東京都国立博物館で、毎年展示されているという長谷川等伯の《松林図屏風》を、お正月に見るのをライフワークしようと思うという記事を書きながら(⇒■博物館に初もうで : 毎年《松林図屏風》を10年見続けたら何が変わる?)そのうち、感想をと思っていたら、展示は、1月15日に終わってしまいまったとのこと。しかも1月も終わり。せめて2月になる前には・・・・と思ったのですが(笑)
- ■長谷川等伯の《松林図屏風》って有名なの?
- ■第一声 えっ? これが・・・・
- ■遠くから次第に近づいていくと
- ■近景 遠景で見え方が全く違う
- ■空白部分に描かれているものは?
- 【追記】(2017.02.04)空白のとらえ方
- ■関連
- ■脚注
■長谷川等伯の《松林図屏風》って有名なの?
▲ こんな感じで人はひしめいています
長谷川等伯 《松林図屏風》 ってご存知でしょうか?
私は知りませんでした。昨年のお正月に知りました。建物ののエントランスのところで、案内の方に「曽我等伯はどこですか?」と聞いたところ、レスポンスがなんだか悪いのです。(東ハクのお正月の看板アイテムだというに・・・)と思いながら、「松の屏風なんですけど・・・」と伝えると、すぐにご理解いただけて、ご案内いただけました。あとで「曽我蕭白」と混同してしまったことに気づき冷や汗・・・ 「長谷川等伯」のことですね。と訂正されることはなく、ご案内をいただきました。気をつかわれたのでしょうか? (笑)
■第一声 えっ? これが・・・・
《松林図屏風》実物を見たらさぞかし・・・ とすっごい期待を持っていました。ところが、嘘偽りない印象を言うと、これですかぁ・・・・ ちょっとイメージと違いました。どこがどうとはいえないのですが、もっと幽玄で、なんていうのかなぁ・・・・ 深みがあるっていうのか・・・・ 何も描かれていない空間に、得も言われぬ何かが存在して、う~ん、やっぱりすごい! って感動するという、自分の中で、シナリオが出来上がっていたのですが、どこか、何かが違うのです(笑)
左隻
《右隻》
■遠くから次第に近づいていくと
あの人混み状態なので、すぐに近くでは見ることができず、遠くから次第に近づいていきました。近づくにつれて・・・・・
左隻 三扇(右から3番目)の松に注目しながら近づきます
↓ ここ
▼近づいてみると ↓
▼筆あとが見えてきました
▼えっ? これって・・・・?
▼勢いがある筆さばき といえばいいのか・・・
荒い筆致というのか・・・
このポジションでは、どちらにも受け止めることができました。ただこの筆致があるからこそ、全体の雰囲気を引き締めているようでもあり、どこかモネを感じました。
それは、見る前に感じていたぼんやりとした印象との共通ではなく、筆致という部分での共通性でした。(前日、ポーラ美術館でモネを見て、細かく、筆遣いの拡大撮影してきたことが影響していたかもしれません。)
▼もっと近づきます
これはどう理解すればいいのでしょうか・・・・
私は、思わず、雑・・・・って思っちゃいました(曝) なぐりつけたような筆跡に、なげやり? 乱暴? という言葉が浮かびました。モネの筆致との共通性を一瞬、垣間見たけど、それとは違う・・・・
これ、下書き・・・って話があるって聞いてたけど、確かに下書きっぽい。とりあえず、サササと、描いてみました的な・・・(笑)
▼葉先の表現が絶妙・・・繊細な先割れ状態
さらに接近すると、その印象は、また覆されて、ガラリと変わりました。
これを繊細というのかどうかはわかりませんが、一見、荒く見える松の葉先が、本当にこまやかに描かれていて、筆あとの一本、一本が見えているのです。この細いこの葉先は、どうやって描かれているのでしょうか? この部分の表現法が妙に気になりました。
wiki pedhiaを見たら、 藁筆や、使用しても洗わずに固くなった筆を用いたとも
言われていると記載がありました。
■近景 遠景で見え方が全く違う
私はこれは、墨のモネバージョンだって思いました。(時代はモネの方があとになりますが)筆の一筆、一筆が連なって、画面全体の一部を構成をする。その部分が全体を引き締めている。この筆致があるから、この絵に深みが出ているし、全体のバランスをとっているのだと思われました。
一見、荒々しく雑にも見えてしまう筆致。しかし、よ~く見ていくと、繊細に先端が描きわけられていたのです。ところが、それを遠目で見たら、全く感じさせず、全体の雰囲気を作っている。もう一度、遠景で見た写真を掲載してみます。
この屏風の松が、実はあのような筆遣いで描かれているなんて想像できません。
ごく間近で見たらこれなんです。
接近するまでに受けた心の印象をたどってみると・・・
「な~んだ・・・・ 《松林図屏風》ってこんなもんだったのか・・・
海北友松の方が私は、すごいと思うな・・・」
「あれ? 松の描き方、筆あとが見えるけど(なんだかモネっぽい気が・・・)」
「う~ん、でも、これ、どっちかっていうと、雑に見えちゃう気がするなぁ・・・
こういう筆遣いを、言いようによっては、力強くて荒々しい筆致
なんて表現するのかもしれないけど、私にはそう見えない(笑)」
「さらに近づいてみると、「雑」さ加減が、またまた強調されてきた? (笑)」
と思った最後の瞬間、
「あれ、実は、これ、こんなに細やかに描かれたいた?!
この筆致、どうやって描いたんだろう? これが等伯たるゆえん?」
とジェットコース―ターのように下がったり上がったり
印象がアップダウンしながらの鑑賞でした。
ちなみにモネの筆致はこんな感じ。等伯を見た前日に、ポーラ美術館のギャリートーク駅伝で撮影したものです。何点かのモネ作品の筆致を、何枚か撮影していたこともあり、等伯がモネの墨バージョンだって思いました。近くで見ると、一見、荒い筆のタッチだけでなんだかわかりませんが、遠くで見たらこんな感じになります。
↑ 橋の下の水面部分拡大 ↑ クロード・モネ 《睡蓮の池》
(写真は ポーラ美術館にて 撮影・他展示会への掲載許可済)
■空白部分に描かれているものは?
日本の水墨画における最高傑作 と言われているという《松林図屏風》 水墨画がなんたるかがわからずに見た海北友松にえらく心惹かれ、その真骨頂は、空白の部分だと思っていました。海北友松の墨絵を初めて見た時の衝撃。それは何も描かれていないと思っていた空白に、よくよく見ないと気づかないいろいろなものが描かれたいたことを知った時の驚きでした。⇒【*1】⇒【*2】何も知識もない時に、名前も知らなかった絵師の水墨画、しかもレプリカを見て感動をしてしまうのだから、水墨画の最高峰と言われる長谷川等伯の《松林図屏風》の作品はいかばかりか・・・・ という期待は最上級に達していたのでした。
そこで《松林図屏風》の空白部分に注目してみます
う~ん・・・・ もっと深みがある空白が描かれているものとばかり思っていたから、ちょっと拍子抜け。(海北友松のようなサプライズ的に描かれていると思っていたので)
ちなみに海北友松の空白は・・・・
▲一見しみだらけの襖に見える ▲中央線が水面となった鏡面仕上げ
(写真は撮影自由)
▼お借りした写真による全体像
襖中央の水平線が、水面となって景色が反射した光景が描かれている
○Sansui zu 建仁寺 方丈 山水図襖
⇒出典:まさじの写真回廊2より
▼《松林図屏風で》何だろうと気になったところはここ。でも何かわかりません
とりあえず混雑を避けるために、他の展示を見たりしながら、行ったり来たりして、閉館間際の人のいなくなる時間を狙って待っていました。が、人の波は途絶えることはありません。
行き来しながら、他に気づいたこと、あれ? もしかして・・・と思ったことなど、続きはまた改めて・・・(続)
⇒ ■長谷川等伯:《松林図屏風》 感想② 2017年 描いたのは海岸? 山並み?
【追記】(2017.02.04)空白のとらえ方
これまで「空白」というものは、感覚的にとらえていたような気がします。そこから何を感じるか。それは見る人の経験や感性によるもの。そして日本人のDNAの中には、みえなにものを見る目、感じる感性がそなわっているように思います。言葉にできないけども、何かを感じる力がある・・・ でも、それは感覚的なもの。
ところがその空間表現を技術として見てしまったのが、「海北友松」でした。感覚的にとらえていた「空白」という表現を、「技術」として見てしまった。それにより、等伯は、空間の表現にどんな技術を用いているのか? 海北友松とは違う手法で、私たちにどんなサプライズを与えてくれるのか。
本来、感覚で感じる「空白」ではなく、見る「空白」、技術として描かれた「空白」を求める。そんな視点で見ていたことに気づきました。海北友松のように、感覚的にもすばらしいのですが、その上で、さらに表現方法、技術としての「空白」。
それ以上の技術が等伯にあって、私がそれを「発見できた!」という愉しみを期待していたのでした。ところが、それを見出すことができなかったため、な~んだ・・・と思ってしまったようです。
ところが、細部を見ていくにつれ、総合効果、相乗効果による空間の広がりがみえてきたように思います。
■関連
■長谷川等伯:《松林図屏風》 感想② 2017年 描いたのは海岸? 山並み? ←次
■脚注
*1:■ 建仁寺:⑥山水図 間抜けな襖絵だと思ったら・・・
↑ 空白ばかりの水墨画 「間」にしては、あまり間の抜けた絵・・・と思ったらそこには、壮大な絵が描かれていたことに気づき、水墨画というのは、こういう世界観を持っているのだと思っていました。
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*2:■
■海北友松:《雲龍図》 建仁寺の襖は****だった - コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記
↑ 一方、迫力ある雲竜図の背景にも、描かずに想像させるという手法があり、これまた日本の水墨画のすばらしさだと思ったのでした。
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