「 安藤忠雄展」 この手の展示は、回顧展が多い。まだ生きているうちにはあまり行わない 。これからがスタートと語る安藤忠雄は、音声ガイドで「アラがいっぱいある。それを探して下しさい」と語りました。
■安藤忠雄を知ったのは?
2006年、直島に訪れてからのことかと思っていました。が、それ以前の、2000年、淡路夢舞台の設計をした人として認識してたことを思い出しました。いろいろな方面からいろいろな声を耳にしてきました。自分が「好き」か「嫌い」かといえば、どちらということもなく・・・・ 耳にする賛否の元は何なのか。「外からの目」「内からの目」・・・ 「安藤忠雄展」を見れば、何かがわかるのではないか・・・・ という思いがありました。
安藤建築を目的にでかけているわけではないのですが、なぜか行く先々に安藤忠雄の建築が存在します。有名な直島には2回、訪れました。訪れたあとも、「好き」に変わるというわけでもなく、かといって「嫌い」というわけでもなく‥‥ でも、その都度、いろいろ思うことが出てきます。
これまで何かと、接する機会があったのも何かの縁。ここは「安藤忠雄展」なるものを見てみよう。そんなことを思って、ばっちり前売り券も買って準備していました。それなのに訪れたのは、会期も終わり寸前になってしまいました。
■安藤忠雄について耳にしたこと
〇建築家に植物のことなんてわからない(2006)
淡路夢舞台に安藤忠雄がかかわった時に聞いた言葉。「建築家なんて植物のこと全くわかっていない。とんでもないプランを持ってくる。世界に名だたる安藤にモノ申せるのは私くらい‥‥」と語った館長さんの話を人づてに耳にしました。
そして、そのころ、植物好きの間でささやかれていたこと。「あの百段苑はなんなんだ。植物をわかってる人のすることじゃない‥‥」
私もそう思っていました。やはり餅屋は餅屋。専門に勝るものなし?
〇光の教会(2003)
その後、安藤建築にはどんなものがあるのか調べると、「光の教会」なる代表作があることを知ります。それまで建築には興味がなかったけど、ちょっと気になり始めました。安藤建築詣をしている人のレポートを見たりして、「教会」もいくつも建てていることも知りました。
いつだったか、場所も失念してしまったのですが(⇒たぶん 2003年頃、「能古島」だったのでは? という記憶があります )島を周回するバスに乗って山を下りてきたあたりに、安藤忠雄が建設したというホテルの教会(結婚式場?)があったと思うのです。(⇒調べてみたら、ここにはそのような施設はなかった模様) こんなところに? 結構、荒れた感じで使われてるのだろうかと思ってしまう印象でした。戻って調べてみたのですが、その情報はありませんでした。
施主がバブル期にでもネームバリューにつられ、頼んだはいいものの・・・という状態なのかなぁと思っていました。どんなに有名建築家でも、こういうこともあるんだ・・・と思った記憶があります。その後も「四国村」に美術館があって、それも安藤建築でした。(2006)しかし全く耳にしたことがなく、一口に安藤建築といっても、その知名度はいろいろなんだと思っていました。
〇建築家の作った博物館は使いにくい(2015)
その後、建築家の仕事について耳にしたこと。「建築家のコンペで通った博物館設計は使えない。デザイン優先で、管理のことや、人の動線を考えられていない」これは安藤忠雄の設計したものではありませんが、博物館関係者の直接的な言葉です。
よく有名建築家の建てた家というのは住みにくいと言われます。使う人のことを考えておらずデザイン優先、自分の実績作り。そして住まう人は、有名建築家に建ててもらったという自己満足によって成り立つとささやかれます。
〇コンクリート打ちっぱなしでワンパターン(2011)
「安藤=コンクリート打ちっぱなし」のイメージが強くワンパータンと言われているのを耳にします。コンクリート打ちっぱなしはコスト削減と言われるけど、実はコスト削減にはならない(?) 通常なら壁紙などで隠せるものが表面に出てくる。ということは、打ちっぱなしのままにはできず、表面をきれにしなくてはいけない。かえって手間になり、コストがかかる‥‥
〇一緒に仕事をした業者は(2013)
今度、安藤と仕事をすることになったという業者。チェックが厳しいぞ。丁寧に仕上げておかないと… 念には念を入れて表面を時間をかけ丁寧に仕上げたそう。それを見た安藤曰く。こんなツルツルなコンクリートがあるか! やり直し!
〇安藤事務所の人材は(2013)
事務所の人間には厳しいというのは有名な話? 人材が育っていない。気分であたり散らされる。などなど‥‥
ただ、どこの世界にも、「内」と「外」とで顔が違うというのは、よくあることです。日常的に現場で関わる人たちに見せる顔、外からの視線は、別の面を見ています。関係者が語る姿と、外から私たちが見る姿は違うということは、当然あります。有名になればなるほど、いろいろな批判も多くなるもの。
■私が感じたことは‥‥
〇百段苑(2004?)
その後、実際訪れて自分の目で確認。やっぱり私もあれはちょっと‥‥と思いました。淡路夢舞台のコンセプトは、自然破壊のあとの再生だったかな? 自然とどうかかわるか。
自然とのかかわり方はいろいろ。そしてその表現もいろいろ。でもこれじゃ、自然じゃなくて、見本市。植物図鑑。昔の博物学的展示。植物館だからそれでいいのか‥‥ その地域の植生を表現した自然感の方が私は好き。
単に表された結果を「好き」か「嫌い」かの問題なんだと思いました。これを「好き」という人もいる‥‥ 好きか嫌いは自由。評価する人もいる、しない人もいる。
〇住吉の長屋(2005)
デビューにはインパクトが大事。そのためのデザインと思っていました。しかし、どんなに住みにくくても、それを求め頼みたい人がいるならそれはそれでいいのでは?
〇コンクリートだけじゃないんだ(2006)
ベネッセハウス 宿泊者の増加で新たに建てたホテルの建物。そこは木のぬくもりがあり、心地よかったのです。住みにくいと言われる安藤の建物。そんなことないじゃない。狭い空間づかい、工夫されていて随所になるほどと思うところが‥‥ こういう空間使いかもあるのか。そしてホテルで過ごす旅という新しい旅行のスタイルをこの時、知ったのでした。
〇地中美術館(2006 2016)
後世に残る美術館。たとえ天変地異で埋もれても昔、こうして絵を鑑賞していたんだ‥‥と伝えられるような建物。そして自然との融合。そのうち、ここが緑に囲まれて地中に埋もれたようになる・・・・ 建築コンセプトは多いに共感させられます。
しかし、そのコンセプトの元、作られた結果がこれ。上空から見た写真です。この状態、緑で埋め尽くすことができますか? 無理だよなぁ… そしてこの景観。「美しい」って言える? 自然と調和してる? 私には美しいとはどうしても思えませんでした。何万年か先、地球の天変地異がおこって埋もれれば、緑に覆わて見えなくなることはあるかもしれないけど…
同様な例として、イサムノグチのモエレ沼があります。「地球を彫刻した男」と言われます。一つ一つの建物には惹かれます。地上かから見たら美しい。しかし・・・・・ 上空から見たこの姿。これを「美しい」といえるのだろうか。地球を彫刻した結果がこれ?そんな疑問を抱いたのと同じでした。(2005)
〇地中に埋めるは安藤の十八番? (2005)
景観を損ねないように地中に埋める。ユニークな発想で安藤の十八番のように言われます。しかしその後、ポーラ美術館もそうだったし、今年の夏に行ったMIHO MUSEUMも同様の考え方でした。
「地中に埋めて景観をそこねない。自然を守る」
基本コンセプト、着眼点は同じ。誰が最初に考えたのでしょうか?
〇地中美術館 2002年 2004年・・・安藤忠雄
〇ポーラ美術館 1997年 2000年 2002年・・・ポーラ美術館|日建設計
〇MIHO MUSEUM 1997年・・・I・M・ペイ
最初に考えたのは、MIHOミュージアムを設計したI・Mペイ。ルーブル美術館を担当した建築家でした。となると、そのあとに建てた作品はどこか、二番煎じ‥‥ と私は思ってしまいます。同じ着眼点がすでにあったわけですから。
よく作品の「本質」といわれますが、私はこういう部分を「本質」ととらえています。
ところで、これはパクリなのでしょうか‥‥? 私が知る同様の建築の中で、最初に考えたのは、MIHOミュージアムを設計し、ルーブルを担当した建築家。でももっと前に、同じことを考えていた人がいたかもしれません。まだ知らないだけで… こういう着想の部分というのは、マネしたとかではなく、重なることって多分にあることだと思います。
根底、本質の部分は同じで、一種のコピーでもあると思います。しかしその表現、できあがった作品はそれぞれに違います。着想は同じ。でも、どうしてここに至ったのか。そこには個々のビジョンや思考のプロセスがあるはず。そんなことを知りたい‥‥って思いました。
これまで安藤に対して、いろんな声を耳にしました。私自身もいろいろに思うところがありました。そんな安藤忠雄の集大成(?)ともいえる展示が行われる。となれば、これまでのいろいろを理解するヒントがそこにあるかもしれません。
■混雑状況
何度か国立新美術館の前を通りました。比較的、スムーズに入れそうでした。(2017.10.14)
ところがいつになく、チケット売り場では行列ができている日も・・・ これは新海展が始まった影響?
2017.12.04
でも、混雑状況は思ったほどではなく、それほどの待ち時間があるような感じではありませんでした。タイミングをうまく合わせれば、並ばずに入ることはできそうだったので、今日は、朝から安藤日だ! という日を狙っていました。
2017.12.04
草間彌生のインスタレーションみたいに、未使用チケット提示で何度も入れないかなと思ったのですがそれは甘かった‥‥
教会の光の状態を「朝、昼、晩」で体験するのも目的の一つ。「朝・昼・夜」の光の中で展示をみる。というのは私の展示の見方の一つ。
外観、夜の状態も一応、撮影してありました(2017.10.14)
箱根のラリック美術館で自然光でガラス作品が展示されたことがありました。庭園美術館でも自然光の中にガレ作品が展示されたことが。そんな展示は、一日かけて、美術館に入り浸ります。国立新美術館は、ライブラリーがあるので、そこを行き来しながら、一日、時間をつぶすことができることがわかりました。春に行われたミュシャ展でそうしたように、時間をとれる1日を選んで行く予定でした。そのうちに、会期が終わりに近づいてきてしまいました。
もう、そんな悠長なことは言ってられない。行ける時に行かないと終わっちゃう。と思ってついでの時に立ち寄ったところ待ち時間20分。待たずに入れるのを知っているので、20分待つのはイヤ。国宝展の経験を生かして、twitterをチェックしながら待たずにすまそうと3階のライブラリーに移動しました。しかし待ち時間は短くなる様子もなく・・・・
その日はこれまで見た他館の美術展の気になっていたところを、図録で確認する時間にあてることに変更。集中して調べるとこれまでの謎がいろいろ解決できて、充実した時間になりました。(⇒■花鳥図のデジャブ感)
最終日も間近の金曜日。20時まで開館。これを利用しようと思いました。科学博物館の金曜日は、逆に混みます。こちらはそんなことはないとのこと。ミュシャ展ほどではないと聞き、その日を選びました。しかしどうも出そびれてしまい、着いたのは17時過ぎ。(前日、twitterをいきがかりでオープンし、ちょっとはまってしまったのが原因。ここまで、ここまで‥‥が伸びて、こんな時間に。大失敗!)
■音声ガイド
電車の中で情報収集。登録したばかりのtwitter情報からも‥‥ どうやら音声ガイドが好評のよう。絶対に借りた方がいいとの前評判。最近、借りなくなっていて、どうしようか迷いました。音声ガイドを借りる時は「聞かずに見る」それから「ガイドを聞きながら見る」最後に「解説読みながら見る」の三段階で鑑賞することにしています。そのため朝から鑑賞できる時を狙って、せっかくの500円を最大限に生かすために・・・(笑)
そして音声ガイドの先入観持ちたくないから、とりあえずは、最初に一巡します。でも、この時間からそんな見方をしていたら最後まで見ることはできません。
ざっと、一巡し、音声ガイドの部分だけを見ていったのですが、案の定、すべて聞くことができませんでした。最初の混雑エリア飛ばして見ていたので、前半のガイドが聞けていません。
なんだかんだでやっぱり借りてよかった。借りていなかったら、これまでのいろいろな疑問、結局は解決はできないままだったかったし、また、よくわからないや‥‥で終わっていたのだと思います。
■見学計画
一巡するのにだいたい2時間との情報。じっくり一つ一つを見たら5時間あってもたりないと。安藤建築で私が知ってるいるのは、ごく一部。直島とあとはほんの一部だけ。それだけを見ればいいと割り切ることに。そして「光の教会」 海外作品はスルー。
前回、三菱一号館美術館の見学で、限られた時間の中での鑑賞は、なにがなんでも、まずは軽くすべてを回って全体を把握することが肝要。どこに何があるのかを把握しておくことの重要性をやっと理解しました。見るべきものの場所を把握していれば、微調整はいくらでもできます。
■ガイドより
〇最初から聞きながら見る?
ガイドを聞きながら歩くか否か… 迷いました。ガイドを聞いたら足が立ち止まってしまう。操作でなんやかんや時間がとられる。ここは聞かずに・・・と思ったのですが、とりあえず最初のイントロだけを聞きました。面白すぎ! 聞かずにいられなくなりました。
〇住みずらい建築の意図は?
突如、耳に届く嗄れ声に笑った。
住みずらい家、それは住む人の工夫が必要。忍耐が必要。人は考えねばならない。そしてそこに住んでいる人はえらい。私は住まない。住みやすいということを追いかけるだけでいいのか? そんな話が飛び出し、私の長年の疑問がしょっぱなで解決されてしまいました。
〇アラ探しせよ
そして「いっぱいアラがあるので探して下さい」の一言。これを冒頭で言うって、すごいよなぁ‥‥ ある意味、自信の表れ?
〇作る側、住まう側の体験
建築側と、住まう側の両方を体験。施主から当初の予定が変わって家族が増えた。しかも双子。安藤さんのところが双子だからうちも双子になってしまった。責任とってくれ。と家を買い取らされたという最初の建築。作る側、住む側を経験した良い体験だったと振り返っています。(それでも、住みにくい家を作り続けるんだ‥‥ (笑))
(「志楽の湯」を思い浮かべました。湯舟の中に岩がゴロゴロ、危険・・・とぼろくそ。しかしここは、縄文時代の山間に温泉を見つけたというようなコンセプトかと思いました。人にはもともと危険を察知したり、自然ととおmに暮らしてきた。現代人はそれを見失っている。それを呼び覚まそうというメッセージだと思いました。なにかそれと共通した考え方かなぁ…と)
〇「建築」は美術領域なのか?
「建築」を美術展でいかにして見せるか? という安藤の問いに、「建築」は美術なのか‥‥ と明治になって日本美術史を編纂する際に、議論があったことを思い出しました。(最近、仕入れた知識)
「「建築」は当初は、美術として扱われていなかった」ということが頭に浮かびました。建築家、伊東忠太に白羽の矢が向けられ、美術史としてまとめられたという展示が東博でされていました。
「美術館」という建物の中で、「建築」をいかに見せるか‥‥
かつて「建築」は「美術」の仲間入りができなかった。その美術の世界に侵入することに重なりました。
そこで考えられたのが、実際の建築物を原寸大で展示するという突飛な発想だったのでした。
コンクリート打ちぱなしの歴史を調べた時に‥‥
有名なコルビュジエが1932年にスイス学生会館で打放しを試みる。しかしその8年前にそれはあった。その後、一次すたれるが、戦後、日本でも注目。コルビジェの元で学んだ前川国男が多用し、ルイス・I・カーンによっても打ちぱなしコンクリートにスポットが当てられていた。安藤忠雄はルイス・I・カーンの流れを汲む。
県立音楽堂の「前川国男」のコンクリートと「安藤」のコンクリートはつながっていた! という記憶はあったのですが、改めてそういうことだっただと確認。(安藤は、私淑していたとwikipedhiaには書かれていたけど、そんなことないって言いそう…)
■光の教会
周りはすでに暗闇‥‥ 最初にここ、体験しておこう。どんな設置がされているかといえば、楽屋裏はこんな感じ・・・
中に入って飛び込んできた十字。そしてそのトップから延びる光の影
夜も照明で見れるようになっていると聞いていたけど、これを見て、最初に思ったのは、外にどんな光が当てられているのだろうか‥‥ 何度か前を通っていたけど、ライトが仕込んであるの気づかなかったなぁ。どこに設置してあったんだろうか。
▼そしてこの三角は何だ・・・ どうしてここだけ三角に見えるようになるんだろう?
▲コンクリートの枠で切り取られた空。
▲なんかこの切れ間、地中美術館のジェームスタレルを思い出されます。ベネッセハウス‥ そして、熱海の宿、隈研吾建築の「海峰楼」‥‥
地中美術館 ベネッセハウス 海峰楼
外は雨です。入館した時よりも雨足が強くなってきました
雨が光に照らし出されてきました。写真には写るかかなぁ… 見る角度を変えると空の形も変わります。この空、ジェームスタレルのインスタレーションを思い出すなぁ‥‥(こういうのを工芸の世界でいう「痕跡器官」っていうんじゃないかな?」
光の教会・・・ そこには、いろいろな光が存在していました。昼には見えない光。夜ならではの‥‥
▲携帯電話で撮影する人のモニター光
▲撮影の焦点を合わせるための光 思わず放ってしまった光・・・
▲振り返れば青い光。それは非常口のサイン 壁を照らす光・・・ 逆方向の外から漏れる光
いろんな現代版の光の中で鑑賞する光の教会・・・・・
撮影しながら音声ガイドを聞きます。(切なる希望があります。ハンドタイプの機種はやめて欲しい。ハンドフリーにならないため、行動が制限されてしまう。聞きながらメモしたり、撮影したり、荷物を持っているとハンドタイプは負担‥‥)
バブル期に予算、3500万。(ひょえ~) 屋根は寄付するという申し出があったけども、安藤は屋根がない教会もいいと思ったけど、屋根をつけることになりました。どんな屋根なのか上空から見た写真を見たけど、屋根はフラットでした。屋根って三角屋根を想像したのですが、本当の屋根なし教会を考えていたのか‥‥
しばし佇むと、寒い。特に出入り口付近は寒風が吹きすさびます。十字架にガラスを入れない予定だった。しかし信者さんたちの反対に‥‥ こりゃたまらない。信者さんの気持ちがよ~くわかりました。
安藤曰く。信仰心であたためよ! そんなの無理! 渋々はめた。でも、今でもいつか取り除こうと思っている。最初の信念は貫く。その第一歩が、この展示なのかもしれません。信者さんたち、安心していてはいけない。まだまだ安藤はしぶとい!
安藤のメッセージは、こうした自然を体で感じろ。耐えろ。工夫を怠るな。考えよ! なんだと思いました。
体が冷え冷えして、展示会場に戻りました。暖か~い・・・・ 現代の生活は寒くなれば室内が暖かいのは当たり前。寒さがあるからこそ、そのありがたみがわかる。安藤の言うことに納得しました。しかし・・・・・
身内が教会に通っています。今年のお正月、脳梗塞で倒れました。幸い、処置が早かったため、日常生活が送れるようになりました。ベットの上でも、教会の人たちやそこに寄せる思いは、ひとしお。それが入院中の支えになっているようでした。そしてそこに通えることが生きがいでとても楽しみにしています。回復期はよいリハビリにもなっていました。そうした病み上がりの人間も教会には集います。
そこにこの寒さは堪えるだろうな‥‥ 健康体なら頑張れ! 我慢しろ! も通用するかもしれません。しかしいろんな人が集まる場所。そこに忍耐を求めるのは‥‥
というのが私がみつけたアラの一つでした。
(そうだ、このバイタリティーに忘れてしまっていましたが、安藤忠雄も内臓をほとんど摘出している患者経験者だったのでした。)
こんなアラをみつけた人もいます。
【伊達の眼鏡】#安藤忠雄展 に行ってきたぞ
— まちもり散人 (@dateyt) 2017年11月23日
●ミーハーに好かれるようになったか建築家も
●原寸模型で現物体験させるというけれど環境が違う
●原寸模型教会に込めた安藤メッセージを読み解くと
●実物建築と原寸模型と縮尺模型の違いはhttps://t.co/7AFPzOy4VQ pic.twitter.com/dMoWdmdBf6
この建物、「コンクリート打ちっぱなし」ではなく、「コンクリートパネル」を貼り付けたものではないかという指摘。
「コンクリ―と打ちっぱなし」と「コンクリートパネル」の違い。そのんなもの素人は知りません。「コンクリート打ちっぱなし」がどのように作られているのか。その名を知っていても、その構造や作り方を知らないのが普通。
でも私はたまたま知っていました。神奈川県立音楽堂を建てた前川国男の建築見学会があり、そこで、コンクリートにできた木目の解説がありました。
昔のコンクリート打ちっぱなし。木枠の模様が写し出され美しいと解説。どうしてこんな木目がコンクリートにつくのか。その意味がわかりません。調べてやっとわかりました。コンクリートうちっぱなしがどのように作られているか・・・・ 木で型枠があっててそこにコンクリートが流し込まれる。その木枠の模様が写し出されたということだったのでした。わかりやすい画像がありました。
「コンパネ」という安い木材がホームセンターに売られています。あれは、この周りの板のことだったのか・・・・ だから安いんだ。コンクリートの表面に見える、あのポッチの穴、これは板のジョイントのあとだったのね。始めてその構造、作り方を理解して、そんな作り方をされているなんて、想像もできないことでした。そして今は使い捨てでない素材がでてきたり、表面をよりきれいにできる素材がある。なんてことを知りました。
だから、この教会が「コンクリート打ちっぱなし」でなく「コンクリートパネル」だといわれれば、その意味は理解できます。知らなければ何を言ってることやら…状態です。また、そんなことを知らなければ、この建物が「コンクリートうちっぱなし」だろうた、「パネル」だろうが、全く関係がないのです。だから何?(笑) 知っているがゆえの自尊心にしか見えない。というのが正直な心の声でした。
真っ暗だったから… そんなこと気が付く由もありませんでした。では、明るかったら気づけたでしょうか?
明るいところで見たら‥‥
明るいところで見ると・・・・ ベース部分あたりに、ハリボテ感があります。表面も… でもこれは知ってしまったからそう見えてしまうのであって‥‥ 全く知らずに見たら、気づけるかどうかはわかりません。
でも、もしかしたら、気づけたかもしれない‥‥とも思うのです。業者が安藤の要求にこたえるため、コンクリートの表面の仕上げに四苦八苦したという話を知っていました。今回の展示を請け負った業者は、どういう仕上げにしたんだろう。たぶん、コンクリート壁を見ただろうと思うのです。安藤の要求はどういうものだったのか。それに応えられたのか。やり直しさせられたのかなぁ… 明るくて時間があったら、おそらくそういう目で見ただろうと思うのです。
その延長で、あれ? これおかしいぞ‥‥ と思ったかどうかは、神のみぞ知る(笑)
写真を見ていてわかったこと。
光のあたった部分の壁、確かにこれ、パネル構造だわ。ずれてる‥‥ これが、私がみつけたアラでした(笑) 明るかったら、この壁に目がむいたでしょうか‥‥
そして、この人、気づいてるよね。と思った一枚。でも、言わない。言わずして語る。みつけたぞ~と鬼の首をとったようには語らない。わかる人にだけ‥‥ 静かに掲げる
激混みのアレ行ってきた #光の教会 pic.twitter.com/lpMpF46ju7
— 応答スペクトル (@rsp_spectrum) 2017年12月2日
外に回りました。どんなライトが当てられているのかと思ったら地面から一燈だけ。その光をバックにして、傘をさし、コンクリート壁に自分の姿を映して写真を撮影している人たちがいました。今時の光景・・・ でもいろいろ、考えて撮影するんだな。そうやって遊びながらも考えることが大事なんだと思いました。
内部にいたとき、十字から延びる直線の光が、不定期にチラチラ動くんです。
なんなんだろう‥‥ どういう仕組みになってるんだろう。と思っていました。このライトの前を行き来する人が、光を遮ることによって起きる現象だったことがわかりました。だったらこの照明、手で塞いだらどうなるんだろう‥‥ 傘で遮ったら… 内部の反応は? 一瞬、頭をよぎりましたが行動へは移せません(笑)
光の筋にある途中の三角。外の光からは、その仕組みはわかりませんでした。
そのあと、こんなインスタを発見。わかったような、でもやっぱりわからない。三角は天井に描かれていたもの?
光の方向はいつも一定? そうか、固定だから成し得るのか‥‥
乃木坂に向かう帰り、教会は真っ暗になっていました。
一点の光る光が・・・
どこから見ても目に入る? これは計算なのか、偶然なのか・・・
闇となった教会に注ぐ光が「非常口」 ちょっとシュールでした。
見学する前、ここを通った時に撮影した写真。教会内、外壁にライトが当てられている状態。(2017.10.14)
■図録のサイン
何度か国立新美術館前を通り、その度に、ショップを覗き物色。お買い得と言われる図録。安藤忠雄のサイン入りです。どうせ、コピーでしょ。と思っていたら、一枚、一枚が違っているんです。これはすごい! 本気なんだ。いやまてよ‥‥ ホントに安藤が描いてる? そんな時間があるわけがないわよね。お弟子さんたちが書いてるんだろう。安藤事務所はそんなことまでしなくちゃいけないのか・・・・? 安藤のサインの練習とかも‥‥ いや、いくらなんでも、スタッフにそれはさせないか。学生バイト? それはないか‥‥
これ、私のアラ探し・・・・(笑)
図録をペラペラ何度か見たけど、海外作品は知らないものばかり。今回の図録はお得感あるかもしれないけど、私はいらない。パス! 直島関連記念に欲しいと思う気持ちもあるのですが、やっぱり、何度も見ても、心は動きませんでした。
ところが‥‥ 音声ガイドを聞いて、作品を見ていたら‥‥ 海外作品も、テレビでみたことがあるものが‥‥ あれ、知ってる! は見るテンションも上がります。他にも興味のある作品もあるし‥‥
「埋める」がキーワードの安藤作品。仏像をうめちゃったぞ~ 正確には、盛り土でラベンダーの丘で覆ったのですが、ラベンダーで覆われた姿、展示にないじゃない!
もう、時間がない。見切れない。音声ガイドも全部、聞けてない? 図録、買ってもいいか‥‥ きっと、図録にガイドの解説は載っていないとは思うけど。でも全体の概要がわかったから・・・・ よし、買おう! そんな変化をもたらしたのでした。
安藤の年代別、業績一覧。プロジェクト別の年表。こういうまとめが好き。作家の変遷が手に取るようにわかるから。こういうまとめをして欲しいって常々思っていました。興味があれば、自分で作ってきたけど、安藤忠雄は作るまでの気持ちはない(笑) でも、これ図録に掲載されてるよね。だったら買う! 私が図録を買う時は、この一覧が充実している時。その1ページのためにでも購入することもあります。しかし会場の図録を見たけど、乗ってませんでした。あわててるから見落としているかもの一縷の臨みを持って購入することに‥‥
サインは、どうせ、安藤が書いたものじゃないはず。でも、一枚、一枚を変えて提供するという心意気が気に入った! どれにしようか… 迷うまでもなく「直島」。以前、見た時は直島、一種類だった気がするけど、「直島(2)」なんてあるぞ。会期中に追加されたのでしょうか‥‥
いずれにしても、世界に30ほど、同時進行しているという。そんな安藤にサインなんて描いてる時間なんてあるわけがない‥‥ と思っているところに、奥から積み上げた図録を持って来た人が補充をしていました。バックヤードにはどれだけの図録が控えているのか‥‥ やっぱりあり得ない。でも、それでもいいや‥‥
あとでtwitterを見たら、急きょ、ギャラリートークが行われたみたい。もうイベントは終わりと思ってチェックしてなかったけど、ちょこちょこ時間をみつけて、会場にきてだみ声でトークをされていたもよう。
売場で悩みながら、どれにしようか迷っている若い人が・・・ 色は、こっちが緑で、こっちは〇色で・・・ こっちの方、色のバランスとしては、全体としてはいいと思う。でも、こっちもいい悩む‥‥
そんなこと言われると、私も悩んじゃうじゃないですか‥‥ 配色なんて考えずに選んでしまいました。緑がよかったかな。でもいいや、これで‥‥
戻ってからも、まだ考えてます。これはお弟子さんたちが書いたのか‥‥ 安藤事務所のスタッフは、師匠のサインの練習までしないといけないのか・・・・と。
他のサインを見ました。あっ、私と同じ直島だ! 緑だ・・・ サインの筆跡は違う。
私のサインと、じっと見比べていました。他にどこがどうちがうのか‥‥
わかった!
ネットの画像も探してみました
図録お買い得!と大宣伝していた。ご本人直筆だそう。私はもちろん直島を選んだ。マストですよ。 #安藤忠雄展 #国立新美術館 pic.twitter.com/iIZtamUPqN
— Kari Sinanen (@kari_sinanen) 2017年12月8日
焼物が手書きかプリントかを見分けるコツ。最近はプリント技術も向上し、かすれなどもまるで手書きみたい。しかし一枚一枚を比べてみる。全く同じか、違うか‥‥ それで一発でわかってしまいます。手書きとプリントでは価格が各段に違います。しかし、何枚かのお皿を並べると、手書きは明らかにわかります。一枚、一枚の表情が違うから‥‥ しかし、価格がめちゃ安い明かに手書きのお皿が‥‥ これどういうこと? この価格で手書きを出せるはずがない。
販売の人に聞いてみました。それは、下絵だけがプリントされており、若手がそこに着色をしているとのこと。形を描くのには年月がかかりますが、色つけは結構、できますから‥‥ なるほど~ そういうことだったのか。(最近、よく見かけるようになってきた波佐見焼に多い)
■最後に
アラを探して見て下さい。のガイドに沿って、こんなこと見つけちゃったもんね。を探しつつ鑑賞。他の人がみつけたアラ探しにも乗じながら‥‥ こんなことに気づく人はいない。私だけがみつけた。知ってる。しかし、だからそれが何だっていうんだ・・・ 他人から見たら、どうでもいいこと。単に自己満足なだけ・・・・
サインの秘密、みつけた! だからそれが何?(笑) コンクリート打ちぱなしが、コンクリートパネルなのと同じこと。
作品を見ていても、その成り立ち、構造にどうしても目が向いてしまうのは避けられないみたい。そして人の視覚をどうごまかすのか。(改め)コントロールするのか。人の目は、どのようにごまかされてしまうのか。そこを知りたいと思ってしまうのでした。そこにはどんな技術が存在しているのかとともに‥‥
私の目は、何を見るのか‥・ どこを最初に見るのか。ということを知らされた展示でした。
主張があるからそこに人が集まる。おもしろいと面白い人が集まる。ユニクロのレジ横のオリーブ募金。なんでオリーブ? なんて思いながら、何気なく見ていたけど、こういうつながりがあったのか‥‥
「建築家に植物のことなんてわかるわけがない」からスタートしたつながりは今に至りました。
「場所を読む」
ガーデンデザイナーもその土地、土地には「なりたい姿がある」と語っていました。ある程度の仕事をしていけば、比較的、その境地にはたどりつけるのだろうと思って見ていました。
ところが、サブトラック100番、世界を旅した安藤。
日本全国を回り、そして世界をあちこちにも自分の足で回る。その経験に基づく言葉なのだと思いました。その場に行くからこそわかることがある。見えるものがある。情報化社会。いながらにして世界の情報は手元に引き寄せることができます。でも、現地に行って見ること、感じることははかりしれない。
教会を建てて、寺院も建てて、宗教の違いをものともせず、世界に受け入れられていく。アメリカで平等院の水面に映る景色の元にした美術館を建て、認められ受け入れられ、増築を頼まれたのは信頼を得た証。
(中国からの依頼が多い・・・というのは、その土地、人のニーズを読めるから‥‥ と思っていました。ところが、臓器を5つとっても、こんなに元気。それにあやかりたいといって頼まれると語っているのは、安藤流のジョークか本当の話なのか・・・)
若い時に現地を回った経験が、今に生き、「場をよむ」という言葉に現れているのだと思いました。自分があちこち訪れる先で出会う、安藤やイサムノグチ。精力的に活動する人はその場にとどまっていない。だから、行く先ざきで出会うのだ。そんなことを感じていたことを思い出しました。
見て確かめておくことは大事‥‥
直島の現実。亜硫酸に焼けただれた山肌。今の直島からその姿を知る人はあまりいません。安藤は、この直島の展示でそこをどう表現するのか。最初にこの島でこれを見た時、何を思い、どう考えたのか‥‥ そこを知りたいと思っていました。果たしてその部分は、この展示で扱われるのか‥‥ 音声ガイドでもチラリと語っていました。
「亜硫酸で覆われた島。こりゃ無理。私は技術者だからそれはわかる。でも福武さんの情熱にほだされた」
映像にもその様子が挿入されていました。
銅の加工で発生する亜硫酸ガスで山肌の緑は失われていきました。
それはパネルでも紹介されていました。
素通りはされていませんでした。これで充分だし、この展示の中では精一杯のこと。できうる限りのことを示したと思いました。これで見た人が受け止められるかどうかは別として・・・
直島の現実を少しでも知る。昨年訪れたのは、それも一つの目的でした。(⇒『直島:再訪の目的は・・・・』コロコロさんの日記 [食べログ])
三菱マテリアル 直島製錬所のプラントの見学もして、なんとなくわかった気になっていて・・・・ でも、もっとリアルの現実があることも知りました。
現地に行ってみないとわからないことがあります。しかし行ってみてもわからないこともあります。当事者でなければわからないことが・・・・
そして新たな問題もありました。
「然るべき場を与えれば、アーティストは作品を持ってやってくる」と福武氏が語った。その現状が今の直島の姿だと安藤忠雄は語りました。
その一方で、アーティストが消費されているという現状。末端のアーティストにはしかるべきペイが伴っていない。潤っているのは‥‥という声も上がっている。そして、住民の声。儲かるのは結局‥‥
「人が集まる。5万人、7万人‥‥ すると島の人は、そこで金もうけをしようとする。うどん屋始めたり、民宿始めたり。じいちゃん、ばあちゃんたちが‥‥」
しかしお店を始めたのは、島外の人だったり、だんだん、設けられると思えば企業が参入、大学の研究の場として利用する。商機を読めるのは、一部の人。そして大きな組織に覆われていく・・・・ そんな声が現地に行くと聞こえてくるし、それを隠さずに示してしまうのもベネッセなのでした。
過去の町長が、イタコのように舞い降りてきて、元町長に語るという展示がありました。企業に言いなりになっていたらダメだ。自分たちもちゃんと考えないと‥‥ そんな展示をさせてしまいます。
実際に足を運ぶことで見える現実があります。安藤忠雄はそれをよ~く知っている人。
豊島のボルタンスキー曰く。「島にこなくてもいい」 絶対に、そんなことはない。行かなきゃわからないことがたくさん私はあると思う!
■参考
建築家「安藤忠雄展-挑戦-」レポート。国立新美術館で9月27日から - T-SITE LIFESTYLE[T-SITE]
住みにくい。でも安藤に建てて欲しいと思わせた安藤の価値と勝ち
■追記
(2017.12.12)建築はマテリアル
「光の教会」の建物内に入って、最初に思ったこと。
〇この光、どこからあててるの?
〇どうやってこの光の影を見せてる?
〇途中の▲はどうやって映し出してるの?
〇光がチラチラしているのはなぜ?
これ、作品を鑑賞しているのことになるんだろうか‥‥ どうやって作ったのか、どうやって見せてるのかを見ているにすぎない?
そして戻ってきてからは、このコンクリートはどやって作ったのか? 結局、私が最初に目につくところって、こういうとこってことなのか‥‥
今度、東京ステーションギャラリーで行われる、隈研吾の展示を思い浮かべていました。
「建築は、マテリアルだ」と語った隈研吾。まさにそのとおりの見方を私もしていることを、ここで感じさせられました。「美術作品は、素材であり物質」と感じていたこととともドンピシャ。
隈氏曰く。「コンクリートによって建築は・・・・」
これって安藤氏と真っ向勝負の態勢じゃない? 国立新美術館で大イベントを行った安藤忠雄に対する隈研吾の逆襲? 建築家同志の火花‥‥なんて勝手に戦いのリングを想定して楽しんでいました。(笑)
建築家はプライドが高いと聞きます。なんでオリンピックの競技場の選考で、私が審査をされなければならないんだ‥‥ きっと、そう思ってるに違いないと‥‥ 心の奥底で散らす火花。
しかし、何かを見ていたら、安藤をリスペクトしていると語っているのを目にしました。(ホント? こころの中の声)
どんな展示になるのか面白そう。
「建築は、マテリアルだ」
まさに、それを感じさせらてきたなぁ‥‥ そして、その先に何を見ているのかも少し感じさせてくれた気がした「安藤忠雄展」
今度は、「くまもの 隈健吾とささやく物質、かたる物質」がより楽しみになりました。
(2017.12.12)近代日本建築家の流れが知りたくなってきた
断片、断片で耳する建築家たちの名前。それがどういう関係にあるのか、しりたいなぁ…と思って調べたらみつかった。