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美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■生誕110年 東山魁夷展:唐招提寺障壁画レポート&追加情報

下記追記しました(クリックで飛びます)

 

 

生誕110年 東山魁夷が、国立新美術館で開催されています。東京で回顧展が行われるのは10年ぶり。一番の見どころともいえる唐招提寺の障壁画について、インターネットミュージアムにレポートしました。

国立新美術館「生誕110年 東山魁夷展」 | レポート | アイエム[インターネットミュージアム]

以下、記事でご紹介できなかった補足説明をレポート致します。
*写真の撮影は、主催者の許可を得て掲載しております。

 

 

唐招提寺御影堂はどんな建物? どんな場所にあるの?

今回の一番の目玉といえば、唐招提寺の御影堂の障壁画が、美術館の中に再現されていることです。そこで、唐招提寺の御影堂について、どのような建物どのような位置にあるのか調べてみました。

 

〇御影堂とは?

「みえいどう」読みます。

  • 境内の北側に位置する土塀に囲まれ、ひっそりとした瀟洒な建物。
  • 元は、興福寺別当坊だった一乗院宸殿の遺構。
  • 明治以降は県庁や奈良地方裁判所の庁舎として使われた
  • 昭和39年(1964)移築復元。
  • 現在は、鑑真和上坐像(国宝)が奉安。
  • 東山魁夷画伯が描いた、鑑真和上坐像厨子扉絵、ふすま絵、障壁画が奉納

  (昭和46年から57年にかけて)

 ※平成27年から平成大修理事業に着手。約5年は拝観できません。(⇒現在7年間)
 鑑真和上坐像は新宝蔵に遷座。6月5日~7日は新宝蔵で開扉。 

参考:唐招提寺より

 

 

〇境内図

唐招提寺の御影堂と言われても、お寺の配置図のどのあたりにあって、どんな建物なのでしょうか? 下記の【4】の位置が「御影堂」です。

f:id:korokoroblog:20181102093423p:plain(引用:http://nara.jr-central.co.jp/campaign/naramap/tosyodaiji/

 

よくお寺に行くと掲示されている地図だとこんな感じ・・・・

f:id:korokoroblog:20181102093725p:plain

(引用:唐招提寺2010プロジェクト

 

こちらは上空から見た様子です。  åææ寺å¢åãä½ç½®å³

(引用:唐招提寺 | AONIYOSHI

  

〇御影堂の図面

御影堂の建物はどのような構成になっているのでしょうか? 図面を下記よりお借りしました。

f:id:korokoroblog:20181102112517p:plain

 (引用:旧一乗院(唐招提寺、御影堂)工事現場へ: 鹿鳴人のつぶやき

 

御影堂は「宸殿棟」と「殿棟・玄関棟」からなり、障壁画は「宸殿棟」に奉納されています。

 

御影堂の全景:左の建物の中に障壁画が奉納されています。

f:id:korokoroblog:20181102114625p:plain

(引用:唐招提寺開山忌・鑑真和上坐像の公開 2010.6.6 ( 祭りと伝統 ) - ノンさんのテラビスト - Yahoo!ブログ

  

〇御影堂と襖絵

襖絵と御影堂の関係は、パンフレットの中に掲載されているようです。

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(引用:唐招提寺 御影堂 | AONIYOSHI

 

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(引用:東山魁夷唐招提寺御影堂壁画展 - シニア人生を楽しむ - Yahoo!ブログ

 

唐招提寺と御影堂」の位置関係、そして「障壁画が奉納された御影堂の宸殿棟」。唐招提寺全体との関係が把握できると、会場の図面と襖絵を照らし合わせれば、まさに唐招提寺「御影堂」東山魁夷の障壁画を現地でみているかのような拝観ができます。

 

音声ガイドで御影堂の南側は・・・・ 北側は・・・・ と解説されましたが、御影堂が唐招提寺の中のどんな位置にあって、建物がどんな方向で立っているのかわからないため、イマイチ、ピンときませんでした。やっと理解できました。平面図上部が北です。

 

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南側(平面図の下側)が鑑真和上が日本で見たかったであろう景色、北側(平面図上部)が鑑真が暮らした中国の景色です。

展示は「ほぼ」再現されておりますが、実際の御影堂の構成とは若干、違う部分があります。東山魁夷展では、鑑賞しやすいように通路が設けられています。より近くで障壁画を見ることが可能になっており、現地では、おそらくこの距離で見学をすることはできなのだろうと思われますのでありがたみも増します。

 

 

 ■唐招提寺御影堂障壁画

【1】宸殿の間《濤声》

「第4章 古都を描く・ドイツ、オーストリア」の展示コーナーから、《道》の作品をイメージさせるかのような光の通路を抜けるとそこには・・・・ 大海原が広がっていました。

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《濤声》(部分) 紙本彩色/1975年 唐招提寺

 

東山魁夷が描いた《濤声》(とうせい)です。ところが、これって本物なの? 一瞬、そんな印象がよぎったのです。というのも、どうもぼんやりと霞がかかったような色合いで、これまで見てきた鮮やかな青ではないように感じられました。

現在、修復中のため、公開が可能となったと解説がありました。しかし襖が修復中なのに、なぜ公開が可能なのか・・・・? これは本物なの? 唐招提寺の襖絵は通常は、見学用にレプリカが入っていて、それが一時的にこちらに移動し、展示しているということなのか・・・・ そんなことを考えていたのです。

 

うすぼんやりとした状態は、どんな照明があてられているのでしょうか?

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《濤声》(部分) 紙本彩色/1975年 唐招提寺 

このようなライティングでした。 

 

見る角度、照明の当たり方で、青の発色もずいぶん変わります。

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 《濤声》(部分) 紙本彩色/1975年 唐招提寺

 

「再現」という表現を使うと、本物ではないと勘違いする方もいらっしゃるとのことでした。私は「修復」をてっきり「襖絵」の修復と勘違いしてしまったため、なぜ、本物を修復しているのに、ここに本物の襖が存在するのか?としばし考えてしまったのでした。

ほぼ再現されている・・・・ということですが、唐招提寺の公開の日は自然光の中で見るはず。となるとここで、照明の元、見るのとでは、ずいぶん違うのではないかと思われます。この状態をしっかり目に焼き付け、2022年、公開が再開したら、見比べてみたいと思いました。

 

それにしても、構図が圧巻です。来日の苦労話を聞くとそれが表現されていることがわかります。

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《濤声》(部分) 紙本彩色/1975年 唐招提寺

右側から波が打ち寄せ、海から突き出した岩にぶつかろうとしています。鑑真が何度もチャレンジして日本にたどり着こうとしたけども、阻まれてしまったストーリーが重なりました。それでも、何度もチャレンジしたその精神が、波に乗り移っているかのようです。

その波は、行く手を阻む岩にぶつかります。岩の上には、風を受けながら、しっかりしがみついているような松が根を下ろしています。この場所に吹き荒れる風の強さが伝わり、鑑真が荒波や強風に翻弄されている姿が浮かびます。この海は日本海をイメージさせられました。

一方、そびえる岩の裏側の波は落ち着いています。しかしその先にもまた岩肌が海面からせり出しています。そこに波が覆いかぶさり、岩間を流れ落ちる一筋の流れに変化しています。何度も、何度も繰り返し流れ落ちていることが見てとれます。これもまた鑑真のチャレンジを想起させられます。

波のぶつかる激しさの先には、穏やかな波が、静かに浜辺に打ち寄せています。無事、日本にたどり着いたことを表しているようです。

鑑真が日本で見たかった海の景色と考えられていると言われていますが、鑑真が来日するに至るチャレンジの繰り返しを表現しているように感じました。90度に折れた部屋の構造を生かし、苦難の末に、たどり着いた場面転換がが効果的に演出されていると思いました。

 

【2】上段の間《山雲

【2】の「上段の間」《山雲》は、「《濤声》の裏」の部分と「床の間」の部分から構成されています。

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▼《濤声》の裏の部分

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 山雲》(部分) 紙本彩色/1975年(昭和50) 唐招提寺 

 

 

▼床の間部分

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  山雲》(部分) 紙本彩色/1975年(昭和50) 唐招提寺

床の間の横の床脇(棚)の天袋にホトトギスが描かれており、この空間では唯一の動物だと伺い、小さく描かれよく探さないと解からないというイメージを持っていました。描かれた場所も天袋で囲われておりすぐに解りやすい位置です。大きも全体のバランスを考えると大きい気がしました。これまで、日本画では、こんなところにこんな動物も描かれている!という発見の面白さを感じていたのですが、ここは見ればすぐにわかってしまいます。

ホトトギスは、鑑真の命日・開山忌の季節を告げる鳥。目の見えない鑑真に季節の訪れを告げるために描かれたと伺いました。見てすぐわかる。それは鑑真和上への配慮だったのかもしれません。

 

 

展覧会の展示は床の間と襖絵の間に通路がありますが、

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 山雲》(展示風景) 紙本彩色/1975年(昭和50) 唐招提寺

御影堂では、この霧のかかった山間部の床の間と、滝の流れる新緑の襖が、ぴったりくっついています。東山魁夷展で見ている時は、床の間の景色とは、別ものと思っていたのですが、続いていることがわかります。

 

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(引用:唐招提寺・御影堂の秋 | あおによしのブログ

 

おそらく唐招提寺で公開される時は、この部屋に入ることはできず、周りの廊下から鑑賞することになると思われます。このように間近で見ることができるのは、本展覧会のメリットではないでしょうか。

 

 

実際の御影堂での襖絵の状態。穏やかな波が打ち寄せる浜の部分の襖を開けると、そこには、日本の山を代表する山の景色が広がっているという仕掛けになっているわけです。そして鑑真が開山した季節をホトトギスが知らせます・・・・

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引用:東山魁夷 | アートを楽しむ♪

 

床の間の絵から続く山あいの滝は・・・・

新緑の滝の図に、見覚えがあるなと思ったら・・・・ 下記の絵と雰囲気が似ています。

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 《青響》東京国立近代美術館 1960年(昭和35)

 《山雲》が描かれた昭和50年、上記の《青響》はその15年前の昭和35年です。構想の元になっているのでしょうか?

 

また、霧のかかった山間部の景色は、パナソニック汐留ミュージアムで見た屏風を思いおこさせられました。

  ⇒■真打登場! 《山峡朝霧》 東山魁夷

 

 

 

 

 

ここからは中国に取材に行って、描いたものです。

【3】桜の間《黄山暁雲》

中国の景勝地を代表する黄山ですが、僧侶たちが 過酷な修行を重ねた険しい黄山に 命懸けで臨みました。

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 黄山暁雲》紙本彩色/1980年(昭和55) 唐招提寺

 

 

 

【4】松の間《揚州薫風》

松の間の中央には、 鑑真和上の御厨子が安置されています。鑑真和上坐像の写真を、旅人の熊さんよりお借り致しました。(今回は展示されていません)

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(引用:『2016梅雨、奈良の世界遺産巡り(6/9):6月5日(6):唐招提寺(4):御影堂、右近の橘、左近の梅、講堂、金堂、南大門』奈良市(奈良県)の旅行記・ブログ by 旅人のくまさんさん【フォートラベル】

 

この坐像の周りに、鑑真の出身地の揚州の風景が襖に描かれ取り囲むように設置されています。その様子が写真からわかります。和上像は高さが70,9cmで、麻布を漆で固めた脱活乾漆造り.肖像彫刻の傑作とされています。

 

鑑真和上を取り囲む景色を見て見ましょう。
湖畔(?)と柳が描かれています。風もなく波もない静かで穏やかな景色がはるか彼方にまで続いています。

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 《揚州薫風》(部分)紙本彩色/1980年(昭和55) 唐招提寺

右方向の襖に目をやると、大きな柳が目に飛び込んできます。柳の葉が風に吹かれて揺れている様子から、風が吹き出したことを感じさせられます。

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 《揚州薫風》(部分)紙本彩色/1980年(昭和55) 唐招提寺

そして、鑑真和上の背後にあたる襖絵がこちら・・・
より強いが風が吹きつけているのを感じさせられます。 

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 《揚州薫風》(部分)紙本彩色/1980年(昭和55) 唐招提寺

展示空間は、このように通路があって、それぞれの襖絵を間近に見ることができますが、実際の空間は、左の襖と右側の襖は接しており、その中央に鑑真和上坐像が安置されています。そう考えると、この部屋は横長の狭い空間です。故郷の景色が間近に寄り添った状態で安置されていることがわかります。

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 《揚州薫風》(会場風景)紙本彩色/1980年(昭和55) 唐招提寺

下の図と合わせてみると、中央の板の間の部分に、鑑真和上の坐像が安置されていることがわかり、忠実に再現されていることがわかります。裏の《濤声》の方向を向きながら、座していることを理解しておくと、同じ場所で鑑賞することの意味も違ってくるのではないでしょうか?

 

改めて配置図です。

(引用:唐招提寺 御影堂 | AONIYOSHI

 

  

 

【5】梅の間《桂林月宵》  

 第5回渡航に失敗した和上が1年間滞在した桂林の風景

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 《桂林月宵》紙本彩色/1980年(昭和55) 唐招提寺

 

 

 

《瑞光》

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《瑞光》試作 長野県信濃美術館 東山魁夷

 御厨子内部に描かれている《瑞光》の試作。この景色は、鑑真が初めて立った日本の土地である鹿児島の秋目浦風景を描いたものです。奉納した時は、構想から10年の歳月が流れていました。

 

鑑真の命日にちなみ、6月6日に開山忌舎利会が毎年営まれています。
2018年、和上像は、安置する御影堂が改修中のため、「新宝蔵」での公開されました。
背後の絵が《瑞光》です。

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引用:鑑真の遺徳しのび - 7日まで 和上像特別公開も/唐招提寺で「開山忌舎利会」|奈良新聞デジタル

 

 

 

■感想・雑感

 

 

写真や図面、今回の展示から御影堂の障壁画がどのような配置で納められているかがおおよそつかめてきました。その上で、上記の記事の写真を見ると、なるほど納得できます。

《濤声》の襖を開けると、厨子の中に安置された鑑真和上が見えており、その向こうには《揚州薫風》の柳が風に揺らいでいます。また奥の床の間の山の景色が見えています。襖絵どうしのつながりがわかり、本来は入れない空間を、鑑賞のための通路が横切っている配置であることもわかります。

 

予備知識なしで何も知らずに見てから、あれこれ資料を見ながら立体に組み上げてきました。また直観的に感じた、この障壁画は本物なんだろうか… それまで見てきた東山魁夷の鮮やかなブルーとはなんだか違う気がする。ぼけた感じ・・・・

 

それは、下記の美の巨人たちによると・・・・

 

岩に砕かれた白波は優しい穏やかな波へと姿を変えながら渚にたどり着きます。しかし変なのです。東山は写生の旅で極寒の日本海を群青で表現していました。ところが障壁画では穏やかな緑青の世界に変わっているのです。

 

色を塗って水でのばし乾いた筆でなじませる"からばけ"の技法を使って。
そして準備万端で本画に取り掛かったのは昭和49年の春のことでした。

1200年の時を超え鑑真に捧げる山雲濤声。
壮大な障壁画が末永く鑑真と共にあるようにと、東山は自らの画風を封じてまで薄塗りに挑んだのです。

 

うすぼんやりとして、これ本物? と思ったのは、近寄ってみて、ライティングによるものだと会場では理解していました。ところが、これまでの青とは違う絵具で、描く技法も変化させていたことがわかりました。

 

長きにわたって後世に伝えていくために厚塗りでなく薄塗。そして初夏を迎える湿った空気は、うすぼんやりと景色を霞ませていたのでした。これ本物? という失礼な直観も、色の違いをとらえていたのだと理解すれば、何気なく見ている中に描く上での重要なポイントをとらえることができたのだなぁ…と。

東山魁夷展を見たあと、唐招提寺の全体像を、地図や資料から立体的に頭の中に構築しつつあります。美術作品など、予習なしの驚き、ギャップを大事にしたいと思う一方で、ある程度、予習をしてから見た時に、何が見えてくるかも面白いと感じています。

 

2022年。修復が終わって御影堂に戻る東山魁夷の障壁画。それを現地で見たら・・・・ 本来あるべき場所で見る。そこに存在している空気、そこから何が伝わってくるのか、ぜひ体験してみたいと思います。

 

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■追記(2018.11.05):68面の障壁画は繋がってた!

それぞれの間と間のつながりを確認していくとこの構成の奥深さがまた見えてきました。

 

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(引用:東山魁夷唐招提寺御影堂壁画展 - シニア人生を楽しむ - Yahoo!ブログ

 

「宸殿の間《濤声》」と「梅の間《桂林月宵》」の襖をあげると、5回の失敗をしたあとに滞在した桂林につながっていて、そこから、日本にやってくるというストーリーと一致する配置になっていました。

そして北側の中国の景色を描いた障壁画の隣り合う部屋の襖を全開すると、そこには広大な中国の情景が広がるのです。

そして、日本を代表する山のつらなりが、中国の景勝地である「黄山」とつながっているという、壮大な障壁画であったことに気づかされました。

改めてもう一度、見てみたくなりました。

 

■追記(2018.11.07)唐招提寺障壁画の構成について

  西  暦 和歴 年齢    間   面  作 品 読み  
第1期 1975 S50 67歳 【1】 宸殿の間  16 《濤声》 とうせい 海の代表
【2】 上段の間  10 山雲 さんうん 山の代表
第2期 1980 S55 72歳 【3】 桜の間    8 黄山暁雲》 こうざんぎょううん 中国の代表的景勝地
【4】 松の間  26 《揚州薫風》 ようしゅうくんぷう 和上の故郷揚州
【5】 梅の間    8 《桂林月宵》 けいりんげっしょう 渡航に失敗し1年滞在した桂林
  1981 S56 73歳        3 《瑞光》   和上が初めて立った日本の土地、鹿児島の秋目浦

 

 確かに68面あります。これ、全てを東山魁夷はえがきました。

 

 

■追記(2018.11.07):障壁画の制作に関する取材

唐招提寺の障壁画を描くにあたって、当時、困難な中国に3回渡って、取材旅行をしていたといいます。困難な訪中はいかにして実現したのか、また、日本の景色を障壁画に仕上げてから、5年の間に、3回の訪中をしながら、残り42面の襖絵を仕上げています。どのようなスケジュールで描いたのでしょうか?図録の年譜から拾ってみました。

西暦 和歴 年齢  月       制作旅行    展覧会
1968 S43 60   ■皇居新宮殿大壁画《朝明けの潮》完成  
1969 S44 61  4-9月   〇ドイツ・オーストリアへ写生旅行  
1970 S45 62        
1971 S46 63   唐招提寺御影堂壁画制作 引き受ける  
1972 S47 64     〇鑑真和上と唐招提寺の研究に専念  
1973 S48 65        
1974 S49 66        
1975 S50 67   唐招提寺御影堂の第一期障壁画《山雲》《濤声》が完成  
      6月3日   奉納  
      10-12月   〇個展に合わせて渡欧。 パリ・ケルンで個展「唐招提寺障壁画習作展」
      12-1月    その後ドイツ南部の村で過ごす  
1976 S51 68   4月   【訪中①】日本文化財団の一員として中国訪問  
          ⇒北京・西安・南京・揚州・上海歴訪  
          ⇒代表団と別れて、太湖・桂林訪れ写生  
1977 S52 69   4月   〇展覧会にに合わせ渡仏 パリのプリバレ美術館で「唐招提寺展」
        8月   【訪中②】中華人民対外友好協会の招きで訪中  
          ウイグル自治区の古代遺跡写生  
1978 S53 70  5月   【訪中③】展覧会に合わせ3度目の訪中果たす 北京と**で「日本東山魁夷絵画展覧」開催
          ⇒洛陽・南京・揚州歴訪 黄山に登り写生  
       11月     パリ詩画集「コンコルド広場の椅子」原画展
            パリ市長から金牌
1979 S54 71     〇展覧会に合わせ渡独 西ドイツで「東山魁夷展」
1980 S55 72   ■第2期障壁画の三題《黄山暁雲》《揚州薫風》《桂林月宵》が完成  
       6月   唐招提寺に奉納  
1981 S56 73   唐招提寺鑑真和上像厨子絵《瑞光》を奉納。  
1982 S57 74     東山魁夷展のためドイツ旅行 パリで展覧会開催
1983 S58 75 5-10月   〇展覧会に合わせ渡独 西ドイツ3か所で「東山魁夷展」

 

 

中国への3回の取材は下記のとおりです。、

1回:1976年(S51)日本文化財団の一員⇒北京・西安・南京・揚州・上海 太・桂林

2回:1977年(S52)中華人友好協会の招き⇒ウイグル自治区の古代遺跡写生

3回:1978年(S53)北京の展覧会に合わせて⇒洛陽・南京・揚州歴訪 黄山

  1980年(S55) 奉納

3回目の取材を終えたのは、1978年。それから2年の間で、42面の襖絵を描いたことになります。単純計算はできませんが、1年で21面。その間にドイツも渡っていることもわかります。

 

48面を描き上げる精神力もすさまじいものがありますが、実際に描いた時間を考えるとその集中力は、絵から受け取る穏やかさとは違う激しさを感じさせられます。

 

また、海外の評価も高く、唐招提寺の障壁画を描きながら、完成すると海外で展覧会が行われていたことがわかります。それに合わせて渡欧し、そこでまたスケッチをして、テーマをストックしていったことがわかりました。 

 

 

■関連

【御影堂公開の障壁画】

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6/3唐招提寺御影堂特別公開

東山魁夷「唐招提寺への道」: 私の好きな時間空間仲間たち

 

 

【展覧会の障壁画】

〇(2004.1)横浜美術館東山魁夷「唐招提寺への道」: 私の好きな時間空間仲間たち「魁夷展…ひとすじの道」

〇(2004.4)兵庫県立美術館東山魁夷展−ひとすじの道− / 展覧会スケジュール(特別展,常設展) / 兵庫県立美術館

〇(2016.7)九博:九州国立博物館の特別展「東山魁夷」が開幕。総延長76mの唐招提寺御影堂の障壁画は圧巻でした。8/28(日)まで。 : フクオカーノ!

〇(2016.7)九州国立博物館特別展『東山魁夷 自然と人、そして町』展示紹介

特別展『東山魁夷 自然と人、そして町』展示紹介 - YouTube

〇(2016.9)広島県立美術館

東山魁夷展 -自然と人、そして町|広島県立美術館 Hiroshima Prefectural Art Museum

〇(2017.6)豊田市美術館豊田市美術館「東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展」 ( その他趣味 ) - geezenstacの森 - Yahoo!ブログ

 

〇(2017.2)  茨城県近代美術館:【茨城新聞】唐招提寺御影堂障壁画 県内で初公開

東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展 | アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】

取手市/【市長コラム】東山魁夷(ひがしやまかいい)唐招提寺御影堂(みえいどう)障壁画展について

〇(2018.8)京都国立近代美術館生誕110年 東山魁夷展 | 京都国立近代美術館

 

唐招提寺御影堂を実物大で再現「生誕110年 東山魁夷展」色褪せない魅力を体感|好書好日

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