

■金屏風の金箔写真コレクション

f:id:korokoroblog:20170814055628j:plain

 

〇金箔が金箔でなかったとしたら?

今年は金屏風を目にしたら次のように見るようにしています。

 

◆金箔が張られていると解説があったとしても、これは描かれたものではないか? と仮定してみてみる。

◆レプリカの金屏風があったたら、これは本物の金箔だと思って見てみる。

 

こんな見方をしている理由は、かつて光琳の《紅白梅図屏風》が科学分析されたことによって、一度は金箔ではないと判断されたという過去があったからです。そのため、もしかしたら今、見ている金箔は本物ではない可能性だってある。そんな仮定をしてみています。

あるいは、この「金箔」が貼った状態に見えるのは、描いたもので、金箔ではないかもしれない。金泥で描かれた上に、いかにも箔足が盛り上がった状態になんらかの細工がされているのかもしれない。

といろいろな可能性を想定しながら見ることにしています。これまでも、撮影可能な時は、金屏風の部分アップ写真や、金箔と金箔の重なり部分の拡大写真などを、コレクションしてきました。今回も、よいサンプルを集めるチャンス!(笑)

 

 

〇群鶏図屏風の金箔は本物?

f:id:korokoroblog:20170814061554j:plain

 

f:id:korokoroblog:20170814061605j:plain

 

f:id:korokoroblog:20170814061620j:plain

 

f:id:korokoroblog:20170814061632j:plain

 

このような状態を、高精細画の写真で再現できるものなのかどうか。高精細の写真なら、この微妙なニュアンスを再現することができるはずです。(⇒その後、現在では再現ができないとことがわかりました)

 

しかし金箔の重なりの厚み、あるいは紙の継ぎ目。その部分がのっぺりとしていたら、写真のプリトだと考えられます。 凹凸が確認できた場合でもプリントに何等かの加工を施せば、張り継ぎがされているように立体的に見せられます。

そしてもう一つの方法は、金箔を張ってしまうという方法です。

 

さて、この屏風はどの方法がとられているのでしょうか・・・・ 金の繊細な部分は再現されているように感じます。ところが、箔の重なり部分の箔足の凹凸がなくのっぺりと見えました。しかし紙の継ぎ目は、しっかり確認できるような・・・・

 

こちらは、光琳の《紅白梅図屏風》(MOA美術館所蔵)の箔足です。しっかりとした重なりを確認できます。(よ~く見ていたら、これは箔足でなく和紙の重なりのような気がしてきました)

 

上のような「箔足」の記憶があったので、どうも平面的だと感じてしまいました。ということはプリントでしょうか? でも、箔の重なりの厚みがないように見えるのは、光が弱いため認識できないのかもしれない・・・  そう思って、《群鶏図屏風》は金箔が張られてものだと判断しました。

 

  ⇒■屏風の金箔のディティール確認

    ↑こちらはこれまでに光琳の箔足の様子を観察してきた記録です

    《風神雷神図屏風東博

    《紅白梅図屏風MOA美術館

 

〇金の屏風の解説

f:id:korokoroblog:20170814055931j:plain

 

こんな解説がありました。あったり~!!  

この屏風には、金をうすくのばした金箔が貼られています

なのですが、綴りプロジェクトについてはこれまでいろいろ調べてきたので、屏風に実際に金箔を張って仕上げているということをどこかで聞いていて、知識として知っていました。そのため、金箔の重なりがないように見えてしまったのですが、これは照明の関係だ・・・という理由をつけて「金箔」だという判断をしていたのでした。

 

   ⇒〇高精細複製品について

   ⇒〇【参考】⇒○キャノン綴プロジェクトとは より

 

f:id:korokoroblog:20170814055913j:plain

 

 

なにも知らない、先入観を持たずに見ようと思っても、少しずついろいろなところからちょっとした情報を得ていて、それによって判断しているのでした。

 

とはいえ、言われるままに見ずに、いろいろと仮定して見る習慣を重ねていけば、だんだん見る力がつくのではないかと思います。科学の結果として裏付けが示されたとしても、そうじゃないという判断が正しいということもまだまだあると思うのです。

 

 

 

■光によって変化する金箔 

会場は明るさが変化しています。それによって見え方がどう変わるのでしょうか・・・ 

 

 

金箔は薄暗い光の中でもわずかな光をとらえてきらっと反射します。

f:id:korokoroblog:20170814020825j:plain f:id:korokoroblog:20170814020844j:plain

下部から光が当てられています。 光のあたっているところといないところの光り方の違いがよくわかります。

 

 

f:id:korokoroblog:20170814052649j:plain  f:id:korokoroblog:20170814052601j:plain

 

これは、映像が上映されていて、屏風には直接、光があたっていない状態です。わずかな光と言っても、スクリーンにあたって反射した光では、金の屏風もぼんやり鈍いです。

 

人がいたり、いなかったりでも微妙に変わるような?

f:id:korokoroblog:20170814082358j:plain f:id:korokoroblog:20170814082414j:plain

 

 

インタラクティブ映像 

時間がくるとどこからともなく鶴が飛来します。

f:id:korokoroblog:20170814082052j:plain f:id:korokoroblog:20170814082132j:plain

f:id:korokoroblog:20170814082206j:plain f:id:korokoroblog:20170814083047j:plain

 

         

 

どうやら最後は屏風の中に戻っていくようです。

f:id:korokoroblog:20170814082849j:plain f:id:korokoroblog:20170814082918j:plain

 

f:id:korokoroblog:20170814082944j:plain f:id:korokoroblog:20170814083004j:plain

      ↑

途中、ここにあるでっぱりを利用して、プロジェクションマッピングのような映像が流れます。このでっぱりが餌箱となって、この中を鶴がつつくという映像がありました。

                  

松林図屏風と比べると動きのダイナミックさがないなぁ・・・と思っていました。すると、数人が鶴に近寄って、タッチしはじめました。すると鶴が飛び立ちました

 

そうでした。この鶴、触ると動くってどこかに書いてあったの私も見て知っていたのですが、すっかり忘れていました。「タッチすると動く」これ、このインスタレーションでは重要なポイント。それ、知らないと、ちょっと面白みに欠ける映像で終わってしまいます。何等かの形でインフォメーションしないともったいない・・・・と思っていました。

 

どうやら、床に触ってみてくださいという表示があったのだそうです。

 

 ↑ 後日、撮影

 

こういうことに気づけるかどうかというのは、その時の運のようなものもあります。その一方で、自分自身の注意力が表れているとも思うのです。ちゃんと表示されていないから気づかなかった・・・・ ちゃんとわかるようにしておいてよ! と思ってしまうのですが、その時の自分の注意力や感性が鈍かったということの現れ(笑) 作り手のメッセージをどれだけ受け止められるかとうのも鑑賞のおもしろさのうち。

 

作り手のしかけにどれだけ気づけるか・・・ また、この会場にいた人との出会いによってもたらされるものもあります。ここにいる人の数だけ、鶴が舞い降りるらしいです。だから、このインスタは一期一会の映像。何度か見たのですが、餌箱になるのは1度しか、見れませんでした。

 

触ったら動く・・・ でもそのあとの鶴の動きがちょっとにぶかったような・・・⇒【*1

  

■まとめ

外国に行ってしまって門外不出となってしまった日本の代表作品の屏風を見ることができるまたとないチャンス! 高精度に再現され目の前でいろいろな観察ができます。本物とはどこがどう違うのかは現地にいってみないとわかりませんが、この機会にしっかり目に焼き付けておくとよいでしょう。

 

本物の金箔が貼られた屏風。そこに、直接、光を当てて見ることができるのも、なかなかない機会です。いろいろ見てきたつもりでしたが、写真で確認したら、鶴がいろいろな方向を見ていたことに気づかされました。

 

そして、解説によれば・・・

 

 親と子のギャラリー びょうぶとあそぶ 高精細複製によるあたらしい日本美術体験

ちょっと見たところ鶴は、動きがなく固まっているようですが、屏風を見る場所を移すと、金の照り返しの具合が変わって、鶴たちが動いて見えるはずです。写真のように本物の鶴を描かないことで、かえって動きを感じることができるのです。背景の金がきらきらと光って、水を含んだ湿った地面に見えるかも知れません。

 

場所を変えてみると鶴がうごいて見えるらしいです。
金屏風が、キラキラして湿った地面に見えるかも・・・・

 

じっくり見たら、まだまだ発見がありそうです。

 

この絵を見ることで、上空からさらに鶴の一群が舞い降りて、餌をついばみ、恋の相手を呼ぶ泣き声や、姿が目の前に広がってくることでしょう。 

 

インスタレーション画像は、そういう意味があったわけですね。鶴がどんな動きをするのかも一期一会の瞬間なのかもしれません。もしかしたら、求愛のダンスを見られる瞬間もあったりするのかもしれません。

 

 

 

■屏風のお勉強  関連資料

同フロアには屏風に関する知識を身につけるコーナーがあります。撮影した写真をここにストックしておきます。

 

〇屏風ってなに?

f:id:korokoroblog:20170814093743j:plain f:id:korokoroblog:20170814091451j:plain

 

 

〇実際の使われ方

屏風は手前にも奥にも曲がるのでこんな風にいろいろに折って使えます。

f:id:korokoroblog:20170814091558j:plain f:id:korokoroblog:20170814091648j:plain

 

大部屋の仕切りとして使ったり・・・・

f:id:korokoroblog:20170814091828j:plain

 

 

〇屏風の構造

そんな屏風はこんな構造になっています

f:id:korokoroblog:20170814092119j:plain

f:id:korokoroblog:20170814093625j:plain

f:id:korokoroblog:20170814093640j:plain

f:id:korokoroblog:20170814093703j:plain

 

 

■関連

■びょうぶとあそぶ:長谷川等伯《松林図屏風》の世界に本当に風が! どうせ複製でしょ?とは思わずに・・・ 

 

 

【追記】2017.09.06  金箔が先? 金箔はあと?

金箔はてっきりプリントしたあとに貼っているのだと思ってました。しかし、鶴の足の回りなどを見たら・・・・ あとからこんなきれいに仕上げることができるものでしょうか?

f:id:korokoroblog:20170814052800j:plain

こんな細い足の回りを金箔で埋めるなんて無理・・・・  ということは、金箔を張ったあとに印刷したってこと? でもそんなことできるのかなぁ・・・・ 金箔は繊細。プリンターに金箔のはった紙を入れたら・・・・ 金箔剥がれてきそう。ローラーに金箔つまる? そして金箔にインクがのるものなのか。

 

以前、《風神雷神図屏風》の雲。金箔の上に墨で雲を描いているけど、あの滲み、どうやって描いているのだろうと思ってました。金箔に墨をのせたら、はじきそう。あんなふうに広がるのだろうか・・・

 

山楽の《龍虎図屏風》を見た時にそれが解決しました。

〇金地に墨で描く技法の秘密
  ⇒【禅展】研究員のおすすめ 「山楽の吼えるトラ」 出典:1089ブログ]))

金箔の上に胡粉を塗って墨をコントロールしながら広げていたのでした!

参考:禅 こころを形に 《龍虎図屏風》狩野山楽 (ブロガー内覧会後 再訪)

 

ということは、キャノンの「綴」も金箔はった上に、胡粉を溶いたものを薄く塗ってから、インクを定着させてるってことなのかなぁ‥‥  でも、それはないって思いました。プリンターは、金箔まみれ、胡粉まみれになっちゃう(笑)

 

そういえば、綴りプロジェクトの制作方法の解説があったはず。

tsuzuri.kyo-bunka.or.jp

 

やっぱり、印刷したあと、金箔貼るって言ってる。このあたりの画像、何度となく見てきてたから、金箔はあとからはるって、潜在的にインプットされてたみたい、金を張ってから印刷とは、考えもしませんでした。しかしながら、あの足の回りを見たら、どうやって金箔貼ってるのかが疑問です。

金箔だけ埋めてるのではなくて、金泥もつかってるんじゃない? 金箔を張ったあとに、足と箔の間を金泥で埋める・・・・

 

global.canon

 

「綴りプロジェクト総集編」より 

この画像を見ると、金箔を張る職人の技術を動画で見ることができます。

2:00 プリンター出力

2:21 和紙 絹本 独自開発

2:30 金箔加工  印刷された部分と金箔との間は、金泥と雲母(きら)

 

職人技って想像以上  箔と金泥と筆、そして雲母を使って、こんなにきれいに仕上げてしいます。あらためてこの鶴の足の回りを見ると・・・・ 箔と金泥の差がわかりません。 

f:id:korokoroblog:20170814052800j:plain

 

最新の技と伝統のコラボしてできた屏風

 

 

ちなみに、このような金の表現。今の技術ならプリンターで再現できてしまうのではないかと思っていました。

f:id:korokoroblog:20170814061632j:plain

 

ところが、金箔、金泥、雲母の表現は、現在のプリント技術では再現がむずかしいとのこと。

参考:龍の謂れと形 狩野山楽筆 龍虎図屏風 デジタルアーカイブ《綴(つづり)プロジェクト》

(4)金箔:古来より伝承される《箔》伝統工芸技により再現
日本の文化財の最大の特徴である金箔・金泥や雲母(きら)のは現在のプリンティング技術では再現が難しい
この再現には、京都西陣の伝統工芸士裕人礫翔(ひろひとらくしょう)が熟練の手技を振るう
箔の経年変化の再現には、「古色」の技法が用いられ、風合いを重視して表現、作品の持つ“年代”を再現している

 

ゆくゆくは、金表現まで、プリント技術で再現できるようになるのでしょうか? 技術は人間技を超えていくのか!?  それでも、箔と箔の盛り上がりは人の手が必要? あるいは3Dでそれまで表現できてしまうようになるのか・・・・  

そこまでは、機械でできないで欲しいなという切なる願い(笑) 

AIの将棋が名人に勝つ。マッサージの技術が機械でもできるようになる。工業技術の職人技を機械で再現。検査も機械化が進み鏡検までもが機械化の波に・・・・ でも最後、機械ではできない人の力でないと…という部分が残って欲しいという切なる願い。

 

金箔がプリンターで表現されるようになった切り替わりを、見極められるかどうか・・・ 金箔は人が貼っているという先入観を持っているときっと気づかないのだろうな。

 

関連:

■屏風の金箔のディティール確認〇光琳の《紅白梅図屏風》の金箔は描かれたもの?!
〇光琳の《風神雷神図屏風》の金箔は描かれたもの と仮定して鑑賞
〇《紅白梅図屏風》と《風神雷神図屏風》の金箔
〇洋画における金箔表現  

〇光琳の下地はすべて金地

 

そういえば、御舟の《名樹散椿》や《翠苔緑芝》を見た時、金箔は全面に張ってあるのか。着色部分が大きいところは、金がもったいないけど、どうしてるのかな? って思ってたんだっけ…  金箔職人がいて、最初から金が貼りつめた屏風が作られていたそう。

 

宗達光琳風神雷神・・・・  光琳風神雷神の下も金が貼られているけど、宗達は張られていない・・・ 

 

こうして金表現を見ていくといろいろ面白い。

 

■脚注

*1:■子供向け展示に思うこと

同じような子供向けのインスタレーションサントリー美術館でも行われていていました。手でバタバタすると鳳凰が動くのですが、こちらはかなりバタバタさせないと動かないようでした。子供向けにそのように設定されているのでしょうか・・・・

 

夏休み期間に行われた子供向けがテーマ。(でも大人も楽しめる展示という伏線) サントリー美術館の展示は、ちょっと子供だましに思えてしまいました。あんなにバタバタさせないと動ないのはやだな。自分はやりたくない…  もし誰もその場にいなくて、試す人がいなかったら、この映像見ることができない。もうすこし、簡単に動いて欲しい。映像も、東博のを松林図屏風を見てたからちょっと劣ると思ってしまいました。

子供向けの企画なんだから、べつにいいんじゃない?  子供向けだからこそ本物を、わからなくてもいいから、本物をと思うのですが。子供にには人気がなかったらしいガラス。でもあのガラスのきれいさというのは、子供の心の奥底に残って、きっとこの先、何かでそれが、つながって思いだされるのではないかと思うのでした。

 

また、子供だからこそ本物を…というとらえ方も人によって違いました。本物の屏風を露出展示するべきでは? 同じ本物でもどんな本物を持ってくるかという考え方も違います。それは理想だけど、物理的にどう考えても無理! と思ってしまいます。同じ子供向けの展示も、どちらがいいと思うかも違うというのは面白かったです。大人がどうのこうのいうより子供に聞くのが一番? でも、その時、受けが受けが悪くてもあとあときいてくる展示というのもあると思うし・・・ 

ーーーーーーーーーーーーーーー