コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■歌川国貞展:一枚の浮世絵から読み取れる日本の生活と文化《江戸自慢 四万六千日》 

 静嘉堂文庫美術館では「歌川国貞展」が行われており、前期は1月25日まで。前期の展示作品で《江戸自慢 四万六千日》について気になったことを調べていたら、いろいろなことが見えてきました。当時の暮らしにまつわることなど紹介します。

 

 

 ■モクモクの煙は蚊遣り

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「江戸自慢 四万六千日」 大判錦絵 文政初期(1820年前後) 静嘉堂文庫蔵 前期展示

 (*写真は主催者の許可を得て撮影したもの)

 

上部の鉢から立ち上る煙が妙に気になります。初ガツオを楽しみにしている当時の暮らしを描いた「卯の花月」という作品の紹介もあったことから、これはサンマを焼いているところだったり? なんて思いながら見ていました。

 

しかし、この鉢は蚊取り線香蚊遣り(かやり)と言われるもので、煙を焚いて蚊よけをしていたのだそう。それにしても、何をくべればこんな煙がでるのでしょうか? 当時、すでに除虫菊に、蚊をよせつけない効果があることなど、知っていたのでしょうか?

 

まずは、煙がこんなにモクモクと実際に出たのかというと、そんなことはなかったのだそう。これは目を引くために誇張された表現。その濃淡の表し方は摺師の技術の高さを感じさせられます。何をくべていたのか気になっていたのですが、「江戸自慢 四万六千日」で画像検索をしていたら、面白いサイトをみつけました。それはこちら‥‥

 

 

金鳥がこの浮世絵を紹介

ouc.daishodai.ac.jp

 

なんと、起業教育研究会のサイトで、あの金鳥の専務取締役の方が、商品開発における人と社会のつながりについて語る中の画像として紹介されていたのです。

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出典:特別講演 ―家庭用殺虫剤メーカーのパイオニア 「KINCHO(金鳥)の商品開発における人・社会とのつながり」―|起業教育研究会|大阪商業大学

 

蚊取り線香が発明される前は、いかにして蚊よけをしていたかを解説するために浮世絵を使い、3つの方法が紹介。そのうちの一つとして、歌川国貞の「江戸自慢 四万六千日」を引き合いにだし、下記のように解説されていました。

歌川国貞の「江戸自慢 四万六千日」では蚊遣り火の煙と、四万六千日参りに自分も連れて行くようにと駄々をこねる子供が引っぱる帯との、対比がうまく描かれています。

 

〇蚊遣りに使われていたものは?

そして、思いもかけず、当時、何が使われていたかがわかってしまいました。

 「蚊遣り火」は蚊が煙を嫌うことを利用して、杉や蓬の葉を焚いて燻す火のことです。しかしながら、この方法は、人間にも多少苦難を強いるものでした。 

 

〇除虫菊の効果がわかったのはいつ頃

除虫菊に、防虫効果があることがわかったのはいつ頃のことでしょうか? その答えもここにありました。

この虫も少ないやや寒い地方を原産とする「除虫菊」に、なぜ「ピレトリン」と言う昆虫に作用する毒があるのかは不思議な話ですが、1840年には、その乾燥させた花に殺虫能力があることが確認され、それを粉にして、ノミ取り粉として利用され始めたようです。

 

明治になってヨーロッパより日本へ輸入され始めたノミ取り粉は、まさにこの「除虫菊」の粉だったのです。

 

1840年というのは、黒船来航(1853年)の13年前。時代としては・・・(⇒1840年とは - 近世年表 Weblio辞書)←この年表ちょっと面白いです。これらの情報とともに、除虫菊のタネが送られてきて、蚊取り線香の開発につながったそうです。

 

国貞が《四万六千日》を描いたのは、1820年。まだ、除虫菊の効果は発見されておらず、日本に入ってくる前のことでした。(除虫菊は日本原産でなく輸入されたもので、品種改良によって環境適応させたようです) 

 

 

■2000年前から蚊に悩まされていた日本

日本の夏は、なぜ蚊が多いのか‥‥ 考えたこともありませんでした。トンボも多く、日本は秋津島と言われ、ジャポニスムのアイコンのようにトンボがモチーフとなったと聞いていました。それはエサの蚊が多いから日本に多いのだそう。なぜ、蚊が多いのかと関連があります。

それは2000年前から行われた水耕農田で米作りをしていたからなのだそう…

農耕民族と言われる日本。そこに蚊の発生という悩ましい問題があっとは! しかしながら、その蚊をエサとするトンボが多くなりました。ツバメが飛来するのも、夏の間、エサとなる蚊が南方に少なり、多発する日本に来るのだそう。気候だけの理由ではないようです。

「蚊」という小さな昆虫を通して見えてくる日本の農耕文化と自然の関係。田んぼにトンボが飛ぶ姿というのは原風景のように沁み込んでいます。それは、水田、蚊、トンボといった繋がりがあったのでした。

 

 

蚊取り線香の誕生は仏教の伝来から

さらに蚊取り線香と、日本文化との深いつながりを知ることになりました。

除虫菊の効果を発揮するために、成分を粉にして線香状にすることを考えました。その発想は、日本に仏教の伝来があったからこそ。その時、仏壇の選考の職人を雇ったそうです。当初は棒状だったそうですが、それだと40分しか持ちません。そこで渦巻状にすることを考えたそうです。その制作も、試行錯誤を繰り返し、今のダブルコイル方式が完成したのだそう。

 

仏教の「香」がヒントとなって蚊取り線香は生まれた‥‥

 

一つの商品が長い時間を経て、暮らしや文化とともにはぐくまれて今に至っていることを、一枚の浮世絵から知ることができました。

 

 

■女性は誰? 子供は何をしている?

この浮世絵に関する解説がどのようにされているか探してみました。この女性は母親だとばかり思ったら、姉という解釈もあります。あるいはどちらと特定せず女性とされているものも。そして子供も、(行きたくないと)ダダをこねている、あるいは、早く行こうとせがんでいるなど、いろいろ受け止め方があるようです。

 

静嘉堂文庫美術館

子供:引っ張られている

女性:母・姉 特定しない

江戸の夏から初秋にかけての風物をコマ絵(本画の上部などに小さく描かれた絵)に描き、女性の夏姿を本画とする季節感あふれるシリーズ。本図のコマ絵は浅草寺の遠景。「四万六千日」とは旧暦七月九日・十日に行われる縁日で、現在は「ほおずき市」として知られています。背後で盛大に立ち上る蚊遣(かや)りの煙と、子供に引っ張られて解けかかった女性の帯の線の対比が印象的な構図の作品です。(前期展示)

 出典:静嘉堂文庫美術館 | 展示作品の紹介

 

千葉市美術館 

火鉢:浅草観音本堂前で焚かれる香の煙に見たて

女性:姉

子供:まとわりついて難儀させるいたずらっ子

出典:千葉市美術館 収蔵品検索システム

 江戸の夏5月から初秋7月頃にかけての行事を画中の額絵に描き、その行事になぞらえた女性風俗をテーマとした10枚揃で、千葉市美術館には全図が揃う。
 「四万六千日」とは、江戸では7月10日の浅草観音の祭日に参詣すると四万六千日参詣したと同じ功徳があるとされる行事である。図では、火鉢を浅草観音本堂の前に焚かれる香の煙に見たてており、盛んに煙が出ている。姉の帯にまとわりついて難儀させるいたずらな幼子である。

 

重右衛門

煙:猛烈にくすぶる蚊遣りの煙が三角形構図で画面を斜めに切る

女性:夏衣装美人 ややしどけないポーズ

子供:とけかかった帯にまつわり、足をばたつかせる

 前図と同シリーズの一図ですが、これははなはだ動感に富みます。解けかかった帯にまつわり、足をバタつかせる小児、迷惑して嘆願する、ややしどけないポーズの夏衣裳美人。この二人が形作る三角形構図で画面を斜めに切り、上半には猛烈にくすぶる蚊やりの煙がこれも三角形に画面を占めて、人物の動作を煽るように効果を添えます。美人の着衣の薄紅と帯ならびに蚊いぷしの漆黒、煙の薄墨等の対比でいろどられた画面が美しいです。煙に施した拭きぼかしが、濃く薄く立ちこめる動勢をさらに強めています。コマ絵は浅草寺で、七月九日・十日(現在では八日・九日)に参詣すれば、四万六千日詣でた功徳があるとされ、当口は貴賤が群集しました。当図の副題はこれによります。小児のせがみもこの縁日への同行を強いているのかもしれない、蚊やりの容器も所柄に因み、今戸焼ですか。そのかたわらの団扇には、「青梅も通りものかはすいのうち 七代目三升」と、七代市川団十郎の賛が記されています。
歌川 国貞 Utagawa Kunisada

 出典:国貞 江戸自慢・四万六千日 jpskunisada04 – 重右衛門_JAPAN

 

女性を姉とは思いませんでしたが、そのような解釈もあるようです。特定しない傾向がみられました。子供も「縁日に行きたくないのか、行きたいのか・・・」 子供がぐずるのはいろんな理由が考えられます。

 

色、構図もアイキャッチだけでなく、深く読み解くと造形的な観点でも読み解けそうです。

 

 

■四万六千日とは?

「四万六千日」というのは、昔の習慣で今はすたれてしまったのでしょうか? タイトルを見て、理解するのは、現代では難しいということなのでしょうか? また、この数字は何を意味するのか、改めて調べてみると‥‥

 

◆四万六千日

東京都台東区浅草寺の本尊である観世音菩薩縁日のうち,特に多くの功徳が得られるとされる功徳日のことで,毎年 7月9,10日がその日にあたる。もとは「千日詣り」といい,本来はこの日に参詣すると 1000日参詣したのと同じ功徳が得られるとされていたが,享保年間(1716~36)頃から 4万6000日参詣したのと同じ功徳があるとされ,「四万六千日」と呼ぶようになった。縁日には浅草寺が雷よけの護符を配り,境内に「ほおずき市」が立つ。ではかつてはホオズキではなく茶筅(ちゃせん)が売られていたという。それが文化年間(1804~18)頃に雷よけとして赤トウモロコシが売られるようになり,明治初期に愛宕神社地蔵尊千日詣(四万六千日)で癪封じや子供の虫封じの効能があるとして売られていたホオズキの市が移ってきて,明治末期には赤トウモロコシを売る店はほとんど姿を消した。寺が配る雷よけの護符は,明治初期に赤トウモロコシが凶作となったときに代わりとして出されたのが始まりと伝えられる。

 

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

 

そして浅草寺のサイトにはこのような記載もありました。

四万六千日・ほおずき市|聖観音宗 あさくさかんのん 浅草寺 公式サイト

 

過去の習慣かと思っていたのですが、今尚息づいている年中行事として紹介されているのでした。ほおずき市にでかけている方は、知っているのかもしれません。ブリタニカの出典は、浅草寺のサイトのようです。

 

〇この数の由来は?

・米の一升が米粒46,000粒、一升と一生をかけたという説。
・46,000日はおよそ126年に相当、人の寿命の限界「一生分の功徳が得られる縁日」

 

〇四万六千日の縁日の参拝の起源

江戸時代には定着。
われ先に参拝しようという気持ちから、前日9日から境内は参拝者で賑わう。
このため、9日、10日の両日が縁日とされ、現在に至る。

 

⇒これを知ると、女性はとるものもとりあえず、参拝しようとしているとも読み取れるかもしれません。あるいは、子供のためのほおずきをゲットしようとしているとか… 

 

友人はこれを、行きたいのやまやまだけど、子供が行っちゃいやとせがまれる状況に後ろ髪をひかれる様子で、左右の手にそれが現れていると語っていました。子供というのは母の出かける気配というのを子供なりに察知し、おいてぼりにされてしまう危機感を感じるものだからと。

 

 

〇四万六千日のほおずき市の起源

明和年間(1764〜72) 四万六千日の縁日は浅草寺にならって他の寺社でも行なわれる。芝の愛宕神社では四万六千日の縁日にほおずきの市が立った。

 

「ほおずきは癪が治る、子供の腹痛が治る」という民間信仰があり、賑わった。愛宕神社の影響で浅草寺にもほおずき市が立つようになる。

 

 

■団扇からも読み取れるものが‥‥

団扇には、七代市川団十郎の賛 が書かれています。

「青梅も通りものかはすいのうち 七代目三升」

 

静嘉堂の展示の解説には、この賛も紹介されいました。しかしながら、ハンドブックには記載がありませんでした。スペースの関係で制約があるのだそうです。河野館長はこの賛から、何かを読み解こうとされ、どういう意味なんだろうと考えていらっしゃいました。一枚の絵を読み解くヒントというのは、こういうところにもあるのだな…と思いながら、あとで、この賛について調べてみたのですが、意味がわかりませんでした。

 

 

■まとめ

一枚の浮世絵を、細かに見ていくと、当時の生活が垣間見られ、また、それが今の世界に連綿と連なっていることがわかります。

 

日本人は2000年も前から蚊に悩まされていたこと。それは水耕栽培という農業生活によるものであり、それを避けるための知恵を重ねてきた。そうした瞬間が切り取られて浮世絵となって描かれていたのでした。

 

見ただけで分からなければ、解説を見る。そしてわからなければちょっと調べてみる。すると、一枚の絵からいろいろな世界が広がるのを感じさせられました。

 

そして横道にそれますが、絵画を通して、世界の歴史を学び、世界と渡り合おうという動きが出てきているようです。「世界のエリートはなぜ『美意識』を鍛えるのか?」といった書籍が好評と聞きます。

しかし今回、金鳥という企業が、これまでどのような研究をし商品を送り出してきたか、過去から未来に向けた会社の理念を知ることとなりました。

除虫菊の成分が研究され化学合成され、そこから試行錯誤であらゆる製品へとひろがりました。それは日本の文化、暮らしを糧にした切っても切れない関係にあったことを知ります。

しかし、蚊をすべて駆除しようとは思っていないと言います。それは、蚊をエサとする動物が生きていけなくなるから。ピレスロイドの欠点は、光に弱いことだそうです。しかし裏を返せば、無毒化され自然環境にとってはメリットなる物質であると。

 

創業者の教え「人や社会から常に刺激を受け、そして学び続ける」その教えから開発された商品の数々。一枚の浮世絵が、商品開発の資料となり、それらを元にヒント得て日本企業を支えていたというのは、ちょっとびっくりでした。

 

金鳥の鳥のマークからは企業人としていかに生きるかという指南も含まれています。堅実な企業風土が伺えます。金鳥の開発物語から、たくさんのそうだったのか‥‥という学びを得ました。

 

科博に訪れるようになって、産業遺産の保存を始めているといった話を耳にしていましたが、金鳥は、2013年9月、国立科学博物館重要科学技術史資料(通称:「未来技術遺産」)に、農薬及び家庭用殺虫剤分野の製品等として初めて登録されていたことを知りました。

 

国貞の描いた蚊遣りの煙は、煙の嫌いな蚊をよけるためのもの。後に除虫菊に含まれる成分「ピレトニン」が、昆虫類に毒性を示すことがわかり発展を遂げたという今につながりました。絵画を通して、世界を知ることもできますが、日本というものを別の角度から見ることもできると思いました。そして企業が所有する絵画から理念のようなものが見えて面白いと思いました。

 

(そういえば、「蚊連草」という植物も登場しました。あれは本当に効果があるのか・・・ あの植物の正体は何か? 外に吊るす虫よけは、効果があるのか‥‥ そんなことを探ったことを思い出しました。またまた横道でした)

 

覚書:除虫菊の効果について

除虫菊に含まれるピレトニンが燃えることで気化し、虫の体内に入って麻痺させる。従って植えただけでは効果はない。ピレスロイドは 、除虫菊の有効成分の総称。