東博で行われている夏休み企画 親と子のギャラリー びょうぶとあそぶ に7月の半ばに訪れました。そのあとも2回ほど見ました。高精細複製による新しい日本美術体験と題したこの展示、行くたびに新たな発見があり面白さを感じさせられました。
長谷川等伯の有名な《松林図屏風》の展示です。しかし「どうせ複製でしょ・・・ 本物じゃないんでしょ・・・」 そう思ってしまったら、そこでおしまい。目の前に繰り広げられるいろいろな仕掛けを見逃してしまいます。この展示には、いろいろな工夫がいっぱい隠されています。こんなところに?! という驚きが、見るたびに出会えます。じっくり立ち止まり、可能なら何回も見ると一期一会のサプライズにも出会えるはず。そんな発見してみませんか?
本物とレプリカについても、一度、考えてみてはいかがでしょうか?
■本物とレプリカ:「レプリカ」が本物として展示されたら見抜ける?
- ■畳に座って見る《松林図屏風》
- ■レプリカの《松林図屏風》は本物にどこまで迫れるか?
- ■この松林はどこの松林を描いたのでしょうか?
- ■見どころ満載
- ■映像の鳥は何?
- ■五感で楽しむ
- ■似て非なる映像
- ■解説写真
- ■参考 同じ展示も見方はいろいろ
- ■関連
- 【追記】2017.08.15 ふと思い出した 杉本博司「松林図」 2001年 ベネッセ
- 【追記】2017.08.15 本物とレプリカの同時展示
- 【追記】2017.08.18 屏風の和紙の質
■畳に座って見る《松林図屏風》
本館 1階 特別5室 で「松で遊ぼう」では、《松林図屏風》の高精細複製画とともに巨大スクリーンで遊ぶ体験型の展示です。(⇒「松林図屏風」の世界を体感! 本館特別5室 「松林であそぶ」)大きさは高さ約5メートル、直径約15メートル。屏風とスクリーンで長谷川等伯が描いた世界を体感するという試み。
畳に座ってみるという、屏風ならではの鑑賞を体験できます。屏風と全く同じレベルで目の前に立って見たのは初めてです。屏風が立っている高さと、自分が立っている高さが全く同じ。これはとても新鮮でした。また、日ごろ屏風を鑑賞するときには、中腰になって座った高さで見るのですが疲れてしまいます。ここでは、畳の上に座って見ることができます。
屏風はお正月の展示よりも小さく見えたように感じました。
お正月に見た《松林図屏風》はこんな感じでした。↓
こころなしか大きくみえないでしょうか?
■レプリカの《松林図屏風》は本物にどこまで迫れるか?
私が一番、確認したかったのは、お正月に展示されていた《松林図屏風》のあの松の葉の表現は、高精細デジタルでどこまで再現できるのかということでした。松の葉の投げつけたような粗い筆致。それをデジタル画で、本物と違いがわからないくらいの再現ができたのかということでした。
まずはこちら。この《松林図屏風》は、本物でしょうか? レプリカでしょうか?
さてどちらでしょう・・・・ これだけを見て判断するというのは、ちょっと難しくないですか?
▼【1】
つぎにこちら。この松はいかがでしょうか?
▼【2】
同じ部分の拡大率の違うものですが・・・
単独の一枚写真を見て、次にもう一枚を見る。2つ並べて比較をするとどちらが本物か、わかってしまうかもしれません。食べ物も単独では違いはわかりませんが、2つ同時に食べ比べをすると違いが顕著になることがあります。
2つ並べていますが、それぞれを個々に見たと想定して、判断をしたら、どう見えるでしょうか? どっちがレプリカで、どっちが本物か・・・・ 答えはのちほど紹介します。
〇レプリカという先入観を持って見ても高度に再現されている
最初にこのレプリカの屏風を見るのに「これは本物だ」と思って見るようにしました。(そうは言ってもレプリカだということはわかっているので、どうしても心の奥底ではレプリカだと思っているわけです。)
そのため、どんな感想を持ったかというと、これを「本物だ」と言って、ガラスケースに入れて展示をしたとしても、きっとわからないんじゃないか。おそらく本物として通用してしまうと思いました。レプリカだと見抜ける人は、まずいないだろう・・・と。
お正月に展示された、松の葉の粗い葉の表現を、いろんな角度から撮影していました。
上の4枚の写真は本物の《松林図屏風》です。
これらの記憶をたどりながら、今回のレプリカの屏風を照らし合わせても、この藁で描かれたという墨の筆致が、とてもよく表現されていると思いました。レプリカの技術でこの筆致をリアルに再現するのは、さすがにむずかしいと思っていたのですが、いやいや、どうしてどうして・・・ここまでの表現ができるという驚きがありました。
そんなわけで先ほどの答え合わせです。【1】と【2】 どちらがレプリカだったのか・・・・
正解は・・・・・
両方ともレプリカです。
ちょっとしたひっけ問題でした。2つの屏風があって、「どちらかが本物で、どちらかがレプリカ」と言われたら、そう思って見てしまわないでしょうか? 両方ともレプリカだと見抜けた方はどれくらいらっしゃるか個人的に興味があります。レプリカとは見抜けなくても、2枚は同じ条件で撮影されているのではないか。あるいは、同じ屏風を撮影したものでは? と感じたら半分正解です。
作品を見る時の先入観。ということについて、考えながら見るというのも、今回、面白い鑑賞の視点ではないかと思っています。
改めてレプリカと本物を並べてみます。どっちが本物?
▼【1】
▼【2】
【1】がレプリカで 【2】が本物です。
【2】の本物の写真のピントが甘いため、こちらがレプリカだと思われる方もいらっしゃるかも? あるいは、本物の拡大写真をその前に示しているので、写真の背景の色のトーンから判断できるかもしれません。2枚を並べて見るというのは、いろいろ比較要素が増えるので判断もしやすくなります。しかし、単独で、「本物か」「レプリカか」と言われた時、それを判断できるかどうか。そういう視点で見ると、これからの作品の見方も変わっていくのではないでしょうか?
いずれにしても、精細な筆致が高精度で再現できていると思いました。
拡大倍率が違いますが、▼こちらは本物です。
▼そしてこちらがレプリカ
わかって見てしまうと、レプリカはレプリカに見えてしまうとう不思議・・・・
〇紙質を見てみよう
本物とレプリカの比較のポイントに、「紙質」があげられます。これまでいくつかの高精細複製画を見てきた経験から、絵の再現がかなり高度だと思っても、紙質がツルンとしていて、それに強い光があたると、その光が反射されて光沢になって見えてしまうことがありました。それによって複製だとわかってしまうのです。
⇒■(2017/07/11) / [06/26] そごう美術館:司馬遼太郎展 本物とレプリカ
こちらの屏風は、どんな紙質にプリントされているのでしょうか? 和紙に描かれているのか・・・紙の継ぎ目はどうなっているのかと、間近に寄ってみました。しかし、照明が落とされた館内では、いいぐあいにそのあたりがごまかされているのです(笑) よくわからない状態でそれがまたよい感じになっていました。
ある程度の光があれば、光沢のある紙にプリントされた場合は、光の反射で紙の状態が確認できます。こんなところから、レプリカであることのシッポがつかめるのですが(笑) 今回は、それもわかりませんでした。上映の間に4分間のインターバルがあり、照明が明るくなる時間帯があります。その時にも確認したのですがわかりませんでした。
〇松林図のちょっとつうな楽しみ方 (2017年08月16日)
⇒映像の間にインターバルの時間、照明が変化していてそれを楽しむ方法が紹介されています。
印刷や金箔加工に最適な和紙の開発に加え、絹にも印刷が可能となっているとのこと。
■この松林はどこの松林を描いたのでしょうか?
そうこうしていると、上映が始まりました。
墨絵の世界が着色され、桜の花びらが舞い、木々が紅葉して葉は風に飛ばされます。そして 雪が降り出すというように、季節は春から夏、秋、冬と変化します。画面の中では鳥がとびかっています。
この映像から問いかけられたことは・・・・ ここはいったいどこなのかです。
〇お正月の展示で調べてた
松林図はどのような場所にあったのか。それを映像化した展示だという触れ込みを開催前から見ていました。「ここはどこ?」この疑問については、お正月にこの屏風を見た時に、私も感じていたので自分なりに調べていました。
当初、この松林は海岸にある松林だと思っていました。ところが実際に屏風を見たら、海岸の松林ではないと感じたのです。実際に等伯が描いた松林の海岸線は存在しているのか? という疑問を持ってあれやこれや調べたり考えたりしていました。これは実在する景色ではなく、等伯の心象風景なのではないか? そんなふうに思うようになりました。
海岸線の松林だとしたら、今、その松林はどういう状態になっているのか。屏風と違う状態なら過去は、どんな状態だったのか。観光協会にまで問い合わせていました・・・ その経緯がこちらにあります。
⇒■長谷川等伯:《松林図屏風》 感想② 2017年 描いたのは海岸? 山並み?
〇特定はされていない 心象風景
結局のところ、これがどこであるかというのは特定はされておらず、いろいろな説があるということがわかりました。そして私が出した答えは最初に想像したとおり、海でも山でもない。等伯の「心象風景」であるという確信に至ったのでした。私の答えはすでに出ています。描いた松林は実在はしていない。等伯がみたいろいろな風景が混じりながら、心の風景として描いている。
ところが、この映像によってこんな景色だったんですよ。それは海岸線なのか、山並みなのか・・・どのような見解が示されるのかわかりませんが、「心象風景」だと自分なりの答えを出してしまっているのに、そういう決めつけられた映像を見せられるのはちょっとなぁ・・・というのが見る前の正直な気持ちだったのです。
ところが・・・・
〇仮説が網羅された映像
私がここはどこなのだろう? と自分なりに考えたり調べたりしたプロセスの仮説の全てが映像の中に盛り込まれていたのです。そして、観光協会の方から聞いたあのお話、等伯の心象風景では? というのが有力(?)らしいのですが、「個人的にはここではないかと思っているんです」という見解も映像の中には盛り込まれていました。ちょっと感激してしまいました。決してこの展示は、「等伯はこんな景色を描いたのです」というおしつけでの映像ではなかったのです。今、考えられている「ここはどこ?」という可能性のほとんどを網羅して映像の中に盛り込んでいたのでした。その上で、自分はどう感じるのか、それを考えてみて下さいという展示なのだと理解しました。これはすごい!!
〇主催者からのお話がWEDGEに!
そして、先日、こんな記事を見ました。
日本最古の博物館のチャレンジ『びょうぶとあそぶ』 WEDGE Infinity(ウェッジ)
この試みはキュレーションの線上にある。デジタルで足した部分は、プロジェクション・マッピングや拡張現実(AR)や仮想現実(VR)などの技術を使ったデジタルアート、あるいはインスタレーションといった独立した芸術作品とは違う。「文化財のひとつの見せ方であり、それも勝手な解釈ではなく、研究者として解釈した日本文化の文脈上に載せている」
私が調べた過程で見た仮説と同じ…と思ったのは、決して偶然ではなかったのです。研究者が解釈した文脈に載せられた映像。それをちゃんと私、理解できてたじゃない!(笑)
「これは研究者としての解釈ではあるが、その解釈を説明するためのものではない」と小林課長は言う。「ワークショップも感じる心を刺激するため、想像して見る心を刺激するためのもの」と、教育を担当する立場からの狙いを説明してくれた。
いろいろな可能性の提示であり、自分で考えるためのヒントとしての提供だったのです。
【参考】
キヤノン:綴プロジェクト|びょうぶとあそぶ|松林図屏風の背景に広がる風景
■見どころ満載
〇季節はいつ?
そして、季節はいつなんだろう・・・・ 屏風から感じられた季節は冬でした。しかし東博の展示では、夏をイメージして提供されるのだろうと、限定的にとらえていました。ところが、春の桜吹雪から夏に。そして赤く色づいた秋の紅葉。雪がちらつき気が付けば、あたりは一面、雪景色の冬。モノクロの世界に戻りました。季節の移り変わりがすべて盛り込まれており、美しい自然が描き込まれている力作でした。季節は常に変化している・・・・ 屏風で表現されているのは限られた時を表しているわけではない。見えない時間の変化も表現していることを教えられた気がしました。
そして、2度目、3度目と繰り返して見ていると、その度にいろいろな発見があるのです。面白いと思ったのは、その場を共にした方たちの鑑賞スタイルの違いよってもたらされるサプライズでした。
〇鑑賞スタイルが違う
大抵は、みなさん屏風に近づくことなく遠巻きに鑑賞されています。
なんとなくこのあたりに、日本人の気質が出ているなと思いながら見ていました。屏風の目の前でかぶりつき状態で見る人はいません。背後で見ている人へ配慮を無意識のうちにしているのだと思います。ちょっと離れた状態で鑑賞するのです。そして上映が終わると、ぞろぞろと近づいて観察します。しかし次が始まるとまた、屏風から離れて鑑賞するというのが、ほとんどの鑑賞スタイルでした。
ところが、ある回ではその行動が全く違ったのです。インターバルの時間に、思い思い観察しながら見ています。ところが次の上映が始まってもそのままの位置で動くことなく鑑賞していました。私もこの時、初めて屏風近くで映像を鑑賞することができました。これまで何度も見てきたのですが、このポジションでの鑑賞は初めてです。その場に居合わせた人の好奇心。もっと近づいて見たいという顕著な見方が見られると場の空気が変わるのを感じました。
こんな状態で映像を見ました 上映中でも近づいている人がいたり
〇風が吹いてきた!
この距離感で見るのは初めて。すると、あれ? 風? どこからともなく風が吹いてきました。気のせい? いや、本当に風を感じられるのです。この風、どこから吹いてるのかしら? とあたりを見渡すと・・・・
ありました! ↑ この送風機からでした。
この送風機の回りで見た人だけのサプライズなのです。
これまでずっと、遠巻きで見ていたのでそんな仕掛けがあったことなど気づきませんでした。
〇映像の仕掛けもいっぱい
また、屏風の目の前で映像を見ていると、映像にも細やかな仕掛けがされていたことに気づかされます。
↑↑
モノクロの世界から色づき始めた春の景色の中、小さな動きがあることに気づかされます。中央あたりからのろしが上がりました。あちらでは水が流れていたり・・・
スクリーン一杯に広がる桜吹雪や雪のちらつき。それらは屏風の中にも風にのって流れていく様子が手にとるように見えます。屏風の目の前で見ているからこそわかる映像です。 作り手そんなところにも、配慮していたのです。
遠巻きに見ているだけではわからない細やかな画像の動きが描かれていました。離れて見る人ばかりの中、屏風の前で見るのは勇気がいります。ところが一緒に見る人の好奇心の度合いによって、場の空気が変わり、一期一会の画像を見ることができたのです。
「後ろから見る」「中央で見る」そして「勇気をもって、屏風の前で見る」その度に新しい映像の発見があります。
ラストでは、鳥の目線になって松林を潜り抜けます。鳥が松林の上空をとびかったあと松林の中に入り込んで、海岸線に生えた松の中を飛びぬけていきます。この視線こそが、最初に《松林図屏風》を見た時の私のイメージした松林の光景だと思いました。
#東博 #びょうぶとあそぶ 動画伝わるかな? 前半 pic.twitter.com/1UGrW6Vskh
— maru ◖ฺ|´⌣`*|◗·˳♪˚♫ (@maru_a_gogo) 2017年7月28日
ラストクライマックス、バッチリ撮影された方が・・・・
終盤、3羽の鳥が屏風の左から、屏風の中を横切って通り抜けていきました。屏風の回りの空間と屏風が一体化する心憎い演出。ところが右側から出てきた鳥は2羽でした。もう一羽はどうしたのでしょうか?
屏風の中の松の枝で一休みしていたのです。そしていよいよエンディングが近づいた瞬間。松の葉がざわめきます。そしてその中に紛れ込んでいた鳥が飛び立ち、屏風から離れて大空を飛んでいきました。芸の細かい映像が組み込まれています。
#東博 #びょうぶとあそぶ 後半 pic.twitter.com/njPYjKbdnH
— maru ◖ฺ|´⌣`*|◗·˳♪˚♫ (@maru_a_gogo) 2017年7月28日
↑ 鳥の飛び立ちの瞬間・・・・
屏風に桜の花びらが舞い、雪が降る。鳥が屏風を貫いていく。最後の最後、松の中にいた鳥が飛び立つ。遠目で見ている時には見えていないことでした。実際には一部は見えてはいました。しかしそれを目の前で見ると映像の細やかさが違うのです。きっと、まだ気づけていないいろいろな仕掛けがあるのだろうと想像されます。
〇いろんな場所から見てみよう
近くで見ていると、全体を見ることができません。右側を見ていたら、左側で起こっている変化には気づけません。会期は9月3日までです。メンバーズパスを持っているので、今度は左右のポジションを変えて見てみようと思っています。名画の中へ、そして描かれていない回りの景色とともに、遊んでみます。
■映像の鳥は何?
〇映像の鳥はカラスなの?
キヤノン:綴プロジェクト|びょうぶとあそぶ|松林図屏風の背景に広がる風景
大きく広がる四季の風景から、松林図の世界へと羽ばたくカラスも、等伯がよく描いたモチーフです。カラスの飛び行く先には、水辺の松林があるのです。
映像を見ていて、上空を飛んでいる鳥はトビだと思っていました。屏風の中を飛び抜けていく鳥は、よくわかりませんがトビよりは小さな鳥だと思っていました。あの鳥が、カラスだった?! そう思ってそのあと何度か見たのですが、私はやっぱりカラスには見えませんでした。
〇東博とカラスの関係
等伯の作品には、《松に鴉・柳に白鷺図屛風》という作品があり
出典:水墨画から美人画まで!間もなく終了の必見展覧会!
| INTOJAPAN / WARAKU MAGAZINE
《烏鷺図》というカラスを描いた作品もあるようです。
出典:長谷川等伯 「烏鷺図」 川村記念美術館から - はろるど
その時代のカラスは、どのようなとらえられ方をしていたのでしょうか? 現代のイメージの嫌われ者とは違ったのでしょうか?
(古来から忌み嫌われ者という話もあれば、カラスが嫌われ者になったのは、明治以降という話も(⇒カラスはいつから嫌われ者になったのか? (後編): 発想多彩ひろば)あるいは<カラス今昔物語>カラスとニッポンのヒトビト)
これまでカラスが描かれた日本画を見た記憶がないような気がします。それにしても、映像で見た鳥とカラス。今だに一致しないのです。
映像にみる鳥は何か? それを考えてみるのも一つ見方・・・・
■五感で楽しむ
展示フロアは ↓ このようになっていて
トーハクのびょうぶとあそぶは会場が2つに別れていて、第2会場は“つるとあそぶ”!光琳の郡鶴図屏風が壁に映ってるんですけど…なんと戯れることが出来るんですよ( *´艸`*)鶴ちゃんと戯れられます!!三日月を見て鶴ちゃんと戯れよう!! pic.twitter.com/fM2VmXKUGK
— ぴよ@むらさき (@piyomurasaki) 2017年7月17日
松林図屏風の展示は「入口」を入ると「松林の道」(松林図屏風の裏側)を通って会場に入ります。 ↓ 松林の道
この道はこんな感じになっています。
CANONコラボで屏風と遊ぼうというのやってます。畳に座って観賞できる場所があって、背の高いバックパッカーさん達が座っても背が高いので、後ろの人に迷惑かからないように一生懸命背を縮めてほほえましかった
— えむでぃーこんぽ (@billjiisannofan) 2017年7月8日
♯東京国立博物館♯トーハク pic.twitter.com/zWnAomBsA1
松林に吹く「風や香り」を楽しんでとありました。始めて見学した時、松林の道をとおらず、メイン会場にいきなり入ってしまいました。その時は、香りを感じることができませんでした。2度目、この入口から入ると、心地よい香りに包まれました。多分、香りは、ここ一帯に限定されていたのではないかと思われます。
その香りは天然精油が使われていて、パイン・ サイプレス ・ヒノキ・ ユーカリ・ レモン の香りが使われているとパネルになっていました。パインの香り? と思ってしまいますが、パインは松のことを意味しています。パイナップルと松の実。似ていますよね。
「松」は英語でパイン?「松」と「パイナップル」の関係 : 翻訳に役立つ英語の知識「トラエン」 より
pineapple は「松ぼっくりのようなリンゴ」という意味でつけられたという説があります。パイナップル、なんとなく松ぼっくり(松かさ)に似てるので、分からなくもありません。松ぼっくりは英語で pinecone といいます。
.木材で「パイン材」というのを聞いたことがありませんか。これは、松の木が使われているからなのです。「パイナップルの木」が使われているからではありません。
表示されたパインの香りというのも、パイナップルのことではなく、松そのもを意味しているようです。
精油・アロマオイル・エッセンシャルオイル紹介 | Timeless Edition
■似て非なる映像
このチラシを友人に渡したところ、「これってもしかしてあれ?」 という反応でした。「違うんです」と返事をしたところ「”あれ”で何が言いたいかわかったの?」と言われました。「チームラボの猪子さんのことですよね」
チームラボの映像や猪子さんのことを知っている人にとっては、見る前から、「ああ、あれね・・・」 そして「チームラボの二番煎じじゃない?」という思いでとらえられてしまうかもしれません。私も、心の中でそう思っていました。
プロジェクションマッピングも、最初は驚きがありました。しかし何度も見ていると、その驚きは次第に薄れてしまいます。いまでは結婚式やちょっとしたイベント会場でも使われるように。猫も杓子も状態になると、ああ、また・・・という状態になって、あまり感動もなくなってきます。人は常に新しいもの、刺激を求めているからなのだと思います。
しかしクリエイターは、同じような技術を使って表現していたとしても、そこに何か新たなものを加えているものなのだということを今回の展示を見て感じさせられていました。「似ているかもしれないけど」そこには「非なるもの」が提供されている。それがクリエイターのプライドでもあるのだと。さきほど紹介したWEDGEの記事で主催者の次のような言葉が紹介されていました。
日本最古の博物館のチャレンジ『びょうぶとあそぶ』 WEDGE Infinity(ウェッジ)
「ひとつの解釈を押し付けられていると感じる人もいるかもしれないが、絵を見ながら『お母さん、私はこう思う』と、そのストーリーに共感するしないの会話が始まる。決められた照明で真正面から対峙するのではなく、自分の前に人が立っているかもしれない、いろんな光があたるかもしれない。外の風が吹いてくるし、そんな環境で見たときに想像力を掻き立てられて見る力をふっと呼び覚ます。そんなきっかけになればいい」
私は、当初、解釈を押し付けられにいくのだと思いながら訪れました。しかしそんなことは全くありませんでした。そして何度か見ることによって、その場に居合わせた人によって見えてくるものが変化することを目の当たりにしました。屏風との間に存在するもの、しないもの・・・ その距離によって見えるものの変化。
光の状態も変化しています。その中でレプリカであることのシッポをつかもとしました。しかしシッポは見えませんでした。映像と映像の間のインタバール4分間。光の強さが変わります。一番明るい時、暗くなった時、その変化の中で紙質をとらえようとしいました。しかし、暗くしてわからなくしてしまう。それも一つの見せ方なんだな・・・と思いながら。
「松林図の風を感じる」というキャッチ。これは感覚的なものだととらえていました。ところが、本当に風は吹いていたことにびっくりしました。これを知っているのは、ここ一帯で見た人だけです。
いろいろな工夫がいっぱい、施された展示です。「どうせレプリカでしょ」そんなふうに思わずに立ち止まって見る、そして何度か見てみる。するといろいろな発見ができる展示です。
等伯の思い、そして主催者の思い、映像の作り手の思いなどにも心を向けながら・・・
映像の中の松林・・・・ 私が調べた時は、あのような状態の松林は存在していなかったんだけどな・・・ NHKの取材班がタクシーの運転手さんに案内されたところでしょうか?
【付記】
東博で4月に行われた「茶の湯」展。よくわからない「茶の湯」の世界を、その後いくつかの展示があったのでそれを見ていました。それらを見ていて茶の湯の「おもてなしの心」というのは、おもてなしをする側、される側が、相手の心に思いを馳せながら、お互いの心を受け止めて交流させていく心を養っていくことなのではないかと、つい先日、思っていたところでした。
⇒ ■まとめ
)
そしてこの心は、お茶の場面だけでなく、生活の至るところでそれを生かしていくということ。今回、東博の「茶の湯展」から始まった、日本の文化、茶の湯の心。また東博に戻ってきて、この展示を見ながら体験しているという縁のようなものを感じました。見えるものは、その場に居合わせた人によって作り出される一期一会の瞬間のできごとでもある。そしてもてなす側の思いと、もてなされる側が何を感じとるか。そんな出会いの場でもあることを、この茶の湯がスタートした東博で体験したというのも何かの縁。作り手がこめた思いを知る。それは一期一会の瞬間に見えてくるのだと思いました。
■解説写真
▼松林図の世界
▼長谷川等伯について
■参考 同じ展示も見方はいろいろ
〇親と子のギャラリー びょうぶとあそぶ 高精細複製によるあたらしい日本美術体験
〇長谷川Q蔵さん の最近のツイート - 2 - whotwi グラフィカルTwitter分析
↑ 昔から多くの美術作品を御覧になっているブロガーさんが
「高精細な複製品のクオリティの高さには舌を巻いた」とのこと。
技術的にも高評価。
↑ 送風機に気づいた人 発見!
↑ インターバル後の上映、そのまま動かない人が多かった回もあった模様
「一度目は後ろに下がって見ると、全体が見えてよい」とアドバイス。
〇親と子のギャラリー びょうぶとあそぶ
|アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】
↑ 技術のデジャブ感。レプリカはレプリカ・・・
静かに後にされたそう
〇デジタリアン Kei Y ブログ 東博 タイ ~仏の国の輝き~
↑ クリエイターさんの心にもしみ込んだ様子
〇ぽかぽか春庭「光琳鶴と遊んだ後は、ライチビールでひとり乾杯」
- 春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典
↑ どっちが本物クイズ わかる人、いないだろうな・・・と。
こちらの写真の背景カラーで、本物との比較かと思ってしまいました。
■関連
〇レプリカを見直そう
■本物とレプリカ:「レプリカ」が本物として展示されたら見抜ける?
■海北友松展:《雲龍図》本物と建仁寺の高精細複製品はいかに?!
■長谷川等伯:《松林図屏風》 ② 2017年 描いたのは海岸? 山並み?
■長谷川等伯:《松林図屏風》 ① 2017年
■博物館に初もうで : 毎年《松林図屏風》を10年見続けたら何が変わる?
〇びょうぶであそぶ
■びょうぶとあそぶ:長谷川等伯《松林図屏風》の世界に本当に風が!
■びょうぶとあそぶ:尾形光琳《群鶴屏風》 レプリカの金箔は本物?
【追記】2017.08.15 ふと思い出した 杉本博司「松林図」 2001年 ベネッセ
昨年(2016)の夏に訪れたベネッセパーク棟。そこに杉本博氏の松林図の写真があるのですが、ギャラリートークで、この松林はどこの松林でしょうか?という質問がなげかけられました。
出典:杉本博司 松林 直島 ベネッセ - Google 検索
「三保の松原」 どこかの海岸線・・・・ いろいろな答えが返ってきました。私が漠然と思っていたのは、こういう聞き方をする時というのは、比較的、以外な場所、都会だったりするのよね・・ 皇居の松だったりして? と心の中で思っていたらあたり!
全国の松林を探し回ってやっと見つけた理想の松が、皇居の松だった。海岸線の松ではなく皇居の松・・・という話をスタッフさんから聞いていました。その裏には、等伯の《松林図屏風》にインスパイアされていた。
その後、東博のお正月の展示で松林図屏風を見たわけです。この松林はどこなのか? を考える時、杉本氏の松林の写真が、どこの松ということではなく、杉本氏のイメージの松を探したら皇居だった。作品の題材というのは、「ここ」という場所があるわけではない。とうことを知るきっかけとなっていたように思います。アーティストが作り出す世界は、自分の心の中にある風景…ということを、杉本氏の話からも理解していたことが、潜在的にあって、等伯の松を見ても、心象風景なのではないか・・・ そんなことを思ったのだと思いました。
【追記】2017.08.15 本物とレプリカの同時展示
ぜひ、実現して欲しいと兼ねてから思っていたのが、本物とレプリカの同時展示。これまでにも、同時展示がされている機会はあったのですが、なぜか並列展示はされたことがありません。ここには、いろいろな事情があるのか、ないのか? どうも本物とレプリカを並べて展示することを美術館側は嫌う傾向があるように感じていました。
(茶の湯の曜変天目茶碗の展示も、低く展示した方が中がよく見えるけども、借物の作品でそれをしてはいけないという不文律のようなものがあるらしいです。本物と偽物、同列に並べるというもそれに値するのかも?)
サントリー美術館で、先日《浮線稜螺鈿蒔絵手箱》が場所を変えて同時展示されていましたが、せっかく東博が所蔵する《松林図屏風》なので同時展示していただけたらよかったのになぁ・・・と思いました。お正月に毎年、展示されるということなので、難しいというのはわかるのですが、お正月の展示を控えて、この期間に展示するとか・・・ (と思っていたら、今年は10月、京博に《松林図屏風》が展示されるのでした。そのため、来年のお正月の展示がないということだったのでした。)
同じ場所の同列展示でなくてもいいので、同じ会場で、本物とレプリカを見比べてみたいというのは、大きな希望です。
また、本物を露出展示で目の前で見たいというのも、拙なる願いではあります。しかしこれは物理的に無理なことだと自分の中では理解に至っていました。たとえば、くしゃみ。だれもがその瞬間は、顔をそむけます。しかし生理現象ですから突発的にどうしても避けられないということも起こり得ます。
先日も、アメリカの美術館で自撮りをしていて、彫刻が倒れたということがありました。鑑賞者もいろいろな人が集うので、そこで何がおこるかは予測不能です。まして相手が子供を対象にした企画です。子供はいつ何時、どんな行動にでるかわからない、とっぴょうしもない存在で、予想しえない行動に出る存在です。
また、土足で入る会場。外からどんなものが持ち込まれてくるかわかりません。一番怖いのは、カビ。衣類についた害虫。そして、衣類のホコリなども浮遊してそれが付着することによって、今後、カビの原因になることなども考えられます。
以上のようなことを考えたら、国宝はおろか、どんな作品でも露出展示をすることは絶対にあり得ないことなのだと理解するようになりました。それが、本物かレプリカかを判断する上で、まずは「ケースに入っているかいないか 」というところから、私の中では大きな判断材料となっているのでした。
東博のブログを見ていたら・・・・こんな写真が・・・
こうして、わずかなホコリや髪の毛も許さないような状態を保って展示されていることを考えたら、本物を露出展示させることは、いかに危険か、そしてまず、そのような展示を行うことはできないのだということがわかりました。
(そんなことを考えると、科博のはく製のストックヤードにテレビクルーが普通に入っていたことが今だに謎なのでした)
【追記】2017.08.18 屏風の和紙の質
松林図のつうな見方というの紹介されていて、確かにインタバールの間、照明が次第に暗くなっていって、どんどん、わかりにくくなくなっちゃう・・・・って思っていました。今回は、どこに高精細画であることの尻尾をみつけるか・・・という目で見ていたから、せっかくの当時の照明で見せるという演出を見逃していました。
ずっと、屏風を座位で見たい。その当時と同じ照明で見てみたいと思い続けていたのですが、せっかくその演出がされているのを、すっかり見逃していました。
そして、お正月に見た時に示された解説を見直して、思い出しました。
料紙の紙質や継ぎ方の乱れから、襖絵の草稿ではないかという説があるが・・・
紙質も拡大して撮影していたのですが、確かに紙の品質がよくないことは私の目にもわかりました。そのため、下絵ではと言われるというもわかる気がしました。そんな、ちょっと劣るという紙の質感も再現できているのかな? というのを確認したいという気持ちが勝ってしまっていたのだなと思いました。
再訪時のチェックポイントを忘れないように
〇映像の左右の細かな部分のチェック
〇インターバルの照明の違い 当時の照明で見る松林図の体験
〇お正月に見たような遠景から近景への変化
〇空白部分の表現
〇屏風の湿潤さ 風 光
〇土坡 幹の立ち方
〇屏風回りの額装