2015年、ラリック美術館で行われたミュシャ展が、どんな展示だったのか。スラヴ叙事詩はどんな解説されていたのか。記憶をたどっていたのですが、なかなか思い出せませんでした。その時に参加したギャラリートークのメモが出てきました。メモから、気になるところを抜粋。
■本意でない「ドイツ史の光景と挿話」に挿絵
1892年 32歳
チェコ出身のミュシャ。ドイツに統治されチェコの言語の弾圧を受けているという状況の中、そのドイツから挿絵の依頼が・・・・ しかし、これも今後、スラブの復興を描く時に役立つという思いと、食べて行かなければならない状況に、仕事の依頼を受ける。結果、挿絵作家として花開く。
◆1894年 34歳 「ジスモンダ」
転機となるサラ・ベルナールとの出会い。一夜にして電撃デビュー。
●大ブレークするも、美しい情勢ばかり描いているべきではない。
同胞愛が強く道徳的
●しかし官能的な女性が受けたことで、販売意欲が刺激された。
◆1900年 パリ万博 スラブ民族
ボスニアヘルツェコビナ館を装飾してから民族の画家としての使命を感じる。
●サラベルナール
生まれながらにして何かを作りたいという思いが強い。芸術家としての顔も持つ。胸像を作成中に自分もアトリエを持つほど。その感性がミュシャのポスター、デザインにも生きる。
●ベルエポック(古きよき時代) 19世紀末から20世紀の初
パリが華やかさに酔いしれた時代。人々はそれをなつかしんでベルエポックと呼ぶ
⇒エポック:ある年代の起点となる年・事件のこと
●美術学校で学び教鞭もとる。
芸術家としてみとめられたとの思いから商業デザイナー、アールヌーボーの作風を捨て古典的絵画へ
デッサン・クロッキーの作風は共通
◆1918年 共和国に スラヴ叙事詩
国章・切手・紙幣を無償でデザイン チェコの誕生を祝福
●人体表現
ラリックは天性の表現力と色彩感覚 皮膚の下かの肉の張り 柔らかさ
ミュシャは骨格・筋肉を意識
■フライヤー
▲ミュシャとラリック フライヤー
■関連
〇箱根で「ミュシャとラリック」展 アール・ヌーボーからそれぞれの道 (1/2ページ) - SankeiBiz(サンケイビズ)
〇「ミュシャとラリック」展 アール・ヌーボーからそれぞれの道(1/3ページ) - 産経ニュース
〇展覧会:ミュシャとラリック(箱根ラリック美術館・4/25-12/13) - 東京