コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■安藤忠雄:直島「南寺」 10年の時を経て視覚の仕組みを知る

安藤忠雄展」は18日までとなりました。展示の中で、直島のプロジェクトが紹介されています。安藤建築との出会いは、多分、2006年、直島訪問の時から。その時に見た南寺。そこでの体験が今につながり、安藤忠雄展「光の教会」の物の見方にもつながっていました。

 

以下は、「直島:家プロジェクト「南寺」 滞在中に3回鑑賞 改め実験」(2016/09/14)から転載、リライトしております。

 

*写真は、「安藤忠雄展」にて撮影可能なエリアで撮影したもの 展覧会とは関係のないテーマのブログ、SNSでも写真掲載可について確認済み

 

 

 

 直島の家プロジェクト「南寺」は、人気のスポットです。鑑賞の仕組み上、入館できる人数が限られ、時間制限されて、総入れ替え制がとられるため、状況によっては整理券が配られます。

 

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■10年前に見た南寺

〇最初に見た印象は、彼方へ

南寺は10年前にも見ています。そのため、どんな作品であるかはすでに知っています。知った上でこの作品を見たら、どう見えるのかというのが今回のお楽しみです。

今、これを書くにあたり、都合、4回、見ました。最初に見た時にどうだったかというのは、すっかり忘れてしまっています。

MIXI『南寺』で感じたこと。を見て思いました。私もそういう感覚で見てたのかも・・・ でももう、作品に対するとらえ方が全く、違うものになっています。



〇暗闇から・・・

ぶっちゃけてしまうと(以下、ネタバレ注意)

 

この作品は、真っ暗な暗闇に入り、中でじっとして時間を過ごします。

おそらく、そこで、何を思うか・・・ 感じるのか という内省的な作品なんだろうと思いながらそこに浸っていました。

するとこの暗闇が、自分は目をつぶっているから闇なのでは?と感じるようになり、それを確認するかのように、目を見開こうとするのですが、それが開いているのか閉じているのか、わからなくなってきていたということを思い出しました。

そして次第に、前方に、四角くぼんやりした光が浮かび上がってきます。ところが、これもまた現実なのか、幻影を見ているのか、よくわからなくなるのです。

暗闇という世界にひたって、何かが見えてきたのか、自分が目をつぶっていて、その瞼の裏で何かが見えていることのなのか・・・

よく目をつぶっていても、光が見えてチカチカすることもあります。そんな状態が、闇の中で作られているのかな・・・と、感覚がわからくなってくるのです。

そんな狭間でしばしゆれているのですが、次第にその浮かびあがった四角はさらにはっきり浮かびあがってきて、幻影ではないことがわかります。

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〇不思議な世界の体験

すると、「前に進んで下さい・・・」と言われ、前に進みます。そこに何があるのか・・・ということを体験するというのが、だいたいの概要です。

初めて見た10年前は、確か、地中美術館のジェームスタレルのオープン・フールドを見たあとに南寺を見学していました。

「ジェームズタレル オープンフィールド」の画像検索結果

出典:地中美術館 | アート | ベネッセアートサイト直島

 

同じアーティストの作品なので、なんとなくエッセンスが似てる・・・と思った記憶があります。


私たちに、視覚というものを、問い正している作品。見えているものの錯覚や思い込みを利用した作品・・・って思いました。

そして、前へ向かって集まってきた人の姿も、最初は影絵のように幻想的で幻影かに思えたのですが、次第にはっきりと見えてきました。



〇見るって何? 視覚は相対的なもの?

そこで、視覚とは一体何か? 人は何を見ているのか? 見るということは、どういうことなのか。「光」と「視覚の関係」。人間の「視覚機能」について考えさせる作品ととらえて、あとにしたのが10年前のことでした。



■10年たって見たら・・・

この作品のネタはバレています。仕掛けも知っています。しかし人間の感覚器は、それについていけるのか。どう反応するのか。

「たとえ仕組みを知っていたとしても、体の反応は、それに順応はできないだろう・・・」という予測を立てて2度目の体験をしました。


「知っている」か「知らない」か。 違う条件下で同じものを見たら・・・

 

〇見え方実験

自分にとって、もうこれは「アート作品」ではなくなっていると思いました。視覚の実験を試みる「装置」に変化していると・・・

「見る」という行為は、身体の感覚機能、生理機能を通してアウトプットされるもの。

アート作品の裏にある、見るという人間の身体機能を理解する。作品とは別の世界、身体の能力への興味に変化していたのでした。


同じ刺激を受け、脳の認知の有無によって、感覚器はどう反応するのか。


そのためか、mixiのコミュで書かれていたことを見ると、とっても新鮮というか、私も、最初はそんなふうに、感じていた部分もあったような気もします。

内観、内省、そして哲学的な世界へ飛躍して理解をする作品。今思うと、禅の世界への導きでもあるのかな? 5月に禅宗についての美術展も見てきたし・・・

ここは、南寺というお寺だったところです。もしかして禅宗のお寺だったりして・・・と思い調べてみたのですが、明治時代にお寺としての機能はなくなり、記録がないようでした。


この作品を、内に向かわせ、そして外へ向かわせるものとしてとらえるか、実験装置としてとらえるか・・・etc 受け止め方もいろいろです。



〇30分という待ち時間が、のちに思わぬ効果をもたらす

30分という時間は、中途半端な時間だったので、早めに列に並びました。時間が来たので案内されます。 

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▲こんな場所に並びます

 

右側の入り口から入りました。壁伝いに手を添えながら、右へ左へと誘導され・・・ その案内の指示と、手探りの状況から、この建物のの構造を想像しようと試みていましたが、皆目見当がつきませんでした。


「足に椅子がぶつかりますので、それにそって進み、 前の人とぶつかったら、そこで座って下さい・・・」という声に促されるまま座りました。

この空間には、何人ぐらいの人が、入ってるんだろう。この椅子って、何列ぐらいあるんだろう・・・



〇鑑賞開始

それから、しばし無言状態で待つことに。電子機器の電源は落とすように言われています。ところが、時計の文字盤についた蛍光塗料がわずに光りました。まずい・・・と、袖の中に隠しました。

でも、他の人で見えている人もいたなぁ・・・ これくらいの光は影響しないのかな?などと考えながら・・・



〇10年前と見え方が違う!

すると、ものの数分とたたないうちに、赤っぽい光が、ちかちかしてきました。
あれ? おかしい・・・  こんな光だったけ? なんだかよくわからないランダムが光が、炸裂しているのです。それは、線香花火のように全体としては、丸いような・・・ でも違うかな・・・

これ、意図的に発している光でしょ・・・ と確信していました。はっきりとした四角い青白い光が浮かび上がったのに・・・

おかしいなぁ・・・ 思い違いなのか、勘違いなのか・・・ そうか・・・ 10年間、同じような光を見せているわけがないか・・・ 違う光に変えたんだ・・・

と思っていたら、次第に四角い光が浮かび上がってきました。そうそう、これこれ・・・ これだったわ・・・

 

〇内部散策

そして、声かけがありました。「前方に光が見えてきたと思います。 それに向かって、前に進んで下さい」

(そんなこと言ったって、前にも座ってる人、いるんじゃないの? ぶつかっちゃうじゃない!  真っ暗なのに大丈夫?)

と思いながら、暗闇の中を進んでいきました。どうやら、前に椅子はなかったみたいです。

そして光の見えるあたりにたどり着くと、えっ? と思う構造を目の当たりにするわけです。しかし、私はすでにこの構造を知っているので、驚きはありません。

何気なく下を見ると、豆電球のようなランプの光が仕込まれていました。こんなに明るい光だったのか・・・ こんなにはっきりとした光を、外光の強い光から、暗闇に入ると、認識できなくなるというのが、人の視覚というものなんだ・・・

空をつかむような青白い空間に手をのばし、さらに背伸びまでして、伸ばせるだけ伸ばしても、その先の壁には、手はとどきません。どこまでこの空間は続いているのか・・・もうこの時は、周囲の人の顔の認識も、はっきりできています。

そして、こんな声かけがありました。

「この光は、入ってきた時と全く変わっていません」

そして、「え~、そうなの?」と驚くというしかけです(笑)

 

〇演出が違う!?

その仕掛けを知っていたのですが、「うそだ! 今回は、絶対に最初に光を放ってたはず」はっきり赤い、丸いような炸裂するような光が私はみえていました。これは、意図的に照射されている・・・と思っていました。

前方に向かって、両サイドの壁を見ると、壁に当てられた光、ランプも確認しました。この光が、チラチラ炸裂する赤い光を発していた・・・



〇見え方の個人差

そして、出口の方に向かうと、「何も見えない」と騒いでいる(?)人が、係員にたしなめられていました。

「人によって個人差がありますので・・・」

でも、私は見えないのよ・・・見えるまで、ここにいさせて・・・と言いたげでした。


同じ光の量でも、個々によって見え方が違う。わずかな光量で、「見える」「見えない」の限界と、その暗闇で、順応していく感覚器官の反応スピード。それは個人差もあれば、年齢的な衰えもあったり・・・

 

〇10年前と見え方が違ったのはなぜ?

10年前とは明らかに違う光が私には見えました。それは、知らずに見るのと、知って見るのとの違いなのか? これから何が起こるのか、知らされずに放り込まれる暗闇と、なにが起こるか知っている暗闇の違いなのか。

光が出てくることを知っているから、わずかな赤い光をすぐにキャッチできたということなのか。10年前にも同じ光は発せられていて、でも、知らないために慣れるのに時間がかかったのか・・・


そんなことを考えながら、10年ぶり「南寺」の体験を終えたのでした。*1

 

■しつこく見学

そして、今回は、これで終わりではありません。10年の年月を経て覚醒した感覚。明らかに「南寺」の記憶がもどったあとにまた「南寺」を体験したら・・・

ベネッセハウスに宿泊する特典の一つに、家プロジェクトに再入場できるというシステムがあるのです。それを使わない手はありません。

今は、10年という時を経ての「南寺」でした。ネタを知っていたとしても、その時間は、いろいろなことを忘れさせています。視覚は作品の仕組みを知っているということに、どう反応するのか。順応することはありませんでした。また、10年前の記憶と、今の見え方が明らかに違っていました。

その違いは、年月が感覚器にもたらしたものなのか、実際に、光が変わっているのか。以前は、最初の光の認識ができなかったのか・・・



〇再度見て、その直後に見る

2日後、同じように「南寺」を再訪し、さらには、見た直後に、再入場して、この作品を見たら、私の視覚はどう反応するのかを試してみようと思いました。

もう、こうなってくると、作品鑑賞ではなくなっている気がします。私の視覚、感覚機能実験です(笑)

そして、こういう鑑賞のしかたをする人、世の中広しといえど、そして直島に訪れる世界中からのアートファンが多いといっても、まずいないだろうな・・・と悦に入っていました。

これが、私のオリジナルなアートの見方・・・って(笑)



■家プロジェクト作品鑑賞ツアー

そして、願ってもない家プロジェクト作品鑑賞ツアーというのが、行われていることを、知りました。

それは、ガイドと一緒に本村地区を散策しながら、島に暮らす人々の営みを感じつつ、作品を鑑賞するというツアーです。島の歴史なども解説していただきながら、個人で得られない発見ができるというもの。

直島に到着した日に、家プロジェクトを一通り、個人で見て回っていました。最初からこのツアーに参加すると、より理解を深まったかもしれません。

しかし幸いなことに、ベネッセハウスの宿泊者は、何度も家プロジェクトの見学ができるのです。

この特典を生かし、再度、家プロジェクトを見学。最初に何も知らずにまずは見て、それから、スタッフの解説を聴きながら理解を深めるというのはいいかも・・・ 最初に気づけなかったことなども、たくさんのなるほど~の体験ができそうです。

このツアー、家プロジェクトの1000円のチケットに、ガイドツアー参加費が、970円かかりますが、再入場の場合宿泊者は970円だけでいいのです。 

しかも、一番の目的だった「南寺」見学もツアーに含まれており、整理券など取得せず、ツアーに参加すれば、待ち時間なしで参加できるというのです。 



〇ベネッセハウス宿泊者専用のツアー

このツアーは、13:30~15:00まででした。ところが、ベネッセハウス宿泊者専用に、午前中に別枠で行われていたのです。宿泊者用のツアーは、9:40~11:15 それによって、午後の時間が有効に使えるようになります。

ツアーが始まる前に、相談しました。「南寺」は10年前にも見学していて、2日前にもすでに見学をしていること。でも、このこのツアーの「南寺」見学が終わった直後、
なるべく時間を置かないタイミングで、もう一度見学したいという希望を伝えました。

整理券はどのタイミングで確保すればいいか伺ったところ、その場から「南寺」に電話をして、終った直後の時間を、手配をしていただきました。南寺まで、再度、行って帰ってという往復を覚悟していたので、ベネッセハウスに宿泊をするということは、なんという、手厚い融通がきくのかと・・・宿泊者ゆえの対応なのか、そのあたりはわかりませんでしたが・・・



〇ツアー参加者は3人

宿泊者用ツアーの参加者は、私と2人組の3人でした。主人は、休みの関係で先に返り、私は、宿がせっかくとれたこともあり、一人で泊まることにしていました。

もう一組の方たちが、終わった直後の「南寺」の整理券を、ベネッセハウスのフロントで確保されていました。これまた宿泊者特典として、「南寺」の整理券を、前日のうちに時間指定して確保することもできるのです。

このツアーが「南寺」もツアーの巡回に入っていることをご存じなかったため、二重にとられてしまったのだなと思っていたら、私と全く同じことを考えられて整理券を確保されていたようでした。見たあとにまた見る。

こんなこと考える人は、まずいないだろうと思っていたのですが、同じことを考える方と、鑑賞ツアーで遭遇してしまうという奇遇。自分だけじゃなかったのか・・・という気持ちもありましたが、そういう方とご一緒に回れるという期待もありました。

(その後、六本木のナイトプロジェクトに作品展示されていた顔ぶれの中にいらしたような… よく似ていました。めちゃくちゃくわしかったし、杉本博さんのこと、六本木海界隈のこともいろいろご存知でした)


■家プロジェクト作品鑑賞ツアーで2度目の鑑賞

直島滞在してから2度目、家プロジェクト作品鑑賞ツアーで訪れる「南寺」は、顔パス状態です。

整理券をもらったお客さんが並んでいて、入館が終わったあたあたりに、時間をぴったり合わせるかのように、われわれが到着。そのまま、待つこともなく館内に入れました。

前回は、左側のブースでしたが、今回は右側です。

誘導されながら、壁伝いに行きますが、2回目なので、なんとなく館内の構造が見えてきます。ベンチらしきものが、何列もあると思っていたのですが、それは1列だけということがわかりました。

そして、暗闇たたずむのですが、今度は、あの赤い光が全く見えません。仕掛けがわかってしまっているから見えたと思っていたのですが、今は、見えないのです。意図的にあの光が発光されていると思っていて、それを確認しようとしたのに、今度はあの光が見えないのです。

左右のブースの違いなのでしょうか? と思っていたところでわかりました!



〇待つ時間も、鑑賞に影響を与える

2回目の違いで一番、大きかったのは待ち時間です。今回は、すぐに入館しました。2日前は、15分ほど「南寺」の薄暗いスペースで待ってから入館しました。

この待ち時間に、サンサンと降り注ぐ太陽を避け、建物の影となった場所で、目が慣らされていたということだったのでした。

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脳でわかってはいても、感覚器はそれに追いつけないということなのでした。


そして、漠然と考えていたのですが、今回のツアーのスタッフさんも、一緒に参加しました。こうした仕組みを知り尽くして館内を案内しているボランティアの方たちは、毎回、これらの作品はどのように見えているのでしょうか?


これも、ベネッセハウスの特別ツアーのよしみ。ガイドツアーのスタッフさんに聞いてみました。



〇何度も体験している人にはどう見える?

何度、入っても最初から光が見えるようにはならないそうです。ただ、感覚的に、あのあたりから浮かんでくるのかなぁ・・・・というのはわかるようになっているので、そのあたりに見えてくると言われていました。



〇私が気づいたこと

個人で整理券を確保すると、待ち時間があるので、そこで暗さに慣らされることが、見え方を変化させるのでは? と思ったとお話しをすると、

「お客さんのご案内は、まず右から人を入れて、一杯になったら、左側なのだそう。右側に入った人は、待ち時間が長くなるので、暗闇により慣れる時間がある」というのも、影響したかもしれませんねと教えていただきました。


なるほど・・・ 見え方の条件は、オペレーションによっても、左右されそうです。



■直後の3回目は?

ツアー解散をしてら、すぐに南寺に向かいました。整理券を持っていく必要もなく、話しを通してあるので、声をかけてもらえばいいと言われました。行くとこれまたすぐに、右側にお入り下さい・・・と。

そこで、さきほど、右側だったので、左側でもいいですか? と伺うと、左を一杯にしてから、右に案内するので、難しいと・・・・

そして、立ってご覧いただくことになりますとお断りされ、案内をしていただきながら、しっかりこの建物の構造を把握していました。

そして、中に入るにあたっては、よく映画館の暗闇に慣らすために、片目を手で覆っておくといいと言われます。それと同じように、片手で片目を覆ってみました。

ところが、3回目もまた、最初に見えた赤いチカチカは見えなかったのでした。


前方の自由鑑賞になった時に、椅子の方向に向かって、どういう構造になっているのかしっかり確認をしてきました。うすぼんやりと、椅子がどういう状態なのか、確認ができました。

ところで、3回目の案内では、「光は入った時と同じで変わっていない」という説明がありませんでした。

それ言わないと、この回が初めての人は、消化不良でなんだかわからないのではないかしら?

「南寺」・・・

その見え方は、いろいろな条件が関与していて、ボランティアさんがどのような案内をするかによっても、捉え方は変わってきそうです。


人の感覚器というのは、たとえわかっていても、その環境に反応するのには、時間を様子することがわかりました。



◆鑑賞を左右する因子

 ・待ち時間
 ・右ブースか左ブースか
 ・どちらかを選択的選びたいなら、同じ回の前の方に並べば左ブースに
 ・ボランティアの案内

その他にもきっとありそうです。

ボランティアさんたちのオペレーションが違うというのは、ちょっと探ると散見されているようです。「何も解説されなかった・・・」という人もいるようです。


「光が見えたら、そこに向かって歩いて行ってください」と入る前に説明されて、勝手に歩くというパターンもあるよう。

興味深かった話は、混んでいる場合は、早く回すために、光を強くして、すぐに見えるようにしていることがあるとか。もしかしたら、最初に見た赤い光は、そういうことだったとか?

 

■ANDOU MUSIUMで図面確認

3回目に体験した感覚と、想像した建物の構造を頭に描きながら、ANDOU MUSIUMに行きます。すると「南寺」の図面があるので、それと照らし合わせると自分のイメージしたののが、どこまで近づいているかを確認できます。

あの中で体験した身体感覚と、暗闇の中で見えた椅子のまわりの状況。そしてあの手の感覚だけで、闇の中をおそるおそる伝った壁の構造を確認して、なんとなく「南寺」の全貌をつかめたように思いました。



さて、このあと10年後に、この作品を体験した時に、私は何をここから、得るのでしょうか?また何か、そうだったのか・・・という秘密を見つけることができるでしょうか?


待ち時間、アイマスクをして待っていたら・・・


そんな鑑賞をする人なんで、きっと前代未聞かも(笑)




【参考】「南寺」についてのいろいろ
直島 家プロジェクト そして南寺へ

 

  

安藤忠雄展を見て(2017.12.11)

安藤忠雄展が行われる。10年前に見た安藤忠雄の建築「南寺」 そこで何を見ていたか。そして今回の展示のメインコンテンツ「光の教会」 

 

それらの作品をどう見るのか。物の見方は変わっていない。元から見るところ、気にかかることが違っていたことを知りました。作品と光と視覚の関係。

 

時を経て、美術館の照明という視点得てから見る作品。視点は同じではあるけども、その深さがちょっと深まったかも‥‥

 

なんだか、作品を見ていないで、どう見せてるいるのか。そこが最初に目に飛び込んで気になっていることに気づかされました。

 

 

■補足

*1:【追記】2021.03.15
最初に赤くちらちらと見えた光は非常灯だったようです。

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