雪村の奇想表現はとても特徴的です。その中で注目したのは、先割れしている波の表現。まるで人の手がうごめいているようです。この波、これまでにも見たことがあります。その記憶をたどってみると、源流は雪村にあり? を感じさせられました。
■雪村の特徴的な波表現
雪村の波表現を列挙してみます。
〇《呂洞賓図(りょどうひんず)》
↑ 足元、龍の頭からにゅるっと伸びる波頭。逆向きのものもあります。
〇《龍虎図屏風》
波が2つに割れて裂けてモーゼの十戒状態。そこから龍が飛び出し、波頭は勢いあまって飛び散っています。
〇《風濤図》
出典:《上野》戦国画人、雪村の画業に迫る「特別展 雪村 奇想の誕生」の概要を発表 | metropolitana.tokyo [メトロポリターナトーキョー]
荒れる風とともに、波の表現からも風の強さを表す。次々にの折り重なる波は魔の手が重なるよう。
〇《花鳥図屏風》
鯉にまとわりつく波
〇ねばっこい雪村の波
雪村の描いた波をこうして並べてみると、実に特徴的です。生き物のようで、何かをつかもうとしている手のような・・・・ 波の先割れした状態に、デジャブ感があります。
■既視感のある波
これらの波はどこかで見た記憶があります。たとえば・・・・ 昨年、サントリー美術館で見た鈴木其一や酒井抱一
〇《松島図小襖》鈴木其一
わらび手と言われる波となんだか似ています。
出典:鈴木其一展 - the Salon of Vertigo
【追記】2017.09 .06 宗達も《松島図屏風》を描いていた!
高島屋 『加藤又造展』にて波の表現について語られていました。
図録に 宗達の《松島図屏風》とあり、宗達も松島図 描いてたことを知りました。これもまた、明治時代、アメリカに流出。宗達の評価は高くなて、1960年代までは存在さえあまり知られていなかったらしい。
風神雷神は、幸いにも3者とも日本に残ったから私淑の代表として語られるということなのかも。宗達ー光琳ー其一 抱一も描いているのかも?
この波について、以前、鈴木其一 江戸琳派の旗手:鑑賞メモ3 2度目に新たに気になった作品の中であれこれ、考察しているので、ここに再掲します。
〇《松風村雨図》酒井抱一
この手のような波を見たのは、2015年、高島屋で行われた琳派展の時でした。其一の師匠、抱一が似たような波表現をしています。当時は、其一も抱一も知りません。宗達も知らなかった時期です。
出典:酒井抱一と江戸琳派の全貌 - the Salon of Vertigo
この時、この波を見て思ったのは、葛飾北斎が描いた波とそっくり。北斎を見て、参考にしたのかなぁ・・・でした。
〇《神奈川沖波裏》葛飾北斎
北斎の方が知名度が高く、よく知っていますから、上記の北斎の波を参考にして描いたのでは? と思っていました。生没年を調べると、抱一と北斎はほぼ同級生。鈴木其一は、35年下ります。
葛飾北斎 1760年~ 1849年
酒井抱一 1761年~ 1829年
鈴木其一 1795年~ 1858年
北斎が波を描いた作品の制昨年
1811年 葛飾北斎(55/89)『北斎漫画』刊行
1831年 葛飾北斎(75/89) 富嶽三十六景》
1834年 葛飾北斎(78/89)《富嶽百景》
(1829~1843)??鈴木其一 《松島図小襖》
其一と北斎の波は、時代がちょうど重なっています。北斎が生まれて35年後に其一がうまれ、北斎は長生き(89歳没)だったので、其一がなくなる9年前まで生きました。北斎の1年あとに生まれた抱一より20年、長く生きています。
〇《波図屏風》 酒井抱一
出典:酒井抱一 : 波図屏風 | Sumally (サマリー)
酒井抱一は、上記のような屏風の《波図屏風》を描いていました。其一は抱一の弟子ですから、抱一の描いた波を参考にして描いていたと考えられます。
一方、抱一は、光琳を敬愛していました。光琳の作品の中にも、この波と同じような波を描いています。抱一、そして其一の波は、元をたどれば、光琳の波に帰結しているってこと?
出典:「大琳派展」 東京国立博物館 Vol.8(光琳、抱一、波対決) - はろるど
この人の手のような波の大元は、光琳だった!? また、前出、其一の《松島図屏風》の元になったと思われる光琳の《松島図屏風》の存在も・・・・
尾形光琳《松島図屏風》
鈴木其一 《松島図襖》
サントリー美術館で行われた「鈴木其一展」の音声ガイドで、この波の表現を「ワラビ手」と解説されていました。てっきり蕨のような手という意味かと思ったら、蕨手文という紋があるようです。
▼わらび手文
◆蕨手紋 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より
植物文様の一種。曲線の一端が蕨の先端のように渦状に内側に巻いている文様。中国では漢代の瓦当文に好んで使用された。日本では,弥生時代の銅鐸や銅剣の文様にみられ,特に九州の壁画古墳にはしばしば描かれている。
こうして手のような波は、蕨手文と言われているものだとわかり、その大元は光琳が描いていたらしいというところまでが、昨年の段階でわかったことでした。
■認知度、時代によって捉え方が変わる
ヘンな波・・・・ 手が追ってくるような波表現。この波を最初に見たのが2015年琳派展で抱一が描いたものでした。第一声「北斎の真似じゃん!」と思っていました(笑)。でも、時代の前後関係は鑑賞した順番ではないことに気づき始め、生きた時代を確認しました。抱一と北斎は同年代であることがわかりました。
最初に目にした波の表現が北斎。するとそちらが先陣だと思ってしまいます。さらに知名度も高いと余計に… 其一の波は師匠の抱一の波を見て参考にしたんだなと理解できます。そのあとに、同じような波を光琳も描いていたことがわかりました。抱一は、敬愛していた光琳を参考にしたのだろうとわかります。そして其一も、抱一とともに光琳に私淑していたので、師匠と光琳のいいとこどりをしていたのかもしれません。
そういえば、光琳の《紅白梅図屏風》の川の流れを見た時、S字カーブで遠近を出すのはモネのマネじゃない! って思っていました(笑)。歴史、時代の感覚なく見ていた時は、最初に見たものが先の時代のものという認識でした。あとから見たものが新しいものと思っていて前後関係がめちゃくちゃだったのでした。(⇒
■「蕨手文」の存在
しかし、このデザインは「蕨手文」といわれるものだとわかりました。この形は、もともとあったデザインであり、それをどう使うかということだのかもと考えると、一つのモチーフをそれぞれが影響し影響されていたということなのかもしれません。
〇2012年度大阪府高齢者大学校考古学研究科 春季特別展
「三国志の時代 -2・3世紀の東アジア-」
〇衝撃の螺旋 衝撃の摂理 神の姿とは? ( 歴史 ) - 民族学伝承ひろいあげ辞典
↑ 粘菌の細胞が成長の過程でいつも螺旋になる
考古学の人が見たら、そのねじれと渦巻きはまるで装飾古墳の蕨手紋や渦巻き文だろう。粘菌細胞の記憶だとも言える
こういう話がやっぱり好きなんだなと思いました。自然界の現象や生物の形態、それらが文様となって表されてきた。そんなつながりが面白いと思う・・・・ 原始的生物に刻み込まれている螺旋や渦巻きの記憶。それはDNAの螺旋につながる。螺旋構造というのは、大きく広がるための形でもある。⇒【*1】
作品の中に描かれたものが、現代の科学や知見にも通じる視点を持って描かれていた。
アーティストはそんなことまで観察し、気づいていたのか!
そういう観察眼がもたらす驚きを、私は絵画鑑賞に求めているんだなと思いました。
先人の知恵や技術の中に、今の知見で解明できたことが、すでに盛り込まれていた。
そんな画家の英知と画業が結びついたロマンを感じさせる作品。
今の科学さえも、飛び越えてしまっているかに思える画業。
しかし、それだでけない芸術的な何か訴えかけるものも作品に注入している。
そいう絵を期待しているのだと。
■其一の波濤図表現について
その後、サントリー美術館の鈴木其一展の図録の中に次のような記載を目にしました。
「其一の波濤図頭表現 北斎と共有し、光琳・応挙から得たもの」より(p264)
ここでは、其一の《松に波濤図屏風》と
北斎の《今様せっきん雛形》を取り上げた比較でしたが、
同時代の絵師とのさまざまな共通項が見出されるが、
鮮烈な表現を希求する時代的な精神を共有していると。
一つのモチーフを共有しながら描いていたと理解してもいいのかなと・・・・
■雪村の波
そして今年、2017年夏。雪村の波に出会いました。
これまでいろいろな美術展で見てきた波の表現。それらと雪村の波が重なりました。、雪村の波を見た瞬間、今まで見てきた波の源流はここだ! と確信に近いものを感じさせられたのでした。
出典:江戸時代を世界遺産に:閑話休題79 雪村周継筆白衣観音像4
出典:特別展「雪村―奇想の誕生―」15年ぶりに東京へ。100点以上の作品から雪村芸術の不思議に迫る。|金券ショップのチケットレンジャー
光琳が、雪村のことをめちゃくちゃ敬愛しているなんて話は、この展示で初めて知りました。その敬愛ぶりは、尋常ではないようにも感じました。ということは、雪村が描いたこれらのが波は、光琳は絶対に参考にしていてつながっている! その理由や裏づけなんてありませんが、そう感じるから・・・・ 光琳の雪村への愛が、この波をつなげていると思うのです。
光琳は「光琳波」という、波の図柄があり、いろいろなところでモチーフとなっています。波濤も同様にいろいろな人たちに取り入れられていると思っていましたが、その先の源流を見たように思いました。
■波濤の源泉は雪村にあり
奇想として語られれる代表的な絵師だけでなく、様々な絵師の中に浸透している。奇想というエッセンスはキワモノ的なものではなく、いろいろな絵師の中に形を変えて存在していたということを感じさせれました。
どうしてもそのことを確認したくて、MIHO MUSEUMで解説をされていらした方に伺ってみました。
光琳の波が、雪村の波の影響を受けているのは明らかです。とおっしゃっていました。あのような形の波は、雪村の前の時代には描かれてはいないそうなので、雪村が始まりだといっていいでしょうと。あちこち行き来する中で、北関東で見ていた太平洋側の海を見ながら、あの波を描いたのではないでしょうか? 今回、監修に携わられた橋本先生(確か)も、光琳の波は、雪村を参考にしているとおっしゃられていますとのこと。
雪村が見た北関東常陸の波、大観ら見た五浦の波・・・・
あるいは、等伯が見た七尾の日本海の海・・・・
こうした日本画に描かれた波景色を実際に旅行しながら体感してみるというのも、旅の楽しみとして面白そうです。
■まとめ・感想
抱一の波は、北斎の真似じゃない! と思ってスタートした、妙な手のような波の形。何でこんなデザインの波をいろいろな人が描いているんだろう。どういうつながりがあるのか‥‥ そんな素朴な疑問が、時を経て、MIHO MUSEUMという場所で、その源流を発見しました。それは、山から湧き出る清水の一滴をみつけたかのようです。
そして 日本の美「わびさびと琳派」を見ていたら、
琳派と茶道との関係について。日本のデザインという捉え方について。軍国主義によってデザインというものが抑えこまれていました。しかしながら、茶道は禅に通ずる武将のたしなみとして位置づけられて来たことが軍部からの攻撃を免れたようです。茶道が日本の美のDNAを守ってくれたと言えます。
日本の美の源流は、茶道の「わびさび」と、全く反対の艶やかな装飾性をもつ「琳派」。茶道は東山文化の唐物からわびさびの茶道へ。わびさびの前のきらびやかさと琳派との共通性と考えると、東山文化もわびさびとつながりが見いだせます。
琳派の水の表現の源流が室町時代の雪村にあり、その派生で、東山と琳派もなんとなくつながってきました。茶道の世界に対してはいろいろ思うところもありますが、日本の美のDNAが茶道のわびさびにあるとは、やっぱりすごい!
自分のこれまでの鑑賞を通して、その流れのつながりを追っていたら、源泉にたどりつけたことが、今夏の一番の思い出になりました。
*1:■レオナルドの自動車
そういえば、レオナルドも木のバネで自動車を考えてました。以下修正あり ⇒ 螺旋が広がる時の力を動力に変える。その形状もやっぱり螺旋 定速度で動かすためにさらなる工夫。螺旋は宇宙の摂理・・・・ ここで頭に浮かんだのはフィボナッチ数列。(⇒レオナルドの自動車の動力は木で作ったコイルかと思っていたのですが、そうではありませんでした。コイルに見えた部分は歯車でした。テコの原理でバネを利用しているみたい)
↑① ↑②
①の丸い部分が板状になったコイルがまかれていて、それが大きくなる力を利用したのかと思っていました。ああ勘違い・・・・ このしくみは板状のバネを引っ張って
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