エミールガレの美術館が名古屋にあることを数年前、観光案内所で知りました。いつか行ってみたいと思っていたところ、今回は、「ガレ&ドーム&ラリック ガラスアート三大巨匠展」が開催。こちらの美術館、地元、名古屋の方でも知らない方が多いようです。
以下、覚書メモ
■エミール・ガレ
ガレ最晩年の作品・・・・
えっ? ガレの晩年の作品は「ひとよ茸」だったはず。
晩年の作品が他にもあるということ?
しかし・・・・晩年の作品と思っていた「ヒトヨダケ」よりも、私は、《蜻蛉》作品の方が、グッとくるものが・・・・
■蜻蛉文脚付杯
今、まさに散ろうとする蜻蛉。最後の命の灯、と同時に次の瞬間には、失われる命・・・・ガレ自身を、この蜻蛉に投影していることは、説明されるまでもなく、伝わってきます。ボロボロになって全し、地に落ちていく瞬間。
もしかしたら、その時を止めて、その瞬間を、ガラスの中に封じ込め、ガレ自信が、作品の中で生き続けようとしたということ?
ガラスの白のマーブルは、きっと何かを表しているはず。白血病という病に侵され、「白」という色が、晩年のガレの作品には多様される。きっと、この模様に何か意味を込めているはず・・・・・
この盃は、5つ、身近な人たちに向けて、ガレ自身が作って送ったそう。蜻蛉は、それぞれに、少しずつ違うらしい。5つの作品のマーブル模様は同じなのか・・・・北澤美術館、サントリー、大一美術館・・・ あと、2つはどこに?
■ヒトヨダケ
一方、晩年の「ヒトヨダケ」は、ガレ工房の作品。ガレの指示のもと、スタッフによって作られたもの・・・・亡くなる2年前の作品
「ヒトヨダケ」の謎解きを友人ともに解明して、そこにガレが込めたもの・・・
その奥深さを自分なりに理解したのですが、私は、こちらのダイレクトに伝わる作品の方が好きかも・・・
謎解きや、抽象的な解釈、そして見る人の教養や知性を求められても、そんなのわかる人にしかわからない作品よりも、見たままズバリのストレートな表現。
誰が見ても、伝えたいことが、ストンとダイレクトに伝わる。芸術はひとにぎりの人のものではないと思う・・・・
高尚である方が、ありがたがられるけど・・・何も考えることなく、入ってくる作品があったっていいと思う・・・・
■ガレの作品に蜻蛉が多いのはなぜか・・・・
儚い命の象徴、そしてその命は、輪廻転生、再生・・・
その命の短さの表現として昆虫を選び、特に蜻蛉が取り上げられる。
日本びいきだったガレ・・・
日本の形が、蜻蛉に似ているそう。
(どう見れば、蜻蛉に見えるのか、その意味、わからず・・・)
そして、日本の国自体を蜻蛉の古称にちなんで「秋津州(あきつしま)」と
呼ぶようになったそう。
『広辞林』に「あきつしま」の「秋津」はトンボの古名とあるそう。「あきつしま」の由来は、日本書紀にあり、神武天皇が大和(やまと)一帯を見下ろす丘に登って国見をしたときに、その地形がトンボ(あきつ)が交尾している姿に似ている、と発言したことから生じたとされている。
古事記では、雄略天皇が吉野に狩りに行き、天皇の腕をかんだアブをトンボ(秋津・あきつ)が食べたことから、トンボをほめたたえ国の名前にしたということになっている。
あきつとは『秋の虫』という意味。はじめは秋に現れるアカトンボを指していたのだろうが、いつしかトンボの総称になったようだ。
ジャポニズムにおいて、蜻蛉=日本 として、モチーフに多様されたらしい。
■晩年作品の意味するもの・・・
・ガレ自身で作った「晩年の作品」
・ガレ工房で作った「晩年の作品」
そして、「晩年」と「最晩年」
「晩年」・・・・一生の終わりに近い時期。年老いてからの時期。
「最晩年」・・・一生の終わり頃を示す
「晩年」の中でも特に終末に近い時期のこと。
死去する直前の数年程度を指すことが多い。
「晩年」の作品と言われる「ヒトヨダケ」が最後の作品かと思っていたら、そうではなかったもよう・・・・「最晩年」の方が、あと・・・・
さらに「最晩年」の作品 は、「最後の作品」かと思ったらそうでもないみたい。
死去する直前、数年に、いくつか作品を残していたら、「最晩年」の作品もいくつかあるということになるということのよう・・・・
■【関連】エミールガレ
■オルセー美術館特別協力 生誕170周年 エミール・ガレ展:ライティングの秘密
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■エミールガレ:ヒトヨダケ文花瓶・・・自然の摂理と輪廻 - (2016/02/10)
■大一美術館 エミールガレ 《 蜻蛉文脚付杯》 (2015/08/21)